普通の人とは存在するのか?
この世の中には普通という言葉があり、普通の人が存在する。
私はこの普通の人という枠からはみ出さないように努力をしたが、残念なことに変わっていると言う烙印を押されることが多い。いくら普通の人の面をしていてもそう言うのはにじみ出てしまうらしい。そして、変わっていると言われてついにやけてしまう。なんだかんだで他人から変わっていると言われるとそれなりに嬉しく思ってしまうのだ。
私の事を少し話してしまったが、先日、普通の人なんていないと言う人がいた。聞いているときはなるほど、確かに言われてみればそんなやつはいない。しかし、誰かと話していると必ず普通の人、という存在は大体出てくることが多い。
普通の人とは結局、枠の事、ものさしの名前なのだろう。
超主観的で、一面的なものしか見ていないまさしく今の私みたいな人間が自分基準によって枠を作り、知り合いをそこに放り込むのだ。そして、他人と一緒に話している内に勝手に相手を枠に嵌めようとする。見事、普通の人の枠に入れられた人間は今後、何かの例で出されることがある。
この枠が普通の人であり、ものさしとなる。そして、誰かをそのものさしで測り、そんな事を言うのは、するのは、見るのはおかしな人だと決めつけられる。人間が集団で生きている以上、必ず起こる出来事で、人と接したことのある人間は必ずこの経験をしている。そして数年後、十数年後には何度もそれを繰り返して凝り固まった人間が一人出来上がる。
普通の人という枠は時に攻防で使用される。相手を変わっている存在で少数派にし、自分は普通の人の枠に入れることできる。まさしく攻防一体と言える。
普通の人は社会を探しても見つけることは出来ない。普通の人を見つけたい時は、誰かと話してみるといい。人が誰かと接した瞬間に、普通の人は知らぬ間に顔を出すと私は思う。
どうも、雨月です。読み終わってどんな感想が浮かんだでしょうか?
つまらない、対して思い浮かばなかった、時間つぶしにはなった、腹が減った……そういった実に有意義な感想が思い浮かんだことでしょう。
さてひとつ聞きたいことがあります。察しのいい人は私が何を質問したいかわかるでしょう。
あなたは自分が普通の人だと思いますか?
過去一度、私もこの質問を受けたことがありますが今考えてみるととてもずるい質問ですね。暇なときにでも考えてみてください。