俺、今、俺逃亡中
夜明け間近、朝日の昇る直前のうっすらと明るい草原の中の道を、セリナと俺は小走りで通り抜ける。向かっているのは近かくの森。セリナが、その中に良い隠れ場所を知っているとのことだが、
「……すぐ追いつかれるんじゃ無いかな?」
「うん」
頷くセリナ。
派手な壁の爆破の後に逃げ出した俺たちだ。
城壁には、どうやって下におりたか丸わかりの避難袋がぶらぶらと垂れ下がっている。
その先、地面には足跡もついて……
「草の中を横切って行けば良いの」
セリナが横の草むらを指差しながらいった。
ああ、そうか。
俺たちが今進む草原。草原といっても低木も多く、藪といってもよいような場所も多々ある。この中に大人が突っ込んでいったら、あちこち引っかかって進むにすすめないだろうけど。
幼児セリナと俺なら間を抜けていける。
「隠れて」
「——!」
セリナの目線の方向を一瞬見て、慌てて振り返った俺は、そのまま草地の中に隠れる。俺たちが抜け出した牢屋は領主の城の上の方にあった。その崩れ落ちた壁の向こうに立つ人影が眼下の草原を見渡していた。
そりゃ気づくよな。
あんな派手な音を出してレンガが落ちていったんだ。
本当なら、すぐに見張りが駆け寄ってきてもおかしくなく、俺たちが悠々と避難袋で地面まで滑りおりる間に、下にまわられていてもおかしくない。セリナのお父さんの親友のフリオさんが、見張りを引き付けるような何事かをやってくれていたから、ここまで俺たちは逃げることができたんだろう。と、そんなことを思いながら、草の隙間から、避難袋が切り取られて地面に落ちるのを眺めていた。
ワドムの街。ヨーロッパ中世風異世界にふさわしく、それは壁に囲まれた城砦都市であるようだ。高く積まれた、石垣に街をすっぽりと覆い、外敵の侵攻に備える。日本では発展しなかったタイプの街だが、近代兵器により街を囲う城壁が意味がなくなるまでは、どちらかと言うと、こっちの方がグローバルスタンダードだ。
西洋だけでなく、中国とかの都市も昔はぐるりと壁で囲まれて侵略者を迎え打った。
鎌倉武士の逸話とか読むと、日本の昔が平和であったから城壁がいらなかったとはとても思えないが、攻め込まれたら領民ごと異国に殲滅されるような大陸での戦いとは違い、支配者は変わるかもしれないが領民はそのまま受け継がれた、そんな状況の違いからか本邦では街を囲む城壁なんかはほとんど発達することはなかった。国を統べる殿様と武士は自らを守る城をつくるほうに力を注いだ。
俺は、転移(?)したこの世界の地理についてはさっぱりわからないのではあるが、すくなくとも日本型ではなく大陸型の歴史をたどった地に来たことは確からしい。
街は高い城壁にびっちりと囲まれ、そこから逃げ出した俺にとって、それは、もう超えることのできない障壁のように見えた。
「あんまり見てると見つかるよ……こっち」
「あ……」
低木の影からこっそりワドムの街を眺めていた俺はセリナに言われて振り返る。
「……こっちに道がある」
それは、なにか小動物が通ったあとだろうか、大人にはとても通れないような狭い道であった。でも幼女セリナは生い茂る茨をうまく避けて、その細道を抜ける。もちろん、同じように幼児になっている俺もその後に続く。
そして、しばらく進めば、
「ここ沿ってあるこ……今、水流れてないから」
草の切れ目が現れたらと思ったら、そこは枯れた小川のようだった。
川底の泥が砂利と一緒に固まって結構歩きやすい。
俺たちは、そこを一直線に歩き、目的の森にぐっと近づく。
それは隠れて進むには絶好の道のりであった。
川の両側の背の高い草や低木に隠れて、街の城壁の上からでも俺たちが歩いているのが見えないだろうし、大人も通れるようなちゃんとした道からは随分と離れているので、草原全部の捜索でもするつもりでもなければ見つけ出すのは難しい。
それに、
「この辺までくれば、もう追いかけてこないと思う……」
なぜなら、
「エストの軍に捕まっちゃう」
そうであった。
今、ワドムの街はエストの軍に包囲されているのだった。
セリナを追いかけて下手に城壁から離れ過ぎたら、戦争相手に捕まってしまう。うかつに、ふらふらと草原に出るわけにはいかないのだった。
でも、
「……なら、俺たちは」
エスト軍に捕まってしまうことはないのか?
と、俺は思うのだが、
「うん。本当なら危ないの……この草原はぬかるみがおおくて、軍が動くには適してないからエストの騎士もあんまりいないはずだけど、さすがに見張りが少しはいるはずで——あんな派手に城から逃げた私たちに気づかないなんてありえない……のだけれど……」
「不思議なことに……誰もいなかった?」
「うん。たぶんフリオおじさんが何かやってくれたのだと思う」
後で知ったことだが、俺たちが逃げるちょっと前、フリオさん率いる十騎ほどの騎士が、草原にいた少数のエスト軍にめがけて夜襲をかけ、そのまま街の反対側に本陣を組むエスト軍本隊まで追い込んだそうだ。その騒ぎで、草原にいたエスト軍がいなくなったうえ、ワドムの街の注目も反対側に集まったということらしい。
まあ、なんで、フリオさんが俺たちがその時に過去にこの世界に転移した佐藤さんの遺物を使って逃げれると知っていたかについては、まだここでは語らないとするが……
ともかく、セリナと俺は、静かな無人の草原を誰にも邪魔されずに逃げおおせるはずであったのだが、
——グゥルルルルルルルルル!
「魔獣よ!」
人よりヤバそうなのが現れてしまったのだった。




