57 帰路
約一か月に及ぶルエリア滞在中不慮の事故で体調を崩したクライブは、寝ながらも何度も頭を下げていた。
「本当に申し訳ないっす……」
悔しそうに呟くクライブにリーンフェルトは光魔法を掛けながら声を掛ける。
「仕方ないですよ。クライブさんが防いでくれなければもっと被害が出ていたでしょうし……」
リナが作り出した物体を味見させられたクライブは、その日から高熱にうなされて寝込む事となった。
幸い死に至る事はなったのだが、御者としての仕事はもうしばらくしない方が良いだろうという結論に達した。
ついでにリナには料理禁止令が出されている。
ぐったりとしたクライブを幌馬車の方に寝かせて御者台にアトロとリナが乗り込む。
カインローズとリーンフェルトは斥候役として風魔法を纏い少し上空の方から警戒をしている。
まだまだスタンピートの余波か魔物の姿は多く、視界に映る範囲でも小規模だがヘルハウンドが群れていたりするのが見える。
発見した段階でカインローズかリーンフェルトが殲滅に向かい安全を確保している状況だ。
そんな事をしながら一行はルエリアの防衛陣地を一路北東に向かって進路を取る。
向かう場所は定期便の出ているクロックスの街だ。
なだらかな下り道を行けば流されてきた砂利や泥が溜まっているのが散見される。
こういうものも復興の支援部隊が手配出来れば徐々に片付けられていくのだろう。
「おーいアトロ、もう少し先に泥だまりがあるぜ」
更に上空にカインローズが風を纏って飛んでいる。
リーンフェルトよりも視力が良く、道の状況をアトロへ風魔法に乗せて伝える。
御者台の上でアトロは鞭を掲げそれに答える。
いちいち声で返事をしないのは馬が驚かないようにする為だ。
もっとも躾は良く出来た馬達なのでちょっとくらいの大声では驚いたりはしないのだが、やはりストレスには感じるようで筋肉の張り具合や体力面にも影響はあるのだそうだ。
ルエリアからクロックスまでは凡そ五日の行程である。
行きは王家派の残党に襲われてマルチェロに再会した道だ。
そういえばあの雨の中マルチェロ達はどうしていたのだろうか。
不意に気になったが、すぐに野営に入るとカインローズから指示が出たので高度を下げてゆく。
辺りを一度くるりと索敵して危険な敵が居ないかを確認してから地上に降りる。
着地の瞬間ふわりと風が起こり足元の砂埃を巻き上げてしまう。
「おう、リンどうした? 今日は魔法の制御が上手く出来ていないようだが?」
「ああカインさん見ていたのですか。そうですね……久々の野営になるので緊張しているのかもしれません」
「そういやそうだな。缶詰だったとはいえ街中に居たし、寝る時にベッドがある生活だったからな。しかしまぁ仕方ない話だな」
そう言ってリーンフェルトの肩をバシバシと叩くとアトロ達が始めた野営準備を手伝いに掛かる。
警戒や魔物の殲滅をしながらの一日目は、予定してた場所よりも遥かにルエリア側である。
「あまり進みませんでしたね」
「それは仕方のない事ですな」
焚火をして暖を取りつつ厚手のマントに包まりながら、晩御飯として作られた干し肉と野菜切れが入ったスープに口をつけたリーンフェルトがアトロと話し始めると、スープを一息に飲み干したカインローズも話に参加をしてくる。
「リン、焦っても仕方がないぜ。今回は行きと違って道も悪いしな。少し道程を長めに見積もっている」
「カインさんが真面な事を言っていますよアトロさん」
「どうしたのでしょうな……もしかしたら体調不良なのかもしれませんね。旦那も悪夢の被害者ですから……」
悪夢とはもちろんクライブが体調不良に陥った原因であるリナの料理の事である。
カインローズはそれを食べこそしなかったが、料理が放つ臭気にやられて気を失ったので被害者扱いである。
「おいおい、俺をなんだと思ってるんだ? 確かに鼻から脳に抜ける激痛は忘れもしないが、体調は至って問題ない」
そう言ってカインローズは腕組みをして一人で頷く。
「やっぱりおかしいですよアトロさん。一度カインさんを教会で観てもらいましょう」
「ええ、酒を一滴も欲しがらないなんて既に異常です」
「いやいや……そりゃこんな状況だからな酒も控えるさ。それにリナの後は俺が当番だからな」
確かにクライブが潰れている為、見張り当番の間隔は短く設定されている。
それでも通常のカインローズは酒を呑んでいるはずなのだ。
怪訝そうな表情の二人を余所に、カインローズは立ち上がる。
「さて、そろそろ見張りを変わってやるかな。お前らも今日は早く寝ろよ。遅れている分明日は取り返していきたいしな」
カインローズが去り暫くするとリナがやってくる。
見張りとして出ていたのでマントを羽織り、防寒対策をしっかりとした姿である。
「やっと交代になりましたわ……私にもスープをいただけますか?」
アトロがカップにスープを入れてリナに渡す。
カップの熱で手先を温めると少し冷えて飲み易い熱さになったスープを飲み干す。
「ふぅ……私も早く料理をしたいのですけど、皆様がお止になりますので致しませんが」
そういうリナの言葉を遮ってアトロが口を開く。
「リナさん……もう少し人に見てもらって料理は練習した方がいい。我流でやるよりもずっと上達が早いはずです。ケフェイドに戻ったら料理が得意な者をご紹介しましょう」
