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死に候え不思議の国〜モータル・ワンダーランド〜  作者: 飴玉鉛
第二部「抹消される“コールマン”」
43/74

竜闘虎争 2

大変長らくお待たせしました……!








『おっと、(ウィル・オー・)(ウィスプ)だ。気をつけてよマイ・マスター。あれは普通のやり方じゃあ殺せやしないからね』


 目の前に、敵がいる。演算補助宝珠が呑気に囀るが、ああそうかとも思わない。リスク管理には最大限に気を配っているが、一度の戦闘も熟さずにいられるだなんて、そんな楽観視は最初からしていなかった。


 敵は実体のない魔物である。名称はウィル・オー・ウィスプというらしい。紫の色彩を帯びた怨念(ケムリ)が、ムンクの叫びの油彩絵画のように不気味なシルエットを象って、既に事切れている人間の死体へ憑依していた。

 武骨な拵えの大剣の柄を握り締めながら、コールマンは眉を顰める。死者を冒涜する様は、至って良識的な感性を持つ少年にとって唾棄すべきもの。生理的な嫌悪感と、これからそれと戦わんとしている現状への受容。それらが渾然一体となっている。

 マーリンが言うには、あれはただ憑依先の器を破壊したのでは意味がない。器が壊れればまた別の憑依先を探すだけ。故に悪霊を滅ぼしたければ、その霊体諸共に斬らねばならないという。しかし、霊体をどう斬れと? 物質に拠らない存在なんて、それこそ触れることすら出来ないのが普通だろう。


 そうは思うも、苦笑いと共に受け入れる。その普通(・・)とやらが通じないのがこの世の道理なのだから。


「――いいさ。やるだけやってみるとも」

「あ、アーサー……?」


 無意識に呟かれたのは、素のままの奇妙な響きの日本語。環境に順応して、少年が基本とする言語が切り替わっている証左だ。

 はじめて見る悪霊に、エイハブは声を震えさせて声を掛けてきた。ディビットなどあからさまに怯んでいる。

 無理もない、憑依されている死体は首の半ばから食い破られた、破損した鎧を纏う剣士なのだ。凄惨な死体である。視覚に訴えてくる分かりやすい悍ましさに、相対するのにも相応の胆力を振り絞らねばならないのだろう。


 ぐるりと周囲を見渡す。


 遊撃の任を与えられ、他の面々が出張った後に自身とディビット、エイハブの三人で出てきたばかりである。闘技場上層に築かれた人工の塔とは裏腹に、無傷のまま佇む白亜の壁。それを背後に、周囲は不気味な夜の静けさに包まれている。

 こんな奥深くまで侵入されるなんて、先に出た奴らは何をしているんだと、コールマンは内心毒づきたくなった。

 遠くに怒号や悲鳴、銃声、剣戟、そして大規模な魔力反応が散見される。それをBGMに思考を分割し、加速させた。

 身体能力を強化したところで、それに頭がついてこないようでは宝の持ち腐れである。知的生命体が無意識下に接続しているという、別次元に存在している架空臓器・魔力炉心は、それを扱うための技術さえ伴うなら万能の代物だ。思考の分割や加速など、大した難易度ではない。


「【誕生(ortus)】」


 強化魔法の術式を全身に余さず浸潤させ、赤い魔力波長が滲み出る超人と化す。ちらりと横目にディビットとエイハブを一瞥すると、ディビットは言うに及ばず、エイハブも及び腰だった。未知の敵にはまず警戒心と恐怖、緊張が強く出るらしい。初心な事だと少し羨ましくなる。

 一応はチームである彼らに失望する事もなく、手振りで下がるように伝え彼らの前に出た。年下のディビットは良いにしても、大人のエイハブが怯えるのは情けない、傍から見ている輩が居たら無責任に謗る声があるかもしれない。だがコールマンはそう思わなかった。

 怖いものは怖い、弱い者は弱い。自分達三人の中では自分が一番強いという確信がある。強さに年齢は関係ないのだ。なら、それでいい。どんぐりの背比べでも、強い自分がまず先頭に立つべきだろう。

