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死に候え不思議の国〜モータル・ワンダーランド〜  作者: 飴玉鉛
序章「エピック・オブ・アーサー」
63/74

富貴在天、俎上之肉 4





 夢だ。夢はやがて醒めてしまう。









  †  †  †  †  †  †  †  †









 初手は首を狙うと予言されても、いまいち信頼に欠けるというのが正直なところだ。

 巫女の白い手を見ろ、細い腕と体を見ろ、どこにも鍛えた痕跡はない。彼女は明らかに荒事の素人であると断ぜられる。

 巫女と鬼柳千景が親密な仲で、彼女の剣技を知り尽くしているなら話は別だが。どうにも守り守られという関係にあったとは思えないほど、彼女達の間には冷たい沈黙(かべ)があるように見える。これではとてもではないが、巫女の見立てを信じる気にはなれなかった。

 一応備えはしておくとしても、巫女の予言めいた台詞は、あくまで参考程度に留めるのが吉だろう。


「最後に聞きたい。話し合いで済ませる事は出来ないのか?」

「愚問。我らには時間がないと言ったはずだ。そちらが巫女を渡すというならこちらも抜かぬが、渡す気はないのだろう」

「ないな。嫌がる婦女子を、無理矢理連れて行こうとするのは見過ごせない。それに……どうやら今日の私は、いつになく紳士的らしくてね。助けを乞われた以上は無関係ではいられないのさ」

「フン。(かぶ)くのは結構だが……なおも囀るのなら首だけでやってみせろ」


 素のヘンテコな声音に手綱をつけ、理性的な解決策、妥協案の模索を提案するも、けんもほろろに一蹴される。アーサーは苦笑いした。取り付く島もないとはこの事だと。

 まあ、いい。よそ様の事情に嘴を突っ込む真似は控えたいところだが、自分でも言ったように助けを求められた以上はアーサーも当事者である。好きにするさと内心に溢すだけだ。


 既に戦闘に意識を切り替えているのだろう、女武者は両足を広げて腰を落とし、摺り足で微妙に間合いを調整してくる。


 構えは居合のそれ。抜刀術、という奴だ。左腰に提げた太刀の柄に右手を添えている事から、鬼柳千景という剣士が右利きであるのが判る。

 にわか知識だが、抜刀術とは体で刀を隠して間合いを誤魔化し、素早い斬撃で一刀の下に敵を斬り捨てる代物らしい。一見すると独特な構え故に斬撃の軌道を限定され、左腰から始動するために相手の右半身しか狙えない稚拙な技に見えるが、抜き手も見せぬ神速の斬撃軌道、対峙した者に反応も赦さない一閃を見切るの至難の業だという。

 抜刀術の術理はそれのみにある訳ではないらしいが、実物を見た事も詳細な理論を学んだ訳でもない。そもルーン文明の真人と、元の世界の武術家を同列にするべきではないのだ。身体能力が異なれば、取り上げられ発展する技術も違ってくるものだろう。先入観を捨て去り、千景の挙動の悉くを注視するに留め、曖昧な前知識は邪魔なものとして全て忘れた。


(これから命のやり取りをしようってのに……理屈じゃない部分で、心が踊るなんてな)


 SAMURAIとNINJA……誤った日本観を持っているとは思わないが、目の前にSAMURAIがいると思うとどうしたって高揚してしまう。アーサーの冷静な部分が、激しく揺れ動く心の動きや緊張感に、ジャンキーめいた愉悦を見い出す己を発見し強く律するも、どうしても愉しくって仕方がないと感じてしまっていた。

 これではもう、二度とスリル・ジャンキーを笑えない。気持ちが痛いほどよく分かるようになってしまっていた。だが――今は己の事よりも、巫女を。調月扶桑を守る。それ以外は全て余分と弁えねばならない。己の喜悦を優先して扶桑を守れなかったらと思うと、よく知りもしない女なのに永遠に己を赦せなくなるだろう。


