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黎明のヘリオドール  作者: 御堂 蒼士
85/192

85 恥じらう乙女

 なんとかミサに間に合ったリーンフェルトは胸を撫で下ろす。

 謁見時に見せた好々爺の雰囲気は戦争発令から微塵も感じさせないグランヘレネ教皇ゼルザール・ソル・グランヘレネが大聖堂に時間通り現れる。


「今は戦時中ではあるが残った者はしっかりと信徒としての務めを果たし、戦地に赴いた同胞の無事を祈ろうではないか」


 そんな切り出しで始まったミサは滞りなく進み、終盤に差し掛かっていた。

 教皇の説法に会場のボルテージが最高潮に達していた。


「それでは、母なるヘレネ様に祈りを捧げましょう。ヘレネ様を愛しこのグランヘレネに生きる者は女神に感謝せよ、褒めよ、称えよ我らが大地を!」

「うぉぉぉぉお! ヘレネ様万歳! グランヘレネに栄光あれ!」


 誰もが口々に叫び、感動に涙を流す。


 なんだこの空間は。

 リーンフェルトは冷静に辺りを見回す。

 この状況を呑み込めないのはグランヘレネ出身ではないからだろうか。

 そう想いアル・マナクの面々の様子を見ればそれぞれに様子が違う。

 アウグストが感動しグランヘレネ万歳などと叫んでいる事に驚きながらも、その隣にいるアンリへと視線を移す。

 アンリはグランヘレネ出身という事もあるのだろうが、いつもより渋い顔をして眉間に皺を寄せている。

 席次通り並んで座っているので次はケイなのだが、説法の間どうも空気椅子をしていたらしく筋肉を鍛える事に余念がない。

 そしてギリギリで連れてくる事が出来たカインローズに至っては目を開けたまま寝ている。

 アル・マナクという組織体系に一抹の不安を覚えたリーンフェルトであったが、各人切り替えがとても速い。


「これにて今朝のミサを終了する。ヘレネ様の加護が有りますように」


 そう締めくくりの言葉が教皇から出るや否やケイがまず姿を晦ます。

 アンリは立ち上がり珍しくキョロキョロと教会関係者の顔を見ているようだ。

 それは人を探している様に見えるのだが、誰とは深く聞きはしない。

 きっと出身という事もあって顔見知りを探しているのだろう。

 そう結論付けてカインローズに視線を向ければ、ちょうど大きな欠伸をしながら両の手をググッと後方にそり返す。


「ったく……やっと終わったか……さてもう一眠りするか」


などとそんな事をぼやいている。


 そして一番態度が顕著に違うのはアウグストだ。


 先程まで泣いていた顔そのままで教皇にドーナツの件を交渉しにいく辺り、アウグストは強かだ。


「猊下! 朝から素晴らしいお話でした」


 あっと言う間に教皇の護衛をすり抜けて、握手を交わしながら、控室へ下がる彼らについて行ってしまう。

 どうやら控室になだれ込んで早速交渉に入るようだ。

 視線をカインローズに戻すと大きな口を開けて欠伸しているのが見える。


「カインさん、寝るのは恐らく無理だと思うのですが?」

「ん?なんでだ?」


 まだ寝ぼけ眼のカインローズが瞼を擦りながら彼女に聞き返す。


「先程私が起こした時の状況は覚えていますか?」

「……ああ、確かにあれじゃ寝られねぇわなぁ」


 直ぐに思い出したらしく、腕を組んで一つ頷く。


「そういう事です。これからカインさんの部屋を掃除しなければならないので、お邪魔してもいいですか?」


 そう切り出す彼女にカインローズは一つ提案をする。


「んなもんあっちの連中に任せておいたらいいだろう?」


 しかしそれの言葉に彼女は左右に首を振ってから苦笑して見せる。


「そうはいきませんよ。あれかなり無茶な事をしてますし、多分私以外だともっと大参事を引き起こしかねないので」

「まあお前が掃除したいってんなら俺は止めねぇけどな」

「ではこの後直ぐに行きますね」

「ああ、宜しく頼む」


 そんなやり取りがあって二人はカインローズの部屋へと向かって歩き出した。


 程なくカインローズの部屋に到着した二人は三メートル四方の立方体が部屋の真ん中に鎮座しているのを見ていた。


「成程、さっきは急いでいたが、こんな事になっていたんだな」

「ええ、土魔法でベッドの周りを囲ってそこに水を流し込んでと言って感じですね」

