嚆矢濫觴、能事畢れり 5
「は、ははは……」
乾いた笑い声が、引き攣った喉から捻り出される。
中央病院の位置は、トレーターとハンナという姉妹を避難先に送り届けている際、車を運転している途中で確認できていた。だから道に迷うことなく、アレクシアを送り届けに来れたのだ。
だがまさか、まさかである。こんな馬鹿げた、物語のご都合主義じみた展開に巡り会えるなんて、全く以て想像だにしていなかった。
なんて事だろう。なんて幸運だ。魔族の引き起こした騒乱から、全てが追い風になったように感じてはいたが、まさかここまでとは思いもしなかった。
――患者含む関係者も避難させられているらしく、中央病院は無人だった。そんな中を探索し、集中治療室のすぐ隣にあった培養槽……欠損した肉体を再生、喪失した魔力や細胞などを補填する為のカプセルを発見した。
10を超える培養槽は軒並み破損していたが、無事に残っていたものを見つけたのだ。そこにアレクシアを入れ、マーリエル由来の知識に従って空の培養槽のスイッチを押して操作し、全裸の少女が透明な粘液に呑まれていくのを見届けた。色んな意味で目に毒な光景だったが、彼女の事をまだ彼だったと思い込んでいた時の不快感を思い出すと、なんとも言い難い微妙な気持ちになってしまったものだ。
そこまでは、いい。いいが……マーリエルの知識を一時的に借り受けている影響なのだろうか? なんとなく院内の設備に見覚えがある気がして、ここを探索した方が良い気がしたのである。
理屈にならない感覚を軽視する傾向のあるコールマンだったが、流石にその手の直感に何度も助けられていると、自らの感覚に従うのも悪くない気分にもなる。直感的に行動する自身に可笑しさを覚えはするも、コールマンはなんとなしに院内を彷徨ったのだった。
すると、地下への道を見つけてしまったではないか。なんの冗談かと思ってしまうが、偶然にしろ必然にしろ、見つけてしまったのだから仕方がない。好奇心に駆られるまま、コールマンは吸い寄せられるようにそこへ侵入した。
ダンクワースは殺した。道中で保護する事になったアレクシアも、無事に培養槽へと送り届けた。もうする事は何もない。
置き去りにしてしまったディビットやエイハブを探しに行き、彼らを闘技場に帰らせるつもりだった。生きていたら、だが。
グラスゴーフの都市機能は壊滅している為、日頃は都市中に張り巡らされている防犯設備も機能していない。目撃者は皆殺しにしたから、ダンクワースを殺した犯人も不明なままだろう。しかしマーリエルからの証言で、侯爵と鏃の御子殺害の容疑者としてコールマンの名が挙がる可能性は高いため、捕まるのはほぼ既定路線に乗っていると言える。そうなればアルドヘルムに手を届かせられる機会は永遠に失われるだろう。
故にコールマンは闘技場に戻る気はない。どこかに隠れ潜み、自力で真人化する必要があった。これも感覚的な話になるが、そう遠くない日に自分の力で真人化できそうではある。特に情は持っていないが、ディビット達を安全圏に帰らせる程度はして、あとは好き勝手やろうと決めていた。明確な勝算は立てられないが、そう分の悪い賭けにはならないと思っている。
取らぬ狸の皮算用。そんな事をつらつらと考え、我ながら低能な見込みに賭けてしまっている現状に嘲笑を浮かべていたというのに。
見つけたのだ。
見つけてしまったのだ。
――中央病院の地下に安置されていた培養槽。そこに入れられている、半死半生のアルドヘルムを。
「………」
笑いが収まったコールマンは大剣の柄を握り締める。口端をいびつに歪めながら、強烈に脈打つ心臓の鼓動で、自身が異常に興奮している事を自覚する。まるで期待していなかった好機の到来だ。柄にもなく神に感謝したい気持ちでいっぱいだった。
意味もなく気配を殺す。訳もなく息を潜める。理由なんて無い、無駄だと分かりきっている、しかしコールマンは感じていた。マーリエルに掛けてもらっていた真人化が解けようとしているのを。それがなくなれば、常人であるコールマンではたとえ意識のないアルドヘルムであっても、彼が真人である以上は殺し切れない可能性が急激に高まる。
