ダブル・エンカウント
須臾の懊悩。去来したのは混淆した思惟。
混乱する意識を置き去りに、少年の根底にある本質的な冷たさが思考の軸に力の能率を発露する。
自らの損益を演算し算出する計算高さが、異質特性により二乗化した感性の先鋭化によって浮き彫りとなった形である。
思考の輪がくるくる廻る。導き出そうとしているのは、現実に起こすべき行動。コールマンは無意識に背後を振り向いた。
この手で内側から打ち崩した白亜の壁が、驚異的な修復力で塞がっていっている。今ならまだ戻れるだろう。
狭まった孔を開こうと大剣を構え、しかしそこではたと思い留まった。
(――あんなところに戻ってどうする?)
閉鎖された環境。やることは訓練と闘技場の仕合、そしてダンジョンでの魔石発掘、後はたまに息抜きで楽器に触れる程度だ。マリアは仕事があるのか訪ねても来ない。話し相手にできるのは人工精霊端末アビーだが、それはグラスゴーフ側の備品である。本音で話せる相手ではなかった。かといって、演算補助宝珠のマーリンと話し込む気にもなれない。あれは何か違う。そんな漠然としたものを感じて、初対面の時と違い好きになれずにいる。
無味乾燥とした環境だ。寝ても覚めても戦闘かその準備、訓練ばかりしている。自分の感情の波が段々平坦になっているのが分かるのだ。あそこでの日々は人を機械にする……ただ戦闘に特化した兵士にする。そんな場所に好んで戻りたいとは思えない。
だが――
(逃げるのは短慮が過ぎる、かな……。長い目で見れば引き返すべきだ。僕にはまだ、やるべきことがある。それに……)
思い出すのは、兵士ジョシュアの忠告。闘技場に登録されている自分は、下手をしなくともこの都市の警察機関、あるいは別の何かによって見つかり、捕まる可能性が極めて高い。隠れ潜んでも、この世界の常識に疎い自分は行動を起こすだけで粗が出るだろう。やることがあるのだ、ペナルティを受ける公算が高い行動は慎むべきである。
それに強くなるためにはあの環境は最適なものだ。怪我をしても死んでさえいなければ後遺症もなく治療してもらえる。ダンクワースのクソッタレを殺すためにも、闘技場にいた方がいい。少なくとも今は。
天稟増幅という異質特性のお蔭で、コールマンは凄まじい早さで強くなっていっている。このまま順当に強くなれれば、ダンクワースをこの手に掛けるまで、あまり時は掛からないかもしれない。
取らぬ狸の皮算用、しかしそれがなんだ。強くなれなかったらどうする、なんて考えても意味がない。冷静に判断するべきである。
(――うん。やっぱり戻った方が賢いな)
自由への渇望はあるにしろ、それで目的を見失うのは愚かしい。
十四歳という年齢に見合わない冷静さで判断を下し、コールマンは大剣の柄を握り締める。
白亜の壁はまだ薄いはずだ、壊せる。そう確信しているのに――妙に後ろ髪を引かれる気分で。なんとなく後ろを振り向いた。
そこにあるのは、都市の喧騒。未知なる世界。これまで知りたくて知りたくて堪らず……しかし情報の取得を制限されてきたもの。
折角出られたのだ。それも人気のない場所に。このまま大人しく戻るのは、なんだか勿体無い気がする。戻ったら後何年も外に出られないかもしれない。そう思うと無性に名残惜しい。
「………」
別に、闘技場の正面から戻っても良いのではないか。そう思うと好奇心には勝てなくなってしまった。どうせどう転んでも闘技場に連れ戻されるのだ。なら少しぐらい出歩いてもいいじゃないか。
バカバカしい浅慮、自重はすれども足は止まらず。コールマンは大剣を捨てた。こんなものを持ち歩いていれば、たちどころに通報されてしまう事態が簡単に想定できる。ついでに鎧兜も外してその場に投棄した。
正面から戻っていって、なんで装備を捨てたのかと聞かれれば、こんなものを身に着けていたら市民の皆さんを怖がらせるだけだと思いました、とでも言えばいい。つまらない言い訳だが、事実として戻ってやったんだから構わないだろう。どう追求されてもこの言い訳で躱すつもりだ。
――好奇心は猫をも殺す。
英国の諺だ。コールマンは冷静に、本当に冷静に熟慮するべきだった。そうすれば気づけたはずなのだ。予期せぬ自由の誘惑に、コールマンは心の何処かで浮足立っていたのである。