 そうして前に出て、コールマンは更に顔を顰めた。思いっきり渋面を作り、顔の前で手を振る。


「くっさぁ……堪らんよな、これは」


 漂ってくる匂いが最悪だ。死後間もないであろう剣士の肉体が、早くも腐敗してしまっている。丁度向かい風で、悪霊に取り憑かれた死体の匂いが鼻を突いた。


『ウィルなんちゃらに取り憑かれると、人間ってのは加速度的に腐敗していくんだ。そして腐った肉は削げ落ちて、すぐ剥き出しの骨だけになる。いわゆるスケルトンって奴だね』


 マーリンの解説を聞き流す。真面目に聞くだけの価値はない。


『悪霊にとっては気に入らない肉を削ぎ落として、動かしやすく馴染みやすい骨格だけで動きたいんだろうね。骨だけになったら一気に憑依の親和性が高くなって、強さも跳ね上がるから決着は急いだ方がいいよ』

「言われるまでもない」


 こんな都市部の中心地にまで敵が浸透してきているのだ、長々と長期戦を演じるつもりは最初からなかった。我が身可愛さで逃げ回りたい身としては、犯していいリスクと避けねばならないリスクの見極めが大事である。

 そしてこの、どうやってかグラスゴーフ側の警戒網を抜けてきた魔物を討つのは、前線に出張るよりもずっとリスクが低い。早々に片付けるのに異存はなかった。

 コールマンは魔力波長を周囲に発する。赤い膜が辺り一帯に広がっていく。魔力波長とは、自身の知覚領域でもあるのだ。この中の動きであれば、例え死角であっても明瞭に把握できるようになる。エウェルに贈られた蒼い布で頭部を覆い、その上に鴉を模した兜を被ったコールマンの視界は劣悪だが、これによって視覚の重要性が格段に下がっている。


 コールマンの魔力波長に反応して、悪霊に取り憑かれた騎士の躯が振り返ってきた。そしてコールマンとディビット、エイハブの三人を視認すると、剣士が刀身の歪曲した剣を構える。

 腐って白濁とした眼を向けられ、仄かに殺意を感じ取る。混じりっ気の無い冷たい殺気に、コールマン以外は緊張も顕に生唾を飲み込んだ。

 悪霊の殺気を感じながらも、コールマンは剣士の風体を観察する。少年の中に恐怖は一握りも介在していない。直感的に、自らへの脅威たり得ないと感じ取っているからだ。


(身長は僕より10cmは高い。軽装の鎧は急所のみを守る身軽なもの。歪曲した刀身の剣はシミター、だったかな。手首に巻かれたプレートは、以前キュクレインに見せてもらった冒険者の身分証だ。太陽系に連なる惑星の直径の大きさの順で等級を現しているらしいから、火星のプレートの彼は等級八位の下っ端みたいだね)


 ゴブリンのような魔物ですら高い知性を持つ。悪霊が例外的に知能の低い魔物と看做すのは危険だ。単騎で此処まで侵入してきているという事は某かの目的があるはずで、そうであるなら早めにこちらを片付けたいと思うはず。もしくは数の差を鑑みて一先ず逃げるか。

 どちらであっても構わなかった。逃げるなら逃げるで、適度の距離を保って追い続けるだけである。むしろその方が楽で安全ですらあった。だがまあ、


「……やはり逃げないか」


 見敵必殺の腹積もりなのか、悪霊に取り憑かれた剣士の遺体は様子見もなしに仕掛けてきた。ブラックカラーの魔力形質を滲ませた強化魔法による超人化を経て、一足飛びに遠間から踏み込みつつ跳躍し、右手に持った曲剣で斬り込んでくる。

 片手斬り。曲剣を扱ったことはないが、ブロードソードなら使ったことはある。片手斬りに三寸の利と言われる理があるのだ。得物となる曲剣は切っ先に重心があり、分厚い刀身を持つ故に片手の斬撃が【伸びる錯覚】を相手に与えられるのである。


 コールマンは大剣を逆袈裟に振るう。曲剣の斬撃を弾き返し、己の目測よりも相手の斬撃が伸びて来たのを確かめると、三つに分割した思考の一つで把握する。


(悪霊は憑依先の人間の技術を扱えるみたいだ)


 一つの思考で魔力波長による周囲環境の把握に努め、残りの一つで自身と相手の動きを掌握する。基本の戦闘思考を敷き、コールマンは冷徹に判断を下した。


良い練習相手(・・・・・・)だね)