「フソウ。下がっていてくれ」

「………?」


 必要なのは己が愉しむ事ではない、扶桑を連れて無事に離脱する事である。その事を常に念頭に置いておくのを忘れてはならない。

 故に巫女に呼びかけ、離れるように指示する。すぐ近くにいたら邪魔だからだ。扶桑は小首を傾げながらも、素直に離れてくれた。

 朝孝が扶桑を狙わないか気に掛けつつ、千景の狙いを探りながら大剣を左手に持ち替え、装備している鎧に魔力を通す。真人の身体性能を以てすれば、魔力の通わぬ武具と防具などなんの役にも立たない。魔術を付与してはじめて一線級の武装となる。

 左腕にのみ装着している篭手へ、物質の硬度を増す魔術を装填し、続け様に身体強化魔術【新生(nova)】で超強化を成す。

 思えば真人に覚醒してより数年。同格かそれ以上の真人を相手にするのは初めてだ。いわば初陣とも言える。だが……初対決(・・・)の体験は、初めてではない。この世界に来てから初めての事だらけで、この戦いもその内の一つに過ぎないのだ。緊張は無用、自然体で臨む。


 そんなアーサーの魔力の働きを見て、武士道精神でも発揮しているのか静観の構えを取っていた朝孝が呟いた。「赤の形質(レッド・カラー)か」と。


 魔力波長を発して自らの領域を拡大する。それを受けて千景もまた、黒い魔力を滲ませ、アーサーの魔力波長を食い止めた。

 黒の形質……ブラック・カラー。あらゆる属性に得手とするものはなく、魔力量も他と比べると少ない、いわゆる凡才の形質(・・・・・)と呼ばれるもの。千景は魔導の適性は低いらしい。形質だけで魔術に類する実力を決めつけるのは早計だが、魔力形質によるアドバンテージはこちらにあるのは確実だ。

 となれば身体能力もまた、地力となる概念位階さえ同等ならこちらが上回るだろう。が、それは計算に入れない方が賢明だ。アーサーは千景が魔術による肉体の強化を行わないのを見て取り、やや警戒の念を強めた。


 ブルドを怯えさせ、遁走させた魔力とは異なるエネルギーの斬撃。

 あれは恐らく千景か朝孝によるものだろう。であればアーサーの知らないなんらかの術により、魔力形質に依存しない倍率で身体能力を強化してしまえる可能性はある。

 未知の技を開陳されても狼狽えない心構えを堅持し、ジリ――と、あと数ミリで千景が間合いへ入る所で、アーサーは自ら一歩踏み込むや先制となる一撃を放った。


 左手の大剣を右から左に流す一撃。斬撃ではなく打撃だ。斬るのではなく払うのである。千景を一旦離れさせるための牽制だった。様子見の意図もあり、殺る気はない。

 狙うのは千景の腰――屈んで躱せず、跳べば切り返しの刃で両断でき、回避するには後退するしかない斬打。受けてくれたのなら相手の膂力を図れる。強ければこちらが引き、弱ければ押し切って一気に斃すまで。

 これを、千景は摺り足のまま一歩下がる事で躱してのけた。紙一重で下腹部の前を横切る剣をやり過ごし、転瞬、卓越した動体視力を有するアーサーをして千景の姿を見失う。

 予備動作すら見て取れない、唐突な消失。なに、と意識野が淡い驚きを弾けさせるより先に、アーサーは直感的に右腕を掲げた。篭手に覆われていない、騎士衣(サー・コート)の袖に通した腕で首を護る。直後だった、鋭い斬撃が前腕に直撃した。


―――(硬い?)

「ヅッ……!」


 いつの間にか懐に潜り込んでいた千景の姿を認め、右足による前蹴りを繰り出す。しかし千景の姿がまたブレたかと思うと、背部から喉元に突き抜ける電撃を感知した。

 それは千景の殺気、アーサーの勘が捉えた稲妻の如き刺突の予兆。右から左に振り抜いていた大剣を、手首の捻りだけで回転させ逆手に持ち替えるや盾として背部に回す。

 大剣の刀身、その腹に太刀の切っ先が直撃した。奏でられる鋼の音色がさらなる危機の呼び水となったのを理解しているが故に、須臾にして次手となる行動を決定する。


 〈(Tonitrus)


