俺、今、女子ショッピング中
土曜の午後の代々木公園の中を俺たちは歩いている。空気には少し湿気も感じられるけど、梅雨本番まではまだ少し時間のある——春の終わり。爽やかな良い季節。林の中を風が駆け抜けると、木々が揺れ、木漏れ日も心地よく揺れる。
中央の、日に照らされた明るい芝生では、さまざまな人たちがさまざまにそれぞれの人生を楽しんでいるように見えた。
芝生にシートを敷いて酒を飲んでいる二十代くらいに見えるリア充っぽい集団。心地よさそうにアウトドア用のチェアに座りながら談笑している女の人たち。外国人のカップルが立ち止まってあたりを見渡してる横を犬を連れたおじさんが歩いていく。その後ろでは子供と鬼ごっこするお父さん。他にも、フリスビーを投げて遊んでたり——ああキャハハウフフ言いながらバレーボールしてる連中もいるな。俺たちもここでバレーボールしてたらああ言う悩みなく幸せそうな若者と見えるのかな?
そんな事を思いながら振り返ると、林の中には、ベンチで一人で本を読んでるおじいさんなの、じっとスマホ見つめてるアラサーぐらいに見える女子なの……あんまりうまくないトロンボーンを吹いている中年男性とギターを弾いているバンド少女みたいなのが微妙な距離をとっている間を抜け、舗装路に出るとなんだか自然観察でもしそうなサファリルックのおばさんの集団。
まあ、なんだかキャハウフだけでなく……人生いろいろ。
なんだか俺らも、ここにいるといろいろの一部で良いのかな? なんて気がして来ながら歩く、公園の出口も——そろそろ近づいてくれば、逆に公園の中に入ってくる人たちとすれ違い……出たのは原宿駅前へ続く歩道橋の下。俺たちはそれを上り——下るとそのまま路地に入り、裏通りを歩くうちにいつの間にか表参道と明治通りの交差点に出ているのだった。
で——ここまで俺の意思ゼロ。この後もゼロ。喜多見美亜の進むのにただ何も考えずついて行く。特に周りにも興味はない。
だが、
「やっぱり原宿ってオシャレですよね。表通り外れた路地に素敵そうなカフェがぽつんとあったり」
俺以外の二人はそうでもないようであった。
「そうよね。原宿っていうと表通りはお上りさんが集まって騒々しいイメージがあるけど、ちょっと裏に入ると落ち着いていてこのギャップが素敵な感じなのよね」
なんだ? 多摩川越えてやってきた女子高生が偉そうに。
それに比べ、百合ちゃんは謙虚に、
「私なんて、とてもこんな店入れません。こういうとこはやぱっり都会的で綺麗な美亜さんみたいな人でなきゃ……あっ」
と言いながらも、自分が今は喜多見美亜であることに気づくのであった。
「ふふ、なので今ここにいるのに百合さんも問題ない……いえもともと百合さんみたいな人ならどんなとこに行っても問題ないのだけれど……」
「なんだよ……」
俺は、少し蔑むような感じの目線を感じ、反射的にそれにむっとして言葉を返すが、
「このオタ充が中にいる百合さんはどうなのかしらね」
「そんなの……」
どうにも歯切れが悪い俺であった。
俺は前回の女子会の際、原宿から青山まで何もできずただ百合ちゃんを歩いて行かせた前科があるのだった。それは、俺が喜多見美亜の中に入っていた時のことだった。夜の学校で掃除用具のロッカーに閉じ込められてしまったのを百合ちゃんに助けてもらった御礼と言うことで、一緒に食事することになった時のことだった。その時、俺は、集合場所の原宿から食事の予約を取った青山まで、ただ無策に百合ちゃんを歩かせてしまったのだった。
でもそれも無理はない。だいたい、こんな場所なんて俺にとっては異世界と同じなのだっだ。こんな場所で、俺は何をどうしてどうすれば良いのか、さっぱり見当がつかないのだった。違う理の異世界。俺はそんな場所に、私鉄から一度地下鉄乗り換えるだけ(同じホームで乗り換えられて簡単便利)であっさりと召喚されてしまったのだった。で、何のチートも与えられなかった俺は黙り、残り二人の会話は進む。
「でも百合さんどうする? お腹空いてるなら先に食事する? それとも服とか見てみたい?」
「どちらでも……お腹はまだすいてないですが、軽く食べるくらいなら。服とかも私良くわからないですが、美亜さんがご迷惑でなければ可愛い服とか……」
「うしし。そうだよね。やっぱし服とか見てみたいよね。前に……」
