表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

ある師弟の話

作者: 薬師寺ヨシハル

 少女が目覚め、気だるげに身体を起こすと、窓から入り込む光で銀色の長い髪がきらきらと輝いた。10代半ばに見える小柄な少女だった。寝床からゆっくり降りると、部屋の中に誰もいないことをいいことに、くあぁ、と大きく欠伸をかいて、椅子の背もたれにかけられていた鈍い青色の重そうな外套をかぶる。そのまま椅子に座って、寝癖がついて絡んでいる長い髪をくしでときはじめたが、すぐに手を止めた。


「ユーティ、いる?」


 扉の外から、ため息交じりの返事が低い声で返ってきた。


「…いますよ、何ですか?師匠」


「髪、やって。面倒くさい」


 師匠と呼ばれた少女はくしを指先でつまんだまま振っている。


「…今日は服、ちゃんと着てるんでしょうね?」


「着てるから。早くやって」


 恐る恐る部屋の中を覗き込んだのは、見た目が20代半ばの青年。茶色い短髪の上に緑色の布を帯状に巻いていて、灰色の目をしている。


「おはようございます、師匠」


「うん、おはよう」


 部屋の中の少女が外套を羽織っていたのでほっとため息をつき、近づいて、


「…って、中着てないじゃないですか!!もー!!!」


 外套の間から下着が覗いて、青年はばっ、と開いていた外套を閉じる。


「お前がうるさいから着てるじゃないか」


「それは下着だし、上は外套です!!今日の服は昨日のうちに用意しておいたでしょ!?」


 勢いよく差された指先を追うと、机の上に畳んである服が視界に入ったが、


「面倒くさい」


 そう言って、向き直る。


 全くもう、と呆れながら、面倒くさいと連呼する少女からくしを受け取り、髪に通し始める青年。


「何度も何度も何度も言ってますけど……寝る前にちゃんと束ねてもらえれば、朝こんなに絡まないし、髪も痛まないんですよ?せっかく綺麗な銀髪なのに…」


 少女は淡く笑い、色素の薄い睫毛を伏せる。


「ユーティが束ねてくれればいいじゃないか、昔はやってくれてただろう?」


「昔はね?昔はやってました、確かにやってました、全て師匠のためだと思ってやってましたよ」


 くしでとき終えて綺麗に整えた後ろ髪を三つに分けると、手際よく編んでいく。


「師匠、俺が出来るようになると俺に任せて何もやらなくなるじゃないですか?でも俺がやらなければやらないで、師匠もやらないし」


「仕方ないだろう、面倒なんだ、師匠のためと思えば君もやってくれるだろう?」


「師匠のために、師匠が自分で出来ることは、できるだけやらないようにしようって決めたんですー」


 編み終えた髪を紐で束ねると、ぽつりと呟く。


「いつか俺がいなくなったら、師匠何も出来なくなっちゃうかもしれないじゃないですか」


「…ああ」


 鏡の中に映る、自分の後ろの青年の俯いた姿を見て、少女は苦笑した。


「そうかもしれないね」


 


 人が来たら困る、目のやりどころに困るとしつこく弟子から言い続けられ、少女は面倒くさがりながらも、外套の下に服を着直した。


「…おや」


 コツ、コツ、と窓を叩く音で目をやると、窓の外で首を振っている翼竜を見つけた。窓の鍵を指先でちょいと持ち上げ少し開ける。


「あーっ!!だめです!!」


 言うが遅し、翼竜は開いた窓から素早く部屋の中に飛び込むと、ギャッ、ギャッ、と鳴きながら部屋の中で暴れ始めた。


「おま、お前!」


 棚の上から物を叩き落としたり荷物の山を崩したりしながら、竜は飛んだり走り回ったりと部屋の中を暴れまわり、ユーティは落ちてきたものを拾ったり拾えなかったりしながら竜を追い回していた。


