60 謁見
ヴィオール大陸北端に位置するパミスと言う名の港町からは馬車で、陸路を行く事になった。
二台用意された馬車はグランヘレネから陸路を行くにあたり、護衛はアンリへとシフトしている。
と言うのも、セプテントリオンの中でも土魔法に精通しているアンリはグランヘレネでも名の知れた実力者として認識されているのだと使者が言っていた。
そんな訳で使者のリクエストに快くアウグストが承諾した為、現在の護衛任務はアンリに変わっている。
それと入れ違いに颯爽と戻ってきたのはケイだ。
「お疲れ様です、ケイさん」
「お疲れ様。そっちはどう? 何か面白い事あった?」
尋ねられたリーンフェルトは先程までの事を暫し考え、ケイが喜びそうな面白い事を思い出す。
「あっ! カインさんが泥を口から吐いていました」
それを聞いたケイは目を輝かせてカインローズへと向き直り言い放った。
「うわぁ見たかったなそれ。カインもう一回やってよ!」
「出来るか! んな事!」
先程の事を思い出したのだろうカインローズは嫌そうに顔を顰めると大声を上げた。
――パミスからはグランヘレネ側が用意した立派な箱馬車での移動となった。
使者と同じような色合いに塗装された馬車は白地に金色の装飾がふんだんに使用されており、少々目に痛い。
そんな車窓から外の景色を見ていたリーンフェルトは少し後悔していた。
この大陸はケフェイドとはだいぶ事情が異なる。
既にケフェイドでは雪が降っており、もうすぐ根雪となり辺りは一面真っ白になる時期であるのに対して緑が多く気温も暖かい。
現地に住む者にとっては寒いのかもしれないが、リーンフェルトにとっては暑いくらいだ。
気温の感じはケフェイドの初夏くらいだろうと推測される。
初夏の陽気で真冬の服を着るというのは、苦痛である。
初めて訪れる土地だった為、見積もりが甘くなってしまったようだ。
意外にもそのあたりを踏まえていたのはカインローズであり、気候に合った夏服を着用していたようである。
疑問に思ったリーンフェルトが質問しようとすると、ケイがさらりと答えを先に口にする。
「カインはここらへんも武者修行で来た事あるんだっけ?」
「ああ、随分昔にだけどな」
会話に入りそびれたリーンフェルトは、次こそはと話に参加する。
どうもカインローズとケイは普段から一緒にいる事が多いせいか会話のテンポが早い。
お互いをよく知っていると会話が妙に短くなるようだ。
男性同士の会話とはそういうものなのだろうか。
「武者修行ってどれくらい前の話なのですか?」
「ん?ああ、それな。多分今のリンくらいの歳からだな。全大陸を制覇したのは三十になる前の年だったはずだから十年か? いや客観的に見たら意外と長かったな」
「ホント、カインのそういうところは凄いよね。僕は専ら修行と言えば父上に扱かれて育った口だから、経験豊富なカインとの手合せは楽しいんだよ」
「それでいつも実戦訓練を一緒になさっているのですか」
「そうなるね。今の所勝敗もほぼ五分五分だし、好敵手って奴だよ。リンもそういう相手が見つかると良いね!」
「好敵手ですか?」
「そうそう、コイツには絶対負けられない、負けたくないって思えるような相手さ」
そういう言われて思い出すのはあのケープマントの男の姿だ。
一方的にやられた記憶は鮮明に、あの悔しさが燻り続ける限りはあの男と再戦したいとリーンフェルトは思っていた。
もっとも今の実力ではもう一度返り討ちにあって、今度こそ殺されるに違いない。
「どうやら思い浮かぶ奴がいるみたいだね。それならリンももっと強くなれるよ」
ケイは銀髪をさらりと掻き上げて優しい表情で微笑んでいる。
きっと普通の女の子ならば今のケイの微笑みに骨抜きにされている事だろう。
それくらいケイの容姿は整っている。
体型はカインローズのように筋骨隆々ではなく、細身であるが鍛え抜かれた筋肉はしなやかさがある。
所謂、細マッチョである。
さらに美丈夫である彼の話題をリーンフェルトも耳にする事があった。
アル・マナク本部の女性職員の人気ナンバーワンはケイである。
次点にアンリとアウグストが続く。
アダマンティスは既に老人と呼べる年齢であるが、とてもコアなファンが社員食堂にいるのである。
ちなみにカインローズだが、一定数ファンがいる事をリーンフェルトは知っている。
なぜなら弟子であるリーンフェルトを介して、カインローズと接触を図ろうとする輩がいるからである。
手紙を預かったりした場合、リーンフェルトは真面目にカインローズへと手紙を渡しているのだが、その後についてはあまり話が聞こえてこない所を見ると発展したりとかはないようだ。
少々脱線した思考を元に戻すとカインローズとケイの掛け合いを聞き流しながら書類に目を通す。
「おっ、リンったら真面目だね」
「そりゃ俺の弟子だからな」
「カインの弟子ってのは関係ないと思うけどね」
「師匠としての教えた事を……」
事務仕事がからっきしのカインローズの見栄かジョークか聞き捨てならない言葉に、書類から目を上げたリーンフェルトは鋭い視線と共にツッコミを入れる。
「書類に関してはカインさんに教わっていませんよね?」
「あははは、だよね。指示書すら読まないカインが教えられる訳ないもん」
ケタケタ笑うケイにカインローズは不貞腐れた様に窓の方を向いてしまった。
ここは一応の師匠であるカインローズに花を持たせた方が良かったのだろうか。
何かの冗談だと思っていたリーンフェルトは、カインローズが無言になってしまった事を少しだけ後悔した。
