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黎明のヘリオドール  作者: 御堂 蒼士
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56 死の香り

 三人が戦場とした場所から防衛陣地まで戻ってくると、そこは歓喜の嵐に包まれていた。

 今回の規模のスタンピートであればおそらくルエリアは壊滅していただろう。

 死者も少し出たがそれでも十人に満たない。

 驚くほどに被害は少なかった。

 カインローズは防衛陣地をざっと見回す。

 その代りほぼ全員が負傷者であり、こちらは微力ながらリーンフェルトも手伝いをして治癒を行っている。

 途中リーンフェルトが治癒を担当した冒険者から、パーティーに誘われる事数多であったが、やんわりと断りを入れていたようだ。

 その姿をニヤニヤしながらリナが見つめていたのは、深い闇を感じるので言及しない。

 というかあまり関わりたくない。

 防衛祝いの宴が陣地内で始まる頃、カインローズはそんな状況を確認しながら酒を飲んでいた。


「今日の酒は祝い酒だ、少しくらい深酒しても構わんだろう」


 翌朝呑み過ぎでルエリアへ帰還する馬車でぐったりとしていたのはご愛嬌か。



 酔い潰れて動かなかくなったカインローズを馬車の荷台に乗せてから出発まで少し時間があったので、リーンフェルトは防衛陣地の物見櫓へと上る。

 そこから防衛陣地内をみれば、まだそこらかしこに酔い潰れた冒険者が転がっている。


「あれでは風邪を引いてしまいますね……」


 いくら冒険者が丈夫であろうとも、雨の中で眠っているのは気になって仕方がない。

 リーンフェルトは風魔法を使って彼等の周りを包み込むと、濡れない場所に避難をさせた。

 一息ついて今度は防衛陣地の外側に目を向けて見れば、東の空は明るみ先を見渡す事が出来る。

 リーンフェルトは視線の先に広がる景色に気が遠くなる思いをした。


「これでは先に進めませんね……いつになったら通れるのでしょうか?」


 低い土地に流れ込んだ水と、なお降り続ける水とで更に水嵩を増し川幅を増したようだ。

 リーンフェルトとカインローズだけならば飛ぶという方法で良かったのかもしれないが、アトロやクライブ達は飛ぶ事は出来ないし馬車もある。


 この川が渡れるようになるまで二週間、完全に水が履けたのはさらに二週間後の事である。


 その間ルエリアに拘束されていたリーンフェルト達は休暇扱いとなり、各自が自由に過ごす事になった。

 勿論、ルエリアの街限定ではあったが。

 任務先で約一か月休暇と言う形になった各員には、休暇中何をしていたかを最短一週間単位で大まかな報告の義務がある。

 流石に休暇について事細かに報告と言うのは報告を書く方も、提出される側も気の滅入る話である。

 しかし作戦任務中である事もまた事実。

 そんな訳で大まかな行動把握という事で書類の提出が義務付けられている。



――休暇の過ごし方については各自からアトロに報告が上がっていた。

 カインローズがその手の書類を一切読まないので、アトロが仕方なく事務処理までしているといった感じだ。

 アトロ的にはもう少しクライブを事務方面でも鍛えて助手にしたいと考えているらしいが、まだまだ彼が学ぶ事は多い様だ。

 クライブからの休日の報告は簡素に宿題をやるとだけ書いてある。

 ちなみに今クライブに出ている宿題は帳簿付けである。

 御者をしていると……と言うよりも、副官の仕事の方で輜重部隊の真似事のような仕事だ。

 もっとも規模は数人分と小さい物となっているが、それでもカインローズがやらない。

 というかやらせてもそのあたりの匙加減が雑であり、飼葉すら足りなくなる事態が合った為泣く泣くアトロが引き取った仕事だ。

 御者以外の仕事が増えると家族で過ごす時間が少なくなる。

 これはアトロにとって大きな問題であった。

 丁度クライブは一人身である。

 御者の仕事を一から教えた事もあり、それなりに信頼関係も出来ているのでアトロはクライブを後継者として育てようとしている。

 旅先で皆が休暇を取っている中、宿題をやらされているのだ。

 少々悪い事をしたかもしれないと思いながらも次の資料に目を向ける。

