迷宮踏破、貴種流離譚 4
大変長らくお待たせしました。
炎神の末裔の死によって、発掘闘技都市での争乱はひとまずの収束を見た。
だがこの事件による爪痕は、深刻なまでに根深い問題を残してしまう。
――被害を纏めよう。
一つに白公爵の下半身の核。これを魔境勢力に奪還されてしまった事は、まさしく痛恨の極みと言わざるを得ない。
アルベドの核を奪われた事で生体型迷宮〈アルベドの褥〉は崩壊し、魔石を無尽蔵に発掘し続ける宝の山が失われたのだ。
魔石とは万能資源である魔力の塊だ。その利便性はルーン文明を築いている真人類にとって欠かせるものではない。故にグラスゴーフから魔石を供給されていた王国内で、深刻なエネルギー問題が発生するのは必定だろう。
もちろんグラスゴーフにだけエネルギー供給を頼っていたわけではない。人工的に魔石を精製し、加工する魔石工場は王国全土へ無数に存在する。だがそれでも魔石の潤沢な供給を果たしていたグラスゴーフの機能不全は、王国だけではなく同盟国の帝国にまで影響を及ぼすだろう。
次いで被害の二つに、発掘闘技都市の半壊。それに併せて保有戦力の過半が壊滅した事。これにより領都の行政能力が麻痺し、エディンバーフ伯爵領は未曾有の混乱状態に陥った。
新伯爵ルキウス・ハルドストーンは優秀だが、その幕僚の能力は低く、この難局を独力で乗り切る事は叶うまい。よって王国政府から多数の人員が出張る事になる他、復興のため数千億円相当の支援が必要とされる。
魔族クーラー・クーラー追撃の際に起こった、謎の現象の解明も急がれていた。魔力反応を伴わない光波で、真人である兵員が相当数戦死してしまったのだ。しかも王国のトップエースの一角、オストーラヴァ中尉ですら一時死の境を彷徨ったのだから、彼らを襲った怪現象の正体を探るのは急務と言えた。
そして三つ。
〈鏃の御子〉の死もそうだが、何より頭脳の怪物といえる王国の至宝、アルドヘルム・ハルドストーンの横死こそが最たる損害だったと言えるだろう。
もしも彼が存命なら、このような事態に在っても最速最短で収集を付けられたはずだ。それは買い被りでもなんでもない。事実としてあの知恵者は、まるで千里眼でも有しているかのように全てを見透かしてしまう存在だった。
とはいえ故人を偲び、その死を惜しんでいられる時間はない。何故なら発掘闘技都市での一件で、亡き伯爵の唱えた危機が現実のものとなったからだ。
魔境勢力の魔族は自身らの魔力波長、姿の隠蔽、あるいは改竄を成し得る魔術式を開発していたのである。それは人類側には開発不能と結論された魔導技術であり、魔境の技術的発展が想像以上である事の証左となった。
これにより魔境から人類圏へ工作員を送り込む事が可能な事が判明し、いったいどこに魔族が潜んでいるか疑い、探らねばならなくなったのである。
人魔双方の領域では、そこにある何もかもが互いにとっての猛毒となる。魔術による軽減こそ可能でも、克服などできないというのが定説だ。故に魔族も長期の潜伏は不可能である――などと決めつけるのは安易としか言えない。
とはいえこの件は極秘事項として伏せられる事になっている。それというのも、正体の暴けない魔族が領内にいるかもしれないとなれば、人類圏でいたずらに疑心暗鬼を煽るのが自明だからだ。現在は防衛省や国家公安委員会が対応策の研究、開発を急いでいるだろう。今はそれしかできる事がなかった。
――だがそれらよりも、懸念すべき事がある。
カツ、カツ、と軍靴を鳴らして航空戦艦ミズガルズの艦内通路を歩くのは、方舟帝国軍グラーブル空上本部に所属する、アレクシア・アナスタシア・アールナネスタ大尉である。
原隊に復帰して以来、アレクシアは常に苛立ちに見舞われていた。
彼女は猪突猛進を極めた絢爛たるエース・オブ・エースだが、その戦闘方式に反して快刀の如き切れ味の知性を誇る。明晰にして平明な頭脳の持ち主であるアレクシアは、近い未来に起こり得る事態を見通していた。
(えぇい……! 上層部のケツでっかち共がッ! 何が「大尉の意見具申有り難く受け取ろう。充分に有り得るものとして我々の方で審議し、追って判断を下すものとする」だ! それでは遅すぎる、すぐにでも動くべきなのだと何故分からん!?)
