俺、今、女子朝喫茶店中
さて、作戦会議であった。
向ヶ丘勇を美唯ちゃんに嫌ってもらうための一大ミッション。
名付けて、「お兄ちゃんの、バカ、アホ、嫌い、縁を切る」作戦!
——略してOBAKE作戦である。
オバケ的な俺の真の姿を見せて、美唯ちゃんをドン引きさせようというのが目的であった。あいつと入れ替わる前の孤高のボッチオタクであった頃の俺。
それは、クラスのパンピーから見たら、意味不明で、話が通じなさそうな、なんか怖い奴。まさしくオバケであったに違いない。
そんな俺を見せることで、美唯ちゃんの間違った恋心を叩く——作戦。
OBAKE——オバケ!
——良いじゃないか。
そんなのがドロンと出てきたら普通逃げるだろ。
中学校女子なんて特に本気で怖がるだろ。
怖い話だいすきなくせに、聞くと死にそうな顔になるんだよな連中は。
ならば、見せてやろうじゃないか本物というものを。
どんな○も、ど○な時も俺が俺らしくあれば、嫌いなものは嫌いと言ってもらえるだろうというプロジェクト……。って、例の組織対策で、途中少し伏せ字にしてもらっているが、まあ成功は間違いがないと確信して……。
土曜の朝、俺がいるのは、おじいさんマスターのやっている、例の閑散とした喫茶店であった。相変わらず人の全然いない店である。渋すぎてリア充高校生なんて全然こない、俺的にとても落ち着く場所アンドひそひそ話に最適の場所であった。
今は、朝の八時。歳のせいか朝の早いマスターは7時くらいから店をやっているらしいが、果たしてそんな時間にこの渋い場所に訪れる人なんているんだろうかと思いいながら、いつも以上にガラガラの店内を予感していたのだが……。
満席ってほどじゃないけど、意外に混んでる。店は、ここに通ってウン十年、朝の散歩していたらしき熟年老年世代の人で結構なにぎわいを見せているのだった。ああ、そうなのか。俺は得心がいった。この店の真価っていうか、一番はやっているのってこの時間だったんだな。
でも、混んでいても、いい感じに枯れた人たちばかりが集まっている店内は以後ゴチが良い。チャラチャラした若者や、ギラギラしたビジネスマンなどもいない、落ち着いた様子だ。あまり他人に関心なさそうな人ばかり。これなら、今日の作戦会議をここでするのも問題ないなって思っていたら、
「おはようございます美唯……向ヶ丘くん」
「百合ちゃん、おはよう」
そんな店内で唯一感じた視線に振り向けば、ちょうど中に入ってきたのは百合ちゃん——麻生百合——であった。
「こんな朝早くから悪いね」
テーブルの向かいの席に座った百合ちゃんに向かって、すまなそうに俺は言う。
「いえ、今日はお父さんと柿生が親戚の家に行く用事があるから、朝ごはんとか早く作らないといけなかったので……ちょうど良い時間でした」
でも、もちろん、そんなことで俺に気を使わせたりはしない。ほんと、良い子なんだよ。百合ちゃん。
そのうえ、苦労人だ。
早くにお母さんを無くした麻生家では、百合ちゃんが家事全般をずっとしている。食事だけならまだよいが、掃除洗濯、ゴミ出し、回覧板の受け渡し……。お父さんもかなり頑張って手伝ってくれるが、どうにも、——朴訥な良い人だが、会社が忙しくていつも疲れ気味な上、不器用な上、あまり戦力にならない。
いつもでも、6時には起きている百合ちゃんだから、今日、お父さんと柿生くんが早く出るというのなら、相当早くに起きていたのでは。柿生くんも、足の障害にも関わらずかなり家事を手伝ってくれるものの、やはり限界がある。
正直、俺が前に百合ちゃんと入れ替わった時には、高校に通いながらの家事に、すぐに根を上げてしまいそうになったものだ。喜多見美亜に入れ替わった百合ちゃんが手伝いに来てなければ数日で倒れてしまったかもしれない。
で、今日もまたそんな日常を事も無げにこなしてからやってきた百合ちゃん。
その姿、清らかな心、まさしく天使だよな。
「……ん? 向ヶ丘くん、私の顔になんかついてますか?」
と、思わず見惚れてしまっていた俺。
「——! あ、なんでもなく……」
慌てて、しどろもどろになりなるのだが、
「なんでもないならよかったですが……。ともかく、困ったことになりましたね」
なんとなく追求してほしくないことを察した百合ちゃん。
「美唯ちゃんが戻りたくないって言ってるんですよね」
確かに、今は見惚れている場合でない。
「ああ、週末だけとは言ってるけど……」
そんなのは喜多見美亜の体に戻ってからにすれば良い。それよりも、いつか、——というかなるべく早く、自分の体に戻れた暁には、俺は見惚れているだけでなくもう一歩を百合ちゃんに向かって踏み出そうって思うのだが、
「……? なんか面白いことありましたか」
あ、今度は顔がにやけてしまってた?