 報告書の文字は癖なく大変整った読みやすい物だ。

 記入者はリーンフェルトである。

 休暇の内容は報告書の作成と書いてあった。


「リンさんも被害者ですか……」


 大きくため息をついてアトロは目頭を押さえた。

 しばらく目元をマッサージをすれば少し視界が明るく感じられた。

 適度に疲れた目を癒しつつ再び書類に目を落とす。

 アトロが部隊と補給関係の仕事をしている間、リーンフェルトはアル・マナク本部に提出する今回の任務の報告書を作成しているらしい。

 休暇なのだからしっかり休めばいいのにとも思うのだが、手間のかかる事を先延ばしせず報告書を仕上げてくるリーンフェルトは真面目である。

 アトロは休暇の報告書と共に提出された他の書類に目を向けてガクリと項垂れる。


「出来ないからと言ってやらせないのは、旦那を甘やかしている事になるのでしょうかね……」


 そうぼやいて首を左右に振る。


「書類の再作成よりマシですからね……」


 誰に聞かせる訳でもなくため息交じりに言葉を吐いた。

 カインローズに任せた書類というのは十中八九記載漏れや書類不備が起こる。

 それを作り直しする時間によって自由な時間が削られてしまうくらいならば一発で作ってしまった方が時間を有効に使える。

 最愛の妻と愛娘との時間を生み出すためには、むしろやらせない事が正解であるとアトロは考えている。 

 次の報告書へと手を伸ばし、開いてみればリナの報告書である。

 彼女の休暇について書かれたそれには料理とあった。


「向上心があるのは素晴らしい事なのですがね……」


 そう言いながらアトロは部屋の鍵をしっかりと閉める。

 なぜそのような行動に出たのか。

 リナは報告書に料理をしていると書いているのだが、如何せんその料理を見ていない。

 つまり現在作成中若しくは何度も失敗して未だ完成していないか。

 どちらにしてもだ劇薬クラスの危険な物が精製されている事は間違えないだろう。

 そしてまず本命に振舞う前に味見という名の死刑が執行されると予想しての事だ。

 こんな所で死にたくないアトロは自身の身を守る為に直接の接触を避けるべく鍵を掛けたのだ。

 アトロが逃げ出した事により、リナの矛先はほぼクライブへと向かうと推測される。

 心の中で手を合わせてから、再び書類整理へと戻る。


 最後に手にしたのはカインローズの報告書である。

 書類には目いっぱい大きな字でと休暇と書かれている。


「本当に休暇を満喫出来ているのは旦那だけですよ……全く」


 いっそリナの料理の味見にでも付き合わされてしまえばいいのにとさえ思える。


「いかんですな。これはストレスですかね……」


 ブラックな感情を首を振り追い払う。

 アトロ本人の報告書もまた書類整理とだけ書かれている物だ。

 大きく深いため息を吐いて報告書を一纏めにして紐で縛り付けておく。

 やっとの思いで仕事を終わらせると、頃合を見計らったようにドアをノックする音が聞こえた。


「アトロ、部屋にいますの?」

「……」


 必死で息を殺してリナをやり過ごす。

 いまここで出て行ったならば勇者と形容されようが何をしようが、猛烈に命の危険を感じる。

 心拍数が跳ね上がりこちらが聞こえてしまわないかと余計緊張する。

 さらにドア越しであるにも関わらず襲ってくる臭気はとても形容し難い。


「アトロはいませんか……ではクライブあたりに毒……いえ味見をして貰いましょう」


 足音が遠ざかるにつれてアトロの緊張は次第に薄れてゆく。


「はあ……」


 危ない所だった。

 何気なくドアを開ければ愛しの妻と娘に二度と会えなくなるのではないかと思えるほどだ。

 緊張の為に背筋を伝う汗を不快に思うが、部屋を出てばったりリナに会う訳にもいかない。

 もう少し、もう少しだけ時間を置かねば身の安全は守れない。

 ベタリと張り付くシャツも少しの辛抱だと我慢する事にした。


 斯くして生命の危機を回避したアトロが、クライブの悲鳴を聞くまでそう時間は掛からなかった。


 クライブがその後どうなったかはまた別の話である。


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