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11 隣国からの来訪者



 平凡な日常が終わったのは、私が15歳になってすぐだった。

 母が神殿からの手紙を手に、興奮した様子で私の部屋に駆けてきたのだ。


「アリーサ、アリーサ! 朗報ろうほうよ!」

「なぁに、お母様」


 私はソファで本を読んでいたのだが、母の剣幕けんまくに本を閉じた。

 母は私の隣に勢いよく座ると、その手紙を見せた。


「浄化の力を持つ人が見つかったの!! 私に勝るとも劣らず、かなり能力の高い人ですって! 他国のお忙しい人らしいけれど、神殿経由でどうにかお願いして、引き受けてくださったのよ!」

「え、え! そうなの? すごいわ!!」


 私は内心戸惑いながらも、母の喜びに応じるように手を叩いた。

 浄化の力で私の呪いをどうにかできる人が見つかったというのだろうか。

 以前の事件の後、私自身の精神が安定していたせいか、呪いという物の影響をあまり感じなかったので、呪いから解放されると言われても、あまり実感が沸かない。


 屋敷の外に出る時には必ず母か誰かが付いてきていたため、あれ以来外の人と会うこともめったになかった。

 外からの侵入者もなく、母やヴィオレットのおばさま、レイ、そして前からの使用人に囲まれ、変わらない日常を送っていたのだ。


 一度、以前私に石をぶつけたという少年が謝りに来たのだが、土下座した後でダッシュで逃げるという不思議な反応に私は首を傾げたまま終わった。

 結局あれは何だったのだろう。


「アリーサ、この方に一度こちらに来ていただこうと思うの。あなたの成人前だから、まだ呪いを解けないかもしれないけれど、それでもあなたを見てもらおうかと思っているのよ」

「そうなの?」


 私が成人した後に、母が呪いを解いてくれると言っていたのだが、その人に変わるということなのだろうか。私はよく分からずに首を傾げた。

 母は微笑んで私の手を握ると優しく言った。


「アリーサ。あなたに伝えられていないことがいくつかあるの。でも、どうか、私のことを信じてくれる? そのときが来たら、ちゃんと説明するから」

「お母様……うん。分かったわ。信じているわ、お母様」


 私は頷いた。

 母が以前私に世にもおぞましい顔をしているという呪いのことを黙っていたのと同じく、いずれ時がくれば話してくれるものなのだろう、と。

 母は大事そうに私を抱きしめた。

 私も母の肩に頭を預けて目を閉じた。

 私は無条件に母を信じていた。ずっと、真綿にくるまれるような母の愛情の中で、ぬくぬくと育っていた。

 疑問があったとしてもそれはいずれ明らかになることだと伝えられれば、素直に頷いた。


 「その人」はそんな私たちの間に、くさびのような衝撃を打ち込んできたのだ。




 * * * * * * * * * *




 春の日、玄関で私と母は、その人を迎えた。


「初めまして、アリーサ。俺はベルナンだ」

「ベルナンさん。初めまして。アリーサです」


 聖女かと、女の人かと思ったら、違った。

 神殿から連絡されたその人は、背の高い男の人だった。

 三十台後半くらいだろうか、体つきはがっしりとしていて、肩まである黒髪を無造作に垂らしていた。


「アリーサ、ベルナンさんは隣国の神殿からいらしてくださったのよ。こちらの国では数が少ないのだけど、男性版の聖女……聖人と呼ばれている方なの。私と同じ浄化に特化した聖なる力の持ち主よ」


 母の言葉に促されるように、彼に差し出された手を、ちょっと気後れしながら私は握った。

 大きな手だ。私は大人の男の人とあまり接する機会がないので、緊張する。

 しかもベルナンさんは目つきが鋭い。たかのような目をしていて、ちょっと怖い。


 そんな目でじろりと私を見て、母を見て、彼はあっさりと言った。


「モニカさん。現状、俺の力ではアリーサの呪いを解くことはできないだろう」

「ああ……そうですか、やはり。ベルナンさん、よろしければ中へ」


 母はだいたい予想をしていたかのように頷くと、彼を居間へ案内しようとした。

 しかし彼はそれを制止するかのように片手を挙げて、首を横に振った。


「いえ、結構。原因を申し上げよう。アリーサの中に母親であるモニカさんの力が留まり、聖なる力が聖なる浄化を拒んでいるからだ」

「え、ええ……」


 それはすでに私も母も知っていることだ。

 母は戸惑って彼を見つめた。鋭い目のまま、彼は話を続ける。


「そうしてそれはずっと続く。彼女はこのままでは『成人』することはないだろう。ゆえに、俺の力では浄化できない。アリーサはこのまま永遠に、この屋敷で過ごされるのがよいだろう。では俺はこれで」