激烈なる怒気は彼女の足音にも滲み、常よりも三割増しで荒々しくなっていた。
怒りを抑え切れないのだろう、アレクシアは乱暴に壁を蹴りつける。それによって航空中の戦艦が大きく揺れた。
アレクシアは上層部へ怒り心頭に発しているが、軍上層の高官達は決して馬鹿ではない。むしろ実力至上主義が現実のものとして作用する帝国に於いて、無能の類いは上層部に据えられる事がないからだ。
今回アレクシアが鳴らした警鐘を、突拍子のないものとして軽んじず、真摯に受け止め検討しているのも無能ではない証だろう。だが今回ばかりはその慎重さ、思慮深いが故の腰の重さが裏目に出てしまっている。
だから彼女は上層部をケツでっかちと罵るのだ。帝国には腰の軽さが足りない、もっと尻軽になれ、と。
「アルベドを奪還するために、魔族共は今まで隠していた技術を見せて来たんだぞ……! 秘匿していてこそ最大限効果を発揮する、切り札にも成り得るものをだ! その手札を晒したのは、もはや伏せておく必要がなくなったからとしか思えない……ならそれ以前に準備、計画していた策が必ずある。連動して速やかに動き出せるように準備を整えていたとしたら――我々はすぐさまそれに備えるべきだと何故即断しないッ!?」
八つ当たりによって幾分落ち着いたとはいえ、まだまだ怒りを吐き出し足りなかったのだろう。アレクシアは声に出して不満を発し、肩で息をするほどに猛る。
彼女は帝国軍の士官である。現行最強の航空騎士だ。そして帝国大公爵家の長女にして、皇帝に義理の娘として迎えられた第一皇女でもあった。
その出自と境遇ゆえに、平時はおろか鉄火場の戦場に於いても自身の感情を律する術を会得している。にも関わらずこうまで激発しているのは、それだけ危機的状況の襲来を確信しているからに他ならない。
誰にも告げていないが〈鉾の御子〉であるアレクシアは、御子としての力を除いても比肩する者の少ない神話的才覚を有している。そんなある種の才能の権化の直感が喚き立てているのだ。いま後手に回れば致命的な事態に陥るだろう、と。
本部がすぐに動き出せない理由は分かる。アレクシアの属するグラーブル空上本部は、通常の陸軍や空軍から独立した特殊作戦群の一種だ。しかし精鋭部隊の最たる軍集団である故に、ほとんど対魔戦線に張り付けられて自由に身動きが取れない。対魔戦線とは魔境に対する防波堤であり、下手に穴を開ければ帝国の危機に直結するからだ。
だからこそアレクシアほどのエースは簡単に動かせないのである。帝国に対して強い影響力を持っていたアルドヘルムからの要請を受けても、グラーブル空上本部はグラスゴーフへ彼女を送り込む事を嫌がったほどだ。今回に限ってスムーズに事が進むとは考えられなかった。
それでも空上本部の司令は対魔戦線に目を光らせる傍ら、アレクシアの進言を容れ帝国政府に指示を仰ごうとしているのだ。恨む事はできない。司令部長官の悩ましき実情は理解できる。だが、それでは遅いのだ。可能な限り早く動かねばならないのである。事は急を要する、ごたごたした形式に手間取っている暇はない。
(落ち着け)
荒ぶる感情の波を凪がせ、冷静に思案する。艦内通路の真ん中で立ち止まって、顎に手を当てて沈思する。思慮は深く、アレクシアは思考した。
(状況の予測をするにはまず時系列順に事を並べ、推測の材料を揃えて足場を固めなければならない。事の起点はグラスゴーフだ、だがそれ以前にも不可解な点がある)
真人は一部の例外を除き、戦闘力と知能が等号で結ばれる存在である。
故に堅実に思索しながらも、天啓に等しい閃きを得られるのがアレクシアという戦乙女であった。
(約一年前の会戦で、我々は魔族を叩き潰した。そうしてある程度の魔境を切り取り人類圏へ組み込んだが……領土を奪われたというのに、魔族はそれを取り返そうとしなかった。奪還が遅れればその分、その領土が人類圏に侵食され奴らにとっての汚染地帯にしかならないというのに。――なぜ奪い返そうとしない? 我々の戦いがいつまで経っても終わらないのは、切り取った領土の奪い合いが遅々として進まないからだ。なのにそれを急に放棄し、魔族は沈黙を守って……そしてグラスゴーフでの一件が起こった。……会戦での損害と、奪われた領土は必要な犠牲だった、とでも? それともすぐに取り戻せると踏んでいた? いや……そもそも……取り戻す必要がないとしたら?)