こんな幸運は二度と訪れまい。無駄にはできなかった。故に全身が焦げていて、皮膚を爛れさせているアルドヘルムを殺さない手はない。
まったく呆れてしまうほどの運の良さだ。どうしてか重度の火傷を負い、一目では誰だか判断がつかなかったであろう彼は、培養槽のおかげで顔を識別できる程度には治癒されている。何から何まで至れり尽くせりで、見えざる神の手が舞台の幕引きへ導いてくれている気さえしてしまう。
どうやって殺してやろう。ぐちゃぐちゃにしてやりたいと思う。だがやはり下手に時を掛けず、脳天をかち割り即死させるべきだ。
大事なのはこの手で殺したという事実のみ。それ以外に拘るのはスマートではない。仕返しという意味での復讐はダンクワースで終わらせている。残されている復讐の意義は、ケジメだ。報いを与えるという因果応報の復讐だけが、コールマンに課せられた義務である。
こうまで都合よく来れたのは、亡き父の霊がコールマンを導いたからなのだろう。非科学的だが、そう思った方が気分が良い。気分の良さは大事だ。
培養槽の中にいるアルドヘルムへ忍び寄る。義務を遂げた感動に浸るのは後で良い。今はとにかく一撃で、アルドヘルムの生命活動を停止させる事だけを考えよう。
そうして大剣の間合いにまで近づいた。後は、一撃。そう、一撃だけ繰り出せばいい。
息が上がってしまう。は、は、は、なんて犬のように舌を出して、唾液を口の中から溢れさせてしまった。
(焦るな、たったの一度、剣を振ればいいだけなんだ。楽なものだろう? 後先は考えなくていい、これで終わりなんだ。全てここで終わる。もう何も要らない、そうだ、何も要らない。僕はコイツを殺せば終わるんだ。父さんと母さんの仇を討て……討てッ!)
大上段に得物を構える。終わらせよう、後一度深呼吸をして、その後に。
すぅ、と息を吸い込む。そして、吐き――
「……マリアか?」
不意に、培養槽の中の男が目を開いた。
「ッ――!」
咄嗟に飛び退いた。いや、なんで退いた。驚いたのか、突然目を覚ましたアルドヘルムに。
舌打ちし改めて間合いを詰める。彼はコールマンを見ると、切れ長の双眸を見開いた。
「……コールマン? マリアではない……なぜ此処に?」
兜と蒼布で顔が見えないはずなのに、彼は一目で少年の正体を看破する。
魔力波長の波形を知っていたのだろう。マーリエルが少年の異質特性を研究し、その結果を上に報告しているのだ。知っていても不思議ではない。
だが、此処にコールマンがいる因果を教えてやる気は毛筋の先ほどもない。そしてアルドヘルムにとっても、言葉は不要だった。
漲る殺意で刺されれば、答えは自ずと詳らかとなる。
「私を、殺しに来たのか……?」
「……そうだ」
声は震えていない。恐怖など覚えもしていない。寒々しいほど冷静な問い掛けだ。
何を問答に応じている? さっさと殺せ! 理性と本能、魂の全てがそう叫ぶ。だがまるで、自分が自分でないように、少年は彼の言葉に反応してしまっていた。
なんだ。僕は何をしている? 無駄だ、過程なんか無用だろう。なのになんで殺そうとしている相手との会話に応じてるんだ。意味がわからない、なんなんだ。
そう思うのに、戸惑うままコールマンはアルドヘルムの顔を見詰めていた。
「まあ、そうだろうな。朧げだが覚えている……私は魔族の奇襲を受けたのだろう。マリアが私を守り、此処に転送してくれた。……そして君が此処に来るまでの因果は兎も角、故郷を焼いた仇を前にした君が、何を為そうとするかなど明白だ」
「………」
「一つ、聞かせてくれ。魔族はどうなった? マリアや皇女殿下、キュクレインは役目を果たせたか? 知っていたらでいい、教えてくれ」
まるで死期を悟り、老衰を待つばかりの老人のように、穏やかに問い掛けてくる男。それに唾を吐きかけたい気持ちで胸が詰まる。
うるさい、黙れ。話しかけるな、お前なんかとは口を利く義理もない。さっさと終わらせたいんだ、付き合ってやる必要性なんか皆無だろう。そう思うのに、コールマンは淡々と口を開いた。
「……男と女が一人ずつ居た。男は間もなく死ぬだろう。女はアルベドの核を持ち去り、軍が追撃に出ている。マリアとアレクシアが戦っているのは見たがキュクレインはどこにもいなかった」
だから、なんで答える! 殺せ、殺せよ!
