俺、今、女子里山散策中
で、とっさに思いついた俺の提案——今日行く場所は聖蹟桜ヶ丘——はあっさりと受け入れられた。
「ああ、聖蹟桜ヶ丘良いですね。そこも今日行ってみようと思ってたんですよ」
との武蔵さんの話であった。
今日の休暇の目的は、リフレッシュのため、多摩の里山散策というのが武蔵さんの計画であれば、その場所は、里山と言うには少し開発され過ぎてる場所かなとも思えたが、
「聖蹟桜ヶ丘って、あの舞台ですよね……ええと、有名なアニメで……」
はい。その通り。国民的人気アニメスタジオの数々の作品の中で、放送の度に破滅の呪文が日本中でつぶやかれる天空の話でもないし、巨神兵やらでかい虫の出てくる風の谷のなんとかでもないし、大泥棒の三代目が少女の心を盗んでいく話でもない……地味目の作品ではある。
いや、後ろの二つはジ○リでないだろってつっこみはむしろ待ちなのだけれど、それならもののけのお姫様の話でも良いし、飛ばない豚でないのでただの豚でない紳士の話でも良い。
ともかく、あのスタジオの一連の作品の中では目立っている方の作品ではないが、——結構根強いファンも多い渋めの名作だ。誰でも見てるって類ではないが、見た人は結構深く感動してる系……。
でまあ、武蔵さんも結構気に入っている作品のようで、
「良いですよね。なんか……そう、何で気づかなかったんだろ。多摩地区に来るなら見たいところの一つでしたよ」
結構ノリノリな雰囲気である。あのアニメが気に入っているということならば……ラッキーである。
俺は心の中で思わずサムズアップをした。
あのアニメを見てないなら、——見てないなりに単に今日の里山探索の一巻として流すかと思っていた聖蹟桜ヶ丘であるが、あの作品を見ているのならば、それにあわせて今日の一緒の時間を盛り上げていけばよい。
いわゆる聖地巡礼である。
そしてアニメの最後のように——プロポーズまで持って行ったら……?
エンディングが、見えた!
やっとめでたく、アラサー女性教師の境遇から逃げられる!
俺は、その瞬間を思い起こせば、思わず顔がニタッとなるのを押さえることができかった。
——ほんと、もう限界だよ。
アラサーが悪いのか、教師という職業が悪いのか、それとも未熟な俺が悪いのか……。まあ、最後なんだろうけど——。高校生に責任ある大人の役割なんかこなせと言われても辛すぎる。きつすぎる。
高校生は高校生なりに大変だと思ってた。大人は勉強がなくて良いなとか勝手に思っていたのだけれど……。
——やっぱ無理。
稲田先生が元の体に戻る条件として出してきたのは結婚相手を見つけることだったのだけど、今のアラサー生活がもう一週間くらい続くなら、土下座しててでも元に戻して欲しいと懇願しようかという気持ちであった。
——が!
今日、武蔵さんの気持ちを掴んでしまえば問題ないのだ。
稲田先生の指示の通り、武蔵さんの心を略奪してしまえば良いのだ。
揺れ動く三十男の思いを、先生の方に傾ければよいのだ。
奥さんと別居中でも、まだまだ未練は感じられる武蔵さん。
カッとなって喧嘩してしまったが、憎んでいるわけでなく、——愛情はそのままで、よりを戻したいと思っているのはありありだけど……。
でも、稲田先生は、ここで、このチャンスで武蔵さんをモノにしたいと言うのだ。
アラサーで、周りの結婚プレッシャーもきつい状況で焦っているというものある。このまま、ぼんやりとしてたらいつまでも結婚できない。だからここで頑張らなければという思いもあるのだろう。(頑張るのは先生と入れ替わった俺だろというのはおいといて)
それに……、きっと気づいてるんだろうな。
——武蔵さん、このままだと奥さんとよりを戻すだろうって。
だって、それが武蔵さんの望みだろうから。
それを稲田先生に言ってもらいたいだけなのだから。
引っ込み思案な二人どうしなせいで、恋人関係にはならなかったけれど、かつての相思相愛の女性で、今も絶対にその想いがわすれられていない武蔵さんなのは間違いない。
でも……、それだからこそ、その想いを、想う本人から断ち切って欲しいのだ!