「え……ま、待って。待ってくださいベルナンさん!!」


 さっさと身をひるがえそうとするベルナンさんに母は血相を変えた。

 玄関から外へと向かおうとする彼の服を掴み、必死で問いかけた。


「どういうことですか、成人できないって!! 娘はもう15歳なんです、来年には成人の儀式を迎えます! そうしたら、呪いを解いてもらえるのではないのですか!?」

「できない。これは俺の予測だが、彼女は『成人』しない」

「どうして!? 娘は呪いの件を除けば健康体です! 病気もしてませんし、屋敷に来るのは信頼できる人だけで、外部の人間に害されることもありません!」


 説明するまで絶対に出さないとでも言いたげに、母は必死で玄関をその体でふさぐように大きく手を広げた。

 ベルナンさんは眉をひそめて、肩をすくめた。


「別に俺はアリーサが16歳になる前に死ぬと言っている訳ではなく……アリーサも、そんな顔をされると困るんだが。分かった、分かった。ちゃんと説明していく。恨まれるのも嫌なのでさっさと帰りたかったんだが……」


 泣きそうな私の表情を見て、ベルナンさんは白旗をあげた。

 改めて彼は居間に案内され、私と母と三人での話し合いが始まった。




 * * * * * * * * * *




 ベルナンは置かれた紅茶には手をつけずに、アリーサを見た。


 長い黒髪を綺麗に編み込んだ彼女は、不安そうに視線を伏せていた。まだ幼いその表情は曇っていて、手持ちぶさたに紅茶のカップをいじっている。

 モニカはベルナンに紅茶を入れた後、親の敵とでもいうべき目線でじっと彼を見つめている。さもありなん。この男は、娘の呪いが解けないという宣言をしに来たようなものなのだから。


「あー……とりあえず、睨むのをやめてもらっていいか。モニカさん」

「……ええ。未熟者で申し訳ありません」


 彼女は気分を変えるように首を振った後、改めてベルナンを見つめた。

 あまり変わっていない視線である。ベルナンは諦めた。

 さっさと話を本題に移そうと、アリーサに視線を向ける。


「……アリーサ。君の髪の毛はとても綺麗だと思うんだが、いつもどんな髪型をしているんだ?」

「えっ……? ええ、と……編み込みが多いです。お母様がやってくれます。私が一人でやるときはそのままおろしてたり、一つにまとめたりもします」


 アリーサは急に飛んだ話題に戸惑ったように返事をした。

 モニカが「この男は変態か、アリーサ狙いか」といった視線になる。とんだ濡れ衣だ、と思いながらベルナンは話を続けた。


「食事はどうしている? 僻地へきちだと食材を手に入れるのも大変だろう。いつもどのような手配をしているんだ?」

「ええと、お母様が使用人にお願いして、近くの村人に頼んでいるみたいです。今日もベルナンさんのために、部屋と食事を用意していました」

「なるほどありがとう。……いや、間違っても泊まらないから安心して欲しい、モニカさん」


 完全な警戒心の固まりとなったモニカに、ベルナンは両手を挙げる。

 これはただの質問ではあるが、アリーサの状態の確認でもあった。

 アリーサは何を言われるのだろうと、戸惑った顔をしている。しかしどの質問も彼女は素直に答えようとしていた。人とぶつかり合った経験の少なさは、彼女の警戒心の薄さでもあった。


「アリーサ」

「はい」


 素直で、母親に守られ、僻地でずっと育った少女に、ベルナンは酷なことを言った。


「君は一人で、生きられないだろう? 今までもそうかもしれないが、これからもずっとそうだろう?」

「!?」


 アリーサは目を丸くした。

 何を言っているのかと、不安そうに、視線をベルナンと母親に向ける。母親はすぐにベルナンに食ってかかった。


「ベルナンさん、アリーサは現在は一人で生きられないかもしれないですが、それは呪いがあるから他の人と接触できないだけで、ちゃんと友達だっているし、とてもいい子だし、呪いさえ解ければ、普通に生きていけるんです!!」

「モニカさん、俺はアリーサに聞いている。あなたが代わりに返事をするというのなら、俺をもう神殿へ帰らせてくれ」

「……!」


 モニカは唇を引き結んで黙り込んだ。

 アリーサは戸惑いながらも、ベルナンに返事をした。


「ええ、と、そうですね。今は一人だと確かに生きられないと思います。食事はたぶん、材料があれば作れると思いますけど、毎月の手配とかはお母様じゃないとまだ分からないし……あっ、その、教えてくれれば私、できるようにします!」