 得物の利点を十全に発揮できる技量。剣速、重撃、伸びの三拍子揃った斬撃を用いてこられる。更には相手は魔物、しかし戦う相手の基本戦術は、憑依先の人間に則しているのだ。自身の力量を図るのに不足はない。

 斬撃を弾かれた悪霊は飛び退いて、左前方から摺り足で踏み込むと再びコールマンへ片手斬りを見舞ってくる。跳躍して自身の膂力、斬撃による剣の加速の重ね技。コールマンよりも高い位置から伸びてくる斬撃はコールマンの首を狙っていた。


(何せ――コイツは馬鹿(・・)だ)


 取り憑いた先の技術は扱えるようだが、決定的に応用力に欠けている。戦う者、戦士としての力量が悪霊自身に無い。

 片手斬りが有効なのは、相手が自分の得物とほぼ同じ長さの刀剣を用いる場合だ。コールマンが握っているのは大剣――間合いの利はこちらにある。大剣の重量も、強化魔法で超人化しているコールマンには軽すぎるほどで、剣速そのものにも差はない。バカ正直に憑依先の技術に頼らず、接近戦を挑んだ方が良いのだ。


 親切に教えてやる義理はない。体を半身に開き後ろ足の支える力を強める。

 悪霊の剣の軌道を見切り、最初の焼き増しの如く逆袈裟に大剣をカチ上げ曲剣と激突させた。互いの剣が罅割れた硝子のような金属音を鳴らし、弾かれる感触を己の手の中で殺し切る。

 斬撃とは重く、剣に宿るベクトルの制御が巧みな方が打ち勝つ。コールマンはこの一撃で剣の技量でも己が勝っているのを確信する。

 悪霊の曲剣が横へ、コールマンの剣が斜め上へと弾かれ、着地した悪霊の体勢が大きく崩れたのを見るまでもなく、後ろ足で地面を蹴り踏み込むと返す刃で大剣を振り下ろす。咄嗟に曲剣で受け止めた悪霊が、大剣の一撃に圧されたたら(・・・)を踏んだ。そして驚愕し腐った双眸を剥く。


 コールマンの斬撃は左手によるもの。見様見真似、しかし練度の変わらぬ片手斬りだ。大剣によるそれに、悪霊はいとも容易く弾き飛ばされたのである。

 ここで漸く悪霊は悟る。彼我の魔力量に天と地ほどの差があるのではないかと。同じ魔法を使っても、出力に桁外れの差が出たのでは分が悪いどころの騒ぎではないのだ。

 間抜け。悪罵を口に出す事もなく、空けていた右手に魔法術式を灯す。紫電が迸り右の掌から稲妻が瞬いた。地面と水平に奔る理外の雷光は過たず悪霊に直撃する。腐乱した肉体を灼かれながら悪霊が固まった。声ならぬ絶叫が、呪いのように鼓膜を乱打してくる。顔を顰めながらコールマンは大剣を投じた。

 魔法【(Tonitrus)】により動きの止まった悪霊はそれを避ける術を持たず、体の中心に大剣の切っ先を受け、刀身の半ばまで貫通され串刺しになる。悪霊がよろめいた時には既にコールマンが迫っていた。武骨な鉄棍を大剣の柄頭に突き込み、火花を散らして接続する。武器自体に施されている仕掛け(ギミック)だ。この鉄棍と大剣は二つで一つ、両足で踏ん張り、両腕に気魄を込めたコールマンは裂帛の気合と共に剣槍を振るった。


 そして斬撃の途中で鉄棍と大剣の接続を解除する。


 するとコールマンの膂力によって、大剣を胸の中心に穿たれたまま、悪霊は遥か百メートル先にあるビルの高層にまで吹き飛ばされ、背中から叩きつけられた。続けざまに金具を外し二本の短槍を投擲したコールマンは、悪霊を追って高々と跳躍する。


「――それで。ここからどうすれば殺せるんだい?」


 ビルに叩きつけられ建造物が大きく揺れた。悪霊に突き刺さったままの大剣が、獲物をそのままビルへ磔にする。取り憑かれた剣士は逃れるべく両腕を動かそうとするも、その二本の腕にそれぞれ飛来した短槍が突き刺さって身動きが取れなくなった。

