使用人たちの思い
アンブロジオ公爵家の使用人たちの朝は早い。
いつ何が気に食わなくてキレだすか分からない導火線の短いお嬢様にビクビクしながら屋敷中を磨き上げ、お嬢様の苦手なものを一切排除した朝食を作り、見た目だけは天使なお嬢様に似合うドレスを見繕い、朝起きるのが苦手なお嬢様にできるだけ機嫌よく起きてもらえるかを侍女たちで話し合う。
それでも日に一度や二度は鞭打ちの刑にあうし、悪戯と称して何の理由もなく真夏の日中に倉庫に半日程度閉じ込められて脱水症状で死にかけたり、魔物がわんさか溢れる森の中に身一つで投げ出されて九死に一生を得たり。もちろん、何か失敗をしようものならすぐに地下牢行きだ。食事も飲み物も満足に与えられず、出てきた者は皆げっそりとミイラのようになっている。当然、そんな劣悪な環境のため使用人たちはどんどんと辞めていく。それでも求人が後を絶たないのは、公爵家の使用人という箔付けにはぴったりのネームバリューか公爵が裏で根回しをして事実の隠ぺいを行っているのであろうというのが長年勤めている使用人たちのもっぱらの噂であった。
すぐにやめて行ってしまう使用人たちが多発する中、それでも辞めないのは代々公爵家に仕えている一族の者か、先代公爵に恩義のある者。そして、辞めたところで帰る場所もない者だけであろう。そんな彼らのおかげでギリギリ公爵家としての体裁を保っているのが現状であった。
それが変化したのは1か月前。急に、前触れもなくお嬢様が使用人たちに対して謝罪を口にしたのだ。初めはまた何か新しい悪戯を考え出したのかと警戒していたのだが、それでもお嬢様が使用人、下々の者に対して頭を下げて謝るということ自体するわけがない。そんなことに思い至り、それなら何がどうしてそうなったのか、使用人たちの頭の中は混迷を極めた。
あまりの混乱ぶりにお嬢様の目の前で大変失礼なことを口走ったりもしたが、それでも彼女はただ苦笑いを浮かべるだけで叱責をしない。気が付いたら腰に常備していた鞭もなくなっており、いよいよお嬢様がおかしくなってしまったのだと、公爵に何といったらいいのか。勤務歴の長い上級使用人たちの中で会議が開かれたりもしたのだが、大半の使用人たちは勤務歴が浅く、すぐに変わってしまったお嬢様に慣れていった。
お付きの侍女などは、きっと今まで寂しくてその裏返しであんなひどい言動をしていたのだと、まだ5歳なのに一人ぼっちで寂しかったのだろう。今ではあんな素直でなんにでも笑顔でお礼を言ってくれる雇い主など初めてだと、すっかり今のお嬢様に骨抜きにされている。
用心深く、何かきっと裏があって手のひら返しが来るのだと身構えていた何人かの使用人たちも、気が付けばお嬢様の屈託のない笑顔につられて口元がだらしなく緩んでしまっていた。絆されてしまったのだろう。
時折、今までの事に思いを馳せて罪悪感に押しつぶされそうになっているお嬢様を見ると、使用人たちは何て罪深いことをしてしまっていたのだろうと胸が苦しくなった。
彼女はまだたった5歳の子供なのだ。母はおらず父も兄も屋敷に戻らない。彼女を導くことができたのは、一番間近で見守ることができた大人は使用人たちであったのに、ただされるがまま、命令を聞くだけ。彼女が間違った行動をとっても叱ることもせず、ちょっとでも褒められることをしてもおだてにおだてる。そうして増長させてしまった。あの行いが正しいのだと認識させてしまったのは使用人たちのせいだ。それなのに彼女は過去の自分を悔い、たった一人で償おうとしている。
そんな彼女を今度こそは見捨てない。きちんと導いて行こう。間違った時は甘やかしたりせずきちんと叱り、使用人たちで立派な公爵令嬢として育ててみせよう。上級使用人たちは決意を胸に会議室として使っていた使用人部屋から出ていった。
アンブロジオ公爵家の使用人の朝は早い。
いつお客様が訪れてもお嬢様が恥をかかないように、埃一つ落ちないように屋敷中を磨き上げ、お嬢様が苦手としていても健康のため栄養バランスの整った朝食を用意し、以前にもまして天使度の上がったお嬢様のドレスを侍女たち総出で選ぶ。そして、寝起きのよくなったお嬢様に目覚めの飲み物を渡して、今日一日の予定を確かめると、鏡台の前にちょこんと座り、微笑むお嬢様の支度にとりかかるのだ。