そこまで考えた途端、電撃が脳を貫いたかのような衝撃を覚える。
アレクシアは、気づいた。その気付きは彼女の目を見開かせ、そして果断なる決断を下させる。
帝国軍大尉は踵を返し、元来た道を引き返しはじめた。向かうのは艦橋、グラーブル空上本部の首脳がいるはずの場所。
皇族としての権威、強権を振るいたくはなかった。だがくだらない拘りに囚われて、権力を振るうべき時を見過ごしたとあっては愚か者の謗りを免れないだろう。故に躊躇いはない。
軍人としては失格もいいところだろう。命令に忠実であるべき立場を、別の立場を利用して有耶無耶にしようというのだから。ただ自身の名誉や挟持よりも優先すべきものがある。それだけの事で、今はそれにこそ注力すべきであると自分を信じた。
(――冒険者が必要だ)
そして信じたが故に決意する。
(私と共に魔境へ征く、強く、勇敢な仲間が)
――魔族にとって最たる難敵の一人によって、今後の趨勢を占う重大な決断が今、人知れず成されたのである。
(かつての勇者達に倣い、私達は命に代えてでも殺らねばならない。魔族の首魁、髑髏鴉を。さもなければ――我々は敗けるだろう)
† † † † † † † †
世界的に評価されている、紀元前の兵法家も言っている。敵を知り己を知れば、百戦しても危うい事はないだろう、と。
世間がどうとか、他人がどうとか関係なく、個人的にその警句は正しいと思う。こと勝負事にならなんにでも当て嵌まるだろうとも思っていた。
例えばサッカーの試合でもそうだ。相手チームのことを何も知ろうとせず、研究もしないで試合をしたら、相手が格下でも万が一が起こり得てしまうものだろう。
『敵』が外敵だけを指すのではないとすれば、己の中にある油断や慢心、無知や無能もまた敵になる。自分自身すら時には敵になるのなら、勝負に勝とうとする限り敵味方の分析を怠ってはならない。
アーサーは己が無知である事を知っている。
くどいほど繰り返し自戒してきた。自分には知識が足りないと。故に『敵』の区別に自分が入るなら、現状の己は『無知』である。それは現状、すぐさま克服の叶う項目ではない。だからこそ心せねばならない、無知であるならせめて無能にはなるまいと。
自己分析は正確にする。自分は六年後の未来に於いて、第五位階相当の真人と化していたが、現在の自分は第六位階相当にまで型落ちしていた。これを弱体化したと捉えるのは容易だが、アーサーはそう思わない。未来の肉体を持っていたアーサーは外的要因で強化されていたに過ぎず、それを取り払った今が素の戦力だ。だから弱体化したとは言わない。むしろ強くなっている。
だがチームを組んでいるスカイランナー達と比べると、アーサーの実力は一段も二段も劣っているのも確かだ。単純な性能差もそうだが、積み上げている経験値が違うし、知識の量や意識の持ち方にも優劣が存在しているはずだ。現状、アーサーにその差を覆せ手札はあるのかと問われれば、あるにはあると答えられるが確実とは言えない。
手札の一つ目はマーリンだ。所有しているアーサー本人も性能の上限を見極められていないが、頼めばアーサーを大幅に強化してくれる、かもしれない。
二つ目は、アーサー自身の肉体に埋め込まれている竜の因子。これの抑制を止め、活性化させれば肉体性能は倍化する。加えてこの身が内包する膨大な魔力を利用すれば、力によるゴリ押しは可能になるだろう。尤もその魔力は自分で制御できておらず、下手をすれば体は五体に四散しかねない危険物だ。もし使おうと思うならマーリンの補助は必須となる。