 地面から水平にビルへ突き刺さっている大剣の柄へ、衝撃と共に着地してきたコールマンが、自らを睨みつけてくる悪霊を見下ろして冷酷にマーリンへ問う。


「つ、強ぇ……アーサーの奴、あんな強くなってやがったのかよ……」

「俺も強くなったつもりだったけど……あそこまでは無理だぞ」


 それを見ていたエイハブが、自身が守る必要もない実力差を悟って唖然とした。

 マーリエルとかいう気に食わない女を見返したくて、アレクシスとエイリークに鍛えてもらい自信をつけていたディビットも半笑いで顔を引き攣らせる。


『普通の魔法や物理攻撃じゃあウィルなんちゃらはビクともしないよ? でもね、この世の摂理っていうかさ。あらゆる特性、属性って奴はその許容値を超える出力には堪えられないものなんだ』

「講釈は垂れなくていい。結論だけを言いなよ」

『あー、うん。要はマイ・マスターのバカ魔力でゴリ押しに圧し潰せばいいって事。士道・魔道無効化能力も同じ理屈で突破でき――』


 最後まで聞かず、コールマンは左手に魔力形質レッドカラーの魔力を充謐させる。憑依を解除して逃れようとした悪霊ウィル・オー・ウィスプだったが、それを逃さず左手で鷲掴みにした。

 形がないはずの霊体(ケムリ)が生身の腕に捕まり、悪霊は狼狽えたように身悶えしている。それを見ながらコールマンは平坦な声音で頷いた。


「こんな感じか。うん……意外と冷たくて、夏場だったら気持ちいいかもしれないな」


 言いながら、コールマンは霊体を握り潰す。物質を介さない霊的な絶叫が迸り、悪霊は飛沫を散らして霧散した。これが霊体の死に方かなんて無感動に見届け、鴉の兜を被った少年は大剣の柄を足場にしたまま辺りを見渡す。


「――馬鹿と煙は高い所に登るというが、確かに普段なら悪くない眺めなんだろう」


 乱立する塔からは、いつぞや見た青白い魔力の煙は立ち昇っていない。代わりに鮮烈な炎の赤が、都市部を蹂躙し始めている。

 見たこともないような魔物が多数、大勢の兵と騎士。轟く銃声、剣戟。怒号と悲鳴。死んでいく人と魔。突然の奇襲に圧されていた人間側も態勢を立て直し、隊ごとに纏まって有機的な連携を取り始め反撃に出ているところもある。

 空は夜の黒。瞬く豪炎が、どこからか出現した航空戦艦と交わっている。機械のような騎士が、マグマのような人型と交戦しているのも見えた。


「………」


 コールマンは舌打ちする。都市部の中枢ほど激戦区になりそうだ。これならまだ、外縁部に向かった方が安全性は高そうである。

 更に周囲を見渡すと、巨人がいた。二十メートルはあろうかという巨体である。全身が筋肉に覆われた巨人が吼えていた。子供に手を出すな! と。その足元ではゴブリンらが集り、人間の子供やその家族らしき者達がいて、彼らを守るべく巨人がゴブリンを踏み潰し、さらには柱のような腕を振るって魔物を蹴散らしている。

 デカイ。そして理不尽に強い。あの巨体で身体強化魔法【誕生(ortus)】も使っているのだろう。魔力形質ブラックカラーが体から滲み出て、出鱈目に暴れていた。

 大きいというのはそれだけで強さに繋がる。巨大な質量が、超人化した者の意志によって扱われるのだ。あの、見るからに戦闘訓練をした事のなさそうな巨人に、コールマンは微塵も勝てる気がしない。鎧袖一触、羽虫のように潰されて終わりだ。


 その巨人が、三メートルほどの鬼――おそらくはオーガと思しき魔物に襲われ、その豪腕に捻じ伏せられ首を圧し折られて死んだ。


 轟音を立てて倒れ、彼が守っていた人間が鬼の金棒で撲殺される。それを見てコールマンは歯を食い縛った。自分などが行っても雑魚のように殺されて終わるしか無い。逃げるが吉だ。人を見捨てる事が口惜しくとも、蛮勇を振るって出ていくなんて論外である。

 幸いコールマンの近くには、まだ魔物はほとんどいない。これなら逃げられそうだ。歯噛みしながらも少年はあくまで冷静に、自身の逃走ルートを選定するべく辺りの道を視線で探る。