内なる声は悲痛だった。痛切なまでに必死だった。だのに、体は言うことを聞かない。
まるで理性的で、現実に対して他人事めいたものを感じているもう一人の自分がいるかのようだ。体の主導権がない。自分で自分を呪った。
「そうか……なら、私の読みは当たったらしい。それにこの状況……まさしくだ。我ながら馬鹿げていると思っていたが、あながち的外れでもなかったらしいな」
「何を言っている?」
「もし私の仮説が……いや仮説と称するのも烏滸がましい妄想が正しいと仮定して、君の立場に立ち色々と考えた事がある。コールマンが何を考え、何を望むのかを。その最終目標がなんであれ、その中には確実に復讐があるはずだ。であれば君は私の許へ必ず辿り着く。必ず私の前に立つと解っていた。あくまで私の妄想が正しければ、だが。……そしてその妄想が現実のものとなっている」
「………」
彼は、堰を切ったように語った。あたかも画期的で革新的な数式を発見した数学者の如く。狂気的でありながら、しかしどこまでも理知を突き詰めた鋭利さが、その強い意志の光を放つ瞳に宿っていた。
「おかしいのだよ。笑えてしまう。マリアの魔力を感じるという事は、君は彼女の加護を受けて仮染めの真人となっているのだろう。そして見つけられるはずがない私を、こうして導かれたように発見できてしまっている。ご都合主義が過ぎると、そうは思わないか」
思う。だが、それがなんだ。そんな事よりどうしてそんなに冷静なんだ? 自分を殺そうとしている人間が、抵抗できない自分の前にいるというのに。
事態の全てを受け入れて、状況を完璧に把握しているとでも? だとしたら人間離れしている。精神性や、知性が。
ダンクワースのように狂っているのではなく、血の通わない機械に対峙しているかのようだ。なのに彼の紡ぐ言葉には言い様のない引力がある。何もかもを見透かしたように、アルドヘルムは笑いながら言った。
「知っているか? 蘇生魔術に適性が必要なように、蘇生される側にも資格が必要なんだ。その資格とは何かに愛されている事。君は一度死に、その後エウェル・エリンの手で蘇った。遡ると私が魔族の策略に備え始めた時に、君という存在が現れ、あまつさえ君は異質特性なんてものを有していた……」
「……」
「物語めいている。だがそれは今に始まった事ではない。歴史を紐解けば類似例があるのさ。最初はヘーラクレース……」
「……?」
「かつて人類を救った、第三位階の大戦士。そしてその次はシグムンド。その次がシグルド。更にその次がキュクレイン。私が知り得ていないだけで、他にもいるかもしれない。彼らは皆、何かに導かれるようにして、出来すぎた偉業を成し遂げ英雄となった」
「……何が言いたい?」
「次は君の番だという事だ。英雄譚の主人公として、某かの役割を果たすのだろう。復讐を遂げる事に意義があるのか、私を殺す事に意味があるのか……そこは判然としないにしろ、そうとしか思えない。現に役目を果たした英雄は悉くが退場している。ヘーラクレースも、シグムンドも、シグルドも、そして今またキュクレインも消え……君が現れた。コールマン、私を殺すのだろう?」
「……」
返事はせず、コールマンは大剣を構える。
彼の言っている事がまるで理解できないが、こちらを煙に巻いて時間稼ぎをしているのではないかと思ったのだ。
殺意を削ぐべく、意味不明な事を言っているのだろう。遠回しな命乞いなのかもしれない。迂遠極まるが、そんなものに惑わされるコールマンではなかった。決めている、この男は絶対に殺すと。
「ふむ……その様子だとダンクワース侯も手にかけているようだな。後先を考えない向こう見ずさは、退路を捨てるに足る材料の存在を証明している。であれば、私亡き後の趨勢も読めるよ。人類は魔石を無限に得られる都市を失い、資源が圧迫されていく……魔族はアルベドの一部を奪還し、兵力は激増する。今後の人類は谷から転がり落ちるようにして斜陽を迎えるだろう。――鏃の御子は殺したのか?」
「ああ」
