54 ルエリア防衛戦
防衛陣地の先はエストリアルからの水が流れ込み、濁流渦巻く大河のようになっている。
それは地形的に防衛陣地の先が窪地になっている為である。
これだけの水嵩があれば、低い土地の森や林が水没して住処を追われるという状況にも頷ける。
スタンピートは色々な原因が重なった結果起こる。
まずは森などの魔物の生息地における主たる魔物の個体数の変動などがそうだ。
例えばゴブリンの生息地にこれより上位のオークが版図を広げゴブリンの生息圏を圧迫、遂に森から追い出されるなどすれば一般的にスタンピートが起こったといえる。
今回の場合で行けば空からの水が流れ込み地上に生息する魔物を脅かした事に起因する。
アトロがギルドから聞いたという情報を鵜呑みにするのであれば主力はヘルハウンドなのだろう。
ギルドが用意した防衛陣地に冒険者五十名がそれぞれ襲撃に備えている。
ここを魔物が抜けるような事があれば多くのシュルクが命を落とすだろう。
また魔物が大型である場合ならば、都市の破壊なども想定される。
このようなスタンピートはシュルクにとっての災害の一つに数えられる。
そんな危険な状態でも依然として空からは水が降りやまない。
従って防衛陣地も含め辺りは膝下まで水嵩があり、戦うにはコンディションが悪いと言わざるを得ない。
だからこそここでリーンフェルトが思わず呟いてしまった事は許して欲しい。
「可愛い」
本来であれば集団で土煙を上げながらひたすらに疾駆してくる魔物達に恐怖を思えるのだろうが今回ばかりは状況が違う。
辺りからの遠吠えは徐々に迫りつつあった。
そしてヘルハウンド達が視認で来た時リーンフェルトはそう言わずにはいられなかったのだ。
なぜならばヘルハウンドの群れが犬掻きをしながらこちらに向かって来たからである。
とはいえそのサイズは牛一頭分程あり、その黒い体躯は狼などよりも獰猛且つ強靭である。
見た目はハウンドと形容されるように犬の様であり、その目は地獄の炎のように赤々としている事からそう呼ばれる。
その魔物は駆け出しの冒険者ではまず太刀打ちできないだろう強さを誇り、一人で戦う事は推奨されていない相手である。
彼等の習性として群れ単位で行動する為、一人では対処に余るというのが理由である。
尤も、彼らの攻撃手段が爪や牙である為、至近距離に至るまでに仕留めるという方法がポピュラーであり、討伐には魔法使いが重宝される。
その数百からなる獰猛で狂暴なヘルハウンドの群れが犬掻きである。
この異様で間抜けな状態をなんと言えば良いのだろうか。
ほっこりしている間にも犬掻きの群れは防衛陣地に向かって来る。
先頭を泳ぐヘルハウンド大凡百匹が第一陣の様だ。
「んじゃ行くぜ!」
最初に飛び出したのはカインローズだった。
全身に風を纏って跳躍すると一気に距離を詰めて水面を滑るように立ちまわり斬撃を放つ。
あまりの衝撃にカインローズが体に纏った風に煽られて水面に波が立ち、その勢いに流されて魔物達がカインローズから遠ざかってゆく。
「クソ! しまった犬共が散っていく!」
そうして流されたヘルハウンド達はリナとリーンフェルトの方に溺れながら流されてゆく。
「好機ですわ!」
二番目に戦闘を開始したのはリナである。
カインローズのお蔭で敵から自分の方に向かってくる、しかも体勢が整っていないヘルハウンドはもはや標的でしかない。
雷の魔法で操るナイフは的確にその個体数を削っている。
さらに電気を帯びたナイフが水面に着けばヘルハウンド達がまとめて感電し水に沈んでゆく。
――しかしこの二人、殲滅に夢中で大きな事を忘れている。
斬り伏せても、沈めてもポイントにはならないのである。
討伐証明部位を入手しない事にはスコア的にはゼロなのだ。
ギルドによってヘルハウンドの討伐証明部位は尻尾と定められている。
