94 天を焦がす
戦場をシャハルに任せたリーンフェルトは、サエス防衛陣地後方に控えるグランヘレネの別動隊からも魔力を奪おうとしていた。
「こちらの部隊からも魔力を統制を奪ってしまえば、ここでの任務は終了ですね……カインさんが私の不在をいつまでも隠し通せるとも思えませんし、早めに帰らないと」
グランヘレネ陣地内にシャハルが精巧に作り過ぎたリーンフェルト人形と共に留守番をしているカインローズを思い出して気が焦る。
彼の事だ。
誤魔化そうとして余計な事をして、偽装工作がばれないとも限らない。
リーンフェルトの中のカインローズ像というのはそういう事になっている。
戦闘の師匠としても任務での上官としても彼の事は良く知っているつもりだ。
しかし彼は基本的に巻き込まれ体質である。
大人しくしていても何か起こるのだから、呪われているのではないかと思うくらいだ。
時折自分から突っ込んでいるのではとも思う事はあるが、それでも彼自身が気にした様子がある訳ではないのであれが天然なのだろうと思う。
しかし今回それが起こってしまうのは非常に困る。
リーンフェルトの能力が開示されている訳ではないが、いる筈の場所に偽物を作ってまでのアリバイ工作では何かをしたのではないかと疑われるのは必至だろう。
それが到着した当日である事、そしてグランヘレネ側の必殺の作戦の裏を縫い且つ戦況を覆せるだけの実力がある事。
そしてなによりその戦場にいる事。
これだけで疑われてしまっても不思議ではないのだ。
グランヘレネ側とてアンデッドであったとしても戦略に支障をきたすレベルで死体を失えば、それは損害である。
ましてやグランヘレネ側の戦力補強、確実にサエスを滅ぼすために一手として投入された戦力こそが原因で敗北を喫するなど完全な失策である。
この事がばれたならば、その判断を下した教皇の権力は失墜。
約束を反故にして戦争の敗北を招いたのならば、アル・マナクの信用問題にも関わる。
だからこそばれる訳にはいかない。
上空から魔力を吸い上げるべく両腕を地上に向けて吸収の渦をイメージする。
真っ先に影響を受けたのは獣型のアンデッド達だった。
魔力の供給が切れた事により次々と動かなくなる。
焦り出したのはグランヘレネの術者達だ。
突然、制御が利かなくなったアンデッド達を動かそうと再度魔力を接続しようとするが、その全てを根こそぎリーンフェルトが吸い上げるのだ。
――それも際限なく。
サエス防衛陣地を迂回して、林に身を潜めていたグランヘレネの分隊長は残党狩りを命じられていた。
一時間ほど前から始まった今夜の作戦は、遠雷の如く聞こえる我がグランヘレネ軍の攻勢に必死に声を出して戦っているサエス防衛陣地の兵士達の声が混ざった物だろう。
しかし今夜の作戦は今までとは格段に規模が違う。
何故ならば指揮官自ら強大な力を有したドラゴンを使役して戦場に出ているからだ。
あのドラゴンゾンビは恐怖を撒き散らす闇の魔力を有しているのだとかで希少種との事だが、初めて見た時にあれだけは敵に回したくないと思った事は記憶に新しい。
グランヘレネの中でもコンダクターと名乗る事を許された女性を頂点として編成されたアンデッド使役部隊は、一般の術者よりも魔力総量が多い。
それはアンデッドを指揮する為に魔力を使わなければならない事もそうだが、特殊な訓練を受けて術者となったいわば女神に愛されたエリートの集まりである。
一人が大体百体程度のアンデッドを使役する事が可能で、分隊長自身も百体のスケルトンナイトを使役している。
分隊長と言ってもサエス侵攻軍の総大将であるコンダクターに指示されて、分隊長を拝命したのは今日の昼くらいの事だ。
そこから敵に気が付かれないように細心の注意を払って大きく迂回し、防衛陣地の後方にあった林に部隊を展開していた。
今夜の攻撃で早々に敗走するサエス軍に追い打ちを掛ける事が任務である。
待ち伏せする事数時間となるが、今自分の身に何が起こっているのかは理解できない。
まず率いてきた三千を数えるアンデッド達が次々と地に伏して倒れて行く。
そして自身が使役していたスケルトンナイト達もまた硬質な音を立てて崩れ、頭蓋骨を地に転がす。
何かがおかしい。
そう思うのだが原因はまるで見当が付かない。
一つ分かっている事はこのままでは分隊として機能しなくなり、その責務を全う出来ない事だ。
再度使役するべくスケルトンナイトに魔力を注ぐが、その魔力が霧散して全くアンデッドに届かない。
