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虹色葬送  作者: タカミチ
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「坂本とぼくは交わらない点だった。でも、ある日、突然、独り愉悦に喘ぐぼくにチャンスが巡ってきた。なんということはない。今も昔も変わらないことだが、いじめられっ子は自殺しようとしたんだ」

「それを――あなたが助けた」

「きみは…まっすぐだね。ぼくが彼との接触を待ち望んでいたと思うわけだ。答えはNOだ。のた打ち回る彼だからこそ美しいのであり、それに救いの手を差し伸べる行為は汚物でしかない。しかし残念ながら、結果として、彼は自殺を思いとどまってしまった。虹の卵は虹になり損ねたのさ」

「何をしたか、きいてもいいですか」

「何もしてはいない。ただ言ったんだ。ぼくの経歴に同級生が自殺したなどという汚点を残すな、とね」


 ドンッ、と虹浦が衝動的に拳を机に叩きつけた。

 驚いて記録係が振り向く。しかし虹浦の背中には目も感知センサーも備わっていなかった。いや、たとえ感知していたとしても、記録係の非難と気遣いが混ざった視線を斟酌する余裕など一ミリもなかった。

 胸の中を風がとぐろを巻いているのではないかと思った。何か言わなくてはいけないのに、でも何を言えばいいのか、何が言いたいのかさっぱりわからない。けっきょく虹浦は途方に暮れたような目で篠田をただ睨むだけだった。

 そんな四半世紀くらいしか生きていない若者の意味深な視線を、半世紀は生きた中年男性はわざとなのか、無視した。


「彼は思いとどまった。不思議だね、人間の心理は。――ああ。ひょっとしてぼくが気象学ではなく、心理学を専攻していれば、あるいは坂本も人としてきれいな死体を保てたかもしれないということかな」

「何を言ってるんだ! そういう問題じゃないだろ!」

「そういう問題なんだよ。先程きみ自身が言ったじゃないか。死体を徹底的に切り刻み、部屋中を血まみれにしてしまった所為で、ぼくは同情されないと」


 感情が、溢れ出す汚泥のように虹浦の手のひらを介して、机にさらなる大きな音をもたらした。

 戦慄なのか虚脱なのか、知らなければいけないことなのに、知ってはいけない気持ちがどんどん大きくなる。


「…同情されないとあなたは断言しつつ、ガイシャとの過去を語ることで、減刑を望んでいるのでは?」

「いいところを突きますね。その分析は客観的に正しい。が、主観的にはいささか即物的すぎる」

「……」

「知りたいんでしょう? 動機」


 さっきも同じことを言われた。

 そして虹浦はまだ解答を示されていない。


「特別にきみにだけ、虹という字を名前にいただくきみにだけ教えてあげよう――なんて、取調室での発言はすべて記録されるから、おトク感はないか」

「篠田さん」

「その資料は全部読んだかね」

「…もちろんです」

「ぼくのプロフィールも」

「八年前、K大学の准教授だったあなたは、他人の論文を盗作したとして博士号を剥奪され、学校をも追われた。その後離婚し、定職に就かず、職を転々とし、ここ最近はビルの清掃員をしていた」

「訂正その一。ぼくは盗作なんてしてない。とてもわかりやすい陰謀だったんだけど、刑事さんに学術界の深淵を語ってもしょうがないね。訂正その二。定職に就かず、ではなく、就けず、がより正確だ。ぼくは専門以外のことはからっきしでね。元妻には生活不能者と笑われたものだ。…ふむ。ある意味ぼくの自慢かな」

「……篠田さん。私は最初に言いました。回りくどいのは嫌いだと」

「これは失敬。虹を名前に持つきみが相手だと、つい気が緩んでしまうな…。すまない」


 最後に付け加えられた謝罪は、この場では滑稽なほど真摯だった。

 とっさに否定を返した虹浦の言葉こそ、白々しさに満ちているように響いた。


「では話を戻そう」


 今さらながら虹浦は気づいた。

 篠田は一貫して態度を崩していない。取り調べが開始してから――いや、きっと虹浦がこの部屋に入る前から、動揺も興奮もなく、といってそれが現実を直視したくない心情の表れでも、逃避でもない。虹浦がどう思うかは別にして、自ら会話の主導権を積極的に奪おうともせず、自己を正当化しようという気も感じない。ほとんど一人で語っているが、心底他人との久しぶりの会話を楽しんでいる様子なのだ。


「客観的に事実を羅列するとこうだ」


 篠田は話し方の緩急のつけ方が上手い。説得力もあり、人を惹きつける。

 やっぱり大学で教鞭を取っていただけのことはあると納得してしまう。


「容疑者はとあるビルの清掃員。そのビルに被害者がやってきた。容疑者と被害者は同級生だったが、最初はお互い気がつかなかった。何しろ被害者には昔の惨めな面影はなく、自信に満ち溢れた円熟味のある男になっていたからだ。学生時代とは逆に、惨めでみすぼらしくなっていたのは、容疑者のほうだった」


 しかしその分、これが取り調べ中だという前提で考えると、どうにも違和感を覚えるのも仕方のないことだった。

 現実の出来事ではなく、まるでドラマを観ている気分なのだ。


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