42 兄弟の杯
「…………いつから兄弟になったんだっけか」
そうカインローズの言葉に答えたジェイドの表情は、面倒臭さと真面目に答えてしまった事へのばつの悪さを一瞬浮かべる。
これは触れてはいけないワードであったかとカインローズは心に留める事にした。
アイスフォーゲルというファミリーネームを調べたら、もしかしたら彼の素性を追う為の要素になるかもしれない。
いろいろ詮索はしたいのだが、そういう事を気取られると面倒なのでカインローズは茶化しに入る。
「そりゃ、お互い聞かぬが花じゃねぇか? もしくは、これからなろうって話だな」
カインローズはそういうとニカリと歯を見せて笑う。
それに呆気に取られたジェイドは一瞬固まるも、すぐに切り返しがやってくる。
「……いや…………君みたいなむさ苦しいのが兄とか……気が狂いそうになる」
カインローズの相手が心底疲れたような表情と声でそんな事を言うのだから、普通であれば失礼だとばかりに不機嫌になるかもしれない。
もしかするとジェイドは不機嫌になったりする事を狙ったのかもしれないが、酒の入ったカインローズの管の巻き方、しつこさには定評がある。
もっとも普段犠牲になるのはクライブあたりなのだが。
そんな彼だから、例え相手が嫌そうであっても攻めの一手で押してくる。
それを知らないジェイドはどう思うのだろうか。
もしかするとまったく異なった見解に行きついているかもしれない。
「あん? まあ、そう言うなって。生き別れかもしらんだろ?」
とぼけてそう言ってみせると、ジェイドは否定すべく口を開く。
「……どこも似てないだろ、君と俺は」
もちろん似ている訳がない。
そもそもカインローズはシュルクとベスティアと呼ばれる獣人のハーフである。
身体的にベスティアの特徴は出ていないが、こと筋力や瞬発力と言った物は極めてベスティアに近い能力を有している。
その為かシュルクよりも鼻が利いたり、遠くの細かい音を聞き取れたりと戦士としての恩恵は計り知れない。
ちなみに東大陸にあるアシュタリアはベスティア達の国である。
ベスティアに対して差別的な国もあるがカインローズの見た目はシュルクである為、そのような目にはあった事はない。
もっとも、ハーフである事を知っているのは極々少数だ。
アル・マナクの中でもアダマンディスとアンリくらいしか知らないのではないだろうか。
そんな事をふと考えていたので、これに対する回答は短くなってしまった。
「そうか?」
自分でも分かっているが似てはいないのだ。
カインローズの半分はシュルクである。
半分でも同じ種族であれば隔てる物があるだろうか?
ハーフである事に悩んでいた時期に助言をくれた師匠曰く、
「半分じゃからなんじゃ? お前はお前だろうに。むしろ両方持っているのじゃからシュルクとベスティアの懸け橋になればよかろう?」
――と言われた事がある。
それからというものカインローズは種族に隔てが無くなった。
シュルクであろうとベスティアであろうと、友であり兄弟である。
だからこの男ジェイドとも大きな括りで考えれば兄弟かもしれないのだ。
しかし、この考え方は受けが良くない。
どうにも他のシュルクでは受け入れられない事が多いのだ。
何故だろうかと思わず首を傾げる。
そんな姿をマジマジと見つめていたジェイドであるが、真面目にも似ている所を探していたようだ。
「手が二本、足が二本、頭が一つとかなら……まあ……一緒だな」
そう答えたジェイドは、皮肉で言ったのかもしれないのだが、当のカインローズは嬉しそうだ。
「ほら見ろ、三箇所もあんぞ?」
見つけたのは三箇所かも知れないが、もっと時間を掛ければ共通な部分はもっと出てくるだろう。
若干呆れ顔のジェイドは、皮肉が効かないカインローズをさらに皮肉る。
「じゃあ君多分ヘルハウンドと兄弟だぞ。手が二本、足が二本の頭が一つだからな。良かったな」
しかしカインローズは割と納得した感じでこう答える。
「ん、ああ、親戚にいるかもしれねぇな。ヘルハウンドくらいなら」
実際ヘルハウンドではないのだが、それに良く似た顔のベスティアが親戚にいたりはするのだ。
そんな相手を思い浮かべながら言ったのだが、どうもジェイドにはそのように取られはしなかったようである。
もう酔いが回っており、完全に思考が停止しているのだと判断したようだ。
「そうかそうか、良かったなおめでとう」
いや、実際にそういう奴が親戚にいるんだが……ハーフである事を教える訳にはいかないし、教える気もない。
だからおどけて場を誤魔化してしまう事にした。