「……苦しいな。光明が見えない。逃げた魔族の追撃が成功すれば……希望的観測だ、楽観視できる事態ではない……穴熊を決め込んでいる豊葦原国を引っ張り出せれば、あるいは……しかしその方法が……」
「……」
「コールマン。最後に一つ、いいかな」
――なんだコイツは。まるで理解できない。何を見て、誰を見て、物を言っている。此処にいるのに、此処じゃない何処かに立って物事を俯瞰して視ているようだ。
人間じゃない。化け物が目の前にいる気がしてくる。根本的に視えている世界が違うのではないか。立っている世界が完全に異なっている。
黙っていると、アルドヘルムは勝手に了承を得た気になって言ってくる。
「私を殺すのはいい。だが私が無抵抗で殺される代わりに、頼まれてほしい事がある」
「断る。なぜ私が貴様の頼みを聞かないといけない」
「聞かねば、困った事になるぞ。今や指の一本すら満足に動かせない私だが、魔術の一つぐらいなら撃てそうだ。イタチの最後っ屁、浴びる側には立ちたくあるまい」
「………」
「慎重な気質が根底にある君は、無駄なリスクは負いたくないだろう。たとえば此処から出た私は衰弱して三十秒も保たずに死ぬだろうが、そんな事は考慮せず転移魔術で逃げてもいい。一か八かで、回復魔術の使い手がいる場所に出られる事を祈ってね。そうすれば君は、自分の手で私を殺せない。それは嫌だろう?」
「見透かしたような口を……」
「見透かしているとも。何しろ君の殺意は分かりやすい。是が非でも自分の手で私を殺したいはずだ。たとえ私が死ぬにしても、私の自殺は看過できまい」
「………」
舌打ちする。図星だった。
返事をするのは敗けた事になる気がして、忌々しい気持ちで顎をしゃくる。さっさと言え、と身振りで促す。
聞くだけ聞いてやろう。だがその頼みごととやらを聞いてやる気は微塵もない。所詮は口約束、よほどの相手でない限りは約束は守るが、そのよほどの相手がこの男だ。
そんなコールマンの内心になんて気づいているだろうに、アルドヘルムはあくまで超然として、平素のままの語調を崩さずに宣った。
「では、コールマン。私を殺した後、君は逃げてくれ」
「……は?」
逃げてくれ……? 逃げてくれと、コイツは言ったのか?
この男の思考が完全無欠に理解不能だ。
よりにもよって自分を殺そうとしている相手に、逃げろだと?
「どこでもいい訳ではない。暫く人間の勢力圏から離れるんだ。望ましいのは……此処からずっと北西に進んだ先にある、人類と魔族が立ち入らない空白地帯。カンサスの樹海辺りだ。恐らくここの都市機能は死んでいる、データベースも破損しているだろう。となれば君の闘技場への登録データも消えて、君の仕出かした事は有耶無耶になる。コールマンという人間が消えればその罪も消えるんだ。悪い話ではないだろう」
「……罪滅ぼしのつもりか?」
「そんなつもりはない。私は私の下した判断の全てに、後悔の念を懐く事だけはしてこなかった。いいか、コールマン。カンサスの樹海で数年を過ごせ、そして名を変えろ。まかり間違ってもコールマンなどと名乗ってはいけない。私を殺した後すぐに行動に移るんだ。分かったなら、声に出して約束してくれ」
「……良いだろう。約束してやる。代わりに貴様はここで、私に殺されろ」
「了解した。契約完了だな」
はなから約束なんて破る気でいるコールマンが応じた瞬間だった。いつの間に魔力炉心を起動していたのだろう、視た事もない未知の術式が、コールマンとアルドヘルムを縛り付ける。
「ッ……!?」瞬時にレジストしようとするも、抵抗が出来ない。二乗化している抗魔力も作用しない。なんだこれはと驚愕する。なぜ魔術の発動を感知できなかった、弾く事もできず術式に縛られてしまった。
アルドヘルムが言う。
「今の君はマリアのデッドコピーだ。それ以上の力と知識はない。翻って見るにこの私は歴とした真人で、マリアの事を知り尽くした人間だ。彼女の蓄えた知識は余さず私も識っているし、マリアの癖も知悉している。本人には容易く弾かれるだろうが、彼女のデッドコピーに過ぎない君に気づかせないまま魔術を使うなど造作もない」
