俺、今、女子観戦中
俺は目の前の幼女エルフを見て、背筋が凍りつくような恐怖を感じた。
彼女の姿かたちはこの間のままだ。将来は相当な美形になるだろうと思わせる、端正で整った、しかし、まだあどけなさの残るかわいらしいその顔立ちやしぐさは、俺を刺し殺した時と何も変わらない。
その外見だけは。
だが、その外見でも隠しようのない、その心のうちの残虐さ、体からにじみ出る強者の迫力が俺から言葉を奪った。俺は幼女エルフに天使のような笑みを向けられただけで、その場に固まって動けなくなってしまったのだった。
こいつは、……強い!
というか、ヤバい。
——戦ってはいけない。
——すぐに逃げなければならない。
聖騎士ユウ・ランドとしての本能は、今のこの状況が火急の緊急事態であることを伝えてきた。この幼女エルフはがんばって戦えばなんとかなるという相手ではない。下位とはいえ、——喜多見美亜の協力を得たとはいえ、竜を狩るまでとなった俺が、かなわないどころか、触れることさえできないかもしれない相手。俺は、か弱いエルフの幼女を見て、何の疑いもなくそう思ったのだった。
こいつは、いったい何者なんだ。俺は全身が逆毛だつような恐怖にさいなまれながら、目の前の化け物を見つめた。
「あっ、ごめんなさい。名乗るのを、忘れてた。あなたには、この後死んでもらう、——永久に消えてもらうのに、誰に殺されたのかもわからないと成仏できないよね、私の名前は愛の音と書いて愛音」
あやね? 日本人っぽい名前だけど、このゲームのプレイヤーなのだろうか。いや、ただのゲームプレイターがこんな異様な迫力を出すことができるとは……。もちろんそういうキャラクターをアバターとして作り出したのなら別だが、——こんなの本当に作れたらバグだろ。
これは明らかに、想定をはるかに越えている。いや、想像力を越えている。人間が作り出せる創造の限界を越えているのだ。もし、そんな存在があり得るのだとすればそれは神か……、
「——悪魔よ。こいつは、神なんかじゃないわ」
突然、俺の後ろから聞こえた声の主は、
「あらあら、私を悪魔呼ばわりするあなたは、何者かしら?」
「女神よ……アルバイトだけどね。それより、——お父さん、どいて! そいつ殺せない」
現れたのは、俺をお父さんと呼ぶ謎の少女。この世界で女神をしているという片瀬セナであった。
「は! 大きく出たね。半神風情が、この私を殺すだと」
「……」
少女——セナは幼女エルフの挑発にのらずに、じっと油断なく相手を睨みつけている。
「……まあ、良いわ。あなたも戦ってくれるということは、ここで一挙に原因と結果をまとめて取り除けるってことになるわね。むしろ、願ったりかなったりよ。つまり、飛んで火に入る夏の虫ってことね」
原因と結果? エルフの言っている意味が俺には良くわからない。それは、片瀬せなと俺のことを言っているのか?
「しかし、まさかこの世界に特異点が飛び込んでくれるとは思わなかったわ。こんな辺鄙な世界じゃろくな獲物は来ないだろうと、配置がここになった時にはふてくされていたんだけど……大逆転ね。これは、次の査定は期待できるかもね、——ってのはともかく」
幼女エルフの言葉に、女神セナの眉がピクッと動く。
「……この間はこの聖騎士さんの招待に、気づかなかった私が間抜けだった。体が入れ替わってた位でその魂に気づかないとは」
反省しながらも、嬉しそうに、舌をぺろりと出して口の端を舐めるエルフ。
その酷薄な表情に、女神セナはまるで動じることもなく言う。
「私も迂闊だったわ。単なる性悪エルフだと見過ごしてたら、とんでもない悪霊が憑依してたとはね。知ってたらこの世界から痕跡ひとつ残さず、……いえ、あなたがいたということ、因果のすべてごと消し去ってやったのに」
憑依? この目の前の幼女エルフは、何かにとりつかれているというのだろうか。
「ふふ、その威勢の良さがどこまでつづくかしらね? 半神さん」
「そちらこそ、たかだか憑依体風情で女神に勝てるつもりかな?」
交錯する視線と視線。二人の間でぶつかり合う超常の力。
夜の街が硬質の明かりに照らされて、まるで線画のような様相に変わる。
音が消える。
ここは、——外れた。
この通りの一角は結界に包まれて、世の理より外れた。
それならば……。
「きぇええ!」
「——はっ!」
「ぎひひひひ!」
「——つ!」
「ひゃはっあ!」
「——くっ!」
目の前の空間で神々の、悪魔と女神の戦いが始まる。瞬くような短い時間で、エルフと人間、二人の幼い少女は、物凄いスピードで数撃攻防を繰り返したらしい。
いや、『らしい』というのは目でとらえるのが不可能なほどのスピードで動いていたからなのだが、俺——向ヶ丘勇——が入れ替わった聖騎士ユウ・ランドのもつ気配を読む超感覚、それが二人の戦いが信じられないほどの超弩級であることを、その片鱗を伝えてくれた。
しかし、——俺には到底太刀打ちできない物凄いレベルの二人だったとはいえ、その間には明確な差が存在するようだった。
「半端ものでも、神は神、少しはやるようですね」
戦いは、明らかにアルバイト女神——セナの方が押しているようだった。
「ふん。強がりを。あなたの憑依したからだはもう悲鳴をあげてるじゃないですか」
幼女エルフは、はたからみても疲労困憊。ぜえぜえと肩で息をして、立っているのもやっとのように見えた。着ている服もボロボロに破れて、あちこちに傷をつくっている。
だが、致命傷になるような傷はない?