 少女はあーあ、と呟きながら、安全圏であろう椅子の上に座って部屋の中の大捕物の様子を眺めている。


 ほんの少しだけ、楽しそうに口元を緩めて。


 


「リビー!!!」


 ユーティの大声で一瞬動きを止めた竜を、


「捕まえた…!!」


 息を切らせながら、上から両手で翼ごと胴体を抑え込む。リビと呼ばれた竜は長い首と尻尾を振り回し抵抗を試みていたが、ユーティが放す気配がないことを悟り、おとなしくなった。ぱちぱちと手を叩きながら少女が久しぶりに口を開いた。


「ほう、今日の竜はリビって名前か…」


「こいつは絶対家の中に入れちゃ駄目です、ろくなことしない……前にもやられたでしょ」


 わかったわかった気を付ける、と軽い返事を返しつつ、


「まぁ、私にはどの竜も同じ竜にしか見えないけどね…」


 椅子の背もたれに頬を乗せ、ぼんやりと部屋の中を眺める。


「…ユーティ、そいつが暴れた部屋の片づけ、やってくれるかな?」


 ユーティは一度振り返って、部屋の惨状を目の当たりにして、


「………師匠が、入れたんですよね?」


 頬を引きつらせながら、椅子に座ったままの師匠に問う。


「いいや?私は鍵を開けただけで、そいつが勝手に入ってきたんだよ、それに」


 目を伏せ、少女は呟く。


「…面倒くさいんだ」


 


 


 師匠の口癖が、「面倒くさい」になったのはいつからだっただろうか。


 


 まだ幼かった時、師匠曰く6歳の時に、彼女の元に身を寄せた。今思えば、捨てられたに近かったのだと思う。


「君はユーティというのか……よし、弟子にしてやるから、私のことは師匠と呼びなさい。生きていく(すべ)を教えてやろう」


「はい!!ししょー!!」


「よろしい」


 そう言って笑いかけてくれたのは、今でもよく覚えている。綺麗な銀髪を結って、暗い色の外套を羽織った「お姉さん」だった。


 


 草や木の実を育てては採って、干して、加工して……最初、何をすることを生業としている人なのかは、幼い自分にはよくわからなかったし、彼女が育てているものを野菜と間違えて採ってきてはよく叱られていた。


 


「この草と、この草は何が違うか、わかるかい?ユーティ」


「えっと……あ、ねっこのいろが、ちがいます!!」


「そう、正解だ、よく出来たね!それに葉っぱの匂いも違うんだ、嗅いでごらん?こっちの草は薬になるけど、こっちの赤い根の方は毒になるんだ。間違えると大変だから、よく覚えておきなさい」


「はい!ししょー!!」


 


 何かが出来るようになればしっかり褒めてくれたし、細かな知識も与えてくれた。生きていくための仕事だけではなく、文字も、料理も、家事も、必要なことは全て彼女から教えてもらった。とても良い師匠に巡り合えたと思う。


 


 師匠の元で過ごしているうちに何年も経ち、小さかった自分の背が少しずつ伸び、師匠と並び、ついに追い越したとき、師匠は苦笑しながら確かにこう言った。


「ああ、君もか」


 何が「君も」なのか、その時は聞けなかった。なんとなく、もしかして…、ずっと師匠の傍にいて、ずっと思っていたことはあったのだけれど、それは聞いてはいけないことのような気がして。


 


 自分の成長がおさまる頃には、師匠の弟子になって12年が経っていた。


「ユーティ、君ももう18か……私の知っていることはもう十分教えたし、きっと一人で立派に生活できるだろう……いつ独り立ちしたっていいんだよ」


 そう言って眼下で寂しそうに笑っていたのは、綺麗な銀髪を結って、暗い色の外套を羽織った「少女」だった。


 


 


