84 眠くて堪らん
茶会のあった翌日は礼拝から始まる。
別段ヘレネの信者ではないが、率先してアウグストが参加するという姿勢を見せるのでアンリを始めアル・マナクの面々は朝早くから大聖堂で教皇の説法を聴く事となった。
アウグストは当然の事アンリもまたいつもと変わらず、朝の鍛錬を終えたケイもすぐに現れた。やはり一番遅いのはカインローズである。
「またあの人は……本当に起きられないのですね」
「あははは、寝起きのカインは危険だからねぇ」
そう言って笑うのはケイである。
彼も幾度となくカインローズをたたき起こすという任務に就いている猛者である。
彼の寝起きの悪さはもはや一種の戦闘訓練だ。
普段のカインローズならば加減出来ている所を寝ぼけたまま全力で来るので、只管に危険なのだ。
もっともこの任務を喜ぶ人物が目の前で笑っているケイである。
何かとカインローズと訓練したがる彼だが、模擬戦ではやはり全力を出さずにいるらしく不満なのだと言う。
そこに無意識で本気の力を発揮するカインローズがいる。
彼にとっては最高の修練と言える。
カインローズを起こす任務に就けるのは結局それ相応の実力がなければ怪我をするという事情から、今ではセプテントリオンの非公式任務扱いである。
ただし、首席アダマンティスはこれを免除されている。
というのも火の魔術を扱うアダマンティスに対してカインローズは風の魔術を扱うが炎を吹き散らす結果となり、その昔小火騒ぎになったらしい。
らしいというのもカインローズの副官ポジションであるアトロが、何か昔話流れで話していたのを聞いたことがある程度でリーンフェルト自身は詳細を知らない。
直接火を使うアダマンティスも手法としてどうかと思うのだが、そこは全く起きなかったカインローズが悪いのだから仕方が無い。
特に何か重要なイベントがある時ほど爆睡する彼は、もはやわざとやっているのではないかと言うレベルである。
そして今回も起きて来ない。
無意識下に説法を聞きたくないのか、はたまた本当に起きれないだけなのかは依然として不明であり、カインローズのみぞ知るところである。
「ここはやはり僕が起こしに行かないとだよね」
早速名乗りを上げたケイの進行方向を遮るようにアウグストが手を突き出し、動きを静止する。
「ここはリン君に行ってもらいましょう。ケイが行ってはいつ帰ってくるかわかりませんから」
ケイの行動を見透かしたようなアウグストの言に彼は悪びれもせずに、爽やかな笑顔でぼやく。
「折角カインと逃げようと思ったのに」
「まあ……そんなところでしょうね。ですがミサにはアル・マナク全員参加でお願いします。ドーナツ屋の交渉を印象良く進める為にも!」
「アウグストさんまだ諦めていなかったのですね……」
「私はこうと決めたら動かない頑固者ですから」
余程あのドーナツが気に入っただろう。
さてミサが始まるまで左程時間は残っていない。
「では、私がカインさんを起こしてきます」
「よろしく頼んだよ、リン君」
そうして少し早足でカインローズが宛がわれている部屋へと赴く事となった。
――残り時間は約二十分と言ったところだろうか。
男性の身繕いにどの程度の時間が分からない彼女は時間に余裕のある内に何とか起こす事を考える。
まずはノック、そして扉に向かって声掛けをする。
「カインさん! 起きてください!」
しかし部屋からは何一つ返事が返ってこない。
やはりこの程度で起きるような相手ではないのだ。
「突入するしかないようですね……」
扉の前で呟いたリーンフェルトは思い切りドアノブを回す。
力いっぱいドアノブを回した割に鍵が掛かっている訳でも無かった為、なんら抵抗なく開く事が出来てしまった。
部屋の中は真っ暗である。
リーンフェルトは本体を攻める前にまずカーテンを開け放つ。
早朝という事もあり窓から差し込む陽の光は少々弱いもがあるが闇が取り払われ視界を確保する事に成功する。