 魔術の下位に位置する魔法の赤雷を、自身を中心に炸裂させた。

 たかが魔法であっても、魔力量に物を言わせたそれはそれなりのダメージリソースにはなる。千景はまたしても掻き消え、一旦間合いを空けて回避した。

 女武者は目を眇める。アーサーの右前腕に遮られた自身の斬撃、その手応えが不審だったのだ。騎士衣の袖が裂け、露出した鴉の騎士の腕を見た千景は無意識に呻く。


竜のウロコ(・・・・・)だと……?」


 千景は間違いなくアーサーの腕ごとその首を刎ね飛ばせると確信していただけに、皮膚すら破れなかった予想外の硬さに驚いていた。ましてやその硬さの正体が、人の身に有り得てはならない物だったのに目を剥いてしまう。

 アーサーは舌打ちする。巫女の予言があたったのだ。確かに首を狙われたのである。


(フソウ、君は……)


 念のため竜の因子を活性化させ、肉体を竜のそれに近づける事で防御力を向上させていたのが功を奏した形だ。骨密度は元より筋肉の強度を増強し、皮膚を覆う鱗が千景の刃を阻んだのである。

 束の間、巫女の姿をした女の先見の明に薄ら寒いものを感じたが、それを振り払って戦闘に意識を傾け直す。

 全身を蝕まんとする因子を抑制し、しかし眼球と視神経のみは活性化させ、動体視力を人の規格から外れたものにしていたというのに、千景の挙動を寸前まで察知できなかった。

 その事実を咀嚼し、呑み下して千景を見据える。眼に頼るのは愚策か、と。戦士としての力量が増すにつれ、ますます勘働きに磨きが掛かっているのを自覚しているアーサーは、もはや六年前とは異なり自らの勘の正しさを信じていた。故に、勘に任せるという曖昧な論理を己へ許している。

 鬼柳千景が鞘から抜刀した太刀は、妖しい魅力を湛える紫紺の刀身を有していた。打ち寄せる波を想起させる刃紋は濤乱刃(とうらんば)と称されるものだろう。


 まるで妖刀だ。それを携える千景は驚きを鎮めて正眼に太刀を構え、妖刀の鋭利な切っ先でアーサーの喉を睨む。

 時間にして一秒の睨み合い、しかし高速で回転する頭脳は僅かの交わりで考察を弾き出していた。




今日日(きょうび)、竜から因子を奪取できるほど竜殺し(ドラゴンスレイ)を繰り返せた猛者は居ない……いたとしたらその勇名は遠く我が国にも鳴り響いているはず。この騎士は何者だ? まさかアルトリウスというのは偽名……王国のシグルド? いや、あの者は六年前に戦死している。それに彼の竜殺しは魔導兵に成り下がっていた……生身を有している以上この者はシグルドではない。だが――)


(僕の領域にチカゲが侵入した気配は捉えられなかった。単に彼女が僕の知覚速度を上回って動いたのか? なんにせよ機動力はチカゲの方が上なのは確かだ。腕で受けた感じからすると力は僕の方が上。魔力量も同様だろう。力押しで勝てる手合いじゃあない、普通に逃げても追いつかれる、敵はチカゲだけではなくトモタカもいる。このまま素直に殺り合っても殺されるだけだ)


(――反応速度が速い。判断も的確だ。膂力は私より上、肉体の硬度は竜に比する。魔力量も私より上だ。だが遅い、技と速さでは私の方が上手……奴の位階は第六の上位から第五の下位の間といったところ。分不相応なまでに硬い、奴の体を両断するには〈氣〉を込める他にないな)


(かといって僕自身の縛り(・・)を無くしても、勝ちの目は見えてこない、か。二乗化している魔力を制御できていない、魔術の式を上手く組めずに却って弱体化してしまう。独学の悲哀だな。身体能力だけでゴリ押せるほど容易い相手じゃあないだろう。もし多くの僥倖に恵まれチカゲを斃せたとしても、トモタカが後に控えているし、そもそもチカゲが危なくなれば割って入ってくるはずだ。そうなるとニ対一になる……やはり相手を斃すよりも、僕が執れる選択肢は逃げの一手しかない。そのために僕が打つべき布石は――)




 一秒も対峙すれば分析を完了させるには充分。現実時間を超越した思考領域を有する、真人同士の対決は、如何にして相手の思考能力を上回るかを競うものでもあるのだ。知力で勝れば武力を制する。その論理は真人にとって常識ですらあった。