何時もならば例え魔力が切れてしまったとしても、魔力を供給してやればすぐ元通りになり意のまま操れるはずなのだ。
しかし一気に数十体に魔力を接続供給しようとしても上手くいかない。
ならば何とか一体だけでもと近くで動かなくなったスケルトンナイトの頭蓋骨を拾い上げ必死に魔力を放出するが、それが無駄である事に早々に気が付く。
アンデッドに直接触る事で一瞬接続が可能となるのだが、直ぐに供給した魔力ごと消えて行くのだ。
「何が一体起こっているのだ……」
分隊長はそう呟かずにはいられなかった。
そして遂に仲間の術者が一人地面に倒れ込む。
「おい、しっかりしろ!」
そう声を掛けるが、返事は帰ってこない。
サエス側の罠に引っかかってしまったのだろうか。
それならばまだ理解もするし、納得も行くのだ。
しかしそんな罠があったのならばどうやってその罠を発動させたのだろうか。
三千からの部隊を丸ごと嵌めるだけの罠として成立する魔法陣の大きさは規格外だ。
だからこそあちらこちらと作れる物ではない。
仮に罠があったとして、ここに伏兵を置く事をサエス側は見越して罠を仕掛けたのだろうか。
ならばそれはとても恐ろしい事だ。
まるで作戦が筒抜けになっているような、そんな気にもさせる。
グランヘレネ側に裏切り者がいるという事かと考えて、分隊長は左右に首を振るい直ぐにありえないと考え直す。
辺りを見回せば部下の半数が魔力切れのような症状が見て取れる。
ここで貴重な術者を失う訳にはいかない。
そう判断した分隊長は撤退を指示する。
「我々はサエス側の罠に嵌ってしまったようだ……すまない私の不覚だ。コンダクター様になんと申し開きをしたものか……ともあれ作戦の責任は私が取る。今は同胞を抱えてでも陣地まで退くぞ! アンデッド共はここに捨てて行く。行くぞ!」
魔力が切れそうな気怠さを歯を食いしばり我慢して、部下の一人に肩を貸しながら分隊長はサエス防衛陣地の向こう側にいる本隊に合流すべく撤退を開始するのだった。
その後ろ姿を上空から見ていたリーンフェルトは吸収の渦を止める。
「これでこちらの部隊は問題なく処理できましたね」
そう呟いて来た道……と言っても空の上ではあるがサエス防衛陣地まで戻る事を考える。
その後シャハルを素早く回収して、急いでグランヘレネの陣地まで戻らねばならない。
いくつか脳内でシミュレートしていると、目を離した隙に地上では別な展開が起こっていたようである。
サエス王国からの増援部隊が先のアンデッドの山を見つけた様である。
サエスでは珍しく火の魔法を盛大に放った所を見ると聖騎士団や王国の兵士ではなく冒険者の一団なのではないだろうか。
リーンフェルトがそう推測しているとまた一つ火柱が盛大に上がる。
その炎は動かなくなったアンデッドを林ごと焼き払う。
この時の火柱がまさかリーンフェルトの影を上空に見つけられるほど明るかったとは彼女も露程も思わなかっただろう。
「おい! 何か空に居るぞ!」
地上からの声にドキリとしたのは言うまでもない。
ここは早々に立ち去るのが吉とばかりにリーンフェルトは全速力でサエス防衛陣地の方へ飛び去った。
流石に空まで追いかける程の冒険者はいなかったのが救いである。
「……今のは少し気を抜いていましたね……気をつけないと」
口にする事で改めた気を引き締めるとリーンフェルトは念の為に少し飛んでいる高度を上げた。
冬の冷たい風が頬を掠めるとそこに少し痛みを感じたが、冷水で顔を洗うが如く身が引き締まる。
「シャハルはどうなっているのでしょうか……まだ戦っているようですが……」
時間にして一時間程度経過しているが、どうやらドラゴン同士の戦いは未だ決着が付いていないようである。
防衛陣地に近づくにつれて咆哮と発現する魔法とがぶつかり合って激しい音を生み出している。
「早く戻らなくてはいけないのに……シャハルは何を悠長な事をしているのでしょうか?」
聞こえないだろう相手に呟いてサエス防衛陣地の上空を越えると、水龍の姿を模したシャハルの姿が見えて来た。
「しつこい奴だね! お前も死んでアタイの駒になりな!」
そんな女性の声が戦場に響くとドラゴンゾンビは腐肉から骨が剥き出しになっている翼を大きく開き、その咢を天に向けるとそれが合図だったかのようにシャハルも大きく口を開けブレスの準備に入る。
どうやらこの一撃で決着を着けようとしている様である。
シャハルの勝利を祈りながら、リーンフェルトは今後の速やかな撤収について思考を巡らせるのだった。