 慌ててアリーサは付け加えた。

 ベルナンは意地が悪いと思いながら再度彼女に問いかけた。


「お金は。どうやって払う? 食材を買うのにはお金がいるが」

「……お小遣いがあるけれど、それが無くなったら……もう、ないです」

「まだ子供なんです! 自分で生活費を稼げる子供なんてろくにいません! 別居している夫が娘の生活費を送ってくれているので、それはアリーサのお金と言えるでしょう!」


 ベルナンが黙って立ち上がると、モニカはうなだれて「……ごめんなさい。もう口を挟みませんから」と謝った。


「アリーサ、モニカさんを責めている訳じゃないからそう泣きそうな顔をしないでほしい」


 ベルナンは涙目のアリーサにそう言った。

 できることなら波風立てずに帰りたかった。

 そうはいかない現状がここにあった。

 ベルナンはうなだれたままのモニカを見た。


 モニカは聖女の娘として生まれ、神殿で育ち、結婚して、娘を生んだらしい。

 順調な道のりを歩んだ才能のある女性は、生んだ娘が自分のせいで呪われていた。

 それはさぞかし悲劇だろう。何があっても娘を守りたいと思うだろう。


 娘の件で夫と軋轢あつれきを起こしたモニカは、娘を傷つけるものを排除するために僻地に引っ越したらしい。

 娘の交友関係も制限し、娘を傷つける可能性のある話はできるだけ伏せているという。

 それは以前、アリーサが情緒不安定になったときに、死にかけたという一件に原因があるそうだ。


 アリーサの前を導くように、足下を照らしてモニカが歩いている。安全な物だけを与え、危険な物はすべて取り除いている。

 それはきっと、アリーサのためではあった。しかし。


「率直に言う。モニカさん、あなたがアリーサを縛っている。あなたがいる限りアリーサはあなたを頼り、あなたに守られることをよしとし、自分自身で立とうとしていない。だから彼女は『成人』しない」

「そんな!!」


 悲鳴のようにモニカが叫ぶ。

 アリーサのために、と彼女はずっと心を砕いていた。娘を傷つけられないように、他人と接触しないように、外へ出ないように。

 それは親鳥がひなを守るのに等しかった。敵から守り安全な巣の中に閉じこめた。

 それもこれもすべて、娘のためなのだ。そのはずなのだ。


「成人の儀式を迎えた聖女が、自身の魔力を自覚するのは、自分が大人になったと、一人で立つことを求められる年齢だと理解するからだ。儀式はあくまでもきっかけで、多くはそれで自覚するっていうだけだ。だからもっと早く『成人』する聖女もいたし、成人の儀式を終えた後で実際には親の力であった聖女の力を失う娘もいただろう」

「……っ!!」


 モニカは唇を震わせた。

 いた。そういえば、いた。

 自分と同じ年で聖女になり、ほんの一月ほどで聖女の力をなくして故郷に帰った娘が。

 彼女もまた箱入り娘のように聖女の親に育てられていたと言っていた気がした。

 あまりに早すぎる気もしたが、聖女は力をなくす者も多かったため、気にする人はいなかった。

 もしかして、それはそういうことだったのだろうか。

 自分は娘を守っているつもりで……縛っていただけなのか。


「お母様、大丈夫。……大丈夫よ」


 うつむいたモニカを優しくなだめるような声がした。

 アリーサは顔色を悪くしながらもベルナンを見つめて、しっかりとした口調で問いかけた。


「ベルナンさん。私は、どうすればいいですか?」


 ベルナンは眉を上げた。どうやら雛鳥は一人で飛び立つ気はあるらしい。


「その気があるなら、家を出ろ。母親から離れて、一人で、他人と接触する覚悟はあるか?」


 アリーサは視線を震わせた。

 かつて化け物と呼ばれ投げつけられた石が、彼女の心と体を傷つけた。彼女を臆病にした。

 それでもこのままではいけないと、アリーサは唇を噛みしめた。

 このままでは呪いからの解放はないとベルナンは言う。

 それはあの暗闇で、延々と歩き続けるようなものだ。

 あのとき手を引いてくれたレイは、今そばにはいないのだから、自らで歩いていかなければいけない。

 アリーサは自身の手をぎゅっと握りしめた。


「あります。私は……この家を、出ます」

「アリーサ!!」


 それは残酷な宣言だった。モニカにとっては、娘を守ることができない場所に、送り出さないといけないということだった。

 石で打たれ血にまみれて地面に倒れるアリーサの姿を想像して、モニカは悲鳴をあげた。


「やめて、やめてお願い、それだけは! またあなたがあんな目にあったら、私は生きていけないわ!!」

「じゃあずっと家にいさせればいい。最初に俺が言っただろう。このまま永遠に屋敷で過ごさせればいいと」


 モニカは目に涙をためて、ベルナンを睨んだ。


「どうしてそんな酷いことを言うんです! 私に何の恨みがあるというの!! どうしてアリーサを傷つけようとするの!?」

「恨みなんてないさ。哀れには思うが……あんたじゃなくて、アリーサが、な」


 モニカは虚を突かれたようにベルナンを見た。

 ぽろりと流れた涙が、モニカの赤い服に染みのように広がった。


「呪いだって愛情だって、縛ってる分には変わらない。アリーサはまるで、あんたに呪われているようだな」


 ……限界だった。

 モニカは泣いた。両手で顔を覆って涙を流しながら、それでも認めざるを得なかった。

 娘は生まれたときから呪われていた。だから自分が守らないといけない。

 娘は情緒不安定になると呪いにとらわれるかもしれない。だから自分が守らないといけない。

 それは正しく、愛情ではあった。しかし同時に、彼女を縛るものでもあった。


「お母様、泣かないで。ごめんなさい、ごめんなさい……」


 自分の背中を撫でる娘が、自分から離れていくことに恐怖した。

 それでも、きっと自分のこの思いは、呪いなのだ。愛しているという言葉で、呪っていたのだ。


 モニカは泣きながら、娘を呪いから解き放とうと思った。





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