『おや、あれをご覧よマイ・マスター。君から見て四時の方角だ』

「………?」


 すると、マーリンが言う。コールマンは言われるがままそちらに目を向けて――これ以上ないほど後悔した。

 そこにいたのだ。コールマンの知る少女が。

 マーリエル・オストーラヴァ。防護術式甲冑(バリア・アーマー)を纏った彼女が、遭遇したモノを全て白い煉瓦のような大型拳銃で撃ち殺し、迷いのない足取りで進んでいっている。まるで人目を避けるように、裏通りを。

 彼女の進行方向を辿ると、いる(・・)。北東の門の近くに佇む、一度コールマンを殺したと思しき、白い氷のような少女が。


「………」

『どうする? なんだか彼女……消耗してるみたいだよ。そんな状態で魔族と交戦しようとしてる。あんな敵地奥深くで』


 マーリンが試すように訊ねてくるのにコールマンは言った。ほとんど言い訳のように。


「マリアは……強い」

『そうだねぇ。とっても強いよ』

「冷静で、計算高い。無駄に命を懸けたりもしない。そんなマリアがなんの勝算も無しに単独で、敵の首魁を狙いにはいかないはずだ。それに私などが行っても足手まといにしかならない」

『うん、まさにその通り。けど――いいのかな?』

「良いも悪いもない。足を引っ張る方がよほどマリアには迷惑だろう。私は関わらない。このまま逃げる」


 迷いを振り切り、言い切った。コールマンは情けなさに忸怩たる思いを抱くも、現実的に考えて出しゃばる理由など無いのだ。

 もしコールマンが強かったなら、多少の無茶を犯してもいいだろう。しかしコールマンは己の力を過信したり、義侠心を変に発揮して走り出したりしない性格だった。合理的に計算できる、秀でた判断力がある。


 だからマーリンは言うのだ。


『彼女に会えば、マイ・マスターは強くなれるよ』

「………?」


 意味が、解らない。


『今の十倍、いや百倍は固い。概念位階――そこに至りたくはないのかな?』


 悪魔のような誘惑に、コールマンは内心狼狽えそうになりながらも、その言葉の真意を訊ねた。どういうことだ、と。

 するとマーリンは微笑んだようだった。主を導く忠臣の如く。


『今、君は持ってるよね? 彼女からの贈り物を』

「……オペレーティング・システムの事かな」

『そうだよ。そしてね……マーリエル・オストーラヴァが、魔族の側になんと呼ばれているか識ってる? 魔族に言わせてみれば、彼女は臆病者(・・・)なんだってさ』

「臆病……?」

『そう。けど魔の者はそう呼び忌み嫌っていても、人は違う。マーリエル・オストーラヴァは【戦乙女】――彼女がよく知る人間と組めば、その戦いに敗北はないんだ。けど困ったねぇ、此処には彼女がよく知ってる人間なんか数えるほどしか居ない。帝国のアレクシアと、そして君しか、ね』


 マーリンは嘯く。

 こうして道を示しても、それに背を向けるようなら――残念ながらこの少年には資格がない(・・・・・)のだろうと見捨てるつもりで。


『身の安全は確かに大事だ。でも犯さなくてはならないリスクというものはある。此処で逃げるか、彼女を追いかけて強くなるか、選ぶのはマスターだよ』

「………」


 コールマンは思案する。いまいち要領を得ない、曖昧な提案を考慮する。

 本当なら詳しく話を聞きたいところだが、生憎とそんな時間はない。たまたまマーリエルに気づいたは良いものの、彼女の移動速度は速い。すぐ見失ってしまいそうだ。

 胸にかけている魔力派共鳴式魔導管制杖を忌々しげに見下ろし、コールマンは両目を強く瞑る。そして一拍の間を空けて、吐き捨てるように告げた。


「行けば良いんだろう。見え透いた誘導に、敢えて引っ掛かってやるが……もし偽りだと解れば真っ先にお前を打ち捨ててやる」


 言いながらコールマンはわざと大剣の柄から足を踏み外し落下していく。そしてすぐに大剣の柄を掴み、ビルを蹴って豪快に抜き放つと貫いたままだった死体を振り払った。

 落下していく中、空中で激しい機動戦を行なっていた機械の騎士が敗れ、バラバラになると落ちていくのを発見する。

 別に助けようと思ったわけではない。ただ無性に腹立たしさを感じていただけだ。自分を危険に近づけようとするマーリンに。

 だから、むしゃくしゃしていた。腹立ち紛れに手元に召喚していた短槍を投じ、機械の騎士の頭部に集ろうとしていたゴブリン達を貫く。そして大剣を振るい、こちらに背を向けていた矮躯の魔物を斬り伏せた。