馬車の車輪と馬の蹄鉄の音が小気味良く一定のリズムだけが車中に流れてくる。
――辺りは徐々に夜の帳が下り始める頃に押し黙っていたカインローズが徐に声を上げた。
「なあリン、あのあっちの方で蠢いてるのなんだと思う?」
カインローズの言葉に車窓から外を覗けば、夕闇に奇妙に蠢く影がいくつも見受けられる。
手はだらりと垂れさがり、足を引きずるようにして歩く様は怪我している様にも見える。
「あれは一体……?」
「あれは死んで魔物化した連中だ」
「えっ……それはもしかして……」
「えっとね。リン、お化けって訳じゃないんだけど。ヴィオール大陸ってどういう訳だか知らないけどアンデッドが大量に出るんだよね」
軽い調子のケイの言葉にリーンフェルトは、もう一度目を凝らして蠢く影を見つめる。
「いろいろ説はあるんだがな。原因はいまだ不明なんだとさ」
「一番有名な説は、大陸の女神の祝福を受けられずに地に眠る事を拒まれて彷徨っているという説だね」
「あれの討伐は年がら年中依頼出てるから、一定の強さがあれば結構稼げるぜ」
「本当の原因は一体何なのでしょうね?」
グランヘレネに詳しいカインローズとケイのお蔭で土地や国に対する知識を得ながら馬車に揺られる事三日、一行は皇都レネ・デュ・ミディへと入る。
そこは白一色の世界と表現しても良いほど建物が真っ白であり、いたる所に色とりどりの花が飾られている。
「ここは綺麗な国ですね」
リーンフェルトの第一印象は綺麗な国であった。
ケフェイドでは花の種類も少なく、色とりどりとはいかない。
「まあ、見た目はな」
とカインローズが水を差すようにぼやく。
「大地母神ヘレネを信仰する都市らしいと言えばその通りだね」
「女神様に毎日花を捧げてんだよ。ここの連中は。まるで街全体が祭壇のようだぜ」
「確かにそうかもしれません。信仰がとても深い国なのですね」
「ま、深すぎるのも考え物っちゃ、考えもんだがな……」
などと話していると馬車は馬の嘶きと共に動きを止める。
「着いたようだね」
「そうみたいですね」
御者が箱馬車のドアを開けて一礼する。
「どうぞお客人方。足元にお気をつけてお降り下さい」
カインローズ、ケイ、リーンフェルトと続いて馬車から降りるとそこは聳え立つ大聖堂のような建物だ。
ステンドグラスの中央にヘレネを描き、様々な色のガラスを用いて装飾されたそれは、光を受けて神々しく感じる。
「あのステンドグラス綺麗ですね。カインさん」
「ん? ああ、まぁな」
「リン。そこの朴念仁に美術の美しさを問う方が間違いだよ」
「悪かったな。いまいちよくわからなくて」
「良いって良いって。カインぽくて僕は良いと思うけどね」
「そうか?」
「カインさん……それきっと褒められてませんよ」
リーンフェルトの呟きは果たしてカインローズに聞こえたかは定かではない。
使者とアウグスト、そしてアンリも馬車から降りてくるのが見えた。
「使者殿、あのステンドグラスはとても荘厳で慈しみ深いヘレネ様を感じますね」
「そうでしょう、そうでしょう。ヘレネ様の素晴らしさをご理解していらっしゃるとは流石アウグストさんだ」
「ははは、それで私達はこれからどうしたら良いのでしょうか?」
アウグストが使者に問うと、口調を正して案内を始めた。
「まずは教皇さまにご挨拶を。その後は教皇様の案内で我らが恩恵をご覧に入れましょう」
「それは楽しみです。では参りましょう」
使者を先頭に大聖堂のような建物に入ってゆく。
大理石を敷き詰めた床が一行の足音を響かせる。
暫く進むと大きな扉が視界に入る。
「あちらが謁見の間となっております」
使者がそう補足する。
「ちなみに扉に描かれているのが我が国の国章となっております」
左右の扉は逆十字が描かれており金の縁取りがなされている。
「それでは参りましょう……」
扉が開かれるとさらに広いスペースが続いており、玉座に続く絨毯は落ち着いたブラウンを基調として金の刺繍が施されている。
ケフェイドのように毛足の長い絨毯ではなく、短めではあるが一足踏み込めばその柔らかさを感じる事が出来た。
一行は教皇の前に跪き、頭を垂れる。
「遠路遥々我が召喚に応じてくれた事、心より感謝する。面を上げられよ」
前列にアウグストとアンリ、その後ろにカインローズ、ケイ、リーンフェルトと並んでいる。
アウグストはしきりにヘレネへの賛辞を織り交ぜながら話を進めてゆく。
教皇は白髪頭に王冠を被り、左手に掌よりやや大きめの黄金で出来たヘレネの逆十字を握り、右手に持った杖には黄金で作られた冠を被った蜂を模した意匠が施されている。
挨拶もそこそこに玉座から立ち上がった教皇が一行を近くへ呼び寄せると、近くに集まった数名にしか聞こえない声で話し始めた。
「さて客人方、私自らヘリオドールまで案内するとしよう。着いて参れ」
玉座の肘掛に仕掛けがあるらしく、教皇がそれを操作すると玉座の後ろの壁が砂となり階段が現れた。
「では行くとしよう。ああ、急いてこちら側に来なさい。時間が経つか仕掛けを操作すると壁は元に戻るようになっておる」
地下へと続く螺旋階段を教皇を先頭に降りてゆくと徐々に底の方で淡く光る扉が見えてきた。
教皇が祈りを捧げるようにして、何かを唱えるとゆっくりと扉が光を失ってゆく。
「さてこれで入れるでしょう。我が国が誇るヘリオドールをご覧頂こう」
扉を開き潜れば金色の魔力を放つヘリオドールが、精巧な意匠が施された台座に鎮座していた。