79 カップの底が見えるまで
早足になるリーンフェルトを追いかけるカインローズは、不意に脇から声を掛けられる。
「これ、なにかの遊び? リンを捕まえるって事で良いのかな?」
突如として現れたケイがニコニコとしながらカインローズの横にぴたりとついて歩く。
「いや、これは遊んでるわけじゃねぇんだ。っておい、リン待て!」
広い大聖堂の廊下を見目麗しい女性を男二人で追いかける。
うっかり他人に見られれば犯罪の香りすらある絵面である。
「なぜケイさんまで増えたのでしょうか……」
声が聞こえて振り返ってみれば、しっかりとカインローズに併走する彼を見つけることが出来る。
なぜか楽しいそうな追いかけっこになっている事にリーンフェルトは困惑していた。
段々と先の恥ずかしさが治まり、冷静さを取り戻したリーンフェルトは二人に向き直る。
それによって男達は停止する事になった。
「リン、なにか面白い事をしているなら僕も混ぜて欲しいんだけど?」
「いや、だから別に面白い事なんてこれっぽっちもないんだ。早足になったこいつを追いかけていただけだっての」
「いやさ、この大聖堂思いの外暇でね。視界の隅にちょっと強そうな奴とか目に入るんだけど、ほら一応僕も組織所属な訳で簡単に戦かわせてもらうとか出来ないしさ。その点カインならいくら戦っても大丈夫だろ? 今から稽古しようよ。ねっ、カイン」
「ああ、いや、今取込中っていうかな?」
「私は構いませんよ。落ち着きましたしカインさんはケイさんと稽古してきてもらっても大丈夫ですよ」
正直ちょっと一人になりたい気分だったリーンフェルトは、タイミングよく現れたケイに彼を押し付ける事にした。
小さく手を振ってカインローズを送り出すとやっと一人になれた事で、胸のあたりに詰まっていた空気をどっと吐く。
カインローズに嘘までつかせて守ってもらった妹達の事がとても気になる。
絶対に良くない事に首を突っ込んでいるだろう状況に、成す術のない自分がとても歯痒く感じた。
この状況で何か打てる手はない物だろうかと思案しながら、大聖堂の外へと出る。
「不用意に動けば逆に怪しまれるぞ?」
そう声が聞こえてきた方を向けばシャハルがそのぽっちゃりとしたフォルムで宙に浮かんでいる。
「またどこかに行っていたのですか?」
「いやなに、黙って半獣人のありようを見ておったわ」
半獣人……。
獣人であるベスティアとシュルクのハーフである人物は現在、カインローズの事をおいて他にはいない。
「カインさんですか?」
「うむ。もしも暴走の件なども話せば記憶を操作してやろうと思ったのじゃが、杞憂であったな」
「あまり物騒な事を言わないでください」
「ふむ、すまぬのぅ」
「出来るだけカインさんとも仲良くしてくださいね?」
「……善処しようぞ」
不承不承と言った感じで呻くようにそう口にしたシャハルは、ぬいぐるみの様なまるころんとしたフォルムの首を曲げて明後日の方向を向いてしまった。
「どうしてそんなにカインさんを嫌うのですか?」
「そういう訳ではないのだがの……奴には懐かしさと嫌悪の入り混じった気分にさせられるのじゃ。おかしいのぅ、奴とは此度の顕現でしか接点がなかったというのに」
頻りに首を捻るシャハルであったが、結局その答えは見つからず仕舞いとなった。
翌日、カインローズ、リーンフェルト両名の予定は完全な空白となっていた。
というのもアンリが装備の手配をグランヘレネ側にした結果、数日かかると言う回答を得て来たからだ。
「戦時中という事で物資が制限されていてな。少し時間が掛かりそうだ。済まない」
そう言って立ち去るアンリの背中に向かって両名の反応は様々である。
「よし! 寝るぞ」
「さて……どうしましょうか」
そう漏らした彼女にカインローズは、昨日売り渡されてからの事を話し始める。
「あの後本気のケイの暇つぶしに付き合わされて疲れてんだよ。つかお前はどうするんだ? 飯ぐらい奢られてもいいぞ?」
確かに昨日の借りはある。いつもの勢いでカインローズを叱らずに、一つ頷く。
「そうですね。たまにはカインさんに奢って差し上げます」
「お、おう……宜しく頼む」