 故に脳が描いた空想の理論を実証し、正しさを証明する事こそ(いくさ)の要決。自らの知を絞り敵対者に血を流させるべく千景が馳せ、アーサーが退いた。短槍を固定していた金具が弾け、アーサーの後背から二本の短槍が飛翔する。意思を持つ魔槍と化し、猟犬の如く虚空を駆け出したのだ。短槍の片割れが内側から破裂し、炎の渦となって千景に襲い掛かる。


 第六位階魔術〈大紅蓮〉


 女武者は愛刀を握る腕から氣を伝導させ、己の視界を席巻する焔の竜巻を両断する。その手応えは千景に困惑を与えた。まるで骨のない肉の塊を切断したかのような感触だ。純粋な焔ではない、焔の形をした肉の壁――散らされた大火炎が周囲の雪を溶かし、夜の闇を駆逐しながら〈金属樹皮〉を有する巨木に燃え移った。千景の太刀が淡く光って、途方もない力で震動しているのを見て取り、アーサーは目を細める。


(高周波ブレード?)


 自らの知り得るものの中から類似する例を弾き出す。アーサーは己の短槍のもう一方で、間を空けずに千景へ襲い掛からせるや突貫した。

 相手は速攻を狙っている、倒し切るのは至難、そして無理に斃す必要がないとなれば、勝敗を決するならここしかないと直感していた。

 金属の巨木をも燃やす火の手は、背後から千景に迫る。同時に朝孝との分断を成す壁ともなった。〈大紅蓮〉はアーサーの触手に等しい、微塵に裂かれようと操れる。千景が仔細構わず太刀を構え直していると、もう一本の短槍もまた弾け、内包していた魔術を解き放つ。虚空を奔るのは同じく第六位階魔術の〈稲光〉だ。目を灼き魔力を知覚する〈空覚〉を塗り潰す強烈な閃光を爆裂させ、七条の柱となった赤雷の内五柱が女武者に食らいつく。


〈稲光〉の光に視界を蹂躙されながらも、女剣豪の太刀筋に曇りはなかった。


「破ッ!」千景の大上段からの斬り落としによる刀撃が、無数の不可視の刃を引き連れ雷光を粉と成す。

 刀撃の網に掛かった雷条を払うや千景は一度下がり、短槍二連の後に突貫してきた騎士を難なく迎撃した。第六位階魔術〈加重〉により、超重の質量を宿した大剣を振り下ろしてくるのを、振り下ろしていた愛刀を手首の捻りで真上に向け、後退しながら迅雷の如く斬り上げたのだ。

 斬撃軌道上の悉くを裁断する明鏡の太刀筋。細身の刃がなまくらの大剣に食い込み、そのままアーサーの得物を半ばから切断してのける。キィンと甲高い音を立てて虚空を舞った大剣の刀身に、千景は惜しいものを感じた。


 なまくらを武具にしているとは、惜しいな。貴様に釣り合う得物があればまだ斬り結べただろうに、と。


 同じ真人類を斬る事に、女剣豪は内心忸怩なるものを覚えていた。アーサーは弱くない、後の儀式の事を思い力の全てを出し尽くしていないとはいえ、相応の得物を用いていたなら相当に手こずりそうではあった。

 これだけの力の持ち主なら、真人類のために活躍できただろう。こんなところで殺めるのが勿体ない。千景はそう思うが故に得物を喪失したアーサーを、せめて一太刀で楽にしてやるべく――


「ッ………?!」


 刹那、鬼柳千景は己の失策を悟る。

 背後からは後退を赦さぬ魔術の火、左右に突き立ち退避を封じる赤雷の柱が二つ。そして正面からは、断たれた大剣を捨てた無手の騎士。

 篭手に覆われた左腕を突き出してくる。それを咄嗟に左拳の甲で弾き、右手の太刀を心臓に突き刺さんとする。だが鎧の表面を深く傷つけはしたが、女武者の太刀は騎士の脇に逸れてしまった。