そして三つ目は――いや、ない。三つ目などない。
捨てたはずだ。だから手元にアレはもうないはずなのだ。今も自分に貼り付いて離れていないなど、有り得てはならない。
先日までの六年後。そしてつい最近、この手に掴んでいたあの〈聖剣〉は、自分に強烈な感覚を残していた。
あれには。あれにだけは、頼ってはならない。そんな気がする。故に見聞を広めるのだ。だから自分の力を高めようとしているのである。
アーサーにとって敵とは、この世界そのものと言えた。元の世界に帰る手段を探すためには、この世界の事も理解しなければならない。賭けられるチップが自分の命しかない現状、危険な戦場に身を置くのを厭う事はできなかった。
激しく上下する視界は、乗っているガリバーが走っているが故のもの。そして見下ろすのはチームメンバーが戦闘を行なっている光景だ。
しかしそれは安定した駆逐の工程、アーサーの出る幕などない。下手に手を出したら逆に邪魔になりそうだった。
「前方百メートル先、小隊規模のゴブどもを視認した。ロディ、殺れ」
「うぃうぃ。……って、ロディってなんだよロディって。気安いぞ」
「いいだろ別に?」
のっそのっそと駆け足で走るガリバーの肩の上で、スカイランナーが雑に指示を飛ばした。するとガリバーの兜にしがみついている、フード姿のハーフドワーフが渋い顔で文句を言いながら杖を振るう。
無数の情報集積文字が虚空に乱舞し、集束したそれが組み上げられると魔力が燃焼した。そうして撃ち放たれたのはウォータージェットである。
莫大な水量を圧縮し、広大な河川の水を束ねたが如き質量だ。それをほんの一秒で構築し、十条ものレーザー状にして放ったのである。まるで海神の槍のような水流は、的確に敵だけを捉えゴブリンの群れを一瞬にして全滅させた。
恐ろしい精度だ。ゴブリンだけを捉えて、床や壁には傷一つ付けていない。
「蜘蛛女を視認。討つ」
そしてゴブリンの残骸をガリバーが踏破し、奥へ進むと今度は三体の巨大な蜘蛛が姿を現す。戦車の如き蜘蛛の体躯に、人間の女の上半身を合体させたかのような姿のモンスターを認めたベディヴィアが宣言した。
巨人の肩から射出されたが如く馳せ、黒い閃光となった黒騎士は、アラクネが自身にワイヤーじみた蜘蛛の糸を吐き出してくるのを回避する。瞬く間に接近すると無骨なバルディッシュを薙いだ。
アラクネの体は外骨格に覆われているかのように堅牢で、重厚な厚みを持っている。特に六本の脚は鉤爪のように鋭く、身に宿す魔力量は侮れるものではなかった。アーサーは目を細め、ベディヴィアとアラクネの挙動を観察する。
見て学ぶ。見て盗む。漫然と過ごすなど有り得ない怠惰だ。
アラクネが二本の前肢を掲げ、黒騎士の逆袈裟の一撃を受け止める。轟音と共に火花が散り、蜘蛛女がその威力にたじろいたかのように後退した。たたらを踏んで後肢で床を削り体を支えると、連撃となって見舞われる斧槍の乱舞の直撃を受けた。
外骨格を破損させ、蜘蛛女の顔が苦悶に歪みつつ飛び退いた。代わりに残りの二体が左右から飛びかかりベディヴィアを抑え込もうとする。女騎士はスゥと早く、短く、浅く呼吸しバルディッシュにルーンを走らせた。迸るのは黒い雷、魔力形質・黒の雷光。両手で構えた斧槍が、左右のアラクネの前肢をほぼ同時に斬断する。
二つの甲高い女の悲鳴。一体はそれを見て逃げ出した。ベディヴィアがそれを一瞥すると、スカイランナーが言う。
「ガリバー。斧、投げてみてくれ」
