73 土魔術師の誇り
「まだ準備は出来ないのですか? あれからもう二日ですよ二日! 一体どうなっているのですか?」
リーンフェルトがグランヘレネの戦時物資調達部隊の隊長に食って掛かる。
それもそのはず大幅に出発が遅れている。
彼是二日。
たかが二日、されど二日である。
それよりもグランヘレネ全体が浮き足立っている感じがして仕方が無い。
「今は戦争中のはず……なぜこんなに祭り前のそわそわした雰囲気を感じるでしょう?」
戦争ともなれば市民とてその空気に呑まれるはずだ。
それは狂騒であったりナーバスであったりとそれぞれだと思う。
しかし緊張の糸が切れたように、享楽的な雰囲気は皇都全土に広まり戦争をしてる国とはとても思えない程明るい物だ。
確かにアルガス王国の様に内乱ではないので、死の匂いが生活圏を脅かしていない。
しかし少し郊外に出ればアンデッド達が蠢く大陸だ。
それだけでも十分脅威であるとリーンフェルトは考えるのだが違うのだろうか。
「それは恐らくヘレネの福音のせいと言うべきでしょうね」
身の丈程ある杖を右手に持ったアンリが、彼女の誰にともつかない疑問を拾う。
それによって生まれた一瞬の隙を突いて、部隊長はそそくさとに逃げてしまう
いつもよりも杖の装飾に力は入ったのだろうそれを持ったアンリは、普段の数倍魔導師然としており、腰帯にいくつかオリクトを仕込んであるようである。
「アウグストが仕上げ、教皇様に献上したのですよ。昨日の事でしたが知らなかったのですか?」
「ええ、その頃は丁度皇都の外におりまして……」
昨日はシャハルと一日中魔法と新たな力を馴染ませる為に特訓をしていた。
その為、ヘレネの福音が完成しそれを教皇に渡したという情報を耳にしていなかったのだ。
「そういう事ですか……内容はどのような感じだったのですか?」
「それを私に聞くかねリン君。正直私の口からそれを言いたくはないのだが……」
なにが嫌だったのかアンリは少し言うのを躊躇ったが、意を決したように顔を上げると諳んじて見せた。
「愛しの我がヘレネの子供よ。我を愛しく思う気持ちに応えてこれをここに記す。我が剣を持ちて他の女神を滅ぼせ。それを成せばヴィオールに我は顕現する事が出来るだろう。――そんな感じの内容だ」
一体どこが恥ずかしかったのかリーンフェルトには解らなかったが、アンリのやや頬が紅潮している。
「コホン……つまりだ。信徒にとって新たな神の言葉はまさに福音だったという事だ。まあ、あのアウグストが考えて纏めたのだから裏には少し彼の思惑が入っているだろう。女神にとってその地に住む者は愛しい子供なのだろうか、ふとそんな事を思ってな。私からしてみれば女神など……いや止めておこう。ここでは不敬罪になってしまうからな」
「成程。そういう訳ですか……あの部隊長も浮き足立っていましたから、準備にはまだ時間が掛かるかもしれませんね」
流石にグランヘレネ国内では危険な発言なので、アンリは自身でその口を閉ざす。
そこへカインローズが部隊長が逃げ去った方からゆっくりと歩いてくる。
距離感が普通よりもおかしいのは、明らかにカインローズの聴力による物だ。
「ああ、それについてなんだがヘレネの補給部隊の連中と仲良くなっちまってな。話をつけて来たぜ」
ニカリと笑って二人と合流を果たす。
そこからはカインローズの言葉通り、先に逃げた補給兵長がリーンフェルトへの対応とは打って変わってかなりテキパキと機敏に動き三時間もしない内に準備が整ったと連絡が来た。
そこには比較的大きめのリュックサックが三つ用意されており、物資がコンパクトにまとめられている。
この中にいったい何がどのように入っているかを引き継ぎ補給兵長は去って行く。
その背中を見ながらリーンフェルトは、ボゾリと愚痴を零す。
「やれば出来るじゃないですか! 私とカインさんとではどう違うと言うのですか!」
「そりゃ、あれだ人望っていうのかね?」
バッサリと切り捨てたリーンフェルトは、何事もなかったように彼との話を再開した。
「そんな冗談はどうでも良いです。しかしやっと準備が終わりましたか。これで出発出来ますねカインさん」
「ああ、まぁそうだな。戦争屋がこういう事を言うのもなんだが、サエスではいろいろあったじゃねぇか。それを思うと戦い辛くねぇか……って悪ぃな。今のは忘れろ」
きっとリーンフェルトを気遣いたかった彼の言葉は結局うまく纏まらず、空回りをしただけである。
「ええ、そうします。任務を優先しますが……私も正直戦い辛い気持ちはありますから」
