二時間目 朝
メリルちゃん久しぶりの登場です。
八時ちょうど。まだ起きてこない寝坊助天使メリルを起こすため、階段を二階に登っていく。一段踏むたびにギシギシ言うこの感覚は、若干癖になりそうである。
二階に着くと、メリルの部屋からはまだ寝息のような息遣いが聞こえている。そこそこ大きな寝息を立てていることに、いくつ目かわからないが、天使への幻想が失われた。悪い意味ではない。天使は寝息なんて立てないと思っていただけなのだから。
さて、ドアの前に着いたが、相手がいくらメリルでもいきなり開けるのは失礼だろう。と言うわけで、控えめにドアをたたいて一言声をかける。
「メリル、起きろー。朝飯ができてるぞ」
しかし、いくら待ってもメリルからの返事がない。まだ寝ていることを確信した僕は、今度はドアノブに手をかけてゆっくりとドアを開けた。
中に入ると、昨日のキトンのままベッドにあおむけになっている姿が目に入った。昨日月光を反射していた銀色も、無残にベッドの上に散乱していた。それでも、朝日が反射してまぶしいくらいなのだが。
「というか、思ったよりも寝相悪いんだな」
本来肩にかかってなくてはいけないキトンの一部分は、メリルの二の腕にまで落ちていて、さらに下の方もまくれ上がって、見えてはいけない部分が見えそうになっている。
寝ている間体を覆う役割を持つはずの掛布団は、その範囲を腹部だけに限定していた。布団の意味ほとんどないな。
「また幻想が一つ消えたな…」
天使には寝相が悪いやつもいる。
まぁそんなことは置いておくとして、とりあえず今はメリルを起こすことが先決だな。
「メリル起きろ。朝だぞ」
近づいて声をかける。しかし全く反応がない。
「朝だぞ!おきろ!」
今度はさっきよりも大きな声で起こす。だがメリルは少し煩わしそうに寝返りを打つだけで、起きる気配は全くない。今の寝返りでさらにキトンがはだけ、今にも大事な部分が見えそうになっている。
―と言うのに、僕は全く興奮する様子が無かった。自分でも驚いたが、相手が天使と言えど子どもだからだろうか。驚くほど魅力を感じていない自分がいる。
起きないならしょうがない。僕はメリルの肩を掴んで、大きく揺さぶる。と同時に、腹部だけにまいている毛布をはぎ取る。
「うにゃ?なに…?」
さすがに実際に体を揺らされたら気付いたのか、メリルはうっすらと目を開ける。しかし朝日がまぶしかったのか、右手を目にかざしてそのままもう一度目をつぶろうとする。
「いやいや、起きろ。朝飯が冷めるぞ」
慌てて二度寝を阻止しようと、もう一度メリルの肩を大きく揺さぶる。顔が前後に大きく揺れて、あうあう言い出す。
「うっ…ま、まって、酔う、酔うから…」
本当に気持ち悪そうに顔を青ざめさせるメリル。これ以上は本当に吐きかねなかったので止めた。というか、このくらいで酔うのに、翼使って飛ぶなんてできるんだろうか?…ああ、だからメリルは翼を持ってないのか?
「ほら、早く起きろ。もう朝食ができてるんだ。冷める前に食べなよ」
「うう…もうちょっと寝かせてよ…」
「そんなんじゃ、テスト受からないぞ?」
「うっ…起きる…」
殺し文句に反応してのっそりと起き上がるメリル。まだ眠そうな目をこすりながらこちらを見る。銀色の眉も朝日を反射して、目元を際立たせていた。
しかし、目やにがついているのがいかんともしがたい。
「ほら、顔でも洗って目を覚ませ」
言いつつ、生活魔法の「水」を出して、それをメリルの顔にこすりつけるように動かすようにイメージする。思った通りには動かなかったが、それでも初めてにしては上手く動かせたと思う。
水で顔を撫でられたメリルは、数回目をしぱしぱ開いたり閉じたりして、それからもう一度こちらを見た。
「もうちょっと、息ができるように加減してほしかった…」
「文句言うな。こっちは覚えたてで慣れてないんだから。ほら、行くぞ」
右手を差し出し、ベッドから起き上がるのを手伝う。そういえば、メリルは両足を怪我していたはずだが、もう大丈夫なのだろうか?