「んぉ? ぉおう、分がっだぁ」
指示を受け、駆け足を止める素振りもなかったガリバーは斧を擲った。
巨大な戦斧が音速を超えて飛来する。逃げたアラクネはその一投で呆気なく轢き潰され、残りの二体も黒騎士に掃討されるところだった。
二体のアラクネが左右に飛び退きながら、苦し紛れに糸を吐き出す。ベディヴィアは片腕を掲げて一条の糸を受け、もう一条の糸を上体を反らして躱し様にバルディッシュを擲つ。それでもう一体を貫くと、自身を絡み取ろうとする最後のアラクネを流し見た。ぐい、と糸の絡みついて腕を動かし、力づくで自分の元に引き寄せる。単純な膂力の差で引きずり込まれたアラクネを、黒騎士の剛拳が出迎えてその胴体に風穴を開けた。
拳の一撃が戦車の砲弾の如しだ。ゴリラ……と、失礼な感想を零しそうになる。
しかしそのアラクネは、ベディヴィアの拳が自身を穿った瞬間に体内の糸を暴発させる。せめて道連れにでもしようとしたのだろうか。ただでは死なないという執念めいたものを感じ、アーサーは痛ましい気持ちになる。
だがベディヴィアが傷を負った様子はない。爆発の衝撃は黒甲冑に遮断されて、その甲冑にすら傷一つなかった。ただ、至近距離でアラクネの糸を浴びたベディヴィアは、その場に縫い留められて身動きを封じられてしまう。その糸の強度はベディヴィアの力でも引き千切れないものらしい。汚らわしそうに黒騎士が舌打ちした。
「チッ……」
「おーいおいおいベディヴィアさーん? こっちに雑魚押し付けんのやめてくんね?」
「――うるさい。陽動に引っかかったフリをした方が効率が良い。殺れ」
「指示出すのおれなんだけどな。ま、いいか」
スカイランナーが軽口を叩くのと同時だった。
天井に同化していたのだろう、五体もの粘体がベディヴィアへ向けて落下していく。
重量にして一トンはあるだろう。それが五体も現れたのだ。事前にその存在を察知していたらしいスカイランナーも、その正体を見ると顔色を変えた。
「溶解粘体かっ! アーサー、ロディ、殺るぞ!」
「うぃ」
「――了解」
スカイランナーが指揮棒を抜き取り虚空へルーンを描く。多様な情報集積文字が組み合わさり、幾重にも折り重なったアルファベットのAに似たルーンが炎の渦を発生させた。ローディアンもまた同様の魔術を行使している。二つの魔術が同化するや、火炎の車輪が形成されて数百もの火矢を象り黒騎士へ向け落下するスライムへ殺到する。
スライム。溶解粘体。その特性は物理攻撃を無効化する、物理耐性を無視して対象を溶かす危険な魔物。それに対する対処法として、火炎属性の魔術による燃焼が効果的だった。あるいはスライムの特性を貫通できるだけの物理攻撃力がなければならない。
アーサーはその事を識ってはいた。無知ゆえに勉学に励む事を厭わないのはグラスゴーフにいた頃から変わらない。あの発掘闘技都市である程度魔物に対する知識の蓄積は出来ていた。故に即応できる、スカイランナーとローディアンが炎の魔術を使うと察して、彼らを補助する目的で魔術を使っていたのだ。
白騎士が手を掲げて放ったのは、膨大な魔力に物を言わせて構築した油の柱である。
高熱で沸騰した、魔力を内包した油。それが二人に先んじて放たれスライムに直撃し、次の瞬間にスカイランナー達の火矢が接触してスライムを燃やす。
その火力は凄まじく、一瞬にしてスライム達を燃やし尽くした。それでもほんの数滴、スライムの欠片がベディヴィアに触れる。兜に触れたスライムの欠片がジュゥウと音を立て、黒騎士の兜を溶かしたのだ。
