96 留守番カインローズ
時間は少し戻る。
リーンフェルトとシャハルがサエス防衛陣地へと飛び立った後の話だ。
リーンフェルト人形を抱えて自分のテントに戻ったカインローズは、取り敢えず人形をテントの中に転がし、毛布を掛けて見えないようにしておいた。
しかしあまり周りを気にせずに抱えたままテントに担いで行った為、あらぬ誤解を受ける事となる。
「あの……すみません」
テントの前に立ったグランヘレネの兵士が、カインローズに壁越しに声を掛けてきた。
「んあ? なんだ今こっちは取り込み中だ」
「そうなのですか? なにやら連れの方を担いでテントに運んだ様子。もしかして具合が悪くなったりとかしてませんか? 女性ですし周りはアンデッドだらけですから、気分が悪くなったのかと思いましてお薬をお持ちしました」
「ん……ああそうか。悪いな、これは貰っておくぜ。ありがとな」
テントから出てきたカインローズは兵士に礼を言うと、その場から兵士は居なくなるものだと思っていた。
「ん? どうした行かないのか?」
そう声を掛けた兵士からは意外な言葉が返ってきた。
「実はあの美しい方をもう一目見たいと思って参りました」
あの美しい……はてそれは誰だったかと少し考えたが、分からずにカインローズは聞き返した。
「おいおい、美しいってのはなんだ? そこに寝てるのはガサツな俺の弟子にして部下だぞ?」
しかし本物のリーンフェルトを知らない兵士は食い下がる。
「そんなはずがありません。一瞬でしたがあの可憐な表情や仕草……きっと名のある貴族の御息女かと」
「あぁ、まぁ確かに貴族の息女ちゃ息女だがよ……あれはやめておけ」
兵士の肩に手を置いて言い聞かせるように説得するのだが、兵士は聞く耳を持たない。
「私こそはグランヘレネの中でも数多くの司教を輩出している名門ゼムリヤ家の次期当主である。君には用事はない! さぁあの麗しい女性を私の前に連れて来てくれたまえ」
むしろこれが彼の本来の話し方なのだろう。
「なんだ坊主の家系か。やめとけやめとけ。あいつの家格にも合わねぇしな。諦めとけ」
率直な感想としてカインローズは思った事を口にして、諦めさせる事にした。
一応あれでも彼女はケフェイドでは公爵家の令嬢である。
(ま、世の一般的な貴族の令嬢とはかけ離れているよなぁ……)
などと思いながら彼を諦めさせるべく話を進めるが、どうにも上手くはいかない。
「坊主の家系とはなんだ! 我がゼムリア家を愚弄する気か!」
「いや、そんなんじゃねぇんだ。そう聞こえたならば謝るが、ともかくだ。あいつに合う事は罷りならんぞ」
グランヘレネでは女神に仕える聖職者は憧れの職業だったかと、今更ながら思ったが言ってしまった物は仕方がない。
怒ってしまった彼には謝罪の意思がある事を伝えるが、何を勘違いしたのが男はとんでもない事を口にする。
「くっ……私の恋路を邪魔するとは余程、私に取られるのが怖いと見える」
「いやいや落ち着けって俺は別にあいつの連れとかってんじゃねぇし」
確かに彼の容姿は整っている方だが、取り立てて美しいか恰好が良いかで言えば中の上くらいだろうか。
あくまでカインローズ基準ではあるが、その見立ては激しく一般的な所と乖離している訳ではない。
「ふん、君の様な大男では彼女には相応しくない。私と決闘したまえ」
どう頑張ってもカインローズには勝てる筈もないのだが、彼は自信たっぷりにそんな事を言う。
決闘ともなれば騒ぎが大きくなるのは必定である。
しかし他に追い払う術も思いつかない。
取り敢えず話してみて解決できないかと、再び思った事を口にするカインローズに彼の表情は曇る。
「なんだってそんな偉そうな家系の生まれなのに兵士なんかしてんだよ……お前実は次男や三男って口だろ?」
「ふっ……なんのことだかさっぱりわからないな」
突如明後日方向を向いて目を逸らした彼に、自身の推測があながち間違いでは無い事を確信したカインローズはこの線から責める事にした。
「なんだ図星かよ。ならもっとあいつとはつり合いが取れない。そもそもだ、俺はお前をあいつに会わせてやるつもりがない」
それはそのはずだ。
シャハルがいくら精巧に作ったからと言っても、今のリーンフェルトは人形であり何かのはずみでばれてしまえば碌な事にならない事この上なしなのだ。
だが彼も引き下がらない。
腰に差した短めの杖を構えて、カインローズと対峙する。
「おいおい、俺は客人だぜ。粗相があれば無礼打ちされても仕方がないと思えよ?」
「無礼なのはどっちだ。人の恋路を邪魔する者はアンデッドに蹴られて死ぬと言うぞ!」
一瞬疑問符がカインローズの脳裏に過るが、地域が違えば表現が変わる事もあるのだろうと納得する。
「なんだそれは……グランヘレネ風アレンジか? 蹴ってくるのは馬って相場が決まってんだよ! まあ、ともあれこれ以上の騒ぎ立ては止めて貰えねぇかな」