「——! ……っ、それは後で……」
「……後?」
「ああ、やっぱり、なんでもなく……」
不思議そうな顔になっている百合ちゃんから視線を逸らしながら、必死になんでもないような顔をする俺だが、どうしても微妙な顔になる。——だって、なんでもなくないからな。
俺は、頭の中で一気に広がった将来の妄想のせいでニタニタした顔を打ち消すのに必死なのであった。その妄想は何かって? それは、俺が自分の体に戻った後にするべきチャレンジの後に得た結果。
え、結果って何なんだっていったらそりゃ……。
「……お箸が転がってもおかしい年頃っていいますからね」
「……?」
「美唯ちゃんの年頃は私もそうでしたよ。ちょっとしたことがおかしかったり、面白かったりしてたまらなくて……」
そういうことか。
中一女子になってしまった俺はなんでも敏感で、感性が活発で、ちょっとしたことでおかしくなってしまってたまらないのだと思われていたようだ。
「……そうそう、なんか中学生の体と入れ替わってから、ほんのちょっとしたことがおかしくてたまらなくて」
ならば、都合が良い。
俺は、百合ちゃんの話に乗っかることにした。
しかし、
「そうですよね、あの頃は、なんでも面白くて、ちょっとしたことで笑ったり、泣いたりして……」
「あ……」
そんな天真爛漫で穏やかな中学校生活を送っていた百合ちゃんが、例の事件をきっかけに友達どころか話しかける人もなく、孤独で沈んだ顔をした学生生活を送ることになった経緯を思い出して、俺は思わず絶句する。
幼なじみにして、最大の親友であった沙月の嫉妬によってぶちこわされた百合ちゃんの中学生活。
「ごめん……」
「ごめん? ああ……」
百合ちゃんは、俺が何を思ったのかがわかったようだ。
「……そんなつもりで言ったんじゃなかったんですよ。こちらこそ気を使わせて……。確かに、私の中学校時代は途中で散々なものになりましたが、それも向ヶ丘くんが解決してくれたじゃないですか」
いや、あれは解決と言えるか微妙だ、結局百合ちゃんの初恋も大親友との友情も俺が壊してしまったようなもので……。
そのうえ、真実がわかった後も、百合ちゃんも俺たちもそれをクラスの皆につたえることはなかったので、百合ちゃんのクラスでの立場は微妙なままだ。
もちろん、今更、事の真相をクラスに伝えて、自分を避けたり陰口を叩いていたような人を刺激してもろくなことはないとは思う。
下手すりゃ、ひどい陰口たたいてたような、ロクでもない奴ほど、自分が無実の者を害していたことの罪の意識から、逆ギレして、陰口を叩かれたままになっていた百合ちゃんが悪いだとか、そもそもそんな事件に巻き込まれる事が忌避されるべき人物なんだとか言いかねない。
百合ちゃんは、真実を知ってもらっても、みんながいやな気持ちになるだろうとか、クラスの雰囲気が悪くなるだろうとか、保身ではなく、純粋に自己犠牲的な気持ちから何も言わないことを選択したのだろうけど、——俺は、言ってしまったあとの弊害を考えてそうするべきではないと思って口をつぐんだつもりだ。
でも、
「ふふ。今は、わかってくれる人がいるだけでも幸せですよ。向ヶ丘君とか喜多見さんとか……」
「……いや」
百合ちゃんが俺ににっこりと微笑む。
俺は、もしかして、この笑顔を独占したくて、そんな選択をしたのではないかと、心の奥にもやもやとした黒い雲のような嫌な気持ちががわき出すのを感じるが、
「……まあ、そういう話はおいておいて……、何か注文した方が良いでしょうか。こんな店に来てから言って申し訳ないのですが、実は苦いのは苦手で……残してしまったら申し訳なくて……」
「なら……」
俺はモヤモヤは一度棚上げをして、困ったような顔の百合ちゃんを助けることを優先する。考えてもすぐに答えのでないことでなく、今すぐにやれること、やらなきゃいけないことからこなしていく。
俺たちは、喫茶店に来たのだから、何かを頼むというのは、何をさしおいてでもしなければならないことだ。ならば、それをすることで、なんか心のつかえが一瞬とれ、するとその後にしなければいけないことに立ち向かう勇気も生まれる。
俺は、この店でコーヒー以外の唯一の飲み物、ホットミルクを百合ちゃんにすすめ、
「……マスターがコーヒーと合うように全国中探して見つけた、なんか特別な牛乳らしくて、これがコーヒー無しでも絶妙に甘くて、美味しくて……」
興味深そうに俺の話を聞いてくれる百合ちゃんの顔を見ていると、今するべきことは、罪の意識を忘れるのではなく、起きてしまったことの懺悔でもなく、この笑顔を続けさせるためには自分が、何をしなければならないのかというような気持ちになり、
「もし、朝ご飯あまり食べてないのなら、ここのトーストとスクランブルエッグのモーニングも最高で……」
「あ、今日、実はお父さんと柿生の分だけ朝食を作ったら力つきて、ああまったサラダくらいしか食べていなくて……」
「それなら……」
すると、何となく、今なら、百合ちゃんの笑顔を見ていれば、世界を敵に回しても勝てるという気分になるから不思議だ。
そして、喫茶店での朝が、そんなやたらとポジティブな気持ちで盛り上がって来た頃に、
「おはようございます! マスター。今日も良い天気だね!」
ポジティブを通り越して脳天気な喜多見美亜なのであった。