俺(が中に入った百合ちゃん)をちらりと見て喜多見美亜(が中に入った俺)が言う。
「……わざわざ原宿まできてただ歩いて終わったのはもったいなかったわよね」
「いえ、そんな。あの時も、歩くだけでも——楽しかったです」
「うん、でも? もっと店とか入っていろんな可愛いものとか見た方がもっと楽しいかもよ?」
「そ……それはそうですが……前も十分に……」
俺に申し訳なさそうな様子で言い淀む百合ちゃんだった。
百合ちゃんも女の子。唾棄すべき高慢ちきなリア充ライフをおくっていた喜多見美亜とは比べるべくもなく、ささやかな願望のようだとは言え、そう言うのやっぱり興味あるんだろうね。
なのに、この間の、「俺」とだと何もできずに歩くだけで終わった原宿での行動を卑下しないように、気遣いをしながら言葉を選んで話しているようだった。
まあ、百合ちゃんが前回どう思っていたかはともかく、俺の甲斐性なしのせいで今なんだか百合ちゃんがモジモジしているのは間違いない。
ならば、
「ともかく、君らは原宿で可愛い服とか見ていきたいんだよね。それならそうしようよ。せっかく女の子になってるんだから俺もそういうの体験してみたいしさ」
俺は、心の大きいところを見せて、二人の背中をさりげなく押してやるのだった。
……すぐに後悔したけれど。
*
女なの買い物に付き合う時の男の気分。それがいかにイライラするものなのか、俺は様々な創作物とか、身近の人たちからの伝聞で見聞きしたことはある。でも、そんな機会が実際にあるわけもなく——そういうのは所詮リア充が自慢半分で言っていることなのだと俺は思っていた。
「まったくこまっちゃうよな。彼女の服選びに付き合ってたらもう半日潰れちゃったよ」
「なんで女ってあんな選ぶ時優柔不断になってしまうのかな。見てるこっちが消耗しちゃうよな」
——みたいな。
実際に今横にいるチャラそうな茶髪の男二人の会話だけをこうやって切り取ってみれば、なんとなく自慢げに言っているように聞こえなくも無い。いや実際彼女に困らされている自分というのに少しマゾ的に喜んでいる節が感じあれなくもない口調ではあるとは思うが——実際に自分がそれを体験したならば、少なくとも彼らが本気でげんなりしていることは理解できるのだった。つまり、今、俺も彼らと同じ気持ちなのだった。いつまでたっても決まらない二人の服選びに耐えきれなくなって、店の外に出て空を見つめている俺であった。
しかし、
「——何やってるのよ! 百合ちゃんが好みの服見つかったのよ。早く中に戻ってきなさい!」
俺を呼び戻しに来た喜多見美亜が言う。
すると、横で少しぎょっとした顔になるチャラ男二人。
そりゃそうだ。女装したまま原宿に繰り出している喜多見美亜が中にいる「俺」様。その姿は抜群の化粧技術もあり、ちょっと背の高い女にしかみえないのだが、声はごまかせない。やっぱり女に聞こえない太い声に、その正体はあっさりとばれてしまっているようだった。
すると、それは、そういうのに優しい世の中になって来ているといっても、やはり結構異様な感じはするわけで、男二人はさっと目をそらし関わりになりたくないと言ったようすがありありとわかる。
で、チャラ男さんたちからも見捨てられた俺は、
「ほらさっさと中に入って! 時間は有限なのよ。ぼやぼやしてないでさっさと服を選んで次に行くわよ!」
理不尽にも怒られて店の中に引きずり込まれていくあった。
店内では、獲物を狩る目をした女の子たちが服を手にとってじっと見つめていたり、店員と何か話していたり——さっきのチャラ男たちのようには逃げれなかった、うつろな目をした彼氏らしき男になぜか半ギレになりながら服のコーディネイトの意見を聞いていたり……なんだか少し緊張感のある光景が繰り広げられていたが、
「あっ、美亜さんこれどうでしょう」
連れて行かれた試着室では、百合ちゃんが中に入った喜多見美亜はなんだか派手な服に着替えて恥ずかしそうにしていて……
……………………あっ。
——いかんいかん。正直見惚れていた。
喜多見美亜はやっぱり見てくれは完璧で、その中に天使の百合ちゃんが入ってるとすると、はっとするほど綺麗だ。
でも、
「ちょっと大胆だな」
