間違いに気づいた時には全部手遅れだった幼馴染の話
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その日はたまたま教室に忘れ物をしてしまい、夕方頃になって取りに来ただけだった。だがいざ教室の扉を開けようとしたところで、手が止まる。
「……ん?こんな時間に……?」
中で誰かが話している声が聞こえてきた。
「じゃあ、次は春香の番ね!」
「えー、なんかドキドキするな」
「私もやったんだからちゃんとやりなよ。いいじゃん、嘘でいいんだから」
春香は僕の幼馴染だ。もうひとりの声は……確か、須山さんだったかな?まだ入学したばかりというのもあってあまり話したことは無いけど、ちょっと派手な娘だった気がする。
「適当に告った後で振ればいいだけじゃん。簡単だったよ?」
「うーん、でも拓哉に悪いよ」
「別に良いじゃん。好きじゃないんでしょ?」
「うん、ただの幼馴染。まあいっか、拓哉なら許してくれるよね」
「ちゃんとそれっぽく告るんだよ!本気にさせなきゃノーカンだからね!」
「えー!ひっどーい!」
嘘告。中学の頃からあった、僕には何が面白いのかよくわからない遊び。その相談を楽しそうにする二人の笑い声が聞くに堪えなくて、僕は駆け出した。足音で中の二人には気付かれたかもしれないけど、どうでもいい。
そんなことよりも鳥肌が止まらなかった。頭からつま先までゾワゾワしてたまらない。
「気持ち悪い…!あいつ、あんなやつだったのか…!?」
彼女のことを異性として見たことはない。だから中学の頃、春香に彼氏が出来たときも素直に祝福した。結局高校進学の際に別れたと聞いていたが、元々顔立ちは良いからすぐにまた彼氏を作れるだろうと他人事のように思っていた。
だがまさか、自分の美貌を使って男子の気持ちを弄ぼうとするやつだったとは。中学の頃に付き合ってたやつも遊ばれてただけか…!?
心底気持ち悪い。心からの嫌悪が止められない。僕は特別潔癖でもないが、いじめだとか、いじって遊ぶだとか、そういうことで楽しむ輩は昔から大嫌いだった。だから昔から仲がいいと思っていた幼馴染が内心では僕の事を見下していて、嘘告のいじり相手としか見ていなかったことがショックだった。
……あの様子だと、近いうちに嘘告してくるな。今日は金曜だから、おそらくは週明けか。畜生、馬鹿にしやがって。お前らの遊び道具になるのは御免だ。
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『それって嘘告ってやつッスか!?』
「うん。僕のことは好きでもなんでもないから、何してもいいと思ってるらしい」
『ひどい…!そんなの先輩があんまりにも可哀相ッスよ!』
通話で話しているこいつは、アキラという俺のネットフレンドだ。いや、正確にはただのネットフレンドではない。たまたま同じネットゲームで知り合ったネットフレンドだったのだが、なんと同じ中学の一学年下の後輩だというのだ。
ただし一度オフで会おうと言ったものの「身バレは勘弁ッス!」と断られたため、極めて近くにいながらお互いに顔も本名も知らないという奇妙な関係ではあるのだが。
「なんとか仕返ししてやりたいと思ってるんだが、方法が思い浮かばなくてな」
『誰かに彼女役をやってもらって、逆に振ってやるとかどうッスか?』
「うーん……いい手だけど、女友達といえば春香しかいなかったからな。それに、まだ入学したばかりでクラスメートに偽装彼女を頼むのもな」
それを言ったら、入学して早々に嘘告して遊んでるあの二人は何者なんだと思わなくもないのだが。
『……一個下でも大丈夫ッスか?』
「一個下?ていうと中3か…まぁ、一年違いなら大丈夫かな」
『あ……ボクの友達にフリーなやつがいるっす。前に何度か部活やってる先輩を見たことあるらしくて、ずっとかっこいいって言ってたッス。きっと力になってくれるッスよ』
おお、まじか!?なんて良い後輩なんだ!
「それは助かる!なら頼んでもいいか?その子にもお前にもちゃんとお礼はするから!」
『やった!』
「ん?」
『はっ!?すみません、メタルラビット倒したから嬉しくて叫んだッス!』
「お前、俺が真剣に話してるのにレア狩りしてたのか……まぁいいや。ログインしてるなら僕も入るよ」
その日のパーティープレイは、何故かアキラが興奮して前に出過ぎる事が多くて何度か全滅してしまったが、僕もアキラもずっと笑い合っていた。こいつとは妙に馬が合うんだ。多分、春香と同じかそれ以上に。
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次の日。僕は公園で待ち合わせをして、アキラの友人を待っていた。春香以外の女の子と待ち合わせをするなんて初めてだから、なんだか落ち着かない。こんな気持ちになるのは生まれて初めてだ。
「あ、あの…」
「あ…」
ベンチに座ってアキラにメッセージでも送ろうかと思っていたら、目の前にワンピースを着た可憐な女の子が立っていた。アイドル顔負け……どころではない。短めだがさらさらとよく流れる黒髪と、黒曜石を思わせる輝かしい瞳、そして触るのも躊躇われるような細い体。
「え、君って……もしかして、矢島夏美ちゃん!?」
「へ?し、知ってるんですか?なんで――」
「そりゃ、君は僕のクラスでも有名だったからさ!アキラのやつ、すごい子と友達だったんだな…!?」
矢島夏美。この娘は日本人でありながら海外の元ジュニアアイドルという特別な経緯を持つ女の子だった。両親の都合で日本へ帰国した際にアイドル業は引退したのだが、ノーメイクでも遜色ないどころか年相応の可愛らしさが備わり、より親しみやすくなっていた。結果、全校生徒どころかその親からも注目されるほどの美少女として勇名を馳せることになっている。
すごい、あの矢島夏美が目の前に……!!