その点リーンフェルトは冷静にポイントを稼ぐ。
溺れるヘルハウンドを凍らせて身動きを封じると証明部位である尻尾を切り取ってゆく。
後はそのまま氷漬けにしてしまうか、刀で首を切り落とす。
動かなくなったヘルハウンドを造作も無く切り捨ててゆくリーンフェルトもまたセプテントリオンに見合った戦闘力を有しているのだ。
この段階で尻尾の数は四十二本を数える。
リーンフェルトの周りにモフモフとした尻尾が凍てついた水面に積まれていくと、ルールを思い出したカインローズは荒業でこれを解決する。
「そうだった! 討伐証明部位がいるんだったか!」
そう叫ぶや否や風魔法を水面に叩き込む。
そこから吹き上がる竜巻を利用して水面に浮かぶヘルハウンドの残骸達を巻き上げると愛刀一振りで正確にヘルハウンドの尻尾を切り落としてゆく。
「ま、ざっとこんなもんか」
そうして積み上げたモフモフの尻尾は二十六本である。
そんな中一番苦労したのはリナである。
雷と光の魔法を得意とするリナは巻き上げたりするような事は出来ない。
故に光魔法で身体能力を強化し素早く立ち回る事で尻尾を回収する事十七本を何とか確保する。
もちろん他の冒険者も戦っているので総数を割るのは当然だろう。
「さて二週目はさっきみたいなヘマはしないからな」
意気込むカインローズにリナは悔しそうに顔を歪める。
「やはり若干不利ですわ……ここは思案のしどころですわね」
次の群れが迫ってくる間にリナは戦略を立てる事に重点を置く。
現在トップのリーンフェルトはと言えばスペース確保の為、ヘルハウンドの尻尾を守備陣地へと一度運び込む。
そうして戦闘スペースを確保すると第二波に備えて戦闘イメージをシミュレーションする。
さて守備陣地内では突出して戦果を挙げる三人についての憶測が話題となっている。
あれは魔力総量から見てどこかの国の貴族か何かか、あのマント姿の女性はさすらいのメイドか、あの筋肉ムキムキの男は新種の生き物かなどのしょうもない話題から、あの三人の中で誰が一番討伐証明部位を集められるかで賭けが行われている。
防衛陣地のラインまで魔物が進行出来ていない事を良い事に若干の余裕が見受けられる。
「このまま防衛陣地に取りつかれずに殲滅できるという事は正直なところ分からないのに……大丈夫でしょうか彼らは」
唯一防衛陣地に出入りしたリーンフェルトは一人ごちて先の持ち場へと戻る。
防衛陣地の物見櫓から風魔法に乗って声が運ばれてくる。
「第二陣もヘルハウンドの群れだ!」
どうやら次もヘルハウンド、討伐証明部位は尻尾のままである。
しかし第二波のヘルハウンドの様子がおかしかった。
それに気がついたのはカインローズである。
「おい! お前ら警戒しろ! あいつらの様子がおかしい!」
そう叫ぶカインローズの言葉を信じる事が出来たかどうかはこの後、大きく明暗を分ける。
当然、リーンフェルトとリナはカインローズの忠告を聞いて身構える。
そしてそれは突然ヘルハウンドの群れの中に現れ、あっという間に群れを切り裂いてゆく。
白い鱗を持った蛇のような生き物だ。
「あれは……ホワイトミストサーペント!」
大分近くまで迫っていた白い鱗を持った生き物の正体を叫んだ冒険者は、身構える間もなく呑み込まれてゆく。
サーペントは水辺に特化したドラゴンの亜種とされる。
手足に鰭を持ち蛇のように長い胴体で悠に六メートルを超える。
そんな生き物が口を開けば冒険者など一呑みである。
悲鳴と鮮血が辺りを染めれば、構えていなかった冒険者は驚き混乱に陥り防衛陣地へ逃げようとする。
しかしそこは水辺での動きに特化したサーペントである。
人の足の速さの比ではない。
水中を移動する魔物には混乱する冒険者など動いてもいないように見えただろう。
五匹のホワイトミストサーペントがその体を水面から起き上がらせると呑みこまれた冒険者達が腹に収まる。
