99 新たな研究対象
光が収まった室内。
床にぐったりと横たえていた男が瓦礫の上にいつの間にか立ち上がっていた。
連れの少女が感極まった様子でその男に声を掛ける。
「先生!」
「…………おはよう、シャルロット」
つい先程まで明らかに死んでいた男が息を吹き返し、立ち上がり、ましてや話し始めるなどどういう事だろうか。
アウグストは目の前で起こった奇跡とも呼ぶべき事象に思考を巡らせる。
あの少女が持っていた宝珠あれは一体なんだったのか。
眩い閃光はあれから放たれていた。
それはあの宝珠が意志を持って目晦ましの為に放った物なのか、それとも奇跡に伴う光だったのかそれは分からない。
ただ冷静に、極めて冷静に事象だけを客観的に見たのならば、それは蘇生、復活に他ならない。
一度命を落とした者は二度と生き返る事は出来ない。
この世の中で最も基本的な理であるはずのそれを、捻じ曲げて彼は復活して見せたのだ。
(これは、なんというかとても研究心を擽られますね。あれを研究してみたい……)
アウグストの素直な感想としてはそうなる。
そして気になるのは、個体としての彼の体だ。
一体どうなっているのだろうか。
今の状態はアンデッドと同様の状態なのか、それとも生きているのか。
流石に生きたまま解剖とまではいかなくても、今切り取った肉片の一欠けらがどちらであるか分析してみたい。
あれは特殊な体なのだろうか。
ならば彼だけが特別なのか。
他のシュルクでは同じ事は出来ないのだろうか。
今目の前で起こった奇跡を、例えばオリクトで再現する事は可能なのだろうか。
考え始めればそれこそ限が無いくらい彼を研究対象にしたい衝動に駆られる。
(生命の理を外れてなお生きている彼は一体……)
そんな事を考えていたアウグストだが、彼等の次の行動に更なる衝撃を受ける事となる。
見えざる声がとんでもない事を言い放った為、辺りに動揺が走り兵士達がざわめき出す。
勿論アウグストも声こそ出さなかったが、暫く彼等が言っている意味に思考が追い付かず固まってしまう。
『さてジェイド! 目覚めたばかりで申し訳ありませんが早速そちらを破壊してしまいましょう! 貴方に出来ましょうか? その勇気はありますか? 出来ないようでしたら僕が──』
「いや、いい」
決意を口にした彼がこの部屋で破壊する物など一つしかない。と言うよりもまともな物はあれしかないのだから。
(土のヘリオドール……ですか)
ヘリオドールというのは、簡単に言えば高純度の魔力結晶だと言うのがアウグストの学説である。
勿論、どのように作られたかなどの来歴は未だ不明な事も多いが、研究者として断言出来る事は高純度の属性を宿した魔力結晶は神に等しい力を持ち得るという事だ。
少なくとも先の大地の剣に見られるような大規模な魔法などは、一介のシュルクの魔力総量から算出するに不可能である。
仮にそれを行うだけの魔力を確保するとなると、特殊な魔法陣を用いた儀式などが必要だ。
――そしてそれに見合うだけの代償も。
魔法とは魔力という対価を支払わねば顕現しない代物なのだ。
命の対価となり得るだけの魔力とは一体どれほどの物なのだろうか。
やはりあの宝珠はいずれ手中に収めて研究したい。
アウグストはチラリと辺り見やると、不穏な言葉に兵士達が彼を取り囲むべく殺到する。
槍の穂先を少女と男に向けて間合いを測っている。
「と、止まれッ! 動くな、それ以上ヘレネ様にお近付きになるのは許さんぞ!」
男は一歩、また一歩とヘリオドールへと近づいて行く。
臆する事なく歩を進める彼にじりじりと間合いを詰める兵士達は皆腰が引けているが、それでも敬虔なヘレネの信者として女神の恩恵を守るべく立ちはだかるあたりはグランヘレネの教育の賜物といったところか。
穂先が彼等の目の前まで迫る距離まで接近していた。
歩む男は低い声で呟く。
「……何が許さないだ。許すつもりなど毛頭ないだろう、君達は」
弾けるような音が響けば、兵士が力なく膝から崩れ落ちる。
恐らくは雷の魔法か何かだろう。
それにより兵士は絶命し、後ずさった分だけ道が開ける。
「水や風の魔力を持つ者を許してくれた事があったか。儀式を嫌がる子供達を許してくれた事があったか。…………ヘレネ様の為に死ねなかった者を、自由になる事を許してくれた事があったか」
そう言って男は振り返るとシャルロットと呼ばれた少女の頭に手を伸ばし、その胸元へと抱き寄せる。
「許してくれなくて結構だ。俺こそ君達を許さない────絶対に」
閃光と共に放たれた魔法は、金属の甲冑を射抜き次々と兵士達が地に付していく。
アウグストが今まで見てきた魔術師の中でも素早く正確に雷の魔法を放って見せた手並みの鮮やかさから、相当の使い手である事が伺える。
(男の方は魔術師でしたか……)
だがしかし――。
神々の恩恵たるヘリオドールを破壊するほどの魔力を果たして彼は持ち得ているのだろうか。
確かに生き返るほどの魔力を宿した彼ならば可能なのか。