「これ下の部屋とかに水が漏れていたりとかしないんだろうな?」

「そこは大丈夫ですよ、床面もしっかり土魔法で作っていますから」


 ちょっと得意そうに話す彼女は良い笑顔でそう答えた。


「まぁよ。ちゃっちゃと片付けてくれや。まだ眠いんだわ……」

「ミサの最中もずっと寝ていたじゃないですか!」

「だって話聞いてもつまんねぇだろ?」

「カインさんはそうかもしれませんが、他の人だっているのですから」

「俺は宗教と商売の話は本当に眠くなるんだよ、昔っから。多分拒絶反応って奴だぜ。あれ、条件反射だったか? なんて言ったかな。まぁとりあえずそんな奴だ」


 開き直ったカインローズは胸を張りそう答えるが、リーンフェルトはジト目でカインローズを見ていた。


「な、なんだよ?」

「はぁ……別に何でもありませんよ。まずは中の水を抜いてしまいましょう」


 水を抜くとは一体どういう事か。

 ここはアル・マナクの面々に貸し出された客室であり、当然その寝室には排水出来る場所がない。


「おいおい、どうすんだよこれ」


 焦るカインローズを無視してリーンフェルトは壁に手を付ける。


「自身の魔法ですからね。吸収するのですよ」


 一瞬淡く掌が黒い光を帯びると強固な土壁がサラサラと溶け出し吸い込まれ始めた。


「見ている俺が言うのもなんだが、便利だよなそれ」

「結構必死に制御しているのですけど……」


 五分もしない内に壁とその中に満たされた水を全て平らげたリーンフェルトは肩で息をしていたが、徐々に呼吸を整えると風魔法を行使し始める。


「濡れた物はちゃんと乾かしておかないとですよね」

「なんだ、お前一人いりゃメイドなんか必要ない感じだよな。少なくとも短時間で掃除と洗濯は出来ちまう訳だからな」

「それは本職の人に言ってはいけませんよ? 皆自分の仕事にプライドを持っていると思いますし」

「まぁなぁ。んでその吸い込んだ魔法どこに吐き出しに行くんだ?」

「やはり海に捨ててこようと思っていますけど……」

「ふむ。んじゃ行くか! 海まで」

「えっ……ちょ、ちょっと! カインさん!」


 ニヤリと笑ったカインローズはリーンフェルトを持ち上げる。

 丁度お姫様抱っこという奴でだ。


「あの……恥ずかしいのですが?」

「ん? んじゃおんぶにするか?」

「それもちょっと……」

「んじゃ我慢してろ。何、海なんぞ物の数分だ。行くぞ!」


 そう言うや否や窓から飛び出したカインローズは直ぐに雷の魔力を解放する。

 雷光と化したカインローズは真っ直ぐ北へ進路を取ると轟音と共に跳躍を始める。

 そして物の数分もしないうちに街が遠ざかり青い海が広がってくる。


「ほれ、ついだぞ」

「あっ、ありがとうございます」


 若干頬を赤らめたリーンフェルトは何とか彼に礼を言うと少し遠方目掛けて放出を行う。

 放出の方も徐々に制御出来る様になって来ているらしく先に土の魔力を吐き出してから水の魔力を吐き出すと言う事が出来る様になっていた。

 一通り吐き出したのだろう若干先程よりもすっきりした顔になった彼女にカインローズは話しかけた。


「そういやあのトカゲどこに行ったんだ?」


 思い出したようにカインローズがシャハルの行方を聞くと声だけがどこからともなく返ってくる。


「吾輩は常に主殿と共におるわい! クックック……残念じゃったのぉ」


 意地悪い声で話し始めたシャハルだったが、あっさりとその毒気を抜かれる事となる。


「ん? 何が残念なんだかわからねぇが、まあいいや帰るぞ」

「はい、カインさん」

「なんじゃいつまらんのぅお主達はなんかもう、もっとほれ……あるじゃろうに……」


 しかしシャハルが期待するような展開に一切ならないのがこの二人である。


「何がつまらないのですか? 何かあるとは……?」

「はぁ……主殿気にするでないわ。吾輩はもう一眠りする故な」


 内心この朴念仁共がと思ったシャハルではあったが、大した展開もないのだろうと思ったのだろうそれ以降声すら聞こえなくなってしまった。


「なんだったんだあいつ?」

「さぁ?」

「取り敢えず帰るか。帰りはどうするよ?」


 そうカインローズに聞かれたリーンフェルトは先のお姫様抱っこを思い出したのだろう再び頬を赤らめると明後日の方向を向いて答える。


「勿論、自分で飛んでいきますよ!」