先生の気持ちは置いといた、男の方側からの勝手な論理だと思うが……今回の自然な流れはこれしかないのだと俺は思う。
それでも、——もしかしたら、また何年後かに武蔵さんが奥さんと険悪になって稲田先生がかつての想い人をゲットするチャンスが巡ってくるのかもしれないが……。
何年後かわからない、またあるか無いかわからない、そんなあやふやな可能性にかけて待っているわけには——もう焦らないといけない年頃であるというわけなのであった。
たぶん、このまま、そのまま、なすがままに放っておくと、苦しい時に助けた稲田先生は「良い人」で終わり。だから、先生は、強引にでも……少し危険をおかしてでも武蔵さんの心を掴みにいかねばということなのだ。
そのため、
「じゃあでかけましょうか……」
助手席で首肯する俺。
正直、罪の意識とか、本当にこれが良いのかとか悩む気持ちとかが、心のなかでもぐるぐると繰り返し現れるのだけれど——賽は投げられた。ルビコン川をわたってしまったのだった。
ならば、ローマ本国に攻め入ったカエサル——稲田先生は、その後には、勝利者となるか敗者になるのかの選択しかないのだ。
——もう無かったことにはできないのだった。
ならば、車は進む。
決戦の場所——女にとっての戦場に!
ということなのであった。
*
しかし、いきなり聖蹟桜ヶ丘に行って聖地巡礼というか主人公がプロポーズされた丘に行って雰囲気作ると言うのは性急である。拙速である。こんな朝早くから、丘の上から街を眺めても、武蔵さんも爽やかな気分にしかならないだろう。
そもそも多摩地方の里山を歩きたいと言う武蔵さんの今日の目的から大きく逸脱して、恋愛アニメ映画の聖地をたどるだけにすると言うのもあまりにあからさまである。
なので、最初は、この辺の里山を探索すると言う武蔵さんの今日の休みの目的を、まずは叶えることにした。
「聖蹟桜ヶ丘に行く途中、いろいろ里山とか見ていくことにしましょう」
その、俺の提案に武蔵さんが反論あるわけも無かったが、
「小沢城……すごい住所ですね」
最初にやってきたのは、よみうりランド駅近くの小沢城跡であった。
多摩川から続く平地から切り立つ、険し目の斜面の、ちょっとした丘の上に平安時代末期に城が築かれたが、鎌倉時代の武士同士の争いの中で廃城となりその後再建されることもなく城の築城あとのみが残る場所なのであるが……。
その住所がちょとあれなのである。
昔は小沢という地名の場所に作られたから小沢城なのであるが、現在の住所が「川崎市多摩区菅仙谷」なのであった。
そのあと自民党の長期政権が続き忘れてしまいそうになってしまっているが、当時の民主党政権時代の重鎮、小沢、菅、仙谷の名前が全部入った奇跡の住所として当時ネットなどで話題になった場所なのであった。
そのころまだ小学生であった俺は、民主党政権の重鎮といわれてもピンとこないのであるが、当時父親がこの地名を面白がって俺をなんどか散歩に連れてきていたのを思い出して伝えたところ——つかみはOK。
そもそも、名前と住所だけでもうありがとうという気持ちの武蔵さんは、
「……うわ、綺麗な場所ですね」
ワクワクの心で入った、木漏れ日に照らされた、夏の終わりのしっとりとした林の風景にさらにワクワクのテカテカの心持ちとなるのであった。
そして、有志が緑地保存をしているいう城址後の、適度に上り下りする道を進み、ひらけた広場で一休みすれば、
「もうすこし登りますか?」
そのまま、よみうりランド遊園地へ向かう道路に出て、ちょっときつめの斜面を登る。
