58 晩餐
クリノクロアに着いたのが昼を回っていた為、リーンフェルト達は二泊する事になった。
カインローズとしては元々クリノクロアで二泊の予定であったらしい。
これについてはアトロも聞いていなかったらしく港に着いた時には随分と慌てていたようだが、カインローズから理由を聞いて納得してからの行動は早かった。
クリノクロアの宿は以前宿泊した海神の揺りかごである。
チェックインを済ませた一行は夕食後にミーティングを行う事を確認した後解散となった。
リーンフェルトは部屋に入るとブーツを脱ぎ手入れを始める。
ブラッシングをして汚れを落とし、メンテナンス用のオイルを使う。
手慣れたもので特にベタベタにする風でもなく、薄くだがしっかりと塗り込んでゆく。
これはいつも通りにブーツを手入れしてから気がついた事だが、防衛陣地で戦ったあのホワイトミストサーペントの革に普通の手入れ用のオイルを付けて良かったのか気になる所だ。
今の所問題なく汚れを取ったブーツは艶を増しているし、綺麗な状態だ。
最後に部屋に備え付けてあるブーツハンガーに掛ければ、徐々に気持ちの切り替えが行われる。
またブーツを履けばアル・マナクのリーンフェルトへとシフトする。
そうやって仕事とのオンとオフを切り替えているのだ。
ベッドに腰掛けて窓の外を見ればまだまだ日は高い。
夕食までの時間は久々の故郷であった為か、リラックスした気分のリーンフェルトは今後の事を考える時間へと充てる事にした。
自身が強くならなければ、守りたい物は守れないし救えない現実とあの男ほど強くなれるだろうかという不安に押しつぶされそうになる。
カインローズが言うには任務の後は休暇が入ると言う。
ならばその休暇の期間は己を鍛える事に費やそう。
幸い本部であれば自分よりも強い者が多くいる。
彼等に教えを請う事が出来れば、新たな事に気が付けるかもしれない、強くなる事が出来るかもしれないとリーンフェルトは考えていた。
この日の変わった事と言えば、カインローズとアトロが所用で出かけた事とリナが公爵家への先触れを嬉々として買って出たくらいだろう。
リナの先触れについては少々不安ではあったが、元々貴族専門で護衛の仕事をしていたのであれば礼儀作法もそれなりだろうという事で自身を納得させた。
明日はアル・マナクとしてだが実家へ行く。
父と母は元気にしているだろうかと一瞬考えたが、今はもう少し自分の事を考えようとリーンフェルトはベッドに寝転がる。
しかし疲れていたのだろう、ふわりと沈むシーツの海に溺れるようにリーンフェルトは眠ってしまったのだった。
目が覚めたのはクライブが夕食の時間になって呼びに来た時であった。
つつがなく夕食を終えた後は予定通りミーティングが行われた。司会進行はカインローズが行なうようで開口一番、
「さて今度こそ、公爵家の料理を堪能したいものだな」 などと言い出す。
それに釣られてかリナの目が輝く。
「素晴らしいお屋敷でしたわ。まさか私を置いて行こうなどと考えておりませんわよね?」
貴族に妙な憧れがあるリナと食事狙いのカインローズを牽制するべく、リーンフェルトが口を挟む。
「あの……お父様が居るかどうかも分からないのですよ?」
「そこはきっと大丈夫だ。アリアさんなら必ず飯を奢ってくれる!」
何を思ったか突然カインローズは絶対の自信を見せてそう答える。
「私のお母様になんの根拠があってそんな自信を持っているのですか! カインさん!」
「アトロはクライブを教会に連れて行ってくれ! まだ調子悪そうだしな」
「旦那……ここまで苦楽を共にしてきて貴族様の晩餐を味わえるかどうかのチャンスになんてことを言うのですか」
「確かにアトロには世話になってるしな。よしクライブを教会に預けたら貴族街に向かおうぜ」
「旦那ぁ……それは酷いっすよ……」
「ですが、ぞろぞろ行くのも失礼ではありませんこと?」
少し心配そうなリナを余所に、カインローズは笑いながら回答する。