「メリル、足はもう大丈夫なのか?」
「え?ああ、一晩寝ればすぐ直るわ」
「そういうものなのか」
魔法が使える世界なのだから、そのくらいの不思議現象は一般的なのだろう。しかし、それなら治療院みたいなところはもうからないだろうな。
そう思っていたが、どうやらメリルのそれはまた違ったものらしい。僕を見ながらメリルが話してくれた。
「誰にでも使えるわけじゃないわ。私が、上位天使の子どもだからできるってだけ。魔法適性も10だから、一晩で治癒できるの」
「へぇ…って、魔法適性なんてのもあるのか」
「魔法の世界なんだから、当然よ」
詳しく知りたいが、今はそれよりも朝食だ。早起きしたうえに朝から歩き回ったから、僕の腹がもう限界。
「詳しくは食べてから聞くよ。とりあえず、歩けるなら一人で歩いて早く来てくれ」
「言われなくても、ここまで起きたらすぐに―あれ?すごくいい匂い…」
二階まで調理した後の匂いがめぐってきているのをかぎ取ったメリルは、鼻を小さく動かして朝食の香りをかいだ。今日の用意したものは、焼きベーコンやパンだったので、匂いも伝わりやすかった。
「だろ?僕もここまで上手く作れるとは思ってなかったってくらい上手く作れたから、早く食べようぜ」
誘導するようにドア前まで移動して、部屋の出入り口付近で待つ。数秒しないうちに、メリルもこちらに歩いてきた。
小さな足と体でこちらに歩いてくる姿をみると、本当に可愛らしい天使だ、と思う。恋愛感情的なものではなく、保護したい小動物を見るような感覚だが。
「あ、そうだ。一つ忘れていたことがあった」
僕はそういって、こちらに来たメリルの顔を見て、言った。
「おはよう、メリル」
朝の挨拶。日本にいたときは当然のようにやっていたことだが、メリルには新鮮だったのだろう。昨日の「おやすみ」の時と同じく、一瞬目の焦点を外してきょとんとした。
けれど、昨日と同じかそれより早いくらいの時間で、僕の挨拶の意図を感じ取ったのか、彼女もこちらを見て、言った。
「おはよう、シン―で、合ってる?」
「ああ。正解だ。それじゃ、一階に降りようか」
そして、二人で一階に向った。
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一階に降りた私は、不思議なものを見た。いや、物自体は不思議じゃないんだけど、それが今テーブルの上にあることが不思議だった。
そこにあったのは、昨日シンに捨てられたはずの教科書だった。私がこっちの世界に来るときに、キトン以外に持ってこれた唯一のもの。
「さて、じゃあ盛り付けるから手伝ってくれ」
キッチンからシンの声がした。どうしてと考えるより、彼に聞いた方が早そうだ。
「ねえ、シン。どうしてテーブルの上に、昨日の教科書が置いてあるの?」
キッチンに向かいながら尋ねると、シンはさも当然だというようにはっきり言い切った。
「ああ。だって、他人の物を勝手に捨てるのはよくないことだからな」
「でも、昨日は邪魔なだけだって…」
「それは、メリルに悪い影響が出るかもしれないと思って言ったんだよ。どんなものでも、メリルの大切なものに変わりはないだろ?だったら、僕が勝手に捨てることはできないよ」
昨日あれだけひどいと言っていたものでも、私のものだったから、わざわざ暖炉から拾って置いといてくれた、ってこと?
「でも、もしかしたらまた参考にしちゃうかもしれないよ?いいの?」
「それについては、昨日言ったろ?」
シンは包丁を持つ手を止めて、私のほうを振り返る。腰を落として視線を合わせて、それから、私の頭に手を載せた。
「僕が、メリルの教科書だ。わからないことは僕に聞けって。メリルの持ってるその教科書とは別物だ。だから、もしメリルがわからないことがあっても、僕に聞くように、って」
シンは、私がこの教科書を参考にしないと信じ切っている?昨日成り行きで、面倒を見ることになっただけの私を?