「あはは…なんか、変に構えさせちゃってすみません」
「ううん、そんなことないよ。けど……」
なんだろう……?
「な、なんですか?」
「いや、なんか、君の声に聞き覚えがあるというか……」
落ち着くような、落ち着かないような。知ってる声なんだけど、こうじゃないというか。
「……まあいいか。あ、ちょっと待ってね。アキラのやつに無事会えたよってメッセ送るから」
「え!?ちょっとま――」
ピロン♪
「……へ?」
「……うぅ……」
メッセージ受信音は、矢島夏美のポーチから聞こえてきた。
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「嘘とはいえ……いよいよ告白かぁ」
拓哉とは家が隣同士だったのもあって、本当に小さい頃から一緒だった。でも本当に男の子として意識し始めたのは中学に入ってからだったと思う。
小学生の頃から野球をやっていた拓哉は、中学に入ってからはどんどん体つきが逞しくなって、顔付きも引き締まっていった。そしてそれを見続けてきた私も、拓哉から目を離せなくなっていった。
だけど告白する意気地がなかった私は、他の男子に交際の練習相手になってもらっていた。その男子にもちゃんと事情を話してから付き合ってもらったので、気持ちを騙したわけではない。騙していたのは自分の気持ちの方だったと思う。練習相手になってくれた男子に、拓哉を重ねていたのだから。
拓哉のことが好きってことだけは周りに悟られないように振る舞ってきた。どうしてそんなことをしたかなんて私にもわからない。何故か自分の本心を周りに知られるのが恥ずかしかった。特に拓哉に本心を知られて、拒否されるのがすごく怖かった。
他の男子と遊ぶのは平気だったのに、好きになった男の子のことになると頭の中が真っ白になって、何も考えられなくなる。恋心が強すぎるせいなのは自分でも理解できたけど、理解できたところでどうにもならない。
「拓哉、ごめんね…」
本当は嘘の告白じゃなくて、ちゃんと告白をしたい。だけど須山さんとの話の流れで、拓哉のことが好きだからやりたくないとも言えない。そんなことしたらきっと、私の気持ちがバレちゃうもの。
……きっと拓哉は優しいから、一回だけなら許してくれるよね…?
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週明けの月曜日。私は拓哉にメッセを送って、放課後に公園へと呼び出した。緊張するあまり、スマホを操る手が震えている。前の日にメッセージを書き残してなかったら、もしかしたらいつまでも送れなかったかもしれない。
「よぉ」
「あ……拓哉……」
「今日はちょっと冷えるな。話があるなら早めに済まそうぜ」
約束の時間通り、拓哉はベンチへとやってきた。小さい頃から彼とここで遊んでいたのを思い出す。中学卒業からそんなに時間は経ってなかったのに、あの時よりもっとかっこよくなってた。ううん、そんなちょっとの時間で人が変わるわけない。きっと私の気持ちがそうさせてるんだ。
私、本当にこの人の事が好きなんだ……。
「春香、どうした?」
うん、嘘告なんて止めよう。須山さんには悪いけど、ちゃんと告白する。振られてもいいから、ちゃんと気持ちを伝えよう……!!
「拓哉……私ね、あなたの事が昔からずっと好きだったの…!お願いします、付き合ってください!!」
ああ、言っちゃった……嘘じゃなくて、本当の気持ちのまま叫んじゃった。
なんだかすごく恥ずかしくて、顔がどんどん熱くなっていった。悲しいわけでもないのに目に涙が集まってくる。どうしよう、早く返事を聞きたい。でも返事を聞くのが怖い。
「……お前すごいな」
感嘆するような拓哉の呟きに違和感を覚えて、私は顔を上げた。そこには告白された男子ではありえない、驚愕と嫌悪が混ざりあった表情があった。
「よく嘘告でそこまで演技できるよな。何も知らなかったら、多分僕はオーケーしちゃってたよ」
な、なんのこと…!?演技じゃないよ!?
