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老婆、悪役令嬢になる  作者: 深谷
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老婆と幼女

 享年89歳。死因は老衰。炬燵でウトウトしているうちに気が付いたらぽっくりと逝ってしまっていた。

 一男一女に恵まれ、孫は5人。まさか自分が孫の成人まで見られるとは思っていなかった。


 子供や孫たちの育児をすでに終え、夫と7年前に死別してから、たまに娘たちと旅行に出かけはするものの、日がな一日テレビを何ともなしに見ながらボーっと過ごす日々。そんな日々に一つの転機が訪れたのは死ぬ約5年前。正月の親戚の集まりの時、ふと娘夫婦の次女に毎日変わり映えのしない生活はつまらないと愚痴をこぼしたことがきっかけであった。

 その時はフーンと興味なさそうにしていた彼女が後日、小さめの段ボール箱を持って現れた。そして、徐に中身を取り出すと、見せびらかすようにして手のひら大の白い筐体とたくさんの綺麗な男の人に囲まれた、可愛らしい女性の絵が描かれたパッケージを自慢げに掲げて見せた。


「お婆ちゃん。乙女ゲームって知ってる?」


 にんまりと笑う彼女に、私は首を横に振ることしかできない。乙女ゲームどころか、ゲーム自体をしたことがなかったのだから。

 訝しむ私に、彼女は一向に構うことなく乙女ゲームなるものについて切々と語る。それがどれほど素晴らしいものであるか、人生に潤いを与えてくれるものであるのか。

 ところどころ分からない単語を発しながらも熱心に語られる言葉に、勧められるがまま筐体を手に取り電源を入れた。


 そして、気が付くと自分でも驚くほどにのめり込んでいってしまっていたのだった。華麗な絵姿のキャラクター達に甘美に響く彼らの声。胸を焦がしときめくストーリー。生きるということがどういうことなのかを思い出させてくれた、愛とは何なのかを問うてくれた様々な乙女ゲームたち。それを教えてくれた彼女に感謝をしてもしきれない。

 彼女は母親になんてものをお婆ちゃんに勧めているのだとこっぴどく叱られたようであったが、あとから慰めの言葉を掛けると、気にしないでと、どこ吹く風で、それよりも以前より明るくなった私のことをことのほか喜んでくれた。


 晩年、こんなに充実した中過ごせたことを、私はとても嬉しく思う。


 そんな私が乙女ゲームの世界に、さらに悪役令嬢というものに転生していたというのはどんな運命のいたずらなのだろうか。


***


 エレナ・アンブロジオ。

 公爵家の長女で次期王太子の許嫁。ハーフアップにした亜麻色のふんわりとした髪の毛。零れ落ちそうな瑠璃色の大きな瞳。磁器のような艶やかな白い肌。一見、非の打ち所がない良家の娘という見た目であったが、性格は我儘で無慈悲、驕り高ぶり唯我独尊。屋敷中の使用人たちに恐怖政治を敷き、陰で堕天使、悪魔、女王様と恐れられる若干5歳の女の子。

 母親は亡く、父親は仕事にかまけて滅多に顔を見せることはない。年の離れた兄は全寮制の学園で公爵家の跡取りとなるべく猛勉強中で半年に一度の割合でしか出会わない。

 公爵家令嬢としての礼儀作法、貴族教育などは受けているものの、恐怖に慄きこびへつらう使用人たちに囲まれ、誰にも咎められることも叱られることもなく育ってしまった邪悪なモンスター。

 常に腰には鞭が装備され、少しでも使用人が粗相をしようものなら、どんな場面であっても喜々として鞭打ちを敢行。彼女にとってのちょっとした悪戯は、彼らにとっては精神的にも肉体的にも許容できる範囲を著しく害するものであった。それ故に心身ともに壊し使用人の仕事を辞めていく者が後を絶たない。