 零距離。


 右の拳砲が唸りを上げる。千景の胴を守る鎧に鉤爪の如く突き立ち貫通すると、その横腹を鴉の騎士の拳撃が容赦なく抉った。

「かっ……!?」苦悶する千景だがやられるままではない。愛刀の柄頭でアーサーの側頭部を強かに打ち据え、ほぼ同時に左手で騎士の右肘を掴んで強引に引き寄せると、体勢を崩させ様に足払いで脚を刈るや勢いよく地面に叩きつける。

 半ばから両断された大剣の刀身が地に落ちた。轟音を立てて地中へ埋まっていくのを気にも留めず、千景は引き倒した騎士の頭に逆手に持った太刀の切っ先を突き刺した。


 仕留めた――その確信は空振りに終わる。


(デコイ)ッ!?」


 脳髄ごと魔力炉心を破壊し即死させる刺突。それに穿たれたアーサーの肉体が形を失い、赤い雷光となって千景の四肢に絡みついて痺れさせた。頭痛にも似た疼痛に、整った相貌が屈辱の色を浮かべる。

 いつの間にデコイと入れ替わった? その懐疑に答えるのは己の記憶。第六位階魔術〈稲光〉によって視覚と空覚を惑わされた瞬間だ。あの一瞬の内に、アーサーは己の偽体(デコイ)を作り出して突撃させたのである。手の込んだことに自身の武装を握らせて。

 だがこれでアーサーは、武装のほとんどを失った。残しているのは鉄棍のみだ。〈氣〉を全身に込めて、体内に侵入した騎士の魔力を弾き出して痺れを解くや、千景は乾坤一擲の追撃に出てくるだろうアーサーに備える。


 だが、追撃は来なかった。




「――御膳上等である」




 優れた戦士は剣を交えた相手の力量を正確に把握する。千景はアーサーと六十秒も戦っていないが、それでも彼の実力を読み取っていた。

 故に不自然。

 この機を逃せば苦境に立たされるのは必然になるというのに、追撃がないというのは有り得ない。千景が異変に気づき愕然とするのをよそに、樹海全域へ拡大しかねない焔を、〈氣刃〉を飛ばして火の源の魔力を(・・・・・・・)切断する事で抹消した剣豪が讃える。


「儂にも悟らせぬとは見事な引き際だ。戦の退き口(撤退戦)とは斯くの如く行ないたいものだな」


 腰に帯びた大小の刀も抜かず、視線で(・・・)狙ったモノを斬る業。豊葦原国に於いて最も〈剣聖〉に近い男は嘆息した。

 それは己の不覚を嘆くものというよりも、どこか安堵の色彩を帯びている。我に返った千景が朝孝へ詰問した。

 

「伊勢守ッ、彼奴は!?」

(のが)れた」


 言葉短く言い、顎で示した先は巫女がいたはずの地点。突っ立っている巫女に向け、朝孝が軽く手刀を向けると頭頂部から縦に両断される。

 朝孝の凶行を、千景は責められない。なぜならそこに巫女はいなかった。二枚に卸された巫女も騎士と同じく赤い雷と化し、四散して消え失せたのだ。

 騎士と巫女の姿はない。朝孝の言うように逃げたのである。思わずワナワナと体を震えさせ、鬼柳家の女武者は喘ぐように溢す。


「わ、私が……この私が、デコイと本体の区別もつけられなかった……? 挙げ句、巫女を連れて逃げられているのにすら……」

「気を落とす事はないぞ、鬼柳。傍目に見ていた儂すら気づかなかったのだ、直接剣を交えておった貴殿が気づかずとも無理はない。恐らくあのデコイを編んだ魔術は彼奴のオリジナルだろう。己らの体を造り(・・・・・・・)幻術で姿を隠して(・・・・・・・・)巫女を連れ出した。偽りの器が受けた損害を本体も受けるデメリットを作る事で、デコイだとひと目で看破できぬ精巧さを実現したのだろうよ」