細身のワンピースはスタイルの良い喜多見美亜にはとても良く似合うのだが、胸元と足のスリットが少しきわどすぎるような感じがするのだった。俺は、我に返ったあと、それを冷静に指摘する。すると、顔を赤らめる喜多見美亜——と言うか、その中の百合ちゃん。
そして、
「そうよね。自分が着るなら確かにこれ選ばないけど、でも人に着せてみるならなんか試して見るかなって気になって——調子に乗っちゃってたごめん」
喜多見美亜も同じこと思っていたようだった。
「いえ……」
しかし、
「——似合ってるな」
「はい?」
「確かにちょっと大胆なんだけど、これはこれでありじゃ無いか」
なんというかこれがビッチなギャルJKが来てた下品になりそうなかんじもするのだけれど、健康的というか凛とした感じの喜多見美亜が着ると、むしろ高貴な感じさえするというか、内から出る美しさというか——って俺何考えてるの? 少し褒めすぎ? 俺はまるで好きな人のことを見るような熱っぽい目にいつの間にかなっている。
いや——だめ、だめ。
喜多見美亜は喜多見美亜なんだ。見かけに騙されちゃいけない。
俺は心の中で自分の頬をビンタして正気に戻る。
すると、
「そうよね。実はこういうのもしかしたらって思わないでもなくて……なんかこれならありな気がするわよね」
喜多見美亜も実は同じ結論に至っていたようだ。
「逆に今、私は自分で着ているから恥ずかしくて、服が似合ってるかどうかは……」
「それ! それよ!」
「はい……?」
いきなりテンション高くなった喜多見美亜に少しびっくりした感じの百合ちゃん。
「自分ってやっぱり客観的に見れないじゃ無い?」
「——? ——そうですね」
「自分をここまで客観的に見れることなんて……こんな風に体入れ替わって「他人」になってみなきゃできないことじゃない? つまり私は初めて、自分を見ることができたということなのよ」
確かに、こんな入れ替わり現象みたいなことがないと、実際に自分がどう見えてるかなんて本当のところは分からない。鏡を見ても、ビデオに撮っても、声の録音を聴いても、人の評価を聞いても、あくまでもそれは近似でしかなく、本当の自分というのは自分では見ることができないのだ。でもこうやって入れ替わって自分を見てみれば、自分の思い込みを外れた本当の自分の姿を見ることができて、
「で、そうやって見てみたらこの服結構ありかなって思えてきちゃった。これってはじめて自分のことが本当にわかったってことだよね」
となるのだった。
なんだそれ深いな。おれは思わず一瞬考え込んでしまう。これ——真に客観的に自分を見る——って……服とかだけじゃなく何事でも、自分を自分で見る、自分というものを知る、その絶好の機会を、今、俺らは貰っていると言うことだよな? 俺は、そのことに気づき、ハッとして、もっと深くそれを考えたほうが良いのではと思うのだが、
「じゃあ、こんどはあんたが着替える番よ」
と言う喜多見美亜の言葉に思考は中断する。
ああそうだった。俺は俺——と言うか今俺が入っている百合ちゃんに似合いそうな服が見つかったからって呼び戻されたのだった。
「はい、これ」
俺は「俺」——喜多見美亜から真っ白でふわっとしたワンピースを渡され、
「それでこれ」
次に渡されたのはつばの広い麦わら帽子。リボンがついて形もデザインされた可愛い帽子。
うわっ、これはもしかして、
「高原の避暑に来たお嬢様的ファッション。百合さんにぴったりだと思うのよね。あなたもそう思うでしょ」
言われて、今までに無いくらい高速で首を縦に振る俺。これは見てみたい。直前に考えていた、ちょっと哲学的な思索などもうどうでもよく、ストライクゾーン真ん中に豪速球投げ込まれて反射的にフルスイングしようとしている俺だった。
しかし、
「じゃあ、着替えて——あんまりと言っても百合さんの下着姿見ないようにちゃんと目をつぶって……」
「えっ?」
喜多見美亜の言葉にあれっと思う。
だって——俺は百合ちゃんの体に入ってから、着替えとかトイレとかプライバシーに関わることしなきゃいけない時はすぐに意識がブラックアウトして——何も覚えていないのだった。喜多見美亜の中にいた時もそうだった。前に喜多見美亜の妹と風呂に入ることになった時に随分と意識が続いていたことがあったが、それが特例で他の時はドアをくぐるとすぐに意識がブラックアウト。
でも、もしかして、
