70 空を仰ぐ
「しかし困ったな……」
そう呟いたのはアンリだった。
カインローズとリーンフェルトが空路を行こうとしているのに対して、最悪魔法で何とかするといった建前腕を組んで悩む。
アンリ・フォウアークの所持している魔法の中に空を飛ぶものはない。
持っているのは土と水の魔力だけだ。
そこだけ聞くと園芸に向きそうだとか、農業でもきっと大成するに違いないと思うだろうが彼は一流の土魔導師として生きている。
故に土魔法に誇りを持ち、羨望と憎悪の入り混じった感情で普段ならば空を飛べる者に目を向ける。
しかし自身が飛ぶとなると話は別だ。
そもそも飛んだ事がないのだから、その勝手がわからない。
でも、なんとかすると言ったからには、なんとかしなくてはいけないといろいろ思考を巡らす事になった。
この時幸いだったのは物資補給の関係で翌日には出発できなかった事だろう。
一つ目の案は飛行に負けないように土魔法で大地を行く方法だ。
これは真っ先に思いついたし実行可能なのだが、肝心の海を越える事が出来ない。
ちなみに土魔法を使った移動だけで言うならば地中に潜る事は出来るが勿論移動には適さない。
という訳で思いついた案を脳内で切り捨て次の案を考える。
二つ目はあの二人に運んでもらう事だ。
結局どうする事も出来なかったという結果を元に二人に運んでもらうという案だ。
カインローズにおんぶされる自身の姿を想像して気分が滅入る。
「ありえませんね……これは」
そう思わず口から洩れてしまう程に酷い映像だった。
かと言ってリーンフェルトにおんぶでは変質者の様で自身の確固たるプライドが再起不能に陥りそうで怖い。
直接おんぶではなく背負子や籠といった物に置き換えたらどうか。
これもきっと背負うのはカインローズであり、背負わせた事による戦力ダウンを招く結果にしかならない。
これは戦場に赴くに当たってはただただマイナスな発想である。
「どうも考えが纏まらないな……」
気分転換の為に大聖堂の一室から市街地へと散歩する事にしたアンリは、露店で売っている蜂蜜を一瓶買い雑貨屋で旅に使いそうな物を揃えていく。
とうの昔に捨てた故郷の地に目を向ければ、時間が止まった様に変化の無い事に嬉しさと失望が入り混じる。
アンリはヴィオール大陸の寂れた村出身だった。
生まれた時から土の魔力があり、同年代の子供から見てもかなり豊富な魔力を持っていたアンリは、女神にとても愛された子供として巷では有名だった。
物心ついた頃に父が他界し、母と生まれたばかりの弟との三人の生活になる。
母はアンリの土の魔力を見込んで神官に育てるべく教育を施した。
時に食事がなくても本を買い与え、自身の眠る時間は内職をしてアンリの為に金を稼いだ。
その甲斐あってか七、八歳の頃には魔導協会ベリオス認定を受け、見事合格し魔導師となったアンリは神官よりも稼ぐ事の出来る冒険者になった。
母からしてみれば神官になる為にいろいろな物を犠牲にして育てたというのに裏切られた気持ちだったのだろう。
徐々に険悪になりアンリは村を飛び出し、冒険者としてヴィオール大陸をメインに仕事する事になる。
神官を目指して勉強していた頃に特別な日に出て来たのが、あの蜂蜜をふんだんに練り込んだケーキである。
その母が体調を崩しこの世を去ったのをきっかけにアンリはヴィオール大陸を出る事になるのだが、雑貨屋の隅に懐かしい物を見つけ目を細める。
それは子供用に書かれた神学の本だ。
子供にも分かりやすく挿絵がメインの本だが、しっかりと女神ヘレネについて学ぶ事が出来る素晴らしい教材だ。
「そういえばリン君があれに興味を持っていましたか……」
思考の隅に引っかかったそれを解消すべく、本を手に取ると会計を済ませる。
そして懐かしさからニ、三ページを捲ってみると当時分からなかった事が理解出来るようになっていた。
「そう言えばあれから私もヘレネの神話に関してさほど調べたりしませんでしたね」
神官になるのを止めて冒険者になれば生活が豊かになると思っていた。
苦労を掛けた母への気持ちとは裏腹に、結果として期待を裏切ってしまった事は心残りではある。
しかし神官になる為には教会の試験を受けて合格する事、そこから教会に入って修行しなければならずそこに給金は発生しない。
家は金に困っていた。
弟もまだまだ小さい。
