俺、今、俺(下北沢花奈エンド)
「IFストーリー」二人目は下北沢花奈編です。
もしかしたら、主人公向ヶ丘勇と一番相性の良いヒロインは彼女かもとは、作中でローゼさんがかたってたりしましたが、オタク同士であるからとか単純な話では無くて……
——思い出した。
セリナを助けるため、彼女に絡まった幾多の生、俺は、その繰り返しの時間の中に存在する「俺」たちとの絡み合った因果を解きほぐす必要があった。俺と「俺」が源を同じとする一つの存在として混じり合う。
——そして分かれる。
俺は、思い出す。その時、「俺」と俺はどちらも本物になる。 無限の多元宇宙の中あり得る世界の中、錯綜した世界線がそれぞれの未来に分かれていく。その「俺」の全てが俺であり、俺では無い……
まず一人目に思い出したのは百合ちゃんだった。
ああ、すごいうらやましい「俺」だったな。
でも、あれは「俺」であり俺では無い。
あんな素晴らしい女性とと結ばれて、これ以上無く幸せな人生を送った「俺」が別の未来に旅立つのを見送り、次に俺が思いだしたのは……
*
「先生! 斉藤先生! いるんでしょ。わかってますよ」
「ん?」
家の玄関当たりから聞こえる声に、ベットから眠気まなこをこすりながら半身を起こす俺。日曜だというのに随分と騒がしい朝である。
「頼みますよ。印刷書を待たせてるんですよ!」
ああ、花奈がまた原稿が遅れてるのか。
俺は毎度のこととは言え迷惑なことだと思いつつ、寝室から隣のリビングに移動すると、
「あ……」
「み……見逃して」
こっそり逃げだそうと、リビングの窓から外に出かけている花奈がいたのであった。
ちなみに、この家を建てるときに、こんなこともあろうかと花奈は家のあちこちに脱出口をつくっていた。一時期は隣の敷地のアパートの一室を借りておいて、窓伝いに飛び移って逃げるとか、裏の小山の途中に隠しトンネルを掘って逃げていたことさえあったが、今はそれも全部編集者にばれてしまっている。
今日は、ここから逃げるのなら、この間塀につくっておいた隠し扉から川沿いの遊歩道に飛び降りて逃げるつもりなのだろうが、
「げ!」
扉を開けてそのまま固まるパジャマ姿の花奈。
「先生! さあ、仕事ですよ、仕事!」
「……二時間……二十分だけでも眠らせて……」
どうやら、有能な編集者さんは、玄関から入るとみせかけて、花奈がそこから出てくると待ち構えていたようなのだった。
*
「はあ……なんでいつもこうなっちゃうんだろ」
日曜の朝の騒々しい編集者来訪から何時間もたって、俺が休日の隅田川沿い散歩から帰ってきた時には、ソファーにどっぷりと体を沈めながら憔悴しきった顔で呆然としている花奈であった。
「自業自得としかいいようがないけど」
「そうなんだけど……」
売れっ子マンガ 家の斉藤フラメンコとして多忙を極める花奈。いろんな物語が描きたい本人の気持ちにつけ込むように、あちらこちらから連載を依頼され、それをほいほい受けるもんだから、確かに、その仕事量は膨大だ。
でも、花奈は天才である。
絵も、物語も——仕事のスピードさえ。
真面目に、きちきち……せめて9時5時の間をしっかり働いていたならば、けっしてこなせない仕事量ではないはずだった。
しかし、
「ギリギリにならないとやる気にならないの……」
まあ、気持ちはわかる。
「俺も仕事はギリギリにならないとやらないタイプだが……代々木さんと赤坂さんの迷惑も感も考えたら……」
そう、斉藤フラメンコというは花奈個人のペンネームではなく、ずっと一緒にやっている代々木と赤坂のお姉さんとの合同プロジェクトの名前なのだ。
「ううう……二人には悪いと思ってる……さっきデータ送って、背景と作画担当キャラの直しお願いした……」
「花奈の仕事は終わったかもしれないが、この日曜の夜に……徹夜かもな」
「こうなると思って、日曜の昼は寝てたってさっき連絡あった……どうせ花奈はギリギリで話変えてくるだろうって……自分たちの書き直しもでるだろうって……」
「良い女ふたりの日曜奪って……これじゃ花奈のせいで結婚どころか彼氏できないって言ってた二人に反論できないな……」
