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俺、今、女子リア充  作者: 時野マモ
俺、今、女子貧困家庭
223/332

俺、今、女子聞き流し中

 和泉美江子。

 それが和泉珠琴の母親の名前であった。

 ある地方都市の極々平凡な家庭に生まれ、公立の中高を出てから、地元の女子大を卒業。その後、東京に出てきて派遣社員Oとしてあちこちの会社に努めていたが、ある証券会社にいたときに、後に和泉珠琴の父親となる人と恋に落ちて結婚。

 その後、さっそく、小さいながらも中古の戸建てを購入し、平凡ながらも幸せな生活をスタート。ほどなく、二人の愛の結晶としての和泉珠琴が生まれて、若い夫婦はいろいろと大変でありながらも、幸せな家庭がそこにはあったという。

 珠のように綺麗で可愛らしく、琴のように美しい声でしゃべる、珠琴と名付けられた赤ん坊は、両親にとても愛されながらすくすくと成長した。このまま、和泉家には、平凡ながらも幸せな未来が待っていることだろう。そんな事を、美江子さんは思っていたという。


 ——ところが、そんな家庭に不幸が突然訪れる。


 和泉珠琴の父親の急死であった。子供も生まれ、家計を支えるぞという気合が入りすぎたのか、まわりの同僚もちょっと引くくらいに猛烈に働いていたその人は——人がやりたがらないような困難な案件にも自ら飛び込んで行って、子育ても忙しい中、残業に残業を重ねた結果、ある日、会社で倒れて病院に運ばれてそのまま帰らぬ人になった。

 くも膜下出血だったとのことだ。

 そして運が悪いことに、和泉珠琴の母親の母親、つまりおばあちゃんもその一年後に亡くなり、おじいちゃんはもうだいぶ前に亡くなっていたのでそちらに頼ることができない。

 では、和泉珠琴のお父さん側の方の親族はどうなのかと言うと、なんでもちょっと訳有のようで絶縁状態。

 和泉家はあっというまにシングルマザー家庭となってしまったのだった。


 その頃のことを、まだ幼い和泉珠琴はろくに覚えてはいない。何だかとてもかなしい出来事があったというぼんやりとした記憶はあるそうだが、その後の、物心ついてからの幼い頃はあんまり、自分が不幸だと思ったことはないそうだ。

 父親がいないのが当然の生活であるので、他の人に父親がいて自分はなぜと思うことはあったそうだが、別に他の子に比べて生活が苦しいとは思ったことがない。

 なぜなら、幼子を抱えて、夫に先立たれた失意の和泉美江子さんであったが、その頃は、特に貧乏だったわけではないようだった。

 まだ若い夫婦に貯金や証券などのたくわえはほとんどなかったのだが、亡き夫が残してくれた生命保険で家のローンは完済したうえに、少し余録も出た。

 ならば、和泉珠琴が保育所に預けられる頃までは、子育てに専念して、悠々自適とは行かなくてもそれなりの生活を続けることができていたという。

 この頃のことを、和泉珠琴は——忘れたくない幸せな記憶として——はっきりと覚えているという。

 ベビーカーに乗せられて母子で公園に散歩したり、ファミレスで食事したり、遊園地で遊んだり、都内にでかけて買い物したり、ときにはちょっと遠くまで観光で旅行したり……

 しかし、その後、和泉珠琴が小学校に上がったあたりから、和泉家には、そんな幸せな光景はまるで見当たらない、金がなくて汲々とした生活となってしまっている。

 それも、そのはず、


「悪いね……珠琴にはいつも迷惑かけちゃってるね……お母さんスーパー首なっちゃった……」

「……」

 帰ってくるなり、衝撃の無職報告のお母さんであった。

「でもね、朝にクビになったから、さっそく今日の午後は新しい職探ししてみたんだけど」

「……」

 そして、クビに慣れてるからか、次の行動がやたらと素早いのもびっくりが、

「やっぱ、なんの取り柄のないおばさんをさっと雇ってくれるほど世の中甘くないわ」

「……」

 というか、土曜なのに、にいきなり面接に押しかけたんだろうか?

 どこに?

「面接してくれた人はとっても親切だったんだけど、あなたはうちには合わないんじゃないかって言われちゃって」

「……」

 だから何の仕事に合わなかったんだろう?

「でも、まあお母さん頑張るよ。珠琴がこの後、大学行って、良い会社入って……幸せな結婚してもらわないといけないからね」

「……」

「ああ……明日は日曜だから面接無いけど……月曜はお母さんがんばるぞ! 次は、アパレル系はいったん諦めて、広告デザイン事務所行ってみるよ」

「え……」

 ということは、今日行ったのはアパレル系なのか?

「経験者優遇とか書いてたけど、お母さんやる気だけは人一倍あるから、なんとかなるんじゃないかな」

「……」

「何事もチャレンジだよね。諦めたら、そこでゲームは終了……なんちゃって!」

「あ……」

 ニコニコと笑いながら、同意を求めて頷く和泉美江子さんのことを見ながら固まる俺であった。

「どうかした?」

「いえ……」

 喉元まで出かかった言葉を飲み込む俺。

 母親の相手はしないで、さっさと部屋にひきこもれと和泉珠琴に指示されているのだ。

 言いたいことは沢山あるのだが、他人の家族の問題に首を突っ込むのは憚られる。

 体がもとに戻ったら、この家の生活を続けるのは和泉珠琴なのだ。

 この家には、この家なりのバランスがあり、それを俺が不用意に崩すことは、

「あ、あと、お母さん……やっぱ資格ないからこんなことになってるのかもしれないから、資格取らなきゃだめかな。うん、それより語学かな? 駅前でよさそうな英会話スクール見つけたんだけど……」

 いや、生涯学習し続けることは大事だが、

「それより、大学に入り直すとか良いかな? 社会人大学院とかはやってるでしょ。そういうのどうかな?」

 そんなことより、今は、

「……あとは人脈よね。良い人たちと知り合わないと良い仕事も無いわよね。で、明日、品川のホテルでやる異業種交流会行ってみようかしら。会費が2万円でちょっと高いけど……意識高くないとこの後の世の中でやっていけないわよね」

 ああ、もう!

「お母さん……」

「? 珠琴どうかした?」

「——もっと他にやることがあると思う」

「え?」

 俺の言葉に、びっくりした様子の美江子さんの顔。


「身の丈を……そろそろ考えるべき……よ」


 母親には、一切反応しないように——そんな和泉珠琴の言いつけを、どうしても守れなかった俺なのであった。


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