16 成人の儀式
春になり、私は16歳になった。
神殿では多少話をする人も増えたし、嫌がらせは少し減った。
母ともレイとも離れて一年近く。夜に泣くことも減ったと思う。
成人の儀式は、春の某日に行われる。
一般の成人の儀式は神殿に参拝して祈りを捧げる程度だが、聖女は神殿の内部で儀式を行う。
16歳になった聖女見習いは、聖泉の部屋と呼ばれる水がある暗く広い部屋に集まる。そして一人一人水の中に入って、聖女から小さな冠のようなものを渡されるそうだ。
「アリーサ」
儀式当日の朝、ベルナンさんが私の部屋に来た。
「流れを説明する。君がもし『成人』できたなら、君の周りの聖なる力……モニカさんの力は消えるだろう」
「はい」
私は頷いた。私の周りには綺麗な光のようなものが見える。
神殿で暮らす内に、さまざまな聖女と接したせいか、聖女が持つ力を見ることができるようになっていた。
その力が目にある人は、私の姿をそのままに見えることができるのだそうだ。
鋭い目で私を見つめるベルナンさんもまた、その光の持ち主だ。
私の周りには暖かく穏やかな光がある。
母の力だ。変わらず私を守るように、周囲を漂っている。
外からそれを消すことは難しいけれど、内側からは容易に消すことができるそうだ。というか、私自身が母とは別の一人の人間として認識されれば、弾き飛ばされるらしい。
成人の力というのはそれほどまで強いものなのだそうだ。
「その力が消えたら、君の中にある呪いは一度増幅するかもしれない。あるいは消えるかもしれない。正直、どうなるかは分からない。危険を防ぐために、君だけはほかの聖女の儀式の後に一人で儀式をする。俺は儀式の部屋の中にいるから、もしモニカさんの力が消えたら君の呪いを払う。そうすれば君は『普通』に戻れる」
「……はい!」
私は力強く頷いた。ベルナンさんはその鋭い目を少しだけ緩めた。
「君には厳しいことばかり言った。許してくれとは言わないが……よく耐えたな」
「ベルナンさん……」
思わず泣きそうになる私の頭を軽く叩いて、彼は笑う。
「泣き虫は治らないようだ。まあそうだな、できることはした。君はちゃんと一人で立とうとしたし、二度と逃げ出しもしなかった。世間の厳しさを知った。……それでも」
彼は口の中で何かつぶやいた。
私が首を傾げると、彼は「いや、それ以上は求めすぎだろう」と肩をすくめた。
「さあ、行ってこい。アリーサ。君の未来が明るいものになりますように」
「はい、ベルナンさん!」
私は頷いて、儀式の準備をするために呼びに来た使いの人に連れられ、聖泉の部屋へと向かった。
* * * * * * * * * *
聖泉の部屋の控えの間には二人の人間がいた。
今は神殿の聖女見習達が儀式を行っているため、アリーサの儀式まではもう少し時間がある。
「……座っては?」
「いいえ、いいえ」
ベルナンはもう一人の人間に椅子を勧めたが、彼女は首を横に振ると落ち着き無く部屋を歩き回った。
「アリーサは、大丈夫そうですか?」
儀式を迎えるに当たって、やっと面会を解禁されたモニカは不安そうにベルナンに尋ねた。
といっても彼女を刺激しないように、会うのは儀式の後だ。
「……」
ベルナンは難しい顔をしている。
大丈夫、と伝えて宥めるべきだろう。本来ならば。
「言ったろう。儀式はただのきっかけだ。それでどうなるかは分からない。あなたの力は強くアリーサと結びついている」
「離れてもやはり……難しいものなのですね。私の呪いは、あまりにも……」
「あなたが落ち込んでどうなるものでもない」
ベルナンはため息をついた。
落ち込んだ女性を素直に慰められる人間が羨ましいと思いつつ。
「アリーサは……だいぶ成長したとは思う。大人になった。甘えることもなくなった。人との関わりを持とうとしたし、手ひどく傷ついて警戒心も持った」
「……」
モニカは「アリーサが手ひどく傷ついたなんて!」と叫ぶことはなくなった。
少し辛そうな顔をしながらも、彼女は黙って頷いた。