普段と違った対応に面食らいながらも、辛うじて返事をすることが出来たカインローズは彼女と昼食へと出かける事となった。
一方、連絡を終えたアンリはアウグストの部屋へと赴く。
アンリは事の次第をアウグストに報告すると、彼は少し悪意のある笑みを浮かべる。
戦争などに巻き込まれている時間があるならば一層の研究をしたいアウグストはとても嬉しそうな声を上げる。
「シュルク同士で潰し合うなど愚かな事だ……」
アンリがそうぼやけば、彼はうんうんと仰々しく頷いてみせる。
シュルク全体の進化という目標を持っているアンリからすれば戦争自体が愚かで野蛮な事だ。
尤も降りかかる火の粉は全力で叩き潰すタイプでもあるが。
「我々のは進んでの自己防衛だったからね。まったく度し難い。それはそうと戦況はどうなのかね?」
「公開されている情報とアル・マナクの情報網の双方から見て、状況はグランヘレネの方がやはり優勢の様だよ」
サエスに放っているアル・マナクの密偵達は定期的に報告を上げてきている。
情報収集に回っているのはアダマンティスの部隊だ。
飛竜を使ったネットワーク網はこの世界のどこよりも迅速に情報を収集してくる実に優秀な部隊である。
「やはりアンデッド編成の部隊は強力だったという事かな?」
「ええ、夜にアンデッド兵を嗾け、昼は生身の部隊が魔法で追い打ちを掛ける。そうする事でサエス側の兵士達は休む間もなく戦場に駆り出され続ける訳だ」
それを聞いて二度三度頷くと彼は苦笑めいた表情をしながら、部屋に備え付けてあったオリクト仕様のポットから二人分の紅茶を入れてアンリに手渡しながら感想を述べる。
「いやなんともえげつない戦い方だね。私は学者だから戦場には立たないけれど」
「まあ、立たれても困りますね。我々が」
冗談とも取り辛い為、アンリの眉間の皺がグッと深くなる。
その一方で年齢にそぐわない程目を輝かせているのはアウグストだ。
「いや、私だって寝物語に英雄譚を聞かされて育った口だからさ。戦場に憧れはあるんですよ?」
「アウグスト……憧れだけでセプテントリオンの仕事を増やさないでくださいね」
元々アウグストの身を守る為に組織された部隊だ。
当然彼が前線に立つのであれば、セプテントリオンもまた前線に有るべきだろう。
しかしアンリ自身は先の態度からも分かる通り、戦争否定派である。
「全くアンリはそういう所が固いのだよ。もう少し心に余裕を持つ事は大事だよ」
窘める様に言うアウグストだが、アンリは特に気にした様子もなく持論を述べる。
「私はアウグストほど物事を楽観視しないだけですよ」
そう答えてカップに注がれた紅茶に口をつける。
「しかし……次は水か雷のヘリオドールを見に行きたいものだよ。台座の碑文こそが私の大事な研究資料だからね」
「そういえば、サエスのヘリオドールの異変について調べていますが……」
「恐らくだけど壊れているんじゃないかなと推測するよ。そしてグランヘレネが戦争をこんな時期に仕掛けた事もそれを裏づけするには要因に成り得るのではないかな?」
勿論、アウグストにもアンリと同じだけの情報が報告されている。
そして彼が至った結論はヘリオドールの大破である。
「ふむ……そうなるとアウグスト。お目当ての台座だが失われている可能性はないだろうか?」
「んんっ! それは由々しき事態ですね。裏から回収させましょうか人員を振って」
ヘリオドールにも興味はあるが、それよりも台座の文章こそがアウグストの真の目的である。
その目当ての物がないとなれば一大事である。
「そうですね。ならば復興支援の一環という事で人材とオリクトを放出してやれば良いのでは?」
「なるほどなるほど。今は喉から手が出るくらい欲しいだろうからね。ちょっとそれで調整してみてくれないか?」
「随意のままに」
「まったくそういう所が固いのだよ」
「これは直りませんよ」
苦笑するアウグストにアンリもまた苦笑して返す。
「流石にケイほど軽くなれとは私は言わないけれども……それはそれで息が詰まらないかい?」
「これが私の普通ですから」
「まあそれが君の良い所という事にしておくよ」
そう言って二人はカップの紅茶を飲み干したのだった。