「まあ大丈夫だろう。多分」
「私の実家にそんなに期待しないでください!!」
そんなやり取りの後、解散。
翌朝より準備に入り一行は夕方頃を目処にセラフィス公爵家へ向かう。
案の定ケテルは議会の関係でクリノクロアを出ており、今は文官数名を引き連れてアルガニウムに居ると言う。
対応してくれたのはリーンフェルトの母であるアリアである。
この時の公爵家への報告はカインローズが率いるアル・マナク特務部隊の訪問という形を取っており、カインローズを先頭にリーンフェルトとリナが並び、その後にアトロとクライブが続く形で公爵家の謁見の間へと案内される。
当然公の場である事から珍しくカインローズとリナがセプテントリオンの制服に身を包んでいた。
これは昨日カインローズとアトロがアル・マナクのクリノクロア支部にいる諜報部と接触し、本部までわざわざ制服を取りに行かせた結果である。
それと一緒にリーンフェルトの服もその際手配したようだ。
流石に白いコートなどの派手めな服装はたとえ実家であろうとも、無理があるとアトロがカインローズに進言したらしい。なおアトロとクライブも御者として、黒を基調としたベストを身につけ白シャツにリボンタイをした正装となっている。
「あら……カインローズさんではありませんか。生憎と主人でしたらアルガニウムにいますよ」
「そうでしたか。我々もアルガニウムに戻りますので閣下へのご報告はその時にでも」
「何か分かったのかしら? あの子の事」
アリアが指すあの子とはリーンフェルトの妹シャルロットの事である。
サエスへ向かう前にもしも情報があれば持ち帰るとカインローズは約束していたのだ。
「偶然会う事が出来ましたので……」
「あら、なんて幸運な事しょう。あの子は元気にしていましたか?」
「ええ、シャルはとても元気でしたよ。お母様」
心の中で、嵐のように走り去って行きました。 比喩ではなく本当の意味で、と付け足す。
そして彼女を思い出すと同時に苦い記憶も蘇る。
あのケープマントの男……絶対にシャルを騙しているに違いないとリーンフェルトの女の直感が叫んでいる。
必ずお姉ちゃんが助けてあげるからと拳を握りしめる。
「良い報告をありがとう、カインローズさん」
「はっ。奥様のお気持ちを少しでも慰める事が出来たのなら本望であります」
カインローズの後ろ、数歩ほど後方にいたリナがリーンフェルトに耳打ちをする。
「……普段こんな喋り方ではないですわよね」
「普段がこれでもきっと気持ち悪いと思いますよ、リナさん」
「そうですわね。えらく気持ち悪い物を見ましたわ」
などと話しているとアリアが二段ほど高くなっている謁見の間の上手から降りてくる。
「さて、カインローズさんとリーンはお帰りなさいですね。今晩はここで夕食をとりながら旅のお話など聞かせてくださいね」
そうしてアリアの先導で食堂へ移動し食事となった。
昔は質素だった食堂も今は公爵家らしく華美にならない程度の調度品で纏められている。
各自が案内された席に着くと会食が始まった。任務の失敗やリーンフェルトの怪我などは勿論伏せられたが、カインローズが脚色して面白おかしく語り、それにリナがツッコミを入れてながら語られたそれは、アリアが珍しく口元に手で隠すくらいにはウケた。
絶妙な掛け合いを繰り広げる二人の普段の仲の悪さに苦笑しつつリーンフェルトは見守った。
宴も闌、会食が終るとお開きになり、玄関先まで見送りに来てくれたアリアに辞去をして公爵邸を後にする事なった。
カインローズを始めとした面々が順次アリアへ挨拶をしていき、リーンフェルトの順番が来た時だった。
別れを告げようとしたその瞬間に、ふわりと母に抱き締められる。
「あの……お母様、恥ずかしいのですが……」
戸惑うリーンフェルトを余所に、アリアはリーンフェルトにだけ聞こえるように耳元で囁いた。
「あまり無茶をしては駄目よ?」