 アーサーの焔によって雪が溶け水分が蒸発し、乾いてしまった足元の砂利を軽く蹴って、朝孝はぐるりと辺りを見渡す。


「……加えて、自身はおろか巫女の気配すら隠し、儂に居所を読ませぬ隠密の業も修めておる。これではどこに逃れたのか、探るのに骨を折るであろうな」

「グ――な、なんたる失態だ……! 私が彼奴を侮り、まんまと術中に嵌まりさえしなければ、巫女を失う事などなかったというのにッ!」

「己を責める事はない。咎は儂にもある。寧ろ貴殿が一騎討ちを行わんとするのを諌めず、巫女に手出しもせなんだ儂こそが最も責められるべきであろう」

「何を……何を悠長にしている!? 一刻も早く巫女を探し出さねばならんだろうッ?」


 あくまで泰然としている朝孝に、千景は焦りを募らせ怒号を発した。

 根が生真面目な女である。己の剣腕に過大なまでの自負を持っている事を除けば、特にこれといった欠点らしい欠点もない剣士だ。

 自らの失点を取り戻さんと焦る千景は言った。


「帝国と王国が失陥するのは時間の問題だッ! 後方に位置する連合の腑抜け共では壁にもならん、故に此度の祭祀こそ成功させ、魔族の侵攻を押し返すための力を手に入れねばならないのだろう!? 今私のくだらぬ失敗で祭祀すら行えずに頓挫してしまったら、私は!」

「……構わん、とは言えん。儂とて武士よ、主命を果たせなんだら腹を詰めねばならぬ。だがどのみち、巫女を連れて祭祀を行なったとしても、神王は儂に聖なる(つるぎ)を下賜してくださらんだろう」

「何を根拠にそんな弱気な……! それでも伊勢守家の嫡男か? この私の兄弟子でありながらそんな弱腰でいるなどッ」

「巫女が言っておったではないか。儂ではいかんと、貴殿でもいかんと」


 祈祷の巫女とは、神王の子である〈瞳の御子〉である。その言葉は決して軽くない。反応に詰まる千景へ、朝孝は薄い笑みを口元に刷いて言う。


「だが――あのアルトリウスなる騎士に対して、巫女は言ったな。この者でなければならん、と」

「それはッ! ……あんなどこの馬の骨とも知れぬ輩を、祈祷の巫女が選んだとでもッ? 貴殿はあの騎士が、神王の目に適うとでも言うのかッ!?」

「少なくとも儂らより望みはあろうさ。巫女が誰かを見初めたなぞ、聞いたこともない話であろう。極論、神王より聖剣を賜われるのなら誰でもよいのだ。儂らである必要はない」


 だが、と。次代の剣聖になると目される剣豪、伊勢守朝孝は血の滾りを仄かに匂わせる。

 逃走した騎士の技量が未熟であると見抜いていた彼は、騎士よりも数倍は剣の技量に長けている千景を出し抜いた手管に関心を懐いたのだ。

 恐るべきセンス(・・・)である。驚嘆すべき戦闘勘である。あの騎士は未熟な技量を、己の才覚一つで補った。その難しさを知るからこそ朝孝は大いに期待を寄せ、そして一度は手合わせ願いたいと私欲を懐いたのだ。

 若さ故の血気。そして巫女を生贄にする事へ嫌悪感を懐いていた青さ。本心を言うなら、アーサーの為した逃走劇に喝采を上げたいと思うが故、朝孝はどうにもあの青年を気に入ってしまったらしかった。


「だが、あのアルトリウスとやらは、巫女を生贄にせねばならん祭祀など認めんだろう」


 ――が、それはそれ、これはこれ。私人としては惜しみない拍手を浴びせたくとも、公人である武士としての朝孝は、断固としてアルトリウスの暴挙を認めるわけにはいかない。朝孝にとってうら若き女性を生贄にするなど言語道断だが、武士として主命を拝命した以上はそちらが最優先事項である。

 元々朝孝は疑問視していた。五十年前の祭祀では当代の剣聖が挑んでいる。にも関わらず聖なる剣は下賜されなかった。人類唯一の士道第三位階者ですら果たせなかった偉業を、当時の剣聖よりも若く未熟な朝孝に成し遂げられるとは思えない。慣習だからと、初代国主が掲げた理念だからと妄信する事こそ不忠ではないか。

 国に帰った時、腹を切れと命じられたのならその通りにしよう。しかし無意味に〈瞳の御子〉を死なせるだけの祭祀に明確な希望が出たのなら、現場の判断で事を為すべきだ。

 ほぼ確実に失敗するであろう己より、まだしも望みがありそうな者を選ぶ。責任からの逃避、根拠の弱い軽挙妄動……如何様な弾劾にて謗られてもいい。なぜならその通りである。朝孝は自分のために、女が死ぬ事は赦せない男だった。いや……正確に言うなら、女が死ぬ事自体が見過ごせない気質である。


