6 姉と妹
アリアに招かれるようにして、カインローズは公爵邸に入るとその豪奢な作りに驚き立ち止まる。
目の前に広がるエントランスはリーンフェルトの知らない物になっていた。
「え…ここの絨毯新しくなっている」
開口一番に出た言葉はそれである。
リーンフェルトの記憶だと、この屋敷のエントランスにあったのは大分色あせてしまった絨毯のはずだ。
公爵とは名ばかりの貧乏貴族であったセラフィス家だが、アルガス王家の支配から脱却した後の発展は目を見張るものがあったようだ。
もともと港のある町であるクリノクロアからの輸出入でまずそこそこの収益を出す。
さらに評議会委員として、戦後の復興予算を取りそれを町の整備に充てた。
ここは他の地方貴族と一線を画す手腕が振るわれており、王都よりもクリノクロアの方が賑わい物が溢れている。
「この絨毯は中央大陸のマディナムントから取り寄せた物だ。どうだリーン。家に帰って来たくなったであろう?」
赤を基調とした色鮮やかな花々が描かれた絨毯だ。
毛足は短く厚みもあるが、歩くたびに柔らかく沈み込む感覚が物の良さと上品さを醸し出している。
「私は私の使命があります。故に戻る事は考えておりません」
そんな話をしながらリーンフェルトをカインローズは応接間に通される。
応接間のソファーも新品であり、潰れて中のクッション材がいびつな形で固まっていたりなどしていない。
高級感のある黒に染め上げられた革をふんだんに使用した贅沢な一品といえよう。
光沢もあり、クッション性も抜群に良くなっている。
昔、妹と二人で遊んだボロボロのソファは今はもうないそうだ。
なんだか寂しく感じたリーンフェルトではあるが、やはり実家という事もあるのだろう。
大分リラックスした表情になっており、大よそ普段の仏頂面ではない。
そんなリーンフェルトはふと気になったのだろう、それについて口にする。
「お父様、お母様…シャルの姿がみえないのですが……?」
その一言でケテルは深いため息を吐き、アリアは俯いてしまった。
「何かあったのですか?」
両親の反応から何かがあった事だけは確実だ。
姿が見えない事に一層の不安を感じる。
「それがシャルロットは家出をしてしまってな。今はこの家にはいないのだよ」
ケテルはリーンフェルトの不安を感じてか宥めるような口調で、事実を告げる。
「一体何が? いつからなんです? シャルがいなくなってしまったのは……」
「そうだな。ちょうど一年くらい前の事だ。王族が追放された事はもちろん知っていたのだが、兵士達にとってはやはり王族という物は特別らしくてな。
私達の留守を狙ってやってきた彼を門兵が素通りさせてしまったようなのだ」
彼?
シャルロットにはそういう関係の相手がいただろうか? リーンフェルトの頭の中は疑問符で埋め尽くされる。
「彼とは誰です? そもそも私が家を出てしまっていたのですから、シャルが実質公爵令嬢だったでしょうに」
「そうなのだがね。お前も覚えているだろう? この家に来た王族を」
一瞬で鮮明に蘇った苦い記憶。
「マルチェロ…ですか?」
ケテルとアリアは黙って頷く。
つまり肯定だ。
「その元王族のマルチェロってのが誘拐犯なのか?」
話に入ってきたカインローズが剣呑な目つきになっている。
しかしケテルは首を左右に振ってそれを否定する。
「いや誘拐されたわけではないみたいのだよ。ちゃんと置手紙もあったからね」
そういって大事に取っておいたのだろう、懐から小さな小箱を出し、中から小さく畳まれた紙切れを出す。
そこには確かに覚えのあるシャルロットの筆跡で一言。
「探さないでください」
とだけ書かれていた。
一体シャルロットに何があったのだろう?
いつもニコニコと笑っているような子だった。
リーンフェルトの脳裏に鮮明にシャルロットの姿が映し出される。
両親としても商人の伝手などを当たって探しているようだが、ケフェイドにはいないのかもしれないという結論に達したという。
となると港から船に乗って他の大陸へ移動した事になる。
生まれてこの方この町からだって出るのは滅多になかったはずだ。
それなのにいきなり船に乗って旅をするなど、無謀にもほどがある。
シャルロットは無事なのだろうか?