「…ユーティ、君、そろそろ独り立ちしないのかい」


 目の前に座っている師の言葉に、ユーティは食事を口に運ぶ手を止めた。


「またその話ですか?せっかくの夕食が不味(まず)くなりそうです」


 眉を顰め、青年は煮物を口に放り込む。


「ああ、食事が不味くなろうが何だろうが、何度でもするよ」


「今日の夕食は最高の出来なんですから。不味くするのはやめてください」


「君の料理はいつだって最高の出来だろう」


 ありがとうございます、と答えるが、青年はまだ不機嫌そうな顔を崩さない。


「その最高の夕食を不味くしてでも、師として問わねばならないんだよ」


 ユーティは自分のお茶を一気に飲み干すと、ため息をついた。


「俺は、前から言ってますけど……師匠のところにいたいんです、独り立ちなんてしたくないんです」


「そんな子供みたいなことを言うんじゃない、私は君を私の世話係にするために弟子にしたんじゃない」


 自分の皿から根菜を選り分け、ぽいぽいと弟子の皿に放り込む。そして弟子はその一部始終を見届けると、


「…根菜だけ弟子の皿に移すような、子供みたいな好き嫌いをする師匠には言われたくないです」


 ちゃんと味が染みてますし柔らかいですから半分でもいいから食べてください、と言いながら根菜を半分少女の皿に戻した。


 


 


 青年は食後のお茶を注ぐと、机の上の空になった皿を重ねて流し台に片づけ始めた。押し付けあっていた根菜はぶつくさ言いながらも全て食べてくれた。


 皿を流し台に置いていると、視界の端にいる少女が小さな包みを取り出しているのが見えて、何となく聞いてみる。


「…師匠?何ですかその包み」


「…あぁ、これは……栄養剤だよ、調合したんだ」


「珍しいですね、最近は調合も面倒だって…」


 包まれた紙の中から灰色の粉末が見えて、ユーティの顔色が変わる。


「…駄目です」


 皿ががちゃんと大きな音を立てる。


「それは、駄目です!!!」


 師の元へ急いで駆け寄り、ユーティは少女の手を思いっきり叩いた。紙と粉末が弾き飛ばされ、床の上に散らばる。


「……何をしてるんですか、師匠…!!」


「……ユーティ」


 青年に叩かれた手と、床に散らばった粉を少女は無感情に眺めている。


「…リビザモドキ、毒草、ですよね?最初に師匠が教えてくれた草のうちの一つだ」


「………よくわかったね、リビザモドキの粉末は見せたことがなかったのに」


「あの時、『よく覚えておきなさい』と言ったのは、師匠です…!」


 ユーティは両手で目元を覆い、長いため息をついた。


「…だから、どんな状態になっていてもわかるように、いろんな加工をして覚えました。乾燥させて粉末にすると、赤い根の色が混ざって灰色に見えることも…」


「驚いた……とても賢い子だ、どこに出しても恥ずかしくない、私の自慢の弟子だよ」


「その、自慢の弟子の前で!!それを飲もうとしていたのは誰ですか!!!」


 両手を机に強く叩きつけ、肩を震わせる。


「…あのまま俺が気付かなかったら、黙っていなくなろうとしていたんですか…!?」


「……そうだね」


 こぼれてしまった机の上のお茶を、ぼんやりと見つめながら呟く。


「…君を、そろそろ自由にしてやらないといけないと思って」


 