研究者としては、ヘリオドールがどの程度の強度であるかなどは知りたくても出来ない実験である。
アル・マナクが仮にその実験を行ったならば、全てのシュルクから恨みを買う事が間違いない。
そんなリスクを冒してまでヘリオドールの強度実験など出来る筈もない。
だからこそ。
今この場で起こる事をしっかりと目に焼き付けよう。
恐らくヘリオドールを破壊すると言う不遜な事を行う者は他に居ないだろう。
そしていつかケフェイドにある火のヘリオドールも彼は破壊しにやってくるかもしれない。
その時の対策の為にも。
(彼には注意せねばなりませんね……差し当たっては監視をつけますか)
アウグストは思考しながらも目の前の成り行きを見守っていた。
雷の魔法で倒れた兵士達とそれに臆した兵士とでどうやら明暗が分かれた様である。
彼は再びヘリオドールの方へ向き直る。
「行こう、シャルロット」
「は、はい……」
手を繋いで歩く彼等の後姿を見ながら、今度は少女の方に注目してみる。
シャルロットという少女の報告をどこかで見たはずだ。
そう、あれはカインローズが提出してきた物の中にあったはずである。
であるならば彼女はセラフィス家の次女、リーンフェルトが探していた妹という事か。
確かによく見れば、どことなくリーンフェルトに似た部分もある気がする。
尤も胸元のそれに関して言えば姉の方は完敗であるようだ。
しかし、なぜその彼女がこのような所に現れたのかは依然として不明である。
彼は掌をヘリオドールへと伸ばし、魔力を流し込み始めた。
研究の為と少量の魔力をヘリオドールに流した事のあるアウグストは自身の掌を見つめる。
少量の魔力でも内側からの膨大な魔力に押し返され何一つ干渉出来なかった事思い出したのだ。
それは並大抵の魔力総量ではどうしようもないという事である。
だが彼はそれをやろうとしている。
破壊をやり遂げてしまうのかにも、興味が湧く。
魔力を流し続ける彼の表情が険しさを増しているあたり、ヘリオドールからの反発はやはり相当な物なのだろう。
「……ッ、く」
歯を食いしばる彼の声が部屋に響く。
それでも彼は魔力の放出を止める気配はない。
彼が今どんな表情をしているのか気になる所だが、依然として腰は抜けたままで立ち上がる事すらままならない。
「面白い……ッ、…………俺は、貴女を……越えてみせる……!」
そう宣言する彼の手にシャルロットが手を重ねる。
「……シャル、ロット」
「大丈夫です。先生は、……私の先生ですから! 何だって出来ますっ」
ちらりと少女を見た彼と言い切った少女。
変化は土のヘリオドールの方に起こり始めた。
まるで血管のように張り巡らされた土のヘリオドールの魔力流が膨張し始めたのだ。
彼女が手を添えた事によって彼の魔力は著しく高まった様に思える。
グラスに亀裂が入った様な音が室内に響けば、もはやヘリオドールの崩壊を止められる者は誰一人としていない。
体内に広がっていく毒の様に内側から異質な魔力に蝕まれたヘリオドールは、恐らくこのままでもいずれその力を失うだろう。
だが彼は魔力を流し続ける事を止めようとはしない。
そして遂にその時が訪れる。
ヘリオドールから放たれていた神々しいまでの金色の煌めきが弱まり、霧散してゆく。
光を失ったヘリオドールはもはやただの水晶でしかない。
目の前で行われた女神殺しに戦う事を止め、成り行きを見ていた者達の反応はさまざまである。
手にした武器をショックのあまりに床に落とす者や、女神の恩恵が失われた事により狂ったように叫びだす者、果ては屈強なはずの兵士達が泣き始める。
もっと悲惨な状態としては壁に頭を打ちつけて自殺した者や、自暴自棄になった者達が殺戮を始めた事だ。
肩を組みヘレネを称えた聖歌を歌い始めた者は自棄を起こした者達の手によって血の海に沈んだ。この国にとって如何に女神が希望であったかが伺える。
そうこうしている間に室内に低い音が断続的に鳴り響く。
(この音は……地鳴り?)
振動を伴うそれは徐々に、そして確実に大きくなっていく。
振動に耐えきれず天井からパラパラと細かい破片が降り始めれば、この地下空間がどうなってしまうのかは想像に難くなく、アウグストは自身の背筋が寒くなるのを感じた。
早くこの場から逃げなければならない。
でなければこの瓦礫に埋もれて命を落とす事になるだろう。
ここに来て生命の危機と焦りを感じ始めたアウグストだが、腰に力が入らず体が言う事を聞かない。
焦るアウグストを他所に彼等は何故かグランヘレネの血塗れの青年を起こし、何やら和解ムードである。
彼等はここから脱出する事、その手段を有しているのは確実だろう。
それでなければ今までの事が無駄になる。
きっとこの場がこれからどうなるかも予想がついている事だろう。
ならば、彼等に助けを求める事が出来ないだろうか。
アウグストは一縷の望みを賭けて彼等に向かって声を掛けたのだった。