「あら、それなら少し我慢しようかしら」
リナの言葉にアトロは苦笑を浮かべながら、焚火に枯れ木をくべる。
静かに一日の終わりを迎える。
こんな感じの日々が七日も続けばクロックスの街が見えてくる。
「二日多くかかってしまいましたが、なんとかクロックスまでたどり着けて良かったですよ」
アトロも街が見えて来て一安心といった感じでそう漏らす。
クロックスの街もまた状況的には酷い有様だったが、水は海に向かってどんどん流れて行っている。
サエス国内の水が海に排出されるまでどれくらいかかるのだろうか。
リーンフェルトはそんな事を考えながら定期便が出ている港へと移動する。
どの道クロックスで一泊を予定していたのでクライブの世話にアトロとカインローズを残し、リーンフェルトはリナと共に港へ定期便の乗船車券を求めにやって来ていた。
「これは……船に乗る事が出来るのでしょうか?」
リーンフェルトが目の前に広がる人だかりを見て、思わず零す。
「とりあえず手続きは済ませて参りますわ」
リナがそう言うと人ごみをすり抜けて消えてゆく。
サエス国内から避難する為だろう定期便を待つ人が港に押し寄せており、辺りは押し合い圧し合い怒号が飛び交う混乱ぶりだ。
そんな人だかりをいとも簡単にすり抜け乗船券を手に入れて来たリナはさすがと言える。
「少々魔法を使いましたが……これくらいは許容範囲という事で」
「不正な事をしていないのであれば問題ないです」
「そこは大丈夫ですわ、お嬢様。他のシュルクよりも数倍素早く動いただけですから」
「ではこちらの任務も終了ですね」
リナから手渡された定期便のチケットを懐にしまい込むと宿へと戻った。
翌朝は早朝からケフェイドへ戻る為の定期便へ乗る為、一行は港まで来ていた。
「帰りはちゃんと起きる事が出来たぜ」
カインローズはなぜか胸を張っているが、そもそも起きられない事が可笑しいのである。
当然カインローズを褒める者はいない。
「クライブさん船、大丈夫でしょうか?」
「大丈夫っす。治るまでサエスに一人で待機とか勘弁して欲しいっす!」
体調不良のクライブはクロックスの宿に残して、セプテントリオンの三人だけを早くケフェイドへ返そうという話が上がったが、それはカインローズが否決している。
「アイツだって早くケフェイドに帰りたいだろうよ」
その一声で御者達をサエスに置いてゆく選択肢はなくなった。
やはり同じ釜の飯を食った仲間である。
見捨てて行くわけではないが、それでもカインローズも忍びなかったようである。
船上に三日もいれば、昼過ぎにはケフェイド大陸が眼前に広がってくる。
そしてリーンフェルトにとって見慣れた街並みも見える。
定期便の到着先はクリノクロア、リーンフェルトの故郷でもある。
クリノクロアから二日馬車を走らせれば、アルガニウムへと着くだろう。
今回の任務もそれで一旦目処が着く。
もしも時間が取れるようであれば、少し自身について鍛え直したいとリーンフェルトは思っていた。
まず今回の任務で露呈した己の強さについて、また任務中にケープマントの男に遭遇するか分からない。
今のままでは歯が立たない事は目に見えている。
「次こそは必ず……」
船上からケフェイドの大地を見ているとそういう気持ちがリーンフェルトの中に生まれた。
決意を新たにする彼女の前にはちらちらと雪が降りが始めている。
秋口に任務でサエスに向かい、約二か月とちょっとである。
凍てつく北風と舞う雪がリーンフェルト達を出迎える。
甲板に出ていたリーンフェルトの横にはいつの間にかカインローズが立っている。
「こちらはもう雪が舞っているのですね……」
「ま、ケフェイドだしな。そりゃそうだろうよ」
「帰って来ましたね、カインさん」
感慨深さが籠った言葉にカインローズも思うところはあるようで、いつもより少し落ち着いた声色でリーンフェルトに返した。
「リンもいろいろあったが何とか無事に帰って来れたな。任務としては失敗だったかもしれないが、良くやったと思うぜ」
「ありがとうございます……でも」
「ああ。でもは良いんだ、でもは。生きてりゃ失敗くらいするさ。俺達は万能じゃねぇしな」
そう言って笑うカインローズにリーンフェルトは問いかける。
「この後はどうなるのですか?」
「ふむ。火急な任務でもない限りは一旦休暇が与えられるはずだな」
「休暇ですか。それならしばらく鍛え直せそうですね」
遠くを見つめたまま言葉を紡いだリーンフェルトに、カインローズが苦笑しながら切り返す。
「なんだ修行か?」
「はい、今回の任務、私の力不足が大きく足を引っ張った様に思えますので」
「ま、そんなに気張っても仕方がないんだがな。気の済むまでやってみりゃいいさ」
そう言い残すとカインローズは踵を返し船室へと向けて歩き出す。
「リン! あんまり外にいると冷えるぞ?」
「生まれも育ちもケフェイドですよ? そんなにヤワではありません。もう少し風に当たっていきます」
「おう。風邪引くんじゃねぇぞ」
後ろ手に手を振るカインローズを見送ってリーンフェルトは視線を船首へ向ける。
街並みを白く染めたクリノクロアの港に入ったのは、それからしばらく経っての事だった。