「…そ、そこまで言うなら…」
頭を撫でられたからだろうか、いつもより少し顔が熱い。撫でられているところもくすぐったいし、耳も心なしかむずむずする。
黒髪短髪の下から、私を見る黒い目が、昨日はよく見えなかったせいか、とても優しいように見えた。
「おう。大事にとっておきな」
言うと腰を上げ、私の頭から手を放す。包丁を持ちなおして、今朝用意したのだろうか、白いお皿の上に、サラダやベーコンを並べていく。
ある程度固まった並べ方になると、シンは私に盛り付けた皿を二つ持たせた。持たされた瞬間、ベーコンだろうか、香ばしいにおいが私の鼻を撫でた。
「これ、テーブルまで運んでくれ。できるよな?」
「ば、馬鹿にしないでよ!それくらいはできるわ!」
「よし、じゃあ任せた。頼んだぞ」
そういうとシンは、今度はオーブンの中から4切れパンを取り出した。それらを別のお皿に盛り付けるようだ。
私は、持たされた二つのお皿を、それぞれ左手と右手に持って、テーブルに向った。テーブルには白いクロスがひいてあり、私はその上に二つのお皿を並べていく。
さっきはシンに言われて、馬鹿にしないでといったが、実はこれまでこのような給仕めいたことはしたことが無かった。なので、この置き方で正解なのかわからない。
「こんなことなら、いつもの給仕係がどんな置き方をしているか見ておけばよかったな…」
なるべく、それぞれのクロスの真ん中あたりにお皿を置いていく。丁寧やろうとしたが、机の角がちょうど私の肩くらいだったので、上手くおけなかった。まあ、また後で直せばいっか。
「メリル、並べられたか?」
ちょうどテーブルの上にお皿を置いたタイミングで、シンがキッチンから追加でパンのお皿をもって来た。
「ええ、ちゃんと並べたわ」
私が言うと、テーブルを確認するシン。そして、その顔を少しゆがませた。
「あー、まぁ、初めてにしてはいいんじゃないか?」
「む…その言い方だと、何か直した方がいいと事がある、ってこと?」
「おう、その通りだ」
む…なんか悔しい。でも、ミスしちゃったことは変えられないから、せめてシンがどうやって直すのか見ておこう。
じっとシンの動きに注意する。シンは両手に持っていたパンのお皿を、向かって左手において、私がクロスの中心辺りに置いたさっきのお皿を、クロスの右側に寄せた。
けど、どうしてそんな置き方をするんだろう?結局食べて片付けちゃうんだから、適当においててもいいはずなのに。
「ねぇ、どうしてこんな置き方するの?」
気になった私は、次のナイフやフォーク、コップを準備していたシンに聞いてみた。
「これ、何か意味があるの?」
私の質問を受けて、シンは少し考えるようにしてから言った。
「意味は、特にないかな」
「?意味がないのにやるの?」
「ああ。意味はないけど、これで食事が「気持ちよく」食べられるんだ。だから、意味というよりも、当たり前のこと、かな」
「気持ちよく…?」
食事を気持ちよく食べるなんて、そんな話は聞いたことがなかった。人間界では、食事は「おいしく」食べるだとか、「残さず」食べる、なんて話を聞いたことはあったけれど、「気持ちよく」なんて風習もあったなんて驚きだ。
でも、食事はおいしければいいんじゃないの?おいしければ残さず食べるし、だから、気持ちよくって、必要なのかな?