「――ディビット、エイハブ! 私は行くが追ってこなくていい。私が戻るまで隠れていてくれ!」


 戸惑った様子の二人に対し、勝手な事を言っている自覚はあった。

 こんな身勝手な物言いはコールマンの嫌うもので、だから余計に苛立ちが募る。


 自分の命は大事だが――それより優先すべきものが彼にはある。ダンクワース、アルドヘルム……あの腐れ外道どもを、この手で殺してやる事。そのためには、強くなるしかないのだ。

 誰かを憎むのにも気力が必要で、長い時が掛かれば復讐心も鈍る、萎える。なあなあで終わらせ、この想いを過去のものとして風化させるぐらいなら、命の危険を犯すことに躊躇うわけにはいかない。短期間で強くなれるなら手段を選ぶつもりはなかった。

 的確にウィークポイントを突かれるのがどれほど腹が立つか、身を以て思い知りながら大剣を肩に担ぎ、怒り心頭に発しつつ前方を睨みつける。

 ゴブリン、ゴブリン、ゴブリン――雑魚ばかりわらわらと湧いてくるではないか。立ち塞がり、殺気も顕にしている魔物の群れに向けて、少年は唾でも吐きそうな語調で吐き捨てる。


「Just stop harassing me. (目障りだから消えてくれ)」









  †  †  †  †  †  †  †  †









 ()が、黒い残影と共に虚空を奔る。


「え………?」


 間の抜けた声。

 熱い何かが後ろ(・・)から突き刺され、胸の中心に顔を出している。

 引き抜かれたのは、槍の形に彫られた黒い骨。鮮やかな赤い血が弱々しく噴出した。

 何が起こったのか理解できないまま血溜まりに沈んだ仲間に、信じられないような顔をして兵士が振り返ってくる。

 何を、とでも言おうとしたのだろうか。裏拳を振るい側頭部を殴打すると、その兵の首は剛力の一撃に耐えられず、体だけを残して吹き飛んだ。

 無残な死と共に倒れ伏した兵士の周りには、魔物の死体が山と積み上がり、それとほぼ同量の人間の死体が転がっている。グラスゴーフ中枢に到る前線の一部に穴を空けんとする魔軍、それを阻まんとする人軍、双方を諸共に始末したのだ。


「……チッ。嫌な仕事させやがって」


 まさに屍山血河。顔を顰めて吐き捨てた黒髪の青年は、人間を斬って捨てざるをえない現状に舌打ちする。


 魔軍との戦いに生きてきた。好いた女を手に入れるため、武功を求められた故に魔境へ挑み、そして強大な魔を討ち滅ぼして英雄となった。

 ――だがその代償として、青年は善くない者に憑かれてしまった。

 大敵を討ち、師を超え、好いた女を娶り、己の英雄譚は終わった。しかしその生涯はまだ閉じていない。新たな英雄譚の前座として、便利に使われる駒に堕ちてしまったのだ。

 心底忌々しい。今はある事情(・・・・)故に仕方のないものとして受け入れる他にないが、それでも同胞である人間を手にかける仕事は受け入れ難い。事前に充分な説明を受け、長期的に見れば必要な犠牲なのは理解したが、腹の底から反吐が出る思いである。


偶然を演出しろ(・・・・・・・)とはな。テメェは英雄でも造りたいのか?」

『――――』


 声無き声を確かに聞き、青年は憎々しそうに魔槍を振るい刃にこびり付いた血を払う。潤える餌が自身から離れ、キィと魔槍が名残惜しそうに哭いた。

 青年は背後を一瞥する。戦火に包まれつつある王国第二の心臓都市を。

 己の加担させられた事態が何を引き起こすのかは定かではないが、少なくとも未曾有の危機を招くものであるのは確かだ。


「……悪いな。テメェがオレに見つけて貰えたのは、偶然じゃねぇんだ。黄泉還(よみがえ)りのツケが高くついたとでも思ってくれよ」


 遣る瀬無さそうに誰にともなく呟いて――この日を境に、魔境にて大公爵(ルベド)殺しを成し遂げた英雄と、その妻である蘇生魔導師は人類圏から忽然と姿を消した。









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