ベッドを確認すればそこには毛布に包まったカインローズの姿を確認する事ができた。
まずは対象が部屋にいる事の確認は最優先事項である。
そもそも部屋に居なければ捜索という事になるだろうし、確実にミサまでの時間には探し出せるかといえば極めて困難であろう。
リーンフェルトは一度普通に声を掛ける。
「カインさん起きてください! 朝ですよ!」
「……む……うぅ……」
感度の良いあの耳ならば聞こえていそうな物なのだが声掛けだけでは起きる気配すらない。
「やはりこの程度では起きませんか」
ピクリとも動かない彼に確認するかのように一言吐くと土魔法を展開し始める。
あっという間にベッドを囲むように四枚の壁を形成すると蓋をする様に天井も土で覆ってしまう。
これで準備が出来たと満足気に頷いたリーンフェルトは天井部に小さめの穴を作ると水魔法で生成した水を流し込み始めた。
水に気が付いたのだろうカインローズの周りは風の魔力が満ちて身を守ろうと密集し始める。
風の魔力で全身を覆うように展開し始める。
これが寝たままだと言うのだから本当に厄介である。
しかしこれについては壁で囲った事で対策済みだ。
更に流し込んだ水が風にぶつかり渦巻く。
その渦が風の魔力を上手く分散させており、水の中にいるカインローズの身体は流れに引き寄せられて土壁の中で縦横無尽に動き始める。
後にこの話からヒントを得たアンリがオリクトを使った衣類を洗う物を発明したのはまた別の話だ。
ともあれ生み出す風が水を掻き混ぜ、それによって自身が水の流れに抵抗できずに土壁に激突を繰り返すその衝撃でやっと目を覚ます。
目が覚めたカインローズは状況が見えない。
ベッドに確か寝ていた筈なのだが、いつの間にか四面強固な土壁に覆われており辛うじて風魔法を展開して空気を確保する。
しかし空気を確保する為に展開する風魔法が生み出す風こそが満たされた水を攪拌し、その水流が自身の身体をあらぬ方向へと押し流して壁に打ち付ける。
「なっ……何が起こってやがんだ! クソッ! 誰だ!」
目一杯叫べは壁の外の奴は気が付いてくれるだろうか。
というかこのままだと死ぬ事が無いにしても、かなりの魔力を消費してしまう事は確かである。
目が覚めて徐々に冷静さを取り戻してきたカインローズは自身の空気の確保だけを最優先するように魔力を制御すれば自ずと攪拌していた渦が弱まり身体の自由が利くようになってくる。
後はもう簡単だ。
天井を覆う壁の一部は水がそこから注がれたのだろう穴が開いており、そこから光が差し込んでいる事が確認出来た。
つまりそこが出口という事を意味する。
そうと分かればそこをめがけて全力で泳ぐ。
カインローズの全身が通るには少々小さい穴を強引にこじ開けると大きく息を吐き出しながら叫んだ。
「クソッ! 俺を殺す気か!」
そう叫び出てきたカインローズにリーンフェルトは何事もなかったように挨拶をする。
「おはようございます、カインさん」
「ああ……今日のはお前か?」
「そうですよ。目は覚めましたか?」
「まあ、目は覚めたがよ……どうしてどいつもこいつも俺を殺そうとするんだよ」
「別に殺そうだなんて思っていませんよ。さぁ早く身嗜みを整えて大聖堂へ向かいますよ」
「寝る間際に言っていた朝のミサへの参加か。パスパス……もう一眠りさせろ!」
嫌そうにするカインローズをキリッと睨み付けたリーンフェルトは力一杯叫んだ。
「ウダウダ言ってないで早く着替えてください!あと五分しかありませんよ!」
「うっ……ほらほら冗談だよ冗談。今着替える」
慌てて動き出したカインローズは必死に着替え、リーンフェルトと走り出す。
「後三分! どうしていつも早く起きてくれないのですか!」
「んなもん俺に聞くんじゃねぇ」
ミサ一分前に何とか大聖堂に入る事が出来た二人は、他の信者でごった返す大聖堂をアウグスト達が待つ場所まで辿りつく事が出来たのだった。