「だが、アリーサはなんというか……無垢なままだ。あの子は人を、憎んだことがあるのか? 醜さとか愚かしさとか、そういう呪わしいものを、自分自身で抱えたことがあるのか?」
「……分かりません。離れている間にそういったことがあれば……でも、私といるときに、そんなことは一度もありませんでした」
「それが怖い。聖なる力といっても、力は力だ。浄化の力は美しいものを好む。無垢な存在を守ろうとする。だからあなたの力がアリーサから離れるかどうか……正直分からない」
未だに勝率は五分五分なのだ。
アリーサが聖女見習いの間で、いやがらせをされていたのを防がない理由もそこにあった。
綺麗なままでいられないように。かといって、歪みすぎてもいけない。慎重にベルナンはアリーサの様子を伺った。
彼女は耐えたし、怒ったし、対策をとった。それでも、憎しみが育つことはなかった。
それは本来なら良い子だとほめられるべきだろう。本来ならば。
その時、聖女達の儀式が終わったと使いが来た。ベルナンは頷いて立ち上がった。
「時間だ。行ってくる」
モニカは彼をすがるように見た。心から、震える声で彼女は言った。
「お願いします。……アリーサを、どうか」
「……全力は尽くす」
解けて欲しい、とは思っている。いいかげんこの長い呪いから解放されるべきだ。アリーサも、モニカも。
* * * * * * * * * *
静かな室内から、かすかに水の音がする。
聖泉の部屋は、神殿の奥の部屋にあった。
私は真っ白な服に着替え、体を清めて、そして部屋の内に入った。
見回すとそこには私と、神殿の儀式を担当する聖女、そしてその手伝いをする聖女見習いが数人。控えの間の扉脇にはベルナンさんが立っていた。
部屋の中は広く、薄暗かった。四隅と中央の天井に燭台の明かりが揺らめいている。
部屋の奥で、水壺を抱えた女神の像が壺から水を流し続けている。水は円形の水浴場になみなみと溜まっており、水面は揺れていた。
「アリーサ、中へ」
女神像の少し前に立っている神殿の聖女が中から私を呼んだ。
覆面を脱いで私は頷いた。
ちゃぷん、と水の音をさせてゆっくりと中に入ると、腰まで水につかることになった。
水は冷たい。薄暗さも相まって、中を歩いていくと鳥肌が立つほどだ。
私が聖女の前に立つと、彼女はゆっくりとした口調で言った。
「目を閉じて。……そう。あなたは今日から大人になることを神に認められました。親の庇護を無くし、一人で立ち、そしてすべての決断を許される。決断にはかならず結果がついてきます。あなたのした行動はあなたに返ってくる」
静かで穏やかな声だ。私は目を閉じて、彼女の言葉に耳を澄ました。
神殿で暮らした一年を思い出しながら。
「神に恥じることなく生きるのです。さあ、アリーサ。目を開けて。あなたは今日から一人の神の子です」
そっと目を開けると、聖女が小さな冠を私に差し出した。
波紋のように私を中心に、泉が揺れる。
――暗闇からなにが私を覗く気配がした。思わず目を閉じて私は震えた。水の冷たさを強く感じたのだ。
「アリーサ」
背中からかけられたベルナンさんの声にハッとして、私は聖女に深く頭を下げると冠を受け取った。
ゆっくりと振り返って、水の中から出た。暗闇の気配は感じなかった。しかし、冷えた空気が直接体にまとわりついて、また鳥肌が立つ。
「アリーサ……」
儀式の間にはいつの間にか母がいた。
改めて見ると、泣きそうな母の周りに光のようなものが見える。気づいていなかったがあれが聖女の光なのだろう。
穏やかで綺麗で、優しいものが母を守るように囲んでいる。
駆け寄ろうと数歩歩いて、私は気づいた。
柔らかく穏やかな――母の聖なる光が、私の周りを変わらず漂っていた。
* * * * * * * * * *
「家へ帰っていい。アリーサ」
扉脇で腕を組んでいたベルナンさんは、立ち尽くす私の姿を見て、泣き崩れる母の姿を見て、冷静にそう言った。
見捨てられるのかと不安になったが、彼は首を横に振る。