 それに。

 なんだろうか。

 千景には感じられなかったのだろうが、あの騎士には得体の知れない雰囲気がある。


 ほんとうに、なんだろう。無理矢理にこの感覚を捻り出して、言葉として表現するのなら……贋作を並べ立てた博物館の中に、一つだけ真作があるのを見つけたかのような……? 贋作者が自らの手掛けてきた物が贋作であると自覚せずにいたのを、ふと真作を見て己の作品が模倣品に過ぎないのだと気付いてしまったかのような……。

 そんな、苦々しくとも、どこか清々しい……憧憬に似た心地。


「――我らとて(わらべ)の遣いではない。巫女が儂ではなくあの者を選んだというのなら、是が非でもあの者を神王へ謁見させねばならん」

「……巫山戯(ふざけ)るな。私はな伊勢守、貴殿こそ相応しいと信じていたのだ。だというのに私の……貴殿を選出なさったお歴々の期待を裏切るというのか?」

「愚問だ。履き違えるな、鬼柳。儂に掛けられた期待は、儂が聖剣の担い手として帰還するものではない。人類が神王の遺産を手にする事、この一事のみが真に期待されておるのだ」

「………」


 難しい顔で黙り込む千景だったが、自身の立場を思い返して嘆息する。

 巫女の世話役であり、護衛。役目を果たせていない己には何も言う資格はない。ましてや己は失態を演じたばかり。腹を切れと命じられれば、潔く自刃して果てねばならない身だ。

 言いたい事はある。だが朝孝の言に一定の説得力を見い出してしまっては、引き下がらざるをえない。


「貴殿がそこまで言うのなら、添え物に過ぎない私は従うしかない。本当は赦されぬ事なのだろうが……この場における上位者は貴殿だ。指示を寄越すといい」

「応。なんとしても彼奴らを探し出し、霊山の頂にて祭祀を執り行なおうぞ。……どうしてかな、儂は悪いようにはならんと、そんなふうに思ぉてしまっておる」


 最後の呟きは、どうしてか希望に満ちているようで。千景は胡乱な目で朝孝を一瞥した。









  †  †  †  †  †  †  †  †









 朝孝の見立ては正鵠を射ていた。

 肉の体を組成し、デコイとする魔術を組み上げた時。アーサーは第五位階に相当するその魔術を〈偽体〉と名付けた。

 この魔術のメリットは、暇潰しという名の鍛錬に最適な事。並列した思考回路で〈偽体〉の己を操り、本体の自分と競り合わせる事で戦闘訓練を行える。

 所詮は独り相撲と笑う事なかれ。並列した思考回路の間を断絶させれば、主体となっている思考回路も枝分かれした思考を自覚できない。畢竟、実現できるのは自分自身との対決である。

