61 解読
元々研究者であるアウグストが豹変したのは、ヘリオドールが安置していた部屋に入って数分後の事である。
「ふふふふ……これがこうなって……なるほどなるほど」
完全に一人の世界に入ってしまい、教皇がその場にいてもそっちのけである。
「あれが世を騒がせるオリクトを発明した研究者の姿という訳ですな」
教皇がポツリと呟くとそれを拾うようにアンリが話を続ける。
「ええ、当時アルガス王国にあったヘリオドールを研究していた時もあんな感じでしたよ」
アウグストは必死にメモを取りながら、思いついた考察も含めて書きなぐる。
後はそれを見返し、推論を立てる。
アンリがサポートに入り清書したり、考察を加えてゆき議論を重ねてゆく。
「ああ、女神の吐息を感じるようだ。素晴らしい! 素晴らしいですよこのヘリオドールは! 古代文字と方陣の魔導経路は応用できるか……いや……」
独り言を続けるアウグストに教皇が多少の苛立ちがある声で話し掛ける。
「それで、アウグスト殿。その古代文字にはなんと記されているのですか。我々は新たな女神の福音を望んでいるのです」
「ふむ……福音と呼べるかはわかりませんが」
そう前置きをして人差し指で台座に掛かれた文字をなぞる。
「我が怒りは大気を震わせ、海を切り裂く大地の剣なり……その後は少し読めませんが、まあこの程度ならば少々強引に魔力を流してやれば発動しますとも」
それを聞いた教皇の表情は喜色が浮かぶ。
「それはまことですかな?」
「ははは、教皇様はせっかちでらっしゃる。ここに数日泊まり込みで調査致しましょう。許可はいただけますかな?」
「ここに泊まり込みですか。ならばこちらからも護衛を出させてもらいましょう。そのあたりが妥協点でしょうな」
護衛と言っても要は監視役である。
しかしその条件を物ともせずにアウグストは答える。
「ええ、良いでしょう。我々は余所者ですからね。それにこれは国家の中枢だ。監視を置くのは当然の事でしょう。それについて私は理解していますし、居た所で私の研究の邪魔になどなりませんから、お構いなく」
「では護衛を入り口に数名残して私は戻るとしましょう。色よい報告を楽しみにしておりますよ、アウグスト殿」
「ええ、それは勿論」
笑顔で対応したアウグストに気を良くした教皇はヘリオドールの安置された部屋から出て行く。
「やっと行きましたか。さて……」
そう言ったアウグストは台座に書かれている古代文字の解読を始める。
手に持った手帳にはこれまでの研究成果である古代文字の翻訳が掛かれている。
一文字、また一文字手でなぞり、手帳と照らし合わせる。
アウグストが進める翻訳を横でアンリが別の紙に清書していく、リーンフェルトはそれを纏め束ねる。
自然と古代文字に対する知識が得られる。
文字に対する意味や前後の文字と合わさる事による変化はパズルと言ってしまっても過言ではない。
組み合わせ一つ、訳を間違えたとしても意味が通じなくなり、魔法は発動しない。
アウグストの言う強引に魔力を流して起動させるにしても、そこは構文は正しく言い回しが違う程度の精密さは必要である。
足りない文字、伝わらない意味は全て余計な魔力を食う。
正しい構文と文言こそが最少コストかつ最大のパフォーマンスを発揮できる神々の言葉なのだろう。
「ふむふむ、とりあえず教皇が欲しがりそうなこの魔法は当面の間、大地の剣とでも呼称しましょうか」
「しかしこの大地の剣だが、こんな物騒な力を与えてよい物かどうか……」
アンリが珍しく真面目な事を言う。
「そうですね……ではこの文言とこちらの文字を伏せて伝えますか。そうすれば全大陸が呑まれるという事はないでしょう」
グランヘレネ側から派遣されてきていた兵士達に聞こえない微かな声で、アウグストは改ざんを決める。
これはグランヘレネ側に対する不審行動には取られないのだろうかとリーンフェルトは心配するが、元々古代文字を読める者がいないからアウグストがケフェイドから呼ばれたのだ。
報告に際して改ざんしてしまえば恐らく、アウグストレベルの学者が生まれない限りばれる事はない。
情報の抜けた報告をしようとするアウグストは、困惑顔のリーンフェルトを視界に確認すると、手を一旦止めて彼女の方へ向き直った。
「リン君、納得がいかないようだね。まずこの大地の剣だが神々の恩恵と呼ばれるヘリオドールの膨大な魔力を使う。よってその効果も世界そのものに影響しかねないものなのだよ。まずそこは理解しているかね?」
「はい、直接ヘリオドールの力を使うのであれば計り知れない魔力を生み出すはずです」
「そう、ならばそんな力をそのまま彼らに渡しても良いと思うかい?」
暫し考えたリーンフェルトはコクリと首を縦に降る。