外に出てしまったことで発生した、戻るか戻らないかという選択肢に悩むのではなく、なぜ出られたのかを考えるべきだったのだ。あるいはマーリンを起動してさえいれば、的確な助言を与えられ行動が変化していたかもしれない。そうしてさえいれば――コールマンの運命は、まだしも過酷なものから外れていたのだから。
だが最早、そんなもしもの話は意味を成さない。コールマンは年齢の割には驚異的なまでに冷静だったが、それでも自身に訪れた望外の幸運に対して、俯瞰的な視座に立ちこの事態へ対処することはできなかった。
それにどうして想定できる。この世界での常識を持たないコールマンが、どうしたら思いが及ぶようになれるというのか。発掘闘技都市のダンジョンの堅牢さを、感覚として想像が及んでいなかったというのに。どれほど堅固で、どれほど難攻不落なのか知識で理解していても、実感としては理解が薄かったのである。自分が外に出られる可能性は万に一つもなかったはずだと、思い至らなかった。
故に必然だ。
本来は有り得ない――過去一度としてダンジョンの内部から外に出られた事例のない事態。それを引き起こした原因。
実際に外から侵入した存在がいたからダンジョン構造に孔が生じていたことを想定できず。コールマンはただただ好奇心のために呑気にも歩き出し、そしてまだ近くにいた存在に、気づかれてしまった。
「何か音がしたと思い来てみれば……貴様、そこで何をしている?」
ぎくりと体が強張った。呼び掛けられ、コールマンは一瞬遅れて弾かれたように声のした方へ体ごと振り返る。
そこにいたのは、一人の少女だった。
白く、しかしどこか冷気を放っているようにも見える銀の髪。
白銀の長髪を分厚い鉄の輪のような髪留めで纏め、首の付け根から垂らした髪型。
染み一つ無い白磁の肌は氷のようで。その翡翠色の眼差しは鋭利な刃物のように冷ややかだ。
剣呑な語調での誰何。恐るべき魔力濃度。戦慄して然るべきなのに、コールマンはその少女の姿に目を奪われてしまう。
華奢ではあるが、流麗な線を持つモデルのような体型。すらりとした手足。タイツに等しい白いバトル・スーツで身を包み、上から下まで白一色に固められた出で立ち。そのスーツのせいで、豊かな双丘と丸い臀部の形がくっきり浮かび上がっていて――目に毒だった。
「あ……」
阿呆のような単音を溢し、少年は咄嗟にどうするかを悩んだ。
見た所、兵士ではない。かといって一般人と見做すには格好が独特だ。自分が着ている魔導十一式バトル・スーツにも似た物を着込んでいる点から、闘技場の登録者だろうか。だがコールマンのような首輪付きである可能性は低いと思われた。
だとすれば、見られたのはマズイ。通報される形になれば不本意なことに成りかねないのだ。少女が何事かに思い至る前に、こちらから事情を説明して理解を得た方が賢明だと判断する。
「あ、ああ……」
コールマンは曖昧に応じながら、頭の中でどう説明するか文言を組み立て、困惑を隠さず前面に押し出すと、さも不測の事態に巻き込まれた不運な少年のように言った。
「私は闘技場の登録者だ。ダンジョンに探索者として潜っていたのさ」
「………」
「ゴブリンを追っていたら、たまたま壁に、妙な孔が空いていたのを見つけてね。なにかあるのかと思いそこを通ってみたら、こうして外に出てきてしまったというわけだよ」
まるで。
虫けらを見下すような、高慢な眼差しに怯みながらも。
コールマンはなんとか事実を述べた。変に話を作らず、正直に。それが正しい対応だと考え。
果たして、少女は舌打ちした。
「チッ……運が悪かった。いや、クラウ・クラウに言わせてみれば間が悪かった、とでも言うのか?」
「………?」
「しかし困ったものだ。まさかこんな偶然があるとは……出来る限り無駄は省いていたのだがな……さて。どう処理したものか」
形の良い頤に指を添え、悩む素振りを見せる少女にコールマンは内心慌てる。グラスゴーフ側の人間に告げ口されたら、困るのはコールマンだ。
「私は、闘技場に戻るつもりだ。君の手を煩わせるつもりはない。だから構わないでくれていいよ」
「それは困る。アルドヘルム・ハルドストーンに知られれば、たちどころに我らの存在が明るみに出てしまうだろう。あの男は油断がならん。故に戻られてしまったら、我々にとって困ったことになる」
「………?」