相手をするものそろそろ疲れて来たとばかりに彼に声を掛けるが、興奮していて話にならない。
「こうなれば仕方が無い。所詮相手は一人だ! ゼムリア家を敵に回した事を後悔させてやる!」
「いや、人の話を聞けよ!」
思わずツッコミを入れる程の自己完結を見せた彼に頭を抱える。
そうこうしている間に彼は懐から小さな警笛を取り出す。
それを咥え思いっきり鳴らした為、辺りからぞろぞろとグランヘレネの兵士達が集まって来てしまった。
「皆聞いてくれ! 私はゼムリア家の者だ。門番の彼が私の恋路を邪魔をして麗しの君との面会を拒むのだ。排除してくれ!」
辺りもゼムリア家の名前は知っているらしく戸惑いの表情が見て取れる。
「おいお前ら、俺はアル・マナクのセプテントリオン所属の者だ。それが政治的にもどう影響するか考えてから喧嘩を売れよ? 俺は優しいから取り敢えず警告しておくぞ。いいか、俺達は教皇様の要請でここに来ているんだ。ゼムリアだかなんだか知らないが、ここで関われば教皇様に直接報告させてもらう。その意味は……分かるな?」
カインローズから教皇の名前が出た事で集まってきた兵士達は、ドン引きのあまりにその多くが見なかった事にしようと立ち去って行く。
「お、おい! 私はゼムリア家の者だ! この件で手伝ってくれた者には褒賞を出すぞ!」
しかし彼の言葉は虚しく、教皇の名前は絶大な効果を示して余りある。
「止めだ止め! ゼムリア家でも教皇様には勝てないさ」
「ああ、本当にな。というか客人に喧嘩を売るとは一体どういう事なんだ?」
「さぁ……? 関わらないのが女神のお導きだろう」
そう口々に言っては現場から去って行く。
「ク、クソッ……私はゼムリア家の……」
力なく項垂れて持っている杖を地面に落とす彼に、カインローズの言葉は辛辣だった。
「なぁお前さっきから家の名前ばかりじゃねぇか? それはお前の家、延いては親父さんだか爺さんだかが偉いってだけでお前の実力じゃねぇぞ」
図星を指された彼は顔を真っ赤にして怒り出す。
「五月蠅い! 五月蠅い!」
「こう言っちゃなんだがよ。そんな男には誰も振り向いちゃくれねぇぞ?」
「お前に私の何が分かると言うんだ!」
「ま、そうだな。強いて言えば権力に甘やかされて育ったボンボンだなって事くらいか。だからこんな所で燻ってんだろう?」
「な、何を知った風な……」
「男として女に惚れるのは仕方ねぇがよ、それってお前の家と何にも関係ない。違うか?」
「……なら私はどうしたら良いんだ!」
今度は打って変わって困り顔である。
よく表情の変わる奴だと感心しながらも、これ以上は関係ないとばかりに放り出す。
「んなもん、自分で考えろよ」
「無責任じゃないか!」
そう言われてみれば確かに乗りかかった船ではある。
ならばと一つ提案をしてみる事にする。
「おいおい……なんで俺がそこまで面倒見なくちゃなんねぇんだよ。そうだな……取り敢えず筋肉でも鍛えてみるか!」
「いや、それはちょっと……」
「何を言っているんだ! 筋肉は己を裏切らないぞ? いつでも常に完全なコンディションで戦える体を作る事こそ戦士としての第一歩だ」
「そもそも私は戦士じゃない」
「ああ、アンデッドの部隊にいるくらいだから、そういう事か?」
「そうだ、私はゼムリア家の中でも一、二を争う程の魔力の持ち主でな。なんとあのベリオスから認定を貰った魔導師でもある」
「まぁいいや。残った取り巻き連中もなんだかひょろっこい奴ばかりだな。感謝しろよ? 俺が直々に鍛えてやるぜ」
そう言ってニヤリと口元に笑みを作ったカインローズに彼はたじろぐが、そこはがっしりとした腕に肩を掴まれてピクリとも動けない。
そこからリーンフェルトがテントに戻ってくるまで、筋トレに付き合わされた彼と仲間達はアンデッドの如く呻き声を上げるに至る。
やっとリーンフェルトを一目見る事が出来て満足げな彼と、それに付き合わされて筋トレさせられた仲間達が渋々と引き上げて行った。
「と、まぁそんな感じだった訳だ」
そう締めくくられたカインローズの言葉にリーンフェルトは大きく溜息を吐く。
「出来るだけ早く帰って来てよかったです。あのままならあの人達明日は使い物になりませんからね」
「ま、確実に筋肉痛だろうよ。んで戦場はどうだった?」
「ええ、サエス側の勝利となりましたよ」
大まかな流れと結果を簡素に報告したリーンフェルトの表情は誇らしげでもあるが、流石に疲労の色が見て取れる。
「おう、お疲れさん。次の動きがあるまで休んでくれ」
「分かりました。カインさんもお疲れ様です」
「おう」
短く答えて手を上げ自身のテントに戻って行くリーンフェルトの後姿を見送ったカインローズは、、人形が包まっていた毛布に寝転がる。
「まぁこれで懲りてくれりゃ良いんだがな……」
そんな事をぼやいて眠りに着く。
翌朝彼が起きたのは、惨敗を喫して陣地まで撤退してきた指揮官が戻った事で慌ただくなった陣地の喧噪を耳にしてからだった。