「知ってるんだよ。先週さ、僕は教室に忘れ物を取りに行ってたんだけど、そこで須山さんと嘘告の打ち合わせしてただろ。本気にさせなきゃノーカンだっけ?なんであれで笑えるわけ?お前らちょっとエグすぎだろ。まじでこえーよ」
赤くなった顔が青くなっていくのが、鏡を見なくてもわかった。手が震える。足が震える。力が入らないのに、足の指は無意味に動く。
「あ……あの……っ!」
「返事を聞きたいのか」
ううん、やめて…!言わないで!!
拓哉の口がゆっくりと開いた。私の動きもゆっくりになった。きっと、実際は即答だったんだと思う。そして、その答えは誰が聞いても鮮明に違いなかった。
「嫌だよ。僕にはもう彼女がいるし、仮に居なくても春香みたいに嘘告で遊ぶようなやつと付き合うなんてありえない」
……彼女が……いる……?
「……え……どう……」
「アキラ、もういいよ」
「……もう、アキラじゃないッスから」
振り向いた先には、アイドルみたいに可愛らしい女の子が立っていた。知ってる…私はこの娘を知ってる!
「矢島夏美…!?」
「春香先輩にも知ってもらえてるなんて光栄です。でも、別に忘れてもらって構いませんよ。もう今は学校のアイドルじゃなくて、拓哉先輩の彼女ですから」
見せつけるように拓哉の腕に抱き着くと、拓哉の方も満更でもない様子で頬を染めた。そんな……そんな!?
「いや…!?嘘よ!なんであなたが!?」
「嘘告で遊ぶ人に嘘つき呼ばわりされる筋合いは無いです。でも質問には答えますと……ゲームつながりですね」
「ゲーム!?」
「ああ。お前が中学で彼氏作ってあまり僕と遊ばなくなった辺りからやり始めたゲームで知り合ったんだ。アキラが夏美だってことを知ったのはごく最近だったけど、中学ではアキラと遊んだ時間の方がお前よりずっと長かったからな。馬も合うし、本気で付き合うことにしたんだ」
「だからアキラじゃないッスってば」
「だってその口調じゃないと落ち着かないんだよ、アキラ」
「じゃあわざとやってるッスか!?」
目の前でイチャイチャする二人の声が遠くなっていく。世界が崩れていくような気分だった。最初から振られる覚悟はあった。でも、こんな振られ方をされるとは思っていなかった。しかもそれは、あまりにも自業自得で、誰かを恨むことも出来ない理由だった。
だけど、誤解されたまま、お別れなんて、したくない。
「う……嘘じゃない……私……私、嘘じゃなくて……今のは、本当の気持ちで……」
だから精一杯、せめて誤解だけは解きたくて、震える声で伝えた。
返ってきた言葉には、これまでで最大の嫌悪が込められていた。
「だからなんだってんだよ。僕は告白が嘘だったかどうかなんて、もうどうでもいいんだ。だって春香にとって、僕は何をしてもいい存在だろ?」
「ち、ちが……」
「違くない。僕が一番嫌いなことってなんだったか覚えてる?僕、春香にはちゃんと教えたよね?」
そう言われてハッとした。彼の嫌いなものなんて、幼馴染ならちょっと考えればわかることだ。だって、昔彼はいじめられてた私を守ってくれた時、怒りながらこう言ったんだ。
『人を傷付ける嘘で遊ぶ人は許せない』と。
「嘘告計画するようなサイテー女と付き合う訳無いだろ、バカ。二度とそんな冗談言うなよ。鳥肌止まんなくなるから」
そう言って、彼らは公園から歩き去っていった。けど、方角的に行き先はきっと……わたしの家の隣だろう。
「う……ああああ……!!ごめんなさい…!!ごめんなさいいい!!」
公園に唯一人残された私は、自分が犯した過ちにただ泣き叫ぶしかなかった。
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「先輩、あれでよかったんスか?思ったよりリアクションが深刻だったし、ちょっとやり過ぎだった気もするッスよ…」
「良いんだよ。別に間違ったことは言ってないだろ」
流石に腕に抱かせたまま歩くわけにもいかないので、今は手だけ繋いで自宅へと向かっている。今日は僕の家の場所を教えてから彼女を家に送る予定だ。その後は二人でレア狩りする。
それも楽しいけど、なんだか…今までよりアキラともっと一緒にいたいなと思った。こうして手を繋いで歩く女の子と、ゲーム以外の繋がりが欲しい。
「なあ、まだ桜も残ってるし、河川敷に行かないか?」
「桜モンス狩りッスか!イベ狩りもいいッスね!確かに河川敷ならレベル帯も合って――」
「違うって。今から二人で桜を観に行こうって言ってるんだよ、夏美」
「………っ!!」
幼馴染との関係は終わってしまったけど、今の俺には幼馴染に負けないくらい仲良しな女の子が隣にいる。
この関係のままでいたい気持ちと、もっと深い関係になりたい気持ちが一緒くたになって、僕の顔を赤くした。
「……えーっと……暗くなっちゃうから、帰り道は送ってくださいね、先輩?」
きっとアキラも僕と同じなのだろう。
その頬は桜のつぼみと同じくらい、鮮やかな桃色に染まっていた。