「おまえ、もしかして着替える時、意識あるの?」
「へっ?」
「俺は、体入れ替わってからは、風呂入る時とか、トイレ行く時とか、ドアくぐったあたりで意識が飛んで、無意識のうちに終わってるんだけど——おまえは違うの?」
「私もそうです。お風呂とか向かうと途中で意識が無くなって、気付いたら終わっていて……」
「………………?」
なんだか怪しい。
「もしかして、おまえは俺の裸とか見ちゃって無いよな? せいぜい下着くらいだよな?」
この入れ替わり現象起きてから、入れ替わり倫理規定がもっとも緩んだ、下着姿まで進んだ(そして喜多見美亜の妹の美唯にブラを外される瞬間に意識が飛んだ)時の経験を言って探りを入れてみるが、
「そ、そうよ……でもはみ出た時はしょうがないじゃない……」
「はあ?」
思った以上にヤバめの発言が帰ってきた。どうも入れ替わり倫理規定は男女で非対称なのかもしれなくて、
「朝とか、男の子ってしょうがないんでしょ……」
なんか小声で、俺の純潔が危なそうな発言が飛び出てきているのだが、
「——そんなの、ともかく。着替え、着がえよ! タイムイズマネーよ。マネーが時間なのよ。うかうかしてると服も高くなっちゃうわよ!」
俺もこれ以上追求するのが怖くて、喜多見美亜の言葉に乗って、そのまま意識が飛んで……
「うわあぁああ! かわいぃいいいい!」
着替えがすんで避暑地のお嬢様ファッション出てきた俺=百合ちゃん。フリルとリボンのついた白いワンピースに可愛らしい帽子。思った通りとても似合う。俺は自分で自分の姿を見てにやけてしまうくらいだった。
うん、これは良い物だ。最近年齢が二十四歳から三十五歳に設定変更になったと言うあの人に渡すのはもったい無いから、このまま百合ちゃんに渡してしまおう。そしてこのままショッピングも終了してしまおう。と言うか、これでやっと買い物から解放されると俺はほっとしながら、俺の姿を見て嬉しそうにしている二人にピースサインを返すのだが、
「うん。これでだいぶ絞り込めたわね、第一候補がこれってことで」
「はい。でも……」
「分かってるわよ。他の店ももっと見てから決めるから。ここは私の分も含めて保留ということで……」
どうにも女子の買い物は際限がないのであった。
*
俺たちは、その後も、買いもしないアクセサリーの店だとか雑貨の店だとかも冷やかしながら、原宿界隈を散々ぐるぐるした挙句、いつの間にか夕方になり、いい加減腹が減ってたまらないということで、その時いた路地から大通りに出たところにあった——夜でも世界の朝食を出すとかいう店でキューバの朝ごはんを食べながらやっと一息つくのだった。
結局ここまで買ったのは、両方とも古着屋でお手頃だった質の良さそうなブラウスが一枚づつ。聞いたら二人とも今日の予算はそれくらいしかなかったらしいが、それならなんであんないろいろ高い店もまわったの? と俺はどっとつかれてしまうことしきりだが、
「まあ、買えなくてもこうやって妄想して回るのも楽しいのよね」
そしてそれに付き合わされて疲労困憊の俺なのであった。
でも——こんな考える間もなくばたばたと引きずり回されて、今日に限って言えば、かえって良かったと言えるかもしれない。
だって、ふと心が落ち着けば、すぐに思い出すのはあの女のこと。百合ちゃんを陥れた犯人。まだ理由も経緯も分からないが、中学時代の百合ちゃんを無実の罪をきせて、その上、まだ今日も何か企んで、百合ちゃんをさらに陥れようとしているらしき女。王禅寺沙月。
天真爛漫で明るい良い子のふりをして、陰で見せるあの目の残酷さ。どんな事情があるのかわからないが——どんな事情でも絶対許せんと思うに足る絶対悪。もし今日、何もしないでぶらぶらしていたらずっとあの女のことを考えていたに違い無いのだった。そしたら俺の心は怒りで張り裂けそうになって、と言うか張り裂けて、どんな暴挙を行っていたかもしれない。
事実、今こうやって落ち着いて食事をしていれば、二人の会話からふと外れた時に、我に返って思い出すあの顔。怒り。それは多分俺の顔を歪め、
「どうかしたの」
喜多見美亜の注意を引く。
そう、家に帰ってからやってきたメール。
「じゃあ、全部話して貰おうかしら」
確信を持ってそう言い切られるほどに、俺はあからさまにおかしくなっていたのだった。