「できることはした。でもできなかった。君は努力をした。しかし結果はでなかった。よくあることだ。落ち込むことはあってもいいが、絶望する必要はない」
「でも、でも、ベルナンさん」
私はショックを受けたまま彼を見た。しかし何と言っていいのかわからなくて、口を開けては閉じる。
これで終わりなのだ。ベルナンさんは隣国に戻ってしまう。機会はもうなくなってしまうのだ。
ベルナンさんは苦笑して、私と母を見た。
「隣国へ戻るのは延期した。仕方がない。見届けずに行ったら、きっと俺自身が後悔する」
「ベルナンさん!」
思わず私は彼に抱きついた。
「いや、濡れるから」と彼は冷静に私を引きはがした。世知辛い。
「早く体を温めてくるといい。風邪を引く。モニカさん、アリーサを」
「はい! アリーサ、アリーサ。ああ、少し見ない間に大きくなって」
身長は特に伸びていないのだが、母は瞳を潤ませて私に言った。
私も涙目で母を見た。だいぶ痩せたように見える。母もきっと苦しんでいたのだろう。
「お母様……!」
「アリーサ!」
抱きしめあう私たちを、再度、冷静な手が引きはがした。
低い声が怒りを持って発せられた。
「だから早く風呂にいけ。モニカさん、あなたも一緒に寝込むつもりか」
「はい!」
「ごめんなさい!!」
あわてて私たちは、怒気から逃げ出すように儀式の間を後にした。
* * * * * * * * * *
神殿の大神官は渋い顔をした。
老人である彼もまた聖人と呼ばれる存在で、かつての力の強さを残すように、彼の周りには光の痕跡がある。
「えええ……ベルナンさん、困りますなぁ。私が恨まれてしまうじゃないですか」
「俺を呼んだのはそっちだろう」
「一年限定で隣国に打診したのに……。腕利きの浄化は少ないのをぶちぶち文句を言われてるんですよ。あっちもあっちで大変なようで」
「隣国だってモニカさんに依頼をしたことがあるだろう」
「だから今回、渋々受けてもらったんですよ」
中央神殿の大神官は、諦めたように大きなため息を吐いた。
「まあ仕方がないですな。ベルナンさんも隣国とこちらの行き来が大変だったでしょうし」
「問題ない。代わりにアリーサの周囲を警戒してもらえて助かった」
「ほうほう。お優しいことで。珍しいことですなぁ。これはあれですか、一回り以上離れた女の子に手を出そうとする変態野郎という噂は確かで……申し訳ありませんでした」
大神官は怒気のこもった鋭い目で睨まれてそうそうに両手をあげた。
真面目な男をあまりからかうものではない、と彼は思った。
「ではしばらく、アリーサのところへ?」
「近くの村に家を借りる。いつ彼女が大人になるのか分からない以上、できるだけ駆けつけやすいところにいたほうがいい」
「モニカさんの屋敷は広いですし、一室借りた方が良いのでは?」
「馬鹿を言うな。醜聞に繋がる。あの人は夫がいるから、変な噂を立てられたくない」
「ほうほうほう。……まだ何も言ってませんが」
大神官は彼の怒気から視線を逸らした。これだから冗談の通じない人間は、と思いつつ、大神官は言う。
「しかし、それではいつ彼女が成人するか分からないのに付き合うというのですか。いっそ永遠になるのかもしれなくても?」
「種は蒔いた。十分に畑も耕した。それは遠いことじゃないだろう。彼女は気づくさ。人は綺麗なままじゃいられないということを」
これ以上のことは神殿ではできない。
彼女はかつての日常に戻って、穏やかな日を過ごすといい。
いずれまた、嵐のように荒れる日があるだろう。
「抑えるのにたいそう苦労した。まさか変態野郎と噂を流されるとは思わなかったが」
酷い報復もあったものだ。
ベルナンはじろりと大神官を睨むと、「私は知り合いの聖女の息子から聞いただけで」と彼はへらへらと笑う。冗談だとはお互い分かってはいるが。
神殿での成人の儀式の日は決まっている。きっと彼ほどその日を待ちわびていた者はいないだろうと、ベルナンは肩をすくめた。