「獣類皆兄弟だぜ?」
そう答えるとジェイドは完全に沈黙し、食事に集中する事にしたようだ。
先程運ばれてきた料理の中からリーフシャークのフライを選ぶと、慣れた手つきでナイフとフォークを使い料理を口に運んでいる。
伸びた背筋、皿に当たるナイフの回数の少なさはリーンフェルト並みである。
もしかして出自が良い奴なのかもしれない。
特に話す事になくなったカインローズは、酒瓶を煽りながら横目でジェイドのテーブルマナーをこっそりと観察していたのだ。
こちらを完全に気にしなくなったジェイドは自分用の飲物を店員に注文したようだ。
しばらく観察していると、こちらの方を見たジェイドの不思議な光彩を持つ目と目があった。
内心見つかった事に動揺しながらも、観察していた事を誤魔化すべくカインローズは口を開く。
「なあ、聞いてくれよ。うちの上司が、ひでぇんだよ」
酒もそれなりに回っている。
もう少し気の利いた事を言えれば良かったのだが、生憎とカインローズにはウェットに富んだジョークは無理である。
結局酒に酔った口から出た言葉は愚痴である。
ハイハイと聞き流してくれれば良いものを、驚いた事にジェイドは食いついてきた。
「転職すれば良いだろう」
うん、嫌ならば辞めれば良い。
全くその通りなのだが、そうもいかないのが大人の事情という奴である。
「色々しがらみがあってな。辞めるってのは選択肢に無いんだわ」
これでこの話は終わりだとばかりに、そう言って酒瓶を煽ったカインローズではあったが意外にもジェイドが突っ込んでくる。
「……具体的に、どう酷いんだ?」
そう聞かれるといろいろ思い出される事は多い。
カインローズは主にアンリにされた悪戯の数々の中から、直近の話をする事にした。
「見ての通り俺は体が丈夫だ。だからといって毒に耐性がある訳じゃねぇんだ。おい、食ったことあるか? 食った途端に気を失う料理や、口の中に二時間は残る腐敗臭のある料理をよ」
そう味覚、臭覚共に敏感であるカインローズにとって、これは虐待レベルである。
しかし正面のジェイドはと言えば、つまらないといった表情である。
恐らく期待していた感じの話ではなかったのだろう。
こちらを向き、手に持つナイフとフォークを止めるとじっとカインローズを見つめ徐に話し始める。
「知ってるか? そういうのは料理って言わないんだぞ」
それはそうだろう。
実にリナに聞かせてやりたい、そんな衝動に駆られる一言である。
深く頷きながら、ジェイドにこう返した。
「ある意味食材を殺し切らないとあんなもんにはならねぇんだ。興味があるなら直々に宅配してやんぜ」
そんな物に興味を持つとは思えないが、ここは冗談めかして答える事にした。
もしも本当に興味を持ったのならば、後日あの紫色のシチューでも作らせて食わせてやろう。
所詮酒に酔った頭で考えた事だ、反応が面白ければそれでいい。
「料理なら受け取ってやらなくもないさ、料理ならな。……で、その料理モドキと上司が酷いってのはどういう関係が?」
こいつも酒が回っているのだろうか?
話を広げようとしているだと思える。
ならばここは、話を広げていこう……意外と話せる奴なのかもしれない。
会話として盛り上がってきた感じがしないでもないので、カインローズはジェイドの誘いに乗る事にしたのだった。
「食わされたんだよ。毒味だな毒味」
「……毒味?」
「実際毒じゃなかったんだが口に入れた瞬間から口の中で腐敗臭を纏ったスライムがのたうち回る感じだな。果ては口の中が痺れてきて舌も鼻も効かなくなって来て、死期を感じたぜ」
「なあ、君酔ってるだろう。酔いとここの代金に免じて聞かなかった事にしてやるから、その話はおいそれと他人にしない方が良いぞ」
ジェイドがどう捉えたのかは解らないが、若干斜め上に行っている気がする。
こと、カインローズに関していえば組織第一主義ではないので、例えアル・マナクという組織が怪しまれようとお構いなしである。
何を意味するのかいまいち解らなかったカインローズは、それを聞き流しながら四本目のラム酒を空け、五本目へと口をつけた時の事だった。
遂に許容量を超えたのだろう意識が朦朧とし始め、ジェイドの言葉に相槌を打つように二度、三度頷くと頭を揺さぶったせいか急激に酔いが回り、テーブルに突っ伏す。
このままではいけないとも思ったのだが、睡魔がその気怠く重くなった頭を押さえつけてテーブルから離さない。
良い酒はやっぱり酔いが回るのも早く気持ちが良い。
そんな事を最後に思ってカインローズは自らの意識を完全に手放した。