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虹色葬送  作者: タカミチ
4/4

「だから殺したと? それが動機?」

「そうとも言えるし、そうでないとも言える」

「ガイシャがあなたの家に行ったのは、旧交を温めるため。あなたたち二人はとても楽しそうに話しながら歩いていたと、何人もの証言があります」

「楽しい……。ああ、そうだね。この八年間、あの日ほど楽しく話をしたことはなかった……」


 これがドラマなら、ここはBGMのボリュームを上げるところか。

 虹浦は考えるともなしに考えた。


「彼は、こんなにも落ちぶれたぼくを、かつてのぼくのように無関心でいることも、蔑むこともなかった。懐かしい級友との数十年ぶりの巡り合いを純粋に喜んでくれた。そのうえ、ぼくのおかげで今の自分があるんだと笑った。嬉しかったな、本当に」

「だったら」

「わからないかな、刑事さん。つまりはそういうことなんだ」


 言葉の端にどうしてだか懇願の色が浮沈しているように感じる。

 虹浦はとっさの返事に詰まり、それからわかりませんと頭を振った。


「ああ、それが正しい」

「正しいって…ッ」

「十代の坂本は自殺を思いとどまったことで、虹にはなれなかった。けれども卵のままではあった。いつになるのかわからないが、孵化して美しい虹になる一縷の希望をつないでいた。ところが五十になった坂本はどうだ。虹の卵は孵る前に腐敗していた。腐りきっていたんだ。ぼくの心の中のキャンパスは粉々に砕かれたのさ」

「だから――殺したのか」

「ぼくは失望した。坂本にではないよ。自分自身にだ」


 そうは言いながらも、篠田の声色にはまったく負の感情が付随していなかった。

 むしろ隠匿された高揚感がじわりと滲み出ていて、この男なら人殺しをやってもおかしくないと、虹浦は反射的に思った。


「もうぼくには虹をつかめないんだと悟った」


 茫洋たる砂の海に沈んでいくような、裸で大気圏突破を強いられるような、そんな浮遊感に襲われる。

 眼前の容疑者は、すでに地獄の通行証にサインしたのだと、いやでも理解させられた。

 すなわちこれは、正義感溢れる若き刑事には、どうにも納得しがたい事実なのであった。


「そうして閃いた」


 だからこの先のことは聞いてはいけない。

 言わせてはいけない。

 聞きたくない。


「虹をつかめないなら」

「篠田さん」

「ぼく自身が虹になればいい」

「篠田さん」

「なぜ今まで気がつかなかったんだろう! とても簡単なことだったのに!」

「篠田さん…っ」

「ぼく自身がぼくのキャンパスになればいいんだ」

「篠田さん!」

「そうだろう?」

「でも死んだのはあなたじゃない」


 虹浦はありふれたことしか言えない自分に嫌悪感すら覚えた。

 取り調べ官がほかの人間なら、もっと気の利いたことを言えるのではないだろうか。

 先輩たちから敬遠されているのは何も自分がキャリアーだからではない。何もできない無力な若造だからだ。


「……そうだ。ぼくじゃない」


 どうしようもなくて、やるせない。感情的になってはいけないのに、大好きだった物語の登場人物が死んだときのことが頭をよぎった。

 それだけじゃない。

 劣等感とか虚無感とか自嘲とか根拠のない自信とか、言葉では表しきれない様々な感情が混じり合って、虹浦の内側で渦を巻いた。

 これ以上聞いてはいけない。

 言わせてはいけない。

 聞きたくない。


「坂本の卵は孵化した。摩訶不思議とはこのことだ。ついさっきまで腐り果てていた卵が、いきなり甦った。再生の光はまばゆく、それが凝縮した彼の眼は真剣で、ゾクゾクした。その奥に広がる虹色の平原を見出したとき、ぼくはせり上がってくる人生最大の快感にむせび泣きそうになった。嬉しかったな…。坂本を抱きしめたかった。ぼくが味わっている気持ちを彼にも分けたくてね。そして彼は動かなくなった」


 …換気扇はとうとういかれたらしい。カタカタと末期の声を上げて、止まった。

 こうなると今度は冷房の排気音が目立つ。こちらもやはり年代物で、今年の夏が峠だと庶務課の人間が話していたのを聞いたような気がした。

 虹浦は深呼吸した。寸でのところで自分が刑事であることを思い出した。

 引きずられそうで、引きずり出されそうになった己の弱さを、慌てて心の奥の箱に押し込む。

 自分のいる場所を再確認して、瑣末であればあるほどの現実を再認識して、踏みとどまった。

 そしておもむろにスーツの襟を正すと、まっすぐ殺人容疑者の目を見つめて言った。


「あなたは自殺しようとした。ガイシャはそのあなたを助けようとして、もみ合いになり、不運にも包丁が刺さって亡くなった。つまりそういうことですね」

「きみたちは不粋だ」

「不粋で結構」


 篠田は、それはそれは幸せそうに嘆息して、虚空の向こうの異次元に意識の手を伸ばした。


「最後の最後でぼくは虹を見ることができた。昔も今も坂本のおかげだ。彼にはどれほど感謝してもしきれない。だから墓標は虹色にした。坂本の周りを美しく彩ったんだ。ぼくからのせめてもの礼として――ね」


 ゴォォーと音を立てて、冷房も職務を全うした。








END


20170713


お読みくださり、ありがとうございました。

この話は会話劇として書いたもので、地の部分は今回投稿にあたり、書き足したものです。

読みにくかったり、テンポが悪かったりするところもあるかと思いますが、少しでも雰囲気を感じ取ってていただければ嬉しいです。

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