俺、今、女子説教され中
「はあ……」
部屋——和泉珠琴自慢の——に入ってため息をつく俺であった。
なかなか職が決まらず、決まってもすぐやめることになるワーキングプアのお母さんということで和泉珠琴から聞いていたのだが……
決まらないのも、すぐやめることになるのも、今さっきまで話してみて、ちゃんと理由があるのが良くわかった。
というのも、
——選り好みしすぎているのだ。
和泉美江子さん——和泉珠琴の母親——は、自己評価と実態が、まるであっていないようなのだった。
自分の理想と自分を同一して、区別がつかなくなってしまっているようなのだった。
今、自らが置かれている現実を、徹底的に認めないのであった。
今日、クビになるまでは、スーパーのレジ打ちの仕事をしていると聞いていたが、それも渋々決めたことのようだ。
『やっぱり、お母さんには、創造的な仕事が似合うのよ……まわりの人たち意識低くて話もあわないし……しょうがなくて働いてみたけど、やめとけばよかったね』
本当の自分がやるものでないと考えている、その仕事を卑下しまくっていたようなのだ。
——まったく、ひどい言いようであった。
短い間、同僚であった人たちを、次々にバカにする……
その、無自覚な差別心に、ちょっと憤りを感じないでもない。
いやいや、あなたは、そのあなたがばかにしてる仕事もやれなかったんだよ——という言葉が思わず喉元まで出かかった。
職業に貴賤はないんだよ。
なのに、あなたは、賤をつくることで、自分を貴にするつもりで——余計自分を貶めてしまっている……
いや、もちろん、職業に貴賤はないという言葉は、ある程度おためごかしであるとは俺も思う。職業に貴賤が無いのならば、人が嫌がってやらないようなうえに給料が安い仕事も、お前は喜んでやるのかと言われたら、言葉に詰まる。
世の職業には、確に、人気も、給料も違う様々な仕事があり、憧れも、差別もそこには存在する。イメージが良かったり、給料が高かったり、社会に貢献しているとか、尊敬されるとか、憧れられるとか——世間一般に良いといわれる職業に着いた人は、羨ましがられたり、時には妬まれたりする。
そして、その職業に着いている人というラベルが、その人そのものになることさえある。
職業がそのまま、その人のステイタスとして、その人を語ることになってしまうのだ。
しかし、それ——ステイタス——は、一見、世の法則に見えるが違う。
職業には、才能——適正が必要だったり、訓練や、努力、体力や精神力がすり減るようなものもあり……そういう様々な要素の絡み合った結果、給料のレベルや職業のステイタスのようなものが決まる。
個々人の、選択や努力、運などが絡み合い——個々の正解があるだけだ。
あくまでも、個々の結果があるだけで、職そのものとしての貴賤があるわけじゃない。
それは——この時、自分的にはいっぱしの大人のつもりでも、まだまだ生硬であった高校生の頃よりも、社会に出ていろいろ経験を積んでからの方が実感を持って言い切ることができる。だが、この時に思った、単純だが純粋な答えだって間違いではない。
俺は、和泉珠琴のお母さんに、なんともいえない気味の悪さを感じながら、床にゴロンと転がるのだったが、
「あれ」
スマホに着信だ。
「……お母さんに説教したんだって?」
和泉珠琴であった。
実は、先程、後でバレるよりはと、俺は、正直に、母親とのやり取りをメッセしたのだが、
「何やってくれちゃってんのよ」
どうも、だいぶ、ご機嫌を害した模様だ。
「……つい」
「はあ……ついじゃないでしょ」
「……悪い」
確かに、和泉珠琴から、母親には、言ってることが良きにしろ悪しきにしろ、絶対反応するなと言われていた。
なぜなら、
「お母さん、喜んだでしょ」
「はい……」
スマホに向かって首肯する俺。
さっきは、『身の丈を考えろと』和泉美江子さんに苦言をていしたつもりの俺であった。
しかし、返ってきた反応は、
「絶対、顔をにやけさせていたでしょ」
「はい……」
「お母さん、普段、私がずっと無視だから、少しでも反応あると大喜びになっちゃうわけ。もし、何も理屈もない口答えだって、悪口だって、単に怒りをぶちまけるだけだったにしても、娘から反応あればお母さんは嬉しいの」
……確かに、その通りだった。
かなり厳し目の口調で言ったはずなのだが、いきなり満面の笑みになった和泉美江子さは、こっちからの反論の漉きを一切与えないマシンガントークを噛ましてくきた。
「お母さんは、議論したいわけでも、アドバイス受けたいわけでもないの。自分が正しいと人に認めさせせたいだけなの。だから、何か話しても無駄——会話になんかならないのよ、それなのに……」
俺が、
「……余計な反応しちゃって。どうすんのよ、これ。私が、ずっと、お母さんに反応しないようにして——無視して、気軽に話しかけてこないような雰囲気作り出してたのに……ああ、これじゃ、調子にのって、また話しかけてくるよ……」
いやいや、親子なんだからそれくらい——とは思うが、
「ああ、こりゃ、しばらくほとぼり覚めるまで、自分の体に戻りたくないかも」
どうにも、和泉家の母子の断絶は深いものがあるようなのでであった。