 しかし、薄々気が付きつつも、娘を顧みない後ろめたさか彼女の父親はそれを素知らぬ顔で隠蔽をするため、それがまた悪循環となって延々繰り返される。


 彼女はそのまま15歳になり。学園で寮生活を始めるまで使用人を虐げ続け、家族や王族に対しては猫を被り続けるという2重生活を送る。その歪な生活が、より一層彼女の激烈さを増幅させていく。

 その後、標的は貴族とために開かれたはずの学園にただ一人、奨学生としてやってきた平民のヒロイン。元使用人の子供にとって代わる。


 本来であればそうなるはずであった。


***


 幼少時、戦争体験はしているものの、大人になってからは争いごとと言ったら口喧嘩程度。貧しいとはいえ、田舎の農家であったので食料に困ることもなく仲の良い家族に囲まれ穏やかに生きてきた。

 そんな老婆の記憶と、エレナ自身の家族に顧みられない悲しさ、歯がゆさ。生まれてすぐに亡くなった見たこともない母親の姿。たった一人、孤独でつまらない代わり映えのしない日々。苛立ちを無抵抗な使用人にぶつけることで何とか心に折り合いを付けようとする幼い精神。様々な二つの感情が混ざり合い、ぐらりと視界が傾いだ。

 使用人にとっさに手を取られ倒れることはなかったが、


「とりあえず、鞭は捨てましょう」


 平和な日本で89年生きてきた老婆の記憶がよみがえったエレナは、腰にある鞭を見て口元を引きつらせたのだった。


***


 なぜか5本も所有していた鞭を捨てると、エレナは今までの凶行を使用人たちに謝った。特に彼女付きの侍女には土下座をせんばかりに謝り倒し、これからは心を入れ替えて生きていくと宣言。

 赦してもらえないかもしれない、何をいまさらと鼻で笑われるかもしれない、殴られてすむのなら潔く殴られよう、さすがに雇い主の娘をいきなり殺すことはないだろう、きっと。などと身構えていたエレナであったが、それ以前に、急に下手に出て頭を下げるエレナに対して使用人たちが感じたことは、今までと別種の恐怖と混乱であった。

 何か変なものを食べたのではないか。ついに黒魔術に手を出して何かしらに乗っ取られたのでは。大理石の床に頭でもぶつけたのかもしれない。高熱が出て頭がやられたのでは。

 以前のエレナが聞けば、激高し、鞭打ちの上、裸に剥いて地下牢へ監禁くらいはやってのけそうな失礼な物言いを眼前でする使用人たち。


 もしかしたらエレナが目の前にいることを忘れてしまったのではと、おずおず手を上げて注目するよう示す。


「あの……私は正気ですよ?」


 疑問分になってしまったのは、老婆の記憶とエレナの記憶が混ざった新たなエレナが今までのエレナとは別種のものに変質してしまったことには変わりがないからだ。


「もちろん、すぐに赦されるとは思っていませんが、それでもできるだけ償いをさせてください。お願いします」


 そう言って再度頭を下げる。乙女ゲームそのままの予定で行けば、学園に入学してしまえば使用人たちに関わることはなくなるし、卒業と同時に悪くて国家反逆罪で公開処刑。よくて王太子との婚約破棄の末国外追放か修道院送り。もうこの屋敷に戻ってくることはない。


 エレナが彼らに償うことができる期間は後10年。

 必至に頭を下げるエレナに、呆然としていた使用人たちであったが、侍女が真っ先に我に返る。


「お、お嬢様。頭を上げてください。何があったか分かりませんが、赦しますっ! 赦しますから……泣かないでください」


 そう言ってエレナの頬をハンカチで優しく拭う。そして、子供をあやすように背中を撫でながら大丈夫。大丈夫と優しく語りかける。

 産声を上げて以来、泣いたことのないということがエレナのよく分からない自慢の一つであったが、とめどなくあふれてくる温かな涙に、抱きしめてくれる侍女のぬくもりに、これはこれで悪くないかもしれないと、そんなことを思いながらそれは、彼女が泣きつかれて眠るまで続けられるのであった。

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