「あいよ。そうだ折角こんな朝早くに外に出たんだ、飯でも食ってくか?」


 確かに早朝のミサが終わり掃除を終えたくらいで朝食の時間ではあったのだ。

 二人は外に出て来てしまっている為、恐らく大聖堂で用意されている食事には有り付く事は出来ない。

 ならばどこかで飯を食べて帰ると言う選択肢が生まれるのは道理という物だ。

 先は不意を突かれ、お姫様抱っこまでされたのだ。

 何か仕返ししてやらない事にはと一瞬考えたリーンフェルトは彼に切り返す。


「今度はカインさんの奢りなら」

「まぁどうせアル・マナクのツケにして食うから別に良いんだがな」

「組織にツケないでくださいよ……」

「いいじゃねぇか、どうせ旅費はふんだんに持って来てんだぜ?」

「それは、そうかもしれませんが……」

「大体これはリン、お前に与えられた任務だ」

「任務ですか?」

「そうだぜ、俺を起こすってのは任務以外のなにもんでもねぇだろ。ならその対価は朝食って事でいいんじゃねぇか?」


 確かにアウグストから任務を受けたリーンフェルトである。

 カインローズに何となく説得される形で頷くと、二人はゆっくりと飛びながら昨日世話になった店へと向かう事になった。


 少しゆっくり目に飛び、他愛のない雑談をしながら飛ぶ事約二十分で皇都が見えてきた。まだ朝が早いという事もあり、人もまだまだ疎らだ。


 店の前にはケイが待機しており二人を出迎えた。


「あれ? ケイさん」

「やあ、来ると思って待ってたんだよね」

「そういやここの店の話をお前にもしたっけな」

「そういう事。美味しいって話だったしさ。君らが出て行くのは晴れているのに聞こえた雷鳴で一発で分かったからね」


 カインローズの雷魔法を使用した移動法はとにかく早い。

 早いのだがどうしても雷鳴が付きまとうらしい。

 実際に空中での跳躍の際に割れんばかりの雷鳴がするようだ。

 それに気が付いたケイはこの店で張っていたのだと言う。


「お店ここじゃなかったかも知れないのに、どうしてここだと?」

「そりゃ簡単さ。だってカインだもの」


 言いえて妙な話だがその一言に全てが集約されていて、リーンフェルトも納得してしまった。


 つまり、カインローズが小洒落た店を他に知っているか。

 答えは恐らく知らないが正解なのだ。

 そして昔馴染みがやってる店ならば、気兼ねなく入れるだろうと暗にケイはそう言いたかったのではないだろうか。


「まっ、そのあたりは兎も角として飯にしようぜ」


 そう言ってカインローズが店に入って行く。

 それに続く形でケイとリーンフェルトは着いて行くことになった。


 食事をしている間に大聖堂からの使いが来て一つ報告を受ける事になる。


「物資の補給が整いました」


 伝令はそう伝えると足早に去って行く。


「どうやってここにいる事を把握しているのでしょうね?」

「ああ、どうせ私服の警備兵が混ざってるんだろうよ」

「なんだか息苦しい話ですね」

「この国ならではだね。怪しい気配を持っているのはそうだね。あそことあの端の席の男二人と厨房からこちらを伺っているのが多分諜報部員だろうね」


 さらっと気配だけで言い当てるケイに恐ろしさを感じながらも食事は恙なく進む。

 食後改めて、先の使いの話となる。


「いよいよサエス側へ行く事になりそうですね」

「元々それが任務だからな。イレギュラーがあったにせよ」

「またカインは外出か、僕も遠征組に入らないもんかね?」

「それはアンリとアウグストが決めれば良い事さ。その代わり俺は俺のやり方でやらせて貰っているからな」


 そう言って笑って見せると、アシュタリア産のお茶を啜る。


「さて、腹も膨れたし明日の出撃準備をしなきゃならんだろうな」

「ではこの後は細かい雑貨の類の買い出しに行きましょう」

「僕はどうしようかなぁ」

「ケイさんお仕事ありますよ。荷物持ちで良ければ」

「あははは、それはとても疲れそうだからパスするよ」


 結局ケイは食事を終えるとふらりと消えてしまった。


「あんにゃろう、飯代払わないで逃げやがった……」

 

 姿を晦ましたケイにカインローズはぼやくと頭をいつもの様にガシガシと掻いた。

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