——というか、なぜ・・無い?
「やっぱり、甘ちゃんですね、半端な神様は」
「……!」
最初の自信満々の大言壮語と違って、幼女エルフと片瀬セナとの間には明らかな実力差がある。それは、二人の今の状態を見れば明らかだ。今の短い戦いで、もう歩くのも難しいのではとなっている幼女エルフに比べて、幼女女神のセナ方はまだまだ余裕綽々。ちょうど良い準備運動が終わって、これから本気出しまくるぞといったような、軽々としたステップを踏みながら次の攻撃のタイミングを伺うセナであった。
しかし、ならばこそ、俺にちょっとした疑問がわく。
抑えきれない不安、懸念が俺の頭の中いっぱいに膨れ上がる。
それは、——かなりの実力差があっても、幼女エルフには、今の戦いでできたのはかすり傷だけ。そして、そのかすり傷は、服ががボロボロになるほどあちこちにできている、——エルフは攻撃を食らいまくっていたのに、致命傷となるような有効な攻撃は一つ受けていない。それは全ての攻撃を、なんとか間一髪でかわしたということも考えられるが、
「——私が憑依した|亜人《エルフ』ごときの命を奪うことができないのですよね、|女神《アルバイト』さん?」
「くっ!」
図星のようであった。女神こと片瀬セナは、きっと、エルフごとなら、とりついた悪霊(?)を倒すことは簡単にできると思われるのだが、そう・・しないように手加減した攻撃しか行えなかったのだった。
「神って、もっと冷徹で残酷な面がないといけないんだと思うのだけどね。そうでないと地上の有象無象が付け上がって崇拝しなくなっちゃうでしょ? 冷徹で絶対であるべきだと思うの。そう、それこそ、ーー私みたいにね! どう思う? 半神はんぱちゃん」
「言いたければ、ーー勝手に言ってなさい。どっちにしても、今のあなたじゃ私に勝てない。無力化した後、解呪すれば良いのよ」
確かに、今、二人の間にある実力差からいえば、このまま戦い続けるうちに、女神が幼女エルフの動きを止めて、その中の悪を追い払うこともできるのかもしれない。どうやってやるのかは、皆目検討もつかないが、片瀬セナがこの世界の女神なのは間違いはない。きっと、何かそういう力も持ち得ているのだろう。
しかし、
「ふふ、でも、これでも、攻撃できるかしら? ……えっ? あれ? 何? どうしたの。ここは、どこ? 何、何で私をにらんでいる子供がいるの? 横の聖騎士のお姉さんは何で私に向かって剣を構えているの?」
「貴様!」
幼女エルフにとりついたそいつ・・・は、今まで封じ込めていたエルフの意識を表面に引きずり出したのであった。こんな風にされたら、
「どうかしら? あなたは恐怖に震える幼女に攻撃なんてできるのかしら? ……な、何? 私のなかに誰かいる?」
「くそ!」
「行くわよ。……や、やめて!」
再び始まる戦い。ドップラー効果で変調した幼女の鳴き声をBGMに行われる、見えない、気配でしかたどれない戦い。そして、その気配は、さっきとは違う悪い予感を俺に呼び覚ます。
そして、
「ほら、ざまあない……」
予感は的中。
「うるさい……お前など……」
俺の目の前には、さっきとはまるで逆の結果があった。
泣きじゃくる幼女エルフの口元だけ不敵に歪ませて片ひざをついて足についた大きな傷に必死に治療ヒールをかける片瀬セナ。
「さて、じゃあ、そろそろもう一度いくわよ。準備は大丈夫かしら?」
「——!」
まずい、このままでは、セナは殺ヤられる。いくら神の力を持つとはいえ、心優しい、か弱き幼女である彼女だけではあの悪魔は倒せない。俺は、それに気づく。セナのその性格。ちょっと生意気だが、実は人一倍繊細で傷つきやすく、守ってやらねばならない我が……娘? このままでは、セナが死んでしまう!
ならば、
「うぉおおおおおおおおお!」
「何!」
「お父さん!」
俺は心の中に溢れ出す激情に押されるがままに、幼女エルフに向かって駿速のスキルで近づく。
すると、さすがに、俺が乱入してくることは予想外だったのか、あっけにとられて一瞬固まる幼女エルフ。俺は、その胸元にグッと近づくと、——攻撃はしない。俺の攻撃など、この化け物に少しでも効き目があるわけがない。
俺がするのは……。
——チュッ!
「え?」
俺は、幼女エルフとキスをして、その中の憑依者と入れ替わる。
「セナ! 今だ。俺を斬れ!」
そして、俺は入れ替わった幼女エルフの声で叫ぶ。
「え? うえ、……はい」
すぐに俺の意図を察し、さっと手に光を纏わせるセナ。それは神による浄化の光。存在を滅する冷酷な意志の現出。
「な、なんだ! 体が動かない!」
そう、俺は入れ替わる直前、自分——ユウ・ランド——の体に麻痺の術をかけた。もちろん、それは、自らを神と嘯くような、あの強大な存在をいつまでも封じ込められるとは思えないが、
「やめろ、……やめて……」
「……こに世界の神として、あなたを永遠に滅します、愛音あやね」
俺の意図をすぐ察したセナによって、
「くだささいぃいいいいいいいいいいいい!」
異世界のこのよから葬り去られたのであった。