 そして実戦で用いる際のメリットは、この〈偽体〉もまた本体である事。つまり如何に洞察力に長けている敵対者でも、〈偽体〉と本体の違いを見抜けない。

 翻るにデメリットは二つ。〈偽体〉に割かねばならない魔力が多い事。その〈偽体〉が受けた損害が、限りなく精度の高い幻痛として本体にも反映されてしまう事である。


「ギッ……!」


 右の眼窩から後頭部に突き抜けていく死の感覚。巫女に扮した〈偽体〉が縦に真っ二つにされた事で生じた、頭頂部から股下に抜けていく死の感覚。

 錯覚ではない。幻覚ではない。実際にアーサーは二つの死を体験していた。

 真人(ユーザー)であっても即死は免れない。それほどの毀傷を幻覚としてでも受けてしまえば、巫女を抱き上げて走る脚も鈍ろうというものだ。


「………」


 横抱きにされ、アーサーの苦悶を見て取った巫女が、能面のような表情の中に薄く心配の色を滲ませる。

 そんな彼女の視線に気付いた青年は、ぎこちないながらも笑ってみせた。

 なんともないよ、と。

 脂汗を浮かべながらも強がり、樹海の奥深くに走っていく。特に目的地など定めておらず、湖があるのを見つけてその畔に移動した。


「………」

「………」


 巫女を降ろすと、アーサーは不思議な気持ちのまま女の顔を見る。

 真っ直ぐに見返してくる女の瞳は、七色に煌めいていたのが黒一色に変化していた。


 自分がこの女を、命を懸けてまで救い出した理由は個人的な感傷による。

 だがこのまま事情を知りもせずにいるのは、助けた手前無責任というものだろう。

 訳を訊かねばならない。本当の意味で助けるには、彼女の問題を解決するしかないのだから。


「あー……君は、いや……わ、私は……」


 なんとか声を絞り出すも、女の目を見ていると初心な少年のように(ども)ってしまいそうになる。そんな自分に苦笑いして、アーサーは自己紹介を兼ねて彼女に問い掛けた。


「コホン。私は、アルトリウス。君の名前と、彼らから逃げてきた事情を話してほしい。何を以て君を助けたと言えるのか、事情を知らなければ勝利条件を定められない」

「………」

「………?」

「………」


 だが、巫女は何も答えずに沈黙している。これにはアーサーも困惑を隠せなかった。

 助けを求めてきていながら、いまさら躊躇っている……という風でもない。単純にこちらの問い掛けを理解していないかのようだ。

 自分にアクションを掛けられているのにすら気付いていないようで、まるで人形だ。

 気まずい沈黙に晒されて、言葉を接ぎ穂を探るべく視線を左右に漂わせる。どうしたものか、見当もつかない。

 湖は凍っているが、どうやら雪は止んでいるらしかった。月光が凍りついた湖面に反射されて、幻想的で神秘的な雰囲気を辺りに齎している。アーサーは兜とその下に被っていた蒼い外套を外し、素顔を晒すと改めて巫女に視線を戻した。


「黙っていたら、分からない。君は私に助けを乞い、私はそれに応じたんだ。事情ぐらい話してくれても……」

「名前」

「……なんだって?」

「私に、名前……無い。アーサーくん(・・・・・・)は、私を調月扶桑と呼んだ。それは、なぜ? 貴方は、なぜ私の父母の姓が、調月だって識ってる? 扶桑って、誰?」


 巫女のワンテンポ遅れての返答と質問に、アーサーは鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしてしまう。

 舌ったらずで、喋り慣れていない風情。そこに闇を見た気がしたが、ひとまずそれは無視して質問に答える。


「……名前が無いなら、フソウでいい。それが君の名前だ」

「……私は、調月……扶桑?」

「ああ。ご両親もツカツキなんだろう? なら、君の名前はフソウ以外に有り得ない」


 わかった、と頷いた巫女――調月扶桑は、仄かに微笑んだ。調子が外れるやりとりに、思わず頭を掻いて嘆息した。

 実際のところ、彼女が本当に調月扶桑なのかどうかは分からない。元の世界では、彼女の名前と年齢、性別ぐらいしか知らなかったのだ。それだって今の今まで忘れていた。なのにどうしてこうも確信を持って断言できているのか、自分でも分からなかったが。不思議な事にアーサーは、彼女の事をよく知っている気がしてならない。

 まるでもう何年も一緒に暮らしているような、他人とは思えない距離感。案外元の世界で交友を持てていたなら、それなり以上に親密な関係になれていたかもしれない。


 そう。


 結婚し(・・・)

 子供を儲け(・・・・・)

 家庭を築いた(・・・・・・)のかも――


 去来したイメージ図に、アーサーは失笑してしまう。なんてくだらない妄想をしている、自分は彼女のような女性が好みだったのか?

 発情している場合じゃない、と強く己を律してアーサーは扶桑を見詰めた。それに対して扶桑は心底嬉しそうに、待ち望んだ人と出会えた事に感動しているかのように、微笑む。


「それで。話を戻すけど、君はなぜ逃げてきた。私は何をすれば、君を助けた事になる?」

「私は――無駄死には、嫌。だから……貴方じゃないと、だめ。私は、貴方のために、死ぬ」

「……は?」


 呆気に取られるアーサーに、〈瞳の御子〉調月扶桑は告げた。

 あくまで平静に。そのためだけに生きてきたのだと告げるように。


「私を、あの山の頂上に連れて行って」







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