「ここから、森の中歩けますよ」
プロ野球球団所有の球場の横から森の縁の小さな道に入り、テレビ局の敷地と遊園地の敷地の脇をぬうように進む。
この辺は、ジョギングついでに結構走っていたので土地勘がある。
「このまま、時々住宅地ぬけながら、ずっと森の中も歩けるのですが……」
ここから、俺の家や学校まで5kmとかじゃきかないと思うが、その間のかなりの部分を森の中を通れるルートを俺は開拓していた。武蔵さんの今日の里山探索の目的であれば、またとない絶好の工程である。
里山と、その途中を開発した住宅地の共存を見ながら、夏の終わりの爽やかな日陰の中を歩くことができる。
けど、
「この辺で戻りますか……」
少し息があがっている感じの武蔵さんの姿を見ながら俺は言う。
普段あまり運動してそうな感じではない武蔵さんをあまり遠くまであるかせても疲労で、このあとロマンティックな気持ちどころじゃなくなるかもしれないし、喜多見美亜の体の中にいる時のつもりでペース早めで歩いたら、アラサー女子の稲田先生の足は少々もつれ気味。
森をぬけ、住宅地を少し下り、残された森の隙間から遊園地のジャットコースータが遠景に見えたりする景観スポットなどを紹介しながら、俺たちは車に戻る。
——でもまだまだ午前も始まったばかり。
まだ昼食にも早いと、少し遠くまでいくかと、多摩丘陵の斜面をずっとのぼり、大きめの緑地公園を目指す。
自分の地元の多摩川近くのあたりも、緑が多い場所だなと思っていたが、丘陵をすすすめば、その色の比率はさらに高まって行く。
丘陵の中でもさらに丘となっている場所はそのまま森のまま残されていて、もしこの辺を本気でくまなく散策したら、素敵なルート色々あるんだろうなと思いつつ、全部寄ってては、時間が無くなり、聖蹟桜ヶ丘に行く計画に支障がでそうなので、むか向かったのは小山田緑地。ゴルフ場に分断されながらも、広大な里山がまるまる緑地公園として残されていて、ハードすぎず、人工的すぎす程よく里山の雰囲気を感じられる場所だ。
ここは、俺が幼児の頃、母親が遊ばせる場所に困ったら、ちょっと車で遠出して、連れてきてくれた場所であった。
ただ、そのあと小学校高学年からあとは、俺がそんな公園とかであるいても面白くなさそうになってきたのであまりこなくなり……。
でも、久々に来てみたら懐かしいな。
ああ、ここで転んだとか。ここで斜面に足滑らせたとか。ここで木に登って怒られたとか……。
どうにも、自分がろくな事してないのばかりを思い出すが……、まあもちろんそんな事ばかりではない。
かなり、詳細は忘れてしまったが、両親と一緒にこんな野山をかけた日々。
なんとなく、覚えているのは——愛情。
暖かい眼差しに包まれて、世界は限りなく幸せな場所としてあり、そんな世界を俺は全幅の信頼を持って受け入れる。
草地を思いっきり走って、転げ回っても、振り返ればそこには必ず親がいた。
俺はそんな二人をみてにっこりと笑う。
すると、両親も笑い、その周りの世界も嬉しそうに微笑む。
でも、
「あれ……?」
「どうかしましたか?」
俺が、そんな楽しい幼少の頃の記憶を思い出しながら振り返りみた武蔵さん。
「……いえ、ちょっとぼんやりして……先に進みましょう」
俺の言葉に、軽く首肯してから歩き出した、稲田先生の想い人の横に立つているのは……。
幼少の思い出から戻った俺が、自分の両親に重ねて見た武蔵さんの脇に立つのは、どうみても稲田先生の姿では無いような気がしてならなかったのであった。