「……私に何をした?」
「〈契約〉だよ。第五位階魔術だ。発動条件は対象となる者が、明確に契約条項へ同意する事。契約を遵守させる事に特化した術式だから、強制力は破格になる。私に残されていた全ての魔力を注ぎ込んだ。術式の特性と、君自身の未熟さも合わさり、契約の不履行は不可能だよ。もちろん魔力を使い果たした私にもね。さあ……私を殺すといい。今を逃せば、君はもう二度と私を殺せる機会を得られないぞ」
「ッ……!」
気に食わない。魔術もそうだが、自分の意思で殺そうとしていたのに、アルドヘルムの誘導で殺さねばならないようにされてしまった事が。
ひたすらに気に入らない。だが彼の言う通り、ここでアルドヘルムを殺さないと、コールマンはアルドヘルムに手を届かせるチャンスを未来永劫に失うのも確かだ。
「ふざけた奴だ。お望み通り殺ってやる。貴様の顔を見ているだけで吐き気がするよ。うんざりだ、死んでしまえ」
コールマンは、漸く体の自由が戻ってくるのを感じ、無性に腹立たしい気持ちのまま大剣を振りかぶる。
そうして、鋼を薙いだ。培養槽ごとその頭部を横に斬り裂いて、少年はくるりと踵を返して事の元凶へ背を向ける。最期まで表情を変えなかったアルドヘルムの縛りが、コールマンの行動を徹底的に束縛しているのだ。
培養槽内に充満していた溶液が零れ落ちる。鮮血と脳漿の混じった溶液だ。どちゃりと湿った肉が床に落ちた音もした。
やるせない。いけすかない。虫唾が走るし、未だかつてないほど胸糞悪い。臍が捻切れそうなまでに不愉快だ。何よりアルドヘルムが何を考えた結果、こんな真似をやらかしてくれたのか想像もつかない事が、堪らなく気持ち悪い。あの男の思惑通りに動かされ、数年を浪費させられるだなんて馬鹿げている。
コールマンは巨大な敗北感に苛まれた。
まるで相手にもならなかった、対等に口を利く事すら烏滸がましく、仇であると憎む気持ちさえ増上慢も甚だしかったのだと思わされる。格の違いをまざまざと思い知らされた、役者が一枚上とはこういう事を言うのだろう。
「……英雄譚? お前の番? 莫迦な事をよくもほざいた。現実と妄想の区別すらつかない気狂いめ、あの世で好きなだけ妄想を垂れ流すがいいさ」
やりきれずに吐き捨てるも、ただの負け惜しみにしか聞こえなかった事が、コールマンの矜持をいたく傷つけた。
† † † † † † † †
そうして、長かった夜は明けていく。
福音王国第二の心臓と称された発掘闘技都市は半壊し、貴重なエネルギー資源を無限に採掘できていたダンジョンも消滅した。
前線から離れた内地に、魔族が潜入し誰もそれに気づけなかった事。
アルベドの核を魔族に奪還されてしまった事。
ウェスト・リーズ侯爵が何者かに殺害され、鏃の御子もまた弑された事。
そして王国の至宝と謳われる頭脳、ユーヴァンリッヒ伯爵が斃れた事。
これらの事態を受け、王国は震撼する。
一夜にして余りに多くを失い過ぎた。特にアルベドの核と、ユーヴァンリッヒ伯爵の頭脳を失った事実に、多くの者が暗雲の立ち込めた未来を幻視した。
そんな中。
闘技場の一室から一つのヴァイオリンが紛失し、そして一人の少年が姿を消した事を、二人の少女は忘れる事がなかった。
コールマンの記録が、抹消されている。失われたのではない。何者かが明確な意図の下、彼が存在していた痕跡を消していたのだ。
いったい誰が、なんのために? 殊更に強く、帝国の第一皇女は不穏な気配を感じていた。
『――ディビット? 誰だ、そりゃ』
生き延びていたドワーフ、エイリークがそう言って。そもそも存在すらしていなかったという少年を、鉾の御子である自分だけが覚えている事実に、アレクシアは不吉を予感したのだ。
「長い夜になりそうだ」
夜明けの日輪を見上げ、少女が独語した。
これにて第二部完。
とはいかず、次のエピローグを挟んで第二部は終わりです。
感想とかくださったら嬉しいです。