「キェェェェェァァァア!」
獲物を平らげ満足気に甲高い鳴き声を上げると、勢いそのままでカインローズの方に向かって襲いかかる。
「おう! なんだかデカいのが来たな! これ一体何ポイント付くんだ? ボーナス扱いでいいんだよな?」
大物が来たとニヤリ顔のカインローズは誰に確認を取ったでもなくそう言って斬撃を放てば、ホワイトミストサーペントの鱗に覆われた巨体が大きく抉られ、鱗を散らしながらのた打ち回り動かなくなる。
「討伐証明部位は逆鱗だよな。探すの面倒くせぇな……」
左手で頭をガシガシと掻きながら悩み立ち止まる。
結局面倒くさくなって次の獲物に目を向ける事にしたようだ。
ちなみにホワイトミストサーペントの討伐証明部位は喉元にある逆鱗である。
ドラゴン系の生き物は一枚だけ逆鱗と呼ばれる鱗が存在する。
その為討伐証明部位とされるのだが、カインローズは逆鱗を探すのを後回しにして次の獲物に向かう。
カインローズが一撃でホワイトミストサーペントを仕留めた頃、リナもまたヘルハウンドを追って森から抜け暴走に加わっていたサーペントの個体を対峙していた。
「鱗が厄介ですわね……」
というのもリナが操るナイフが悉く鱗によってはじかれているからである。
「ならば接近戦をするまで、でございますよ?」
リナは呟いた傍から先程まで立っていた場所から姿が消えている。
次にその姿を視認できたのはホワイトミストサーペントの頭上である。
「はぁっ!」
繰り出された掌底は頭蓋骨を陥没させるほどの威力を持って放たれ、鱗が砕けた場所から流し込まれた雷魔法によって脳を焼かれる。
程なくしてピクリとも動かなくなったホワイトミストサーペントを足元に転がし、リナもまた次の標的を見定めるべくあたりを見回していると視界に入ったのは、リーンフェルトの戦っている姿であった。
リーンフェルトはホワイトミストサーペントという魔物については知識があった。
自分の纏っている服の素材がそれであり、その鱗が防刃に優れている事は商品説明においてミランダが言っていた。
「つまり……斬撃での対処は難しいという事ですね」
迫りくるホワイトミストサーペントにリーンフェルトは魔法で応戦すると決める。
少し意識を集中して作り出したのは水の魔力を練り上げた水球である。
大きな口を開けるサーペントは八メートル級の大物である。
リーンフェルトは冷静にその口の中に練り上げた水球を放つ。
一瞬何が起こったか解らない感じだったホワイトミストサーペントはそのまま動かなくなってしまった。その体をみれば全身が氷結しており、白い鱗の上にうっすらと霜が降りている。
リーンフェルトは風魔法でふわりと浮き上がり、喉元にあった逆鱗の周りだけ火の魔力で溶かすとそれをはぎ取った。
依然としてリーンフェルトがリードする中、新たな魔物が上空より迫っていた。
「グリフォンだ! グリフォンが死肉を漁りに来たぞ!」
防衛陣地から風魔法によって伝達される情報に冒険者たちは完全に逃げ腰になる。
しかし当の三人は何事もないように次の獲物が来るのを待っている。
冒険者がそれぞれに声を掛けたが三人のコメントは何かを競っているらしく、それに関するコメントしか返ってこなかったという。
「グリフォンか! あれは何ポイントつくんだ?」
とカインローズが声を張り上げれば、現在最下位のリナは苛立ちを隠さない。
「あれがここら辺の大物でしょうか? ならば私が仕留めますからバカインローズは黙っていなさいませ!」
リーンフェルトは首位を独走しているが、ここで油断をして負けてしまわないように、気を引き締める。
「このまま落ち着いていきます。首位は譲りません!」
各自が意気込む中、グリフォン達は群れをなして上空を旋回する。
そして先頭を飛んでいた一匹が号令を掛けるように鳴くと、一斉に魔物の死体と三人に襲いかかった。