心配で落ち着かないリーンフェルトの肩に、カインローズの手が乗せられる。
「焦っても仕方がない事だぞ」
「それは分かっていますが…それでも心配で……」
俯くリーンフェルトに両親も声を掛ける。
「一つ朗報があるとすればギルドが導入したオリクトを使用したあの身分証明書だ。そこに登録があったと報告が来ておる」
つまりシャルロットは冒険者をしている事になる。
冒険者とは言うなれば何でも屋だ。
荷物の配達から魔物の討伐まで、本当に幅広く手掛けている。
ただし一方ではならず者の集まりと言う認識をしている貴族も多いと聞く。
シャルロットは一年以上も冒険者として暮らしているという事になる。
あのおっとりした子が、荒くれ者たちに囲まれて泣いてなどいないか。
悪い人達に騙されたりはしていないか、正直心配で仕方がない。
「直近の情報だと西大陸カルトスでいくつか依頼を受けているそうだ。つまりは生きているという事になる」
場所までは分からないがシャルロットは生きている、少なくとも今の所は。
その情報に少しだけ安心したのか、安堵の表情を浮かべるリーンフェルト。
カインローズもその表情の変化に、そっと肩から手を放す。
「あれも一年は冒険者ギルドで仕事をして生きているようだ。逞しくなったものだな」
ケテルが感慨深げに言うが、アリアは目を剥いて睨み付ける。
「シャルロットにもしもの事があったらどうするのですか!」
「しかしなアリア……」
「しかしではありません!あの子はリーンとは違ってまともに魔法も使えないのですよ!」
アリアは悲痛な面持ちで俯いてしまう。
公爵家の習わしで十二才で魔導協会ベリオスの試験を受ける。
これは初代公爵が十二才の誕生日に魔術師としての才能を開花させ、最初の難事を解決したところから
公爵家の習わしとして受け継がれている物であり、もちろんリーンフェルトもその試験を受けて魔導師としての認定を受けている。
しかし妹のシャルロットは魔法の才には恵まれなかった。
ベリオスから試験日に合わせて派遣されてきた認定資格のある魔導師が、基本的にどの属性に適性があるかを鑑定する。
この見極めを基に、魔法の威力や定められた階級の魔法を使いこなす事が出来るかどうかなどを見る試験なのだが、シャルロットはどの属性も適性がなかったのである。
ベリオスの試験に合格した者は、認定証としてベリオスの紋章が彫られた緑色の石が贈呈される。
この石をどのように加工してもいいので、身に着けている事こそが魔導師として認定された証となる。
多くの場合、指輪やイヤリング、ネックレスなどの装飾品に加工して身に着けているのが一般的であり、
リーンフェルトも目に見えるところには着けていないが、ペンダントのヘッドに加工して身に着けている。
仮に失くした場合は、中央大陸セリノアにあるベリオス本部まで直接申請しに行く事、そして多額の再登録料を支払う事になっている。
この世界ではベリオスからの認定がない者は、魔導師とは呼ばれない。
魔導師であるだけでその者に価値が生まれる、いわば勝ち組である。
まず職に困らない。
魔導師として冒険者ギルドから依頼を受ければ、たとえ同じ討伐結果であったとしても魔導師の方が報酬は高くなる。
平民よりも貴族の方が魔法適正は高いと言われているが、その中でもリーンフェルトの成績は同年代の貴族達の誰よりも良かった。
一人につき一つ、多くて二つ程度、魔法属性の適性がある物なのだが、調べた限りではリーンフェルトには六つ全てに適性があった。
近年のベリオス登録者の中でも間違いなく上位に入るだけの資質を持っていると、担当してくれた魔導師が褒めてくれた。
「ともあれシャルロットは生きている。リーンも気には掛けておいてくれ。いずれどこかで出会えるかもしれんしな」
「そうね……あの子が出て行ったのはあの子の意志ですものね。私は子供たちに安全を祈るばかりですわ」
沈痛な面持ちの二人であったが、しばらくすると切り替えが出来たようである。
「すまんな、少し湿っぽくなった。さてこれからお前達はどこに向かうのだったかな?」
ケテルが務めて明るく、カインローズに尋ねる。
「任務の内容を詳しくはお伝えできませんが、サエスまでここからの定期便を使って向かうつもりです」
「サエス王国か。西大陸カルトスの国だったな」
「そうです」
一瞬ケテルは顔を歪ませる。
娘のシャルロットの姿が脳裏を掠めたのだろう事は、カインローズも理解できた。
「ははは、ちょうどシャルロットがいる大陸ではないか……もしかしたら本当に会えるやもしれんな」
「まっ…任務で町には寄りますし、冒険者ギルドを覗いてきますよ。帰りも定期便でこちらに来ますから、なにか目新しい話でも仕入れられたらお伝え出来るかと」
確かに町には寄るだろうが、冒険者ギルドまではアル・マナクとしては用事がない。
しかしカインローズはあえて、冒険者ギルドを覗きに行くと明言したのだ。
リーンフェルトの両親の顔を見ていれば、子がいなくともその気持ちが伝わってくる。
何か出来る事があればしてあげたいという、カインローズのお節介な部分が顔を出す。
「そうか……カインローズ殿には迷惑を掛けるが、そうしてもらえると助かる」
「私の方からもお願い致しますね」
二人から頭を下げられ恐縮するカインローズであったが、それに力強く頷いた。
「ええ、任せておいてください。これでもセプテントリオンの四席ですので情報くらいは持って帰って来ますよ」
そう言って笑みを浮かべてみせた。
リーンフェルトも今やセプテントリオンの七席を拝命している。
しかも初任務である。
出来れば何事もなく無事に完了したい。
しかしシャルロットが家出をしているとは驚いた。
魔法こそ使えなかったが、運動神経が鈍いわけではなかったはずだ。
胸はとても重そうにしていたが。
元気にしてくれていればいいなとリーンフェルトは心の中で思う。
「そうだ貴方達今晩はどうなさるのかしら?」
アリアが夕食をどうかと尋ねるが、リーンフェルトはこれを断る。
「お母様、私たちの他にあと二名ほど連れがおります。彼らが宿で待っておりますので食事は彼らと致します」
「そう……それは残念ね」
カインローズは美味しい物が食べられるかと一瞬期待したが、見事に打ち砕かれ口を開けたままになっている。
「ちゃんとカインさんと帰りに報告に寄りますから……その時にでも」
そう言って辞去する。
公爵邸の門まで見送りに来たケテルとアリアが、手を振りリーンフェルト達を送り出す。
「ちゃんと帰ってくるのですよ」
心配そうなアリアの声にリーンフェルトは、普段よりも明るく元気に答える。
「お父様、お母様いってきます!」
ケフェイドの短い夏、まだ日が高い内に貴族街を出たリーンフェルトとカインローズは宿である海神の揺りかごへ向けて歩き始めた。