そういうとウインクして見せた。
恐らくアリアにはリーンフェルトが怪我をした事がばれているのだろう。
公爵家の情報収集力の一端を垣間見たリーンフェルトは、怒られた子供のように小さく頷いたのだった。
――翌朝から降り出した雪の中クリノクロアを後にした一行は、途中にある宿場町で一泊した後、夕方くらいにアルガニウムに入る事になった。
街の門にはアル・マナクの隊員達が警護に当たっており、カインローズ達の姿を見つけると手を振って迎えてくれた。
「おかえりなさいませ! お三方。早速で申し訳ありませんがアウグスト様より召集が掛かっております。直接本部までお向かい下さい」
そんな伝言を受けて一行はアル・マナクの本部へと出頭する。
「こりゃ流石に大目玉か?」
「任務には失敗してますしね。仕方がないと思います」
諦め顔のカインローズにリーンフェルトも同意する。
本部で待っていたのはセプテントリオンの次席であるアンリ・フォウアークである。
「やあ、カイン待っていた。早速で悪いがアウグストが呼んでいる」
「んじゃ俺だけ怒られてくるか」
「いやリーンフェルト君も呼ばれているから一緒に行きなさい」
「あのアンリ様? 私は呼ばれておりまして?」
「安心しろ呼ばれていない。君はそのまま本来の職務に戻りたまえ」
リナはショックを受けたような顔をしたが、アンリの指示に従って離れてゆく。
「お嬢様そういうわけで、一旦お別れですわ……」
「それは仕方ないですよ。リナさん本来は伝令役でしたし、一緒に旅が出来て良かったです」
「ああ、お嬢様ありがとうございます。また任務でご一緒させてくださいませね!」
「はい!」
リナは何度も振り向きながら本部の中に消えてゆく。
「んじゃ俺たちも行くか」
「はい……」
任務の失敗を咎められる事は確定だろう。
項垂れる二人の姿に笑いを堪えながらアンリは、カインローズに話しかける。
「カイン、そんなに気を落とす物ではないよ。勿論リン君もだ。そもそもなぜ叱責されると思っているのかね?」
「それは勿論任務に失敗したからで……」
「その代わりに別の任務を出したし、君たちはそれを立派に遂行してきたのだから胸を張ればいい」
「ですが!」
アンリの言に反論しかけたリーンフェルトはすっと目の前に差し出されたアンリの掌に制止されてしまう。
「うんうん。リン君は真面目だね。そこのカインとは大違いだ」
「なっなんだよ。俺だって失敗した事については、責任くらい感じてるんだが……」
「そうかい? それならカイン……旅先での豪遊の経費について説明してもらっても良いかね?」
「なっ……なんの事だ?」
「ふむ。私の情報収集能力を舐めてもらっては困るね」
アンリと他愛のない話をしている間にアウグストの書斎前まで着いてしまう。
静かにノックをしたアンリに部屋の住人の声がする。
「入りたまえ」
「失礼致します」
アンリを先頭にカインローズとリーンフェルトが続く。
書斎の机にはアウグストは座っており、書面から目を放すと三人の方へ向き直った。
「カインお疲れ様。どうだったサエスは」
「いや途中から天気が良いのに雨が降ったりして大変だったぜ」
その言葉を皮切りにあの日の一連の流れがカインローズからアウグストに説明されると、彼は腕を組んだ。
「実に興味深い話だったね。もしかすると水のヘリオドールに何かあったかもしれない。それは改めてこちらで調査させよう。ともあれ二人とも長旅お疲れ様。しっかり休んで次に備えてくれ」
「あの……アウグストさんは任務の失敗について怒らないのですか? 私はてっきり……」
「ふむ。リーンフェルト七席、シュルクは万能ではないよ。むしろ不完全だと言った方が正しいだろうね。そんな我らが失敗した事を咎められるかね? 少なくとも私は不完全なシュルクだよ。失敗は誰にだって起こるものさ」
そう言って笑って見せた。
この後二人には休暇が正式に申し付けられ束の間の休息を得るのだった。