「ですが……二人とも良いですか?」
念を押すように問うアンリに二人は、即答して見せる。
「ああ、聞かれるまでもねぇ。戦場で俺は死神だからな」
「そこは私も切り替えて任務に当たりますので」
「まあ……杞憂であればいいのだがな。では参ろうか」
何事もなくアンリが空を飛ぼうとするので、驚いたリーンフェルトは気になっていた事を彼に質問する。
「あの……アンリさんその腰に巻きつけているオリクトは一体……?」
「私は風魔法が使えない故、思案した結果、風のオリクトで君達に着いて行くことにした」
さらりと自信満々に答えるアンリに、リーンフェルトは気が付いた事を口には出来ない。
そこで指摘箇所に目線を遣りながらそのままカインローズにふってしまう。
「えっと……どうしましょうかカインさん」
不自然な動きをするリーンフェルトの視線の先に気が付いたカインローズは一つ頷いて見せる。
「あ、ああ。なぁアンリそいつは無理じゃねぇか? 俺達で運んでやるぜ」
「いや、その心配には及ばない。これでも大分飛べるようになったのだよ」
「……アンリ。落ち着いて聞いてくれ。練習に使ったって言ったよな」
「その通りだ。初の試みだったし、この待機時間に入念に練習させてもらう事が出来た」
土の魔導師として飛ぶ事が出来たという自信と誇りの籠った返事に気圧されつつも、カインローズは切り出す。
「そうか……んじゃ冷静に聞いてくれ。風の魔法で飛べるものは数が多い。確かに今のお前の状態は飛んでると言える。なにせ地に足が付いていない。そこは努力として認めるがな……お前一センチしかホバーリング出来てないからな」
「そこは土の魔力の干渉が酷くてな」
「そうじゃねぇんだよ……アンリ。練習のし過ぎでそのオリクトの魔力残量がもうねぇんだよ」
「なんだと……?」
驚きの声を上げるアンリにカインローズは気が付いていなかったのかとばかりに右手で顔を覆った。
「何たる事だ。直ぐにアウグストに談判してオリクトを譲って貰わねば……」
「いや俺達で先行していく事にすんぞ。大体アンリは飛べねぇしな。リンの背中におんぶでも良いし、俺の背中におんぶされるか二択だな。どうするよアンリ」
「くっ……なんだかとても悪意のある顔ですよカイン。これは……成程仕返しですか。しかし酷いタイミングではないですか?」
「知った事か! こんなチャンス、二度とないかもしれねぇだろう?」
目くばせをしてカインローズに教えた事を、まさかこんな事に使うだなんてとリーンフェルトは頭を抱えそうになる。
「まさかカインにそんな初歩的な事を指摘されるなど……明日世界は滅びるかもしれんな」
「えっと取り敢えずアンリさんはまず、アウグストさんからオリクトを調達して来てください! 私達は直線距離でサエスに向かうルートで移動しますので、オリクトが手に入ったら追いかけて来てください」
「どうするよアンリ? 俺達におんぶに抱っこは移動方法としてはこの際ありだろ」
「ふむ、オリクトで飛べぬなら地を這ってでも行くまで」
土魔導師としての自負からそう反論するが、どれもまたあと一歩と言うところで決め手に欠ける。
「あのアンリさん言いにくいのですが、大陸間の海をどうやって行くのですか?」
「地層を掘り進んででも行くさ」
「アンリ、意固地になってはいけないよ」
不意にそう聞こえたので誰かと思って振り返れば、そこにはアル・マナク総帥アウグストの姿があった。
「アウグストさん!」
「始めにアンリに渡したオリクトだが現在在庫切れだよ。任務の方は仕方ないとして君には君にしか出来ない事があるだろ? そちらの任務に就いてくれ。戦場へはカインとリン君で行って来てくれればいい。本気でヘレネの為に戦う事はない。協力しているという姿勢が大事なのだからね」
そう言って口元に笑みを浮かべるアウグストに、リーンフェルトは思わず聞き返してしまう。
「そういう物ですか?」
「勿論そういう物だとも。結局、要求に応じてアル・マナクから戦力を出すというポーズだからね。配置してみたがアンリは海を越える事は出来ないだろうし、少し別の仕事で任せたい案件が出て来たのでね」
「分かりましたよ。アウグスト」
「これで任務と言う面からも解決だな。さて二人は至急準備をしてサエスに向かってくれたまえ」
「ちっ……アンリに仕返しできると思っていたのによぉ。アウグストはアンリには甘ぇんだよ……」
カインローズはぼやきながら空へと舞いあがる。
それを目の端の方で見ながらリーンフェルトは意を固めて地を蹴った。