母も見るからにやつれ、自分の為に無理をしていた。
稼げる者が自分しかいなかったのだから選択としては間違っていなかったとアンリは思う事にしている。
弟は兄の教材を使って勉強し十二歳には教会の試験に合格し親元を離れていた。
今は全く連絡を取り合っていない弟ではあるが彼はどこで何をしているのだろうか。
普通に暮らしているのならばもう四十は越えている。
生死さえ分からないが、生きて真面目に修行をしているのであれば一端の司祭くらいにはなっているだろうか。
「さて……確かに気は紛れましたがどうしたら良いでしょうね」
本題は全く解決していない事に途方に暮れる。
皇都レネ・デュ・ミディの街並みは常にヘレネへの感謝を現す為に花が飾られている。
うろ覚えの土地勘からなんとか公園へとたどり着いたアンリは、ぽつりとおかれたベンチに腰掛け空を仰ぎ見る。
空は遠くどこまでも広い。
それを攻略すべく自身の持てる全てを駆使して飛ばねばならない。
「土魔法で砲台を作り出して射出……着地はどうするのだこれは……やはり土魔法で空を飛ぶ事は出来ないのか」
しかし一人で悩んでも碌な物を思いつかない。
ここはやはり他人に相談してみるのが一番だろう。
まず脳筋のカインローズは恐らく気合いだなんだと言って時間の無駄になりそうだ。
続いてケイ、これもカインローズ同様の脳筋だ。
「ははは、腹筋と背筋を駆使して飛ぶんだよ」
とでも言いかねない。
アンリも多生は身体を鍛えているが、カインローズの様な筋肉ダルマではない。
本分は魔術師である。
接近戦よりも遠距離で敵を制したい戦闘スタイルでもある。
しかし戦いに身を置く者としてその体は引き締まった物となっている。
「魔法の事ならばリン君ですか」
確かにリーンフェルトならば何か思いつくかもしれない。
少なくとも前者二名よりも脳細胞は柔軟性に富んでいるだろう。
だがしかしここは魔法の師匠としてのプライドが邪魔をして聴く事は出来ない。
であるならば残りは一人である。
「……アウグストに相談しますか」
最も妥当な人選をしたアンリはアウグストの元へ行くべくベンチから腰を上げた。
皇都レネ・デュ・ミディの中心に位置する大聖堂へはどの道を通っても辿り着く。
迷う事無く大聖堂に戻ってきたアンリは早速アウグストに相談する為に彼の姿を探す。
グランヘレネの兵士を捕まえて尋ねると、あっさりと所在が明らかになる。
「アウグスト様は今日は客室の方で調べ物をしていて外には出ていません」
「そうか。ありがとう」
短く礼を言ってアウグストに宛がわれた客間へと向かう。
――コンコン。
ノックをすればややあって、アウグストの声が帰ってくる。
「入りたまえ」
「失礼します」
どこにいても研究資料に囲まれて、好きな研究に没頭出来る彼を羨ましく思うアンリはしばらくして顔を出したアウグストと目が合う。
「なんだアンリじゃないか。何かあったかね?」
早速本題を相談するべく内容を切り出す。
「実は昨日空を飛ぶ事をなんとかすると言ってしまった件なのですが……」
しかしアウグストは造作もないといった感じでアンリの目をじっと見ながら話し始めた。
「ああ、そんな事か。アンリ、我々が扱っている物は何だい? それですべて解決だろう。持っていない属性の魔力を自在に扱う為のオリクトなのだから」
「……これは完全に失念していました」
己の魔力で何とかしようともがいた結果解決策が見つからなかったが、こんな単純な事で解決するのかと正直拍子抜けしてしまった。
むしろなぜ気が付かなかったのだろうかと少し悔しい気持ちになる。
「ふむ。アンリも少し考え方が固まってしまっていたようだね。しかしそれをするにあたって最低でもBランク以上のオリクトが数個必要となるだろう。さらに彼らと同じ速度で飛ぶ事になれば計算上倍は個数が必要となってくる。Aランクの貯蔵量ならば数個と言ったところだろうか」
「しかし、手元に空のオリクトがありませんが」
「そうだね。行きの分だけならば私の所持しているAランクの風のオリクトを出しても良いですよ」
そう言って懐から風の魔力を秘めたオリクトを取り出す。
「それの使用感のレポート十枚で手を打つよ。少し改良を加えたオリクトだ」
「それはまた……いえ分かりました。実験の手伝いをしますよ」
そう言ってアンリはそのオリクトを受け取った。