「…自由?俺はずっと自由にさせてもらってますよ。街にだって好きな時に行けるし、夕飯の献立だって自分の好きなようにできるし……」


「私の元から、だよ」


 青年は息を飲んだ。自分を睨み上げる師匠の姿は初めて見た。


「私は君に、いつ独り立ちしてもいいと言った」


「…はい」


「でも、それから何年経った?」


「………」


「『いつ』はいつまでもここにいていいって意味じゃない」


「でも」


 震える声で、青年は呟く。


「…俺は、師匠と一緒にいたいです」


「またか……ユーティ」


 少女は、はぁ、と呆れたようにため息をついた。


「子供みたいなことを言うんじゃない」


「俺は何歳になっても、師匠からみれば子供です……どうして、そんなに俺を追い出したがるんですか?…どうして、師匠と一緒にいたいって思っちゃ駄目なんですか?」


「どうしても何も……」


 師が言い淀む。ユーティは意を決して、呟いた。


「…それは、俺を追い出したい理由は……師匠のその姿と関係がありますか」


 20年前から、全く変わらないその姿と。


 少女はしばらく黙っていたが、息をつくと、あきらめたように微笑んだ。


「…そうだよ、ユーティ……やはり君は賢い子だね」


 


「君はずっと気付いていたんだろうけど、今まで一度もこの姿に疑問を呈したことも、怖がったこともなかったね」


 弟子が頷いたのを見ると、少女は僅かに口元を緩めた。


「私は内心それに救われていたし、でも逆に恐れてもいた……いつか、今までの弟子たちのように、口や態度に出てくるのではないかと…」


「…そんなこと」


 言わない。言うはずがない。しかし言葉が続かなかった。


「今までに何人か弟子を取ったけど、皆、私を追い越して、独り立ちしていったよ……何年経っても見た目が変わらない私を気味悪がってね」


 椅子の上で膝を抱えると、少女は震えた声で続けた。


「正直、それはとても悲しいことではあるが、仕方ないと思っていたよ。でも、君は気味悪がることがないどころか、何度言ってもいつになっても私の元から離れようとしない……仮に君がずっとここにいて、いつか老いていったら?何十年経っても同じ姿の私には、君と同じ時を重ねることが出来ない現実はとてもつらい」


 少女は左頬を膝に押し当てて、小さくため息をついた。


「逆に、君をここに残して私は新しい土地で…というのは、私にはとても出来そうにはなかったよ。この姿の私には何もかもが新しい生活は本当に大変で、面倒くさいからね……だから、君が出ていかないなら私が君の前からいなくなるしかないと思った。年を重ねられないことで思い悩むこともなくなるしね…」


「……師匠がいなくなるのは絶対に嫌です、いなくなるのは、駄目です…」


 俯き、僅かに震えている弟子の姿を見て、少女はしばらく考えて、


「…そうか、独り立ちも嫌だ、いなくなることも許されないというのなら……仕方がない」


 少女は深く、長い息をつくと、眼前の弟子の青年に向かって強い口調で言った。


「ユーティ、明日になったらここから出ていきなさい。君を……破門とする」


 


 


「ユーティ、私はね、本当は君には早く独り立ちしてほしかったんだ……君が年を重ねていく中で、私が年を重ねられないことを知ってしまう前に」


(わかっていました。でも、それは触れてはいけないことだって、ずっと思っていました)


「それでも、君が、私のことを恐れず慕ってくれるのは、私にとって本当に……本当に救いだった。ずっと君の師であり続けたいと思ったし、君が慕ってくれる限り、君を私の元から手放したくはないと思ってしまった」


(貴女はずっと俺の師匠ですから。貴女の弟子にしてもらった、あの時からずっと)


「君は私の傍にいる限り、ずっと私の世話をしてくれるだろう?……何かしらの文句を言いながらでもね」


(ええ、貴女は本当に手のかかる師匠ですからね)


「…私の人生は年を重ねられない、とても平坦な人生だ。これからも年を重ねていく君には足かせにしかならない。私の教えたことを生かして、人生を豊かにしていきなさい」


(何もできなかった幼い自分に、何でも自分でできる自由を与えてくれた人だというのに、どうしてずっと師匠の傍にいる自由は与えてくれないんですか)


 そうして仰ぎ見ると、下唇を噛みしめて今にも泣きだしそうな顔で俯いている青年がいて。ああ、とため息交じりに呟き、少女は涙を瞳に浮かべて笑った。


「……まったく、私は自分勝手で……駄目な師匠だね」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