ああ、高校の時あった大学生のお姉さん二人はとっても大人に見えたものだが、自分たちが三十路の良い大人になっても相変わらず大人で素敵な代々木さんと赤坂さんであった。
今時の共同マンガせいさくなんて、ネット上でデータのやりとりしたり、ビデオ会議で大抵すんでしまうのであるが、やっぱり顔を合わせて会議は必要だとか言って二人は良く家にやってくる。その度に、なんでこんな人たちがいまだ一人でいるのかなって改めておもうのだが、
「……言い訳の言葉もございません」
花奈的にも責任を感じているのかもしれないな。
とはいえ、
「まあ、ともかく……責任を感じたからと言って花奈が結婚してあげることもできないし、今日ももう手伝うこともないんなら……」
「お腹空いた……」
そうだね、
「どっかで食事でもするか?」
俺——向ヶ丘勇30歳は、疲れ切った愛する妻の慰労もかねて、外に食事に出ることにしたのだった。
そして……
「なんか、なつかしいなこのへん……」
自宅から電車で少し移動した秋葉原で、行きつけのイタリアンで食事を終えた俺たちは、腹ごなしをかねて当たりを散歩していた。
「あ、この辺だね……」
「そうだな」
秋葉原の中央通りからちょっと路地に入った、ごちゃごちゃとした一角。
ここは、
「僕と、入れ替わった場所だ」
喜多見美亜に入れ替わった秋葉原にいた時に、突然現れた下北沢花奈にキスされて体入れ替わりをした場所だ。当時はちょっといかがわしげなコスプレ衣装なんか打っていた店が入っていた目の前のビルには、今はVR装置の専門店となっているが、
「この辺だったな……」
俺は、まさにキスをされたその場所に立って、懐かしい昔を思い出すと、
——チュッ!
「なっ!」
「ふふ、昔を思い出してやってみました」
ちょっと顔を赤くした花奈が俺に抱きついたまま言うのだった。
「……もしかしたらまた入れ替わらないかと思っけど、ダメみたいだね……」
「って、また締め切りから逃げる気だったのか……」
「ふふ、でも失敗してもよ大丈夫……なぜなら……」
なぜなら?
「大好きな勇とキスをできるから……」
って、
「……」
顔が真っ赤になる俺と、
「……(ぽっ)」
それどころで無く沸騰したような様子の花奈。
そんな恥ずかしくなるなら、そんなこと言わないで欲しい。
俺も、
「大好き……」
とこっぱずかしい台詞を言って、もう一度キスをしてしまうことになるのだから。
*
さてさて、この世界線の「俺」は下北沢花奈ととってもラブラブであった。
高校時代から彼女の才能に惚れ込んだ俺は、いつの間にか斉藤フラメンコの同人誌を手伝うようになり、大学時代コミケでは結構な大手サークル代表としてサポートする内に、いつのまにか恋人同士の関係になっていたのだった。
この世界では、喜多見美亜との入れ替わりは、高校2年の冬コミの準備で、俺が下北沢花奈の手伝いに行こうとしたクリスマスイブの夜、
「そろそろ私も自分の体に戻って高校時代の思いでつくりりたいな」
と言ってキスして来た瞬間に解消していたので、「俺」の青春はほぼ下北沢花奈との同人活動にあったと言って良いだろう。
その後、大学卒業を機に普通の会社員となった「俺」は、商業誌デビューした下北沢花奈をマンガ道を直接支援することは少なくなったが、私生活良きパートナーとして彼女をささえたのだと思う。
うん。この世界の「俺」も幸せだったね。
仕事と家庭の両立は難しく、子宝には恵まれなかったのだけど、下北沢花奈がまだ七十代でこの世界から旅立ったとき、告別式に集まったたくさんのファンの中の一番のファンとして「俺」は彼女に感謝の言葉を述べたのであった。
この世界の「俺」も本当にうらやましいね。ローゼさんの言っていた、一番俺に合う女子は下北沢花奈であったというのもそうなのかなって思う。
尊敬できて、でもかまっていないと危うくて、俺が本当に必要とされている関係。「俺」は下北沢花奈の後を追うように、彼女の一年後に息を引き取るのだけど、その顔は悔いのない生涯をやりとげた男の顔であった。
さて、でも「俺は俺とは違う。
絡み合う因果はほぐれ、未来は分かれる。
さて、次は……