「依頼には真摯にあるべきだと思います」
それにアウグストは目を細め、一つ頷いてから口を開く。
「それは姿勢として正しいと私も思うよ。仮に私が冒険者であればだがね。まずこの大地の剣という魔法は破壊しか生まない。発動すれば一撃で万単位の命を奪うだろうね」
「そ……そんなにもですか?」
驚くリーンフェルトがその破壊力を認識出来た事を確認したアウグストは、リーンフェルトの目を見つめて続ける。
「もしかしたらもう一桁、二桁死者の数が増えるだろうね」
アウグストのその目がとても冗談など言っているような目ではない真剣な物であった為、リーンフェルトは思わず息を飲む。
しかし、依頼に対して情報を隠匿する事には抵抗感がある。
心情的には依頼に対して真摯でありたいと思い、言い募りそうになる。
「ですが……っ」
そんなリーンフェルトにアウグストは懐かしい物を見るように目を細め、少し苦笑してから諭すように話し始めた。
「確かに依頼に対して真摯ではない。しかし今回の件で行けば依頼された事は解読であって、多少の翻訳ミスは仕方のない事だと思わないかね?勿論、ちゃんと魔法は発動するようにはする。それは依頼通りだ」
それに付け足すようにアンリが続ける。
「依頼通りである事は達成の条件ではないかい? しかしこちらとしても懸念がある。この国の思想には偏りがあるというのは話したと思う。そんな彼らに強大な力を与え、暴走させればきっと碌な事にならない」
「それはアル・マナク、引いてはヘリオドール一研究者としても望むところではない。まずはこの文字とこの文字を取り替えて……コスト的にはAランク三千個分上乗せて……こんなものだろう」
報告用の書類を作成しつつ、アウグストは魔法の改ざんを行いながらぺらぺらと喋り出す。
「神々の術式にはいくつか法則があるんだが……ああ、勿論オリクトにもその技術は一部流用しているのけど。大体だが魔力総量というものが分かるのだよ。でなければランク分けしてオリクトを出荷出来ないからね」
「石の大きさではないのですか?」
驚きをもって聞き返したリーンフェルトに、アウグストは補足を入れる。
「結局、術式を書き切れるだけの大きさがあるという意味では、大きさがランクに直結するのは間違いではないね。もう少し精密に生産出来れば良いのだが、今は質より量になってしまっているから仕方がない。オリクト関連の魔道具も発明されて来ている昨今において、オリクトの小型化は専ら最近の研究課題だとも。アンリにも素材集めから調査まで手伝って貰っているしね」
そう話を振られたアンリは静かに、しかし強い意志を持った瞳をリーンフェルトへ向ける。
「シュルクはもっと豊かになれるはずなのです。いつまでもヘリオドールに依存していては我らに進化はない。私はそう考えているだけですよ」
「ははは、それに関しては私も賛成だよ。ヘリオドールとて無尽蔵ではないのだからね」
その言葉に更に強い衝撃を受けたリーンフェルトは思わず、グランヘレネの兵士達に声が届きそうなくらい大きな声を出しそうになる。
「いつか恩恵を失……!?」
「こら、リン君はしたないよ。見張りに聞こえてしまうだろ?」
「すっすみません!」
頭を下げたリーンフェルトにアウグストは頷くと、解読に使用してた手帳を懐に大事そうに仕舞いながら話す。
「まあ、驚くのは無理もないけどね。勿論あと数年、数十年という話ではないだろうから、その頃には私もとっくに寿命を迎えていると思うが……あれの魔力が尽きないなどと誰が決めつけたのだろうね? 神々からの恩恵だから? では神とは?」
徐々に声が大きくなりつつあるアウグストに、アンリは静かだが良く通る声でアウグストを止めに入る。
「アウグスト。スイッチが入りかけているぞ。お前はそうなると声が大きくなる癖がある」
「ははは。大丈夫、落ち着いたともアンリ」
二人のやり取りを見ながらリーンフェルトは思考する。
言われてみれば確かにその通りだ。
あの神々の恩恵はいつまで魔力を放出し続ける事が出来るのか。
それを考えると急激に恐ろしくなった。ヘリオドールのない世界というものがイマイチ想像出来ないが、生まれてこの方ずっとある概念の消失という大きな話に眩暈を覚える。
しかし、それと同時にその先を担うだろうオリクトに携われる事は恵まれた事なのかも知れない。
「アウグストさんは凄いですね。何千年先の事を考えているのですか?」
「リン君、やめたまえ。アウグストが調子に乗ってしまう。何事にも一歩引き冷静になれと言っているだろう?」
「そうだね、確かにその通りだ。ところで私達の護衛達は何をしているのだね?」
アウグストの質問にアンリとリーンフェルトは目を逸らした。