答えをもらってもまだ疑問符を浮かべている私を見てか、シンは先ほど位置を整えた皿を、今度は無造作に置き換えた。
「どうだ?」
そして、それだけ見せて私に聞いてきた。何が?と聞きたくなったが、言う前に目の前で置き換えた皿のことを言っているのだと気づいて、そちらを見る。
こっち側と向こう側で食器の位置がバラバラで、統一感がない。それに、せっかく綺麗に盛り付けてあるのに、色がバラバラだから全然キレイに見えない。
「…なんか、気持ち悪い」
「だろ?だから、ちゃんとそろえて置けるように、順番を決めてあるんだ」
言いながら、先ほどの位置に置きなおすシン。戻ったものを見ると、さっきの無造作なものと比べて色合いが綺麗に整っていて、食器の位置もそろって統一感が出ていた。
「そっか、こっちのほうが気持ちいいんだ」
私が納得したのを見て、満足そうに笑うシン。それから、もう一度私の頭を撫でた。
「よし、それじゃあ、残りのスープも準備するから、メリルは先に席について待っててくれ」
「わかったわ!」
シンが再びキッチンに戻ると同時に、私はテーブルの脇に置かれていた椅子に飛び乗った。若干足が高くて座りずらいが、気になるほどじゃない。手もしっかりと、テーブルの奥まで伸ばせる。
シンがスープを注いで来るまで、私は目の前に広げられている朝食を、おいしそうだと思いながら見つめていた。
焼きベーコンと、その上に卵。サラダも添えてあって、赤いトマトが緑の野菜の中で際立っている。先ほど焼き直したのだろうか、パンからは湯気が黙々と上がっていて、今すぐかぶりつきたい気持ちを抑えるのでいっぱいだった。
先に食べちゃっても―とも思ったが、やめておいた。さっきシンに言われたのは、「先に座っていていい」とだけだったので、シンが来る前に食べていいのかわからなかったのだ。
「…でも、食べたい」
早く、早く来て…と思えば思うほど、時間は長く感じた。
―もしかして、ちょっとぐらいならばれないかな?
「いや、でも…うん、少しだけ、パンひとちぎりだけ…」
シンの様子を伺いつつ、もう我慢できない!と目の前のパンに手を伸ばして、その端を少しだけちぎ―ろうとしたところで、左腕を掴まれた。
「ストップ」
その手を見ると、シンが私を止めたのだとわかった。
やっぱり、先に食べようとしたのはまずかったかな?でも、元と言えばシンが戻ってくるのが遅いからわるいんだよね?
「えっと、シン、これはね?」
「うん、何が言いたいかはなんとなくわかるけど、やっぱり、一緒に食べようと用意しているものを一人だけ先に食べちゃうのは、失礼じゃない?」
「う…はい」
私も、少しは思っていたので、反論の余地もないまま説き伏せられてしまった。
いきなり、やっちゃったかな…?シンに怒られる準備をするため、目を伏せて、さらに少しつぶった。
けど、シンは私の思うようなことはしなかった。私の頭に手を置いて、そして、なぜか優しくなでてきたのだ。
「え、なんで?」
正解したわけでもないのに頭を撫でられたという出来事に頭がついていかず、ついシンを見返してしまう。シンはそんな私を見て、再びにっこりと笑ってくれた。
「さっきまで、頑張って食べないようにしてたのを見てたからね。僕が戻ってくるのが遅かったのも原因だし、今回はよく頑張ったってことにしておくよ。でも、次はないからね?」
私の頭に手を置きながら言うシンは、本当に思っているのだろう、私を見る目が優しいように思えた。
「はい!」
私はそんなシンの笑顔に答えるようにして、顔を上げて返事をした。私の様子を見てシンも納得したのか、満足そうに顔を緩めて、私の向かいに座った。いつの間にか、テーブルの上にスープが置いてあった。
「それじゃあ、食べようか」
言うと、シンは両手を目の前で合わせて、言った。
「いただきます」
私はシンのその姿をみて、何のことだか一瞬考え、それから、朝やよると同じで、挨拶の一種なんだと理解した。
「いただきます」
私はシンの様子を見よう見まねで、挨拶を済ませて食事にありついた。シンはそんな私を、満足げに見ていた。
今回も読んでくださってありがとうございました。
この話から読み始めてくださった読者の皆様は、ぜひ一話目から読んでいただけたら幸いです。
では、また次回でお会いしましょう。
次回、朝食です。