「………」
穴が空いた兜に手を添え、魔力で修復したベディヴィアが嘆息する。それは予想外の危険をやり過ごせた安堵の色を帯びていて、脚を止めたガリバーの上でスカイランナーが呟いた。
「おいおい。スライムなんかがなんだって出てくる……?」
「……? スライムもモンスターだろう、出てくる事に不思議はないんじゃあないか?」
「それ、マジで言ってんのかアーサー」
「……スライムは高位モンスターだ。ボクが直接知る限り、炎以外で斃せる魔導師はいないし、物理で殴り殺せるのは帝国の戦乙女ぐらいだよ。そんなのがこんなに早く出てくるのは不自然だ。出てくるとしたら、イスイヴトプスと直接対決する時だろうって思ってたよ」
アーサーの疑問にスカイランナーは呆れ、淡々とローディアンが答える。
おい、脚止めなくてもいいぞと士官風の青年が言うと、ガリバーは曖昧な返事をして再び駆け始める。
ベディヴィアは一瞬黒い炎を纏って蜘蛛女の糸を焼き払うと、跳躍してガリバーの肩の上に戻ってくる。それを横目にしながらアーサーは思索した。
そもそも魔物とは、魔獣とはなんなのか。その疑問に対する解を、マーリンは持ち合わせていた。
故に彼女は主人の疑問を晴らしてみせる。自分に二心はなく、赤心を以って奉仕する自分を信じて欲しかったから。
そんなマーリンの知識が転写され、アーサーは顔をしかめる。知らないはずの知識を頭の中に直接写されるのは、気持ちの良い感覚ではなかった。
『知識送ってみたけど、どう? ちゃんと転送できたと思うんだけど』
(――つまり、なんだ。魔族側には〈元始記録〉とかいう天国……ヴァルハラとか冥界に相当する死後の世界があって、魔族は死後そこに魂が招かれる、と)
『うん。位相の異なる異次元に〈元始記録〉があってね、魔族の霊魂がエネルギーとして保管されてるんだ。そして設計されたモンスターの形を鋳型にして、そこに魔族の霊魂を流し込む事で実体を得て現実に現れる。それでモンスターという形を失う、つまり死ぬとまた〈元始記録〉に還るわけだ』
(……それじゃあモンスターを幾ら殺したって意味がないじゃないか)
『そうだね。魔族の霊魂は膨大なエネルギー量になるから、モンスターっていうちっぽけな鋳型に注ぎ込んでも余剰が出るよ。だからモンスターを撲滅したければ〈元始記録〉を破壊するか、そこに接続して現実に投影するシステムを台無しにしてやるしかない。ちなみにモンスターの上位に悪魔とかいうのもいるけど、ソイツは魔族級の脅威だから今のマスターが遭遇したら逃げる事をお勧めしたりする。あ、ここの〈迷宮〉のボス、イスイヴトプスも悪魔の一種だからね』
(………)
無駄な忠告ほど耳障りなものもない。アーサーは嘆息した。
いずれにせよ、モンスターは無視できるなら無視するに限るようだ。しかしこの事を他の面子が知っているかは定かでないが、少なくとも今回の戦いに限りそういうわけにもいかない。
それにアーサーは感じていた。このチームの面々は確かに強い、一人ずつ戦ってもアーサーでは打倒できないほどに。だがチーム全員を集めても、以前見たマーリエルやアレクシアには遠く及ばないだろう、と。
(グラスゴーフにいた頃は、恵まれてたんだな……)
傍にマーリエルがいて、守ってくれていた。それが如何に得難いものであったのかを認識して、ふとなんとなしに気にかかった。
(そういえば――マリアは今、どうしてるんだろう)
ブクマ等、本当にありがとうございます。