何を言っているのか、まるで意味がわからない。言葉が通じていないかのような、端から答えが出ているような。
一人相撲をしている感覚に、コールマンは徐々に背筋が凍りつく感覚を覚える。何か致命的なミスを犯した気分だった。
氷の少女は、にこりともせず頷いた。
「仕方ない。本当は見つからないのがベストだったが、こうなっては少しの痕跡は許容すべきだろう。幸いまだ修正は利く。――ひとつ訊くが、貴様は一人か?」
「あ、ああ……いや、生憎と私は一人じゃないよ」
「なに?」
直感的に、嘘を吐いた。なんでそんな嘘を吐いたのか、自分でもわからない。
自身ですら自覚がないが、コールマンが現状最も長けているのは魔力でも、魔法の腕でも、ましてや武器や肉体を駆使した戦闘術でもない。
少年自身が持って生まれた勘の鋭さ――それを異質特性【天稟増幅】によって二乗化した数値を誇る、理論で測れない第六感――演繹能力である。
擬似的な未来予知、とは言わない。彼自身が見聞きし、脳に蓄積した情報を導出して無意識的に正答を報せる超感覚だ。普通の人間が多大な経験と情報を下敷きに形作る【閃き】を、言語化できない領域で短時間の内に形成して、極めて確度の高い直感として働きかけるものである。
コールマンは漠然と、この少女の雰囲気と物言いに危険なものを嗅ぎ取っていた。それが彼に嘘を吐かせたのだ。一人だと言えばどうなるか、この時点でコールマンの本能は察知していたのである。
少女は忌々しげにコールマンを睨む。
「もう一人、いる。私の相方だ。彼女は既に、闘技場の方へ急いで向かって行ったよ。ダンジョンに孔があるのはおかしい、報告しないといけないと。真面目なことだ。そうは思わないかい?」
それを聞いてますます柳眉を逆立て、少女は視線を闘技場の入り口の方へ向けた。そして唇を噛み締めコールマンに向き直るや、冷酷に吐き捨てた。
「劣等種如きが手間取らせてくれる。もういい、疾く失せろ……この世からな」
あ、と思う間もない。少女は煩わしげに腕を振り。白い吹雪が局地的に吹き込んで、次の瞬間にはコールマンの全身が凍りついた。
比喩抜きに、物理的に。完全に凍結されたのだ。そこで――コールマンの意識は完全に停止して。少女は無造作にコールマンの氷像に歩み寄ると、そのまま蹴り砕いた。
五体四散し、砕け散ったコールマンは何も思えない。少年の意識は、暗闇に溶けるようにして断絶した。
「私はクーラー・クーラー。この名をよくよく覚えてあの世に逝けば、さぞかし通りはよかろうよ」
嘲笑もなく投げかけられた言葉を聞く者はいない。掻き消えるように姿を消した少女は、急ぎ闘技場への道を行く。少年の言った相方とやらには、まだ容易に追いつけると確信して。
――失態は此処に。クーラー・クーラーは後に悔やむだろう。この時コールマンを、確実に木端微塵に踏み砕いていけばよかったのだ、と。
コールマンは、運が良かった。否、悪運が良かった。
クーラー・クーラーが立ち去ってより数分。普段は決して人の寄り付かぬ人気のない闘技場の裏通りに、一人の青年が通り掛かったのだ。
「あ? なんだ、こりゃあ……」
絹のような黒髪に、赤い瞳。豹のようにしなやかな四肢を持つ、漆黒の長槍を携えた冒険者。
或る使命を果たした彼は、グラスゴーフに帰還したばかりで。伯爵からの依頼を受けて、宛もなく都市中を散策していたのだ。
通り掛かったのは偶然ではない、青年もまたクーラー・クーラーのようにダンジョンに通じる白亜の壁が崩れる音を聞いていた。
完全に氷結し、砕けた少年の遺体を見つけた青年は眉を顰める。
「メンドクセェ。が、これも仕事の内か。エウェルの奴になら治せんだろ」
いや無理か? 別にいいけどな、と青年はひとりごち。周囲にそれとなく鋭い視線を走らせる。
「こんな所で死んでんじゃねえよ、ガキ。テメェには訊かなきゃらなねぇことがあるんだ。誰に殺されたか、伯爵サマに伝えた方が良さそうなんでな」
やーれやれ、面倒臭いことが起きそうだねぇ。こちとら新婚の身空だってのによ。
青年はそうぼやいて。希少な才幹を必要とする蘇生魔術の使い手の許へ、バラバラの少年の遺体を運んでいった。
特異な少年は一度死に――運命が加速する。
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