俺、今、地味女子中
週明けて、結局、下北沢花奈と入れ替わったままの俺であった。正確に言うならば、俺が入れ替わった喜多見美亜とさらに入れ替わった下北沢花奈はそのまま喜多見美亜であるし、俺は下北沢花奈であるのだった。
日曜日、前の日に下北沢花奈となった俺は、なんとか入れ替われないものかと、何度かその入れ替わった相手、喜多見美亜=下北沢花奈とキスをしてみたりしたのだが、——結局一度も成功することはなかった。夕方、まずはその日はしょうがないと、俺は喜多見家を後にして、意外と近所にあった下北沢家に戻り、父親は海外転勤中というその家で、あまり娘に干渉してこない母親とはロクな会話がないまま部屋に引きこもって、眠り……
で、月曜日。
俺は下北沢花奈として、高校にいるであった。
まあ、それは、喜多見美亜になった時と比べると、だいぶ楽ちんであった。なにしろ、スクールカースト最上位のリア中のふりをしなくていいのだ。地味で、目立たぬ、無口な女の子のふりをしていればよいのだ。つまり、あまり感情もあらわさずに、何も喋らずにクラスでじっとしていればよいのだ。なりきるのに、こんな簡単なキャラクターも他にいない。
それに、オタクがバレていて、というか隠すこともなくみんなに正直ちょっと引いた目で見られていた俺——向ケ丘勇と違って、下北沢花奈は、オタバレもせずに、ただ単に無口で地味な女の子と思われていただけなので、特にクラスで注目されることもない。俺が少しくらいいつもの下北沢花奈と違う言葉遣いや挙動をとったところで、誰もそれに気づきもしなさそうであった。元から覚えられていないからな。
でも、それじゃあ、下北沢花奈がボッチでハブられているのかと言うと、——それはそうではない。もちろん、明るいクラスのムードメーカーなどとは口が裂けても言えないが、——別に性格が悪いわけでもなく、俺みたいに斜に構えててるわけでもない彼女は、クラスの中でも普通に受け入れられているようだった。少し内気で物静かな子。そんな彼女は、クラスのどの派閥にも所属しないが、そのおかげでどの派閥の人たちからもなんとなく気を使われて、クラスの緩衝材というか癒し的な存在になっているようであった。
なにこれ? なんだか俺が理想とする高校ライフそのものである。目立ちすぎす、でも目立たなすぎて悪目立ちにもならない。こんな立ち位置をクラスの中で確立できたなら、本当、ストレスない高校生活が遅れるだろうと言うものである。
なんだか、俺、喜多見美亜なんかに戻らずに、このまま下北沢花奈になったままの方がいいんじゃないか? 俺はそんな風にさえ思うのであった。同人活動で、いろいろ鑑賞してくるお姉様達はかなりストレスだが、どうやら斉藤フラメンコ先生としての活動で、あの二人が必ずしも必要と言うわけではなさそうなので、——冷酷に切り捨てるってのもあるんじゃないか? 何もしないのに利益は山分けで持って行くのだと言うし、昔恩を受けたと言っても限度があるんじゃないか?
で、もっと心おだやかに同人活動ができるようになるならば、実はこの下北沢花奈の境遇、俺が理想と描いた高校ライフそのものなんじゃないか? 俺は本気でそんなことを思ってしまっていたのだが、
「でも、あっちは……どんなもんなんだろうな?」
喜多見美亜になってしまった下北沢花奈は果たして、スクルールカーストトップのリア充ライフを無難にこなせているのだろうか(そんなわけはない)と、今日の自分の境遇の安楽さに多少罪の意識を感じながら、俺や喜多見美亜のクラスである、隣のクラスに昼休み様子を見に行ったのであったが……
「きゃあああああ! 誰か! 美亜が倒れた!」
案の定出会った。慌てて、教室に飛び込んだ俺に気づいた、百合ちゃんが目配せをする。首肯する俺。
生田緑と和泉珠琴のリア充トップの足元、うつ伏せに床に転がっているのは喜多見美亜。
何が起こったのかわからずに呆然とその様子を眺めているしかできないリア充のお仲間の前に俺はさっと入り、喜多見美亜の体を引き起こしながら、
「おい、大丈夫か?」
その彼女にしか聞こえないような小さな声で言う。
「う、ううん……」
その瞬間意識が戻ったのが唸り声のような音を口から漏らす下北沢花奈=喜多見美亜だった。
「手伝います。保健室へ……」
俺が引きおこした反対側の肩を持ち、手伝おうとしてくれているのは百合ちゃんであった。さすが。あの瞬間の目配せだけで、俺の意図をしっかりと汲んでくれたらしい。|下北沢花奈=喜多見美亜はここに置いといちゃいけない。
こいつには、喜多見美亜は無理なんだ。
「向ケ丘くんも手伝って……」
そして、もう一人巻き込むならば、喜多見美亜・イン・俺の体であり、
「……私も……」
和泉珠琴は一番最初に排除して置かなければならない女である。
「いや、あんまり大勢で押しかけても、他に保健室使ってる人がいたら迷惑だし……」
たぶん、倒れた原因はこの女——和泉珠琴——との会話に違いない。そのまま一緒に保健室についてこられると、下北沢花奈はそのまま回復しない。
「じゃあ——私が美亜を連れて行くから百合さんと……ええとあなたは……?」
「僕は、隣のクラスの下北沢だよ」
「……その下北沢さんも……ありがとうだけど、隣のクラスの人に助けてもらうわけには……」
「いや、乗りかかった舟だし。このまま僕が保健室まで連れて行くよ」
しかし、和泉珠琴が絶好の親友アピールのこの機会をあっさりあきらめるとはとても思えない。こう言う時には、
「生田さん、——先生にこのこと伝えて欲しいんだけど」
「そうね。もうすぐ午後の授業も始まるし——そのまま美亜欠席になるかもしれないわね……分かったわ」
「……じゃあ私も一緒に伝えに行くわ」
生田緑——女帝——をうまく使えば、利に聡い、利に聡く振る舞うのを疑問にも思わない和泉珠琴はそっちに流れる。正直、『私が美亜を連れて行く』と言った時の和泉珠琴の目は少し泳いでいたからな。倒れた奴を保健室に連れて行くことに、少し不安もあったのだろう。倒れた同級生をどう扱って良いか、保健の先生にどう伝えれば良いか……なんて考えたら、少し面倒くささもあるだろう。なら、女帝に着いて行って、確実に自分の貢献ポイントあげたほうが良い。このキョロ充ならそう思うだろうと思ったら、——本当にそう思ったわかりやすい女であった。
「……では、美亜のことは頼むわよ、百合さんと……下北沢……」
「……花奈。下北沢花奈です」
「花奈さん、よろしくね」
首肯する下北沢花奈=俺。それに首肯を返す、生田緑だが……
「んん?」
「どうかしましたか?」
喜多見美亜の肩を両側から支えて廊下を歩く途中、俺が思い出し、思わず漏らした唸り声に百合ちゃんが反応する。
「いや、女帝の頷いて俺を見た時の目ね……」
「……?」
あれって、なんか気づいていないか?
なんとなく俺はそう思ったのだった。
*
そして、しばらく廊下を歩いて着いた保健室では、昼に校庭で練習していて怪我をしたと言う先着の陸上部女子の対応に保健の先生がかかりきりになっていたのだが、もうその時には意識もはっきりしていて、特に心配もなさそうな喜多見美亜=下北沢花奈であれば、そのまま念のため午後は休ませてもらうかと言う程度で空いていたベットに寝せてもらう。
先生が手が空いたら、脈とか瞳孔とか見てもらって、——異常なし。まあたぶんちょっとした貧血かなにかだろうから午後一の授業だけ欠席して、その後様子見て早退するか決めようとなって……俺たちは保健室を後にしたのであった。
でも、
「ありゃ、だめかもしれないな」
俺は、喜多見美亜=下北沢花奈の様子を思い出して、重い気持ちで言う。
「……そうですね」
百合ちゃんも同じような重い口調だ。
「そうかな? そんな大変かな? 私の役割こなすのって? 大して……」
「大変だよ!」
「……そうですね」
一人キョトンとした口調の喜多見美亜に少し声を荒げてしまう俺であった。
「おまえは自覚ないかもしれないけどな。あのリア充であらねばならないと言うプレッシャーの中にいるのは、俺らみたいな非リア充系には相当大変なんだよ。なんというか、リア充らしくあらねばならないって思うと、——言葉一つ話すのにすごい気を使ってまるで地雷原の中歩いているみたいだ……」
「……それに美亜さんが言いそうな言葉選ぶ必要もありますし——」
そうだな、こいつが本当の自分を偽って作ってるキャラクター、ポジティブな良い子のふりをしながら、でもちょっと天然系の地を出して相手のツッコミを誘う。俺は、さすがに毎日こいつの真似をしていれば、それはだいぶうまくなったと思うが、——未だにハラハラする。正直、毎日がずっとストレスの連続だ。喜多見美亜にハードディスクを人質に取られていなければ、とっくに爆発して、すべてめちゃくちゃにしてやって、安楽なぼっち生活を取り戻したいと思うのだった。
「私は、短期間だったらなんとかなりましたが……」
一時、こいつの体と入れ替わっていた百合ちゃんは、思い出しただけでどっと疲れたような表情。
「で、短期間でもなんともならない奴が今回は入れ替わったと……」
「…………そんな大変なのかな?」
今度は、さすがに俺たちの雰囲気を察したのか、少し申し訳なさそうな(俺の)顔で言う喜多見美亜。
「大変だな——ましてや、あんな安楽な高校生活を送っていた下北沢花奈ならば……」
俺は、今の自分の入れ替わった下北沢花奈の、あまりにイージーモードの高校生活を思いながら言うのだった。
「クラスでのおまえの役割をこなすなんて言うストレス耐えられないかもしれないな。下北沢花奈は一刻も早く元の体に戻さないとまずいな」
「……そうだね」
首肯する喜多見美亜。今の入れ替わりには可及的速やかな処置が必要というのには、こいつも全面的に同意のようだ。このままでは、しょっちゅう、今日みたいに教室で倒れられかねない。そんなのが続いたら、さすがにちょっと気持ち悪かったとか体調が悪かったでは済まないだろう。喜多見美亜と言う存在の位置付けがクラスの中で変わってしまう。
「私戻った時に病弱キャラになってても困るし……それに……」
「そもそも、下北沢花奈もこのままじゃつらすぎるな」
と言う俺の言葉に首肯する喜多見美亜と百合ちゃん。
「でも……」
どうしたら良いのだろうか?
その答えが見つからずに、一度顔を見つめあってお互いに首を横に振った後、始業ベルの鳴り響く廊下を、そのまま無口で歩く俺たちなのであった。




