40 ラム酒と揺蕩う
「……君には関係ないだろう」
その男ジェイドはちらりとカインローズを確認すると直ぐに背を向けてそう答えた。
確かに関係ない。
それはそうなのだが声を掛けてしまった建前、カインローズは引くという事しない主義である。
正直ここでそのまま別れてしまっても良かったのだが、ではなぜ声を掛けたのだと聞かれると少々恰好の悪い回答しか思い浮かばない。
なにせこのシュルクの中でも巨漢と言えるほどのカインローズを視界にも入れず、目の前を無視して通り過ぎた事とそもそも面識があるのだからせめて挨拶くらいしても良いではないかというちょっとした期待を裏切られたからなどと言えるわけはないのだ。
そんな男としては情けない理由なものだから適当な言い訳も考える。
先のボウルダーへの訪問時間が彼の昼食後という事もあり、こちらは昼食を取らずに控室で待機していたので腹が減っている。
妥当な理由を思いつき意識が急激に空腹へと向かう。
「関係ない? まぁ関係ないな。ところで飯食ったか? 飯。飯を食わないと大きくなれないぞ」
そういうと何かを言い返そうとしたジェイドが振り返る。
しかしカインローズは素早くその間合いを詰めるとジェイドの腕を掴む事に成功する。
捕まえてしまえば後は引きずってでも店に入って話し相手にでもなんでもなってもらえばいい。
ついでにジェイドには貸しも一つある事だし、今回の飯代くらい出して貰おう。
良い事を思いついたとばかりにカインローズはニヤリと口元を歪めると、ジェイドは慌てた様子で掴まれた腕を振りほどこうとする。
「何を……俺はもう食事は済ませている! 離せッ」
「まあ良いじゃねぇか。んで、お前酒はいけるクチか?」
「何が良いんだ、何が!」
抗議してくるジェイドの反応がアル・マナクの面々にはない反応であるのが、どうにも楽しくなってきたカインローズは引きずりながら雑踏を進み行く。
そして目に着いた大衆食堂に連れ込む事に成功し、店員に案内されるがまま木製の丸テーブルに案内されるとジェイドの対面にその腰を下ろした。
辺りを見回せばなんだか天井は高いし、女神の絵画はあるしで正直カインローズが想像していた大衆食堂とはかけ離れた高級感である。
背筋に嫌な汗が流れる。
今の手持ちはいくらだったか?奢ってもらうつもりでいたもののジェイドの財布はこの店に耐えられるのか不安だ。
その場合は必然的に自身の財布からも支払いは発生するのだから。
そもそもカインローズはこういう妙に格式高い店には良い思い出がない。
焦る気持ちを落ち着け、ふと正面に視線を向ければ手を組んだまま視線を合わさないようにしているジェイドがいる。
会話の内容が思いつかない。
この男を誘ったのは選択ミスだっただろうか、盛り上がる共通の話題でもあれば良かったかもしれない。
しかしまあ、飯でも食いながら適当に話していればそのうち乗ってくるだろうと腹を決めたカインローズは店員を呼びつけると注文を始める。
「飯といえば肉だな! 肉にしよう、肉でいいよな?」
「え、ああ……」
気のない返事をするジェイドに構わず、注文をしようとした時だった。
店員が営業スマイルのままカインローズに声を掛けてくる。
「お客様、当店自慢のメニューはこちらにも御座いまして……」
内心肉がガッツリ食べたかったカインローズではあるが、こういう店でメニューを声に出して注文する事がどれだけ難易度の高い事かは身を以て知っているだけに、ここでメニューを噛んだりするような失態をジェイドに見せる訳にはいかない状況だ。危険な賭けに出られないので、ここは大らかに店員のオススメを聞いてやったていで話を進めよう。
そう素早く思考を纏めると、ついでに飲み物も頼んでしまおうと画策する。
「オススメは魚だと? なら魚でも良いや。ジャンジャン持ってきてくれ。あっ、あと酒な酒」
どうせ洒落た名前の酒しか置いてないのだこういうスカした店は。
ならばどさくさに紛れて酒も適当な物を注文しておこう。
後は店員が上手い事やってくれるに違いない。
おそらく傍目から見れば行儀の悪い客なのだろうが、そこはもう名前を見ただけではどんな酒かすらも判らないのだから仕方が無い。
なくなったら次を持ってこいとばかりにジャンジャンなどと店員に指示をする。
その意図が通ったのか知らないが、店員は頭だけ下げると店の奥へと歩いて行ってしまった。
店員とのやり取りを終えたカインローズは再び視線をジェイドへ戻すと、なにやら不満げな表情をしている。
もしかして、コイツも肉好きだったのだろうか。
それならそれで悪い事をしたような気分だ。
その納得のいかない表情のままジェイドの口が開く。
「なぁ……」
ああ、やはり肉ではない事への文句のようだ。
ここは年上の男として一言言ってやろうと思ったカインローズは、ジェイドが口を開いたのと被せるように話し始めた。
「なんだ? 魚嫌いだったか? 魚も食べないと強くなれないぞ」
確かに肉も美味い、それは真理だ。
しかし肉も美味いが魚も美味いのもまた真実。
好き嫌いはない方が食生活が豊かで幸せな人生が歩めると父親が言っていた事が脳裏に過ったのだが、どうやらそういう事ではないらしい。
「……魚は嫌いじゃない。美女が骨取ってくれる焼き魚なんか最高の一品だと思うよ。目の前にいるのが美女じゃなく筋肉の分厚い野郎という点だけが残念でならないとも思うが」
「まあそう言うな。たまに筋肉見ながらの飯も悪くないだろ」
「…………その言い方本当止めてくれ、飯が不味くなりそうだ」
カインローズもやっと話し始めたジェイドに気を遣って自虐とも取れるネタを仕掛けて見たが、どうやら不発だったようである。
なにかをあれこれ考えている様子のジェイドが、きっと何か結論に達しただだろう。
妙な落ち着きと共にジェイドはカインローズに疑いの眼差しを向ける。
「まさか君、本当に男が好きなんじゃ……」
「だから、そんな顔すんな! 俺もそんな趣味はない」
「…………」
なるほど、そういう発想になっていたのかと納得したカインローズは質問について即答すると、ジェイドは眉間に皺を寄せて再び黙ってしまう。
そんなやり取りをしている間に先程の店員が酒を運んできた。
テーブルの上には曇り一つ無く磨かれたグラスの底にオリクトが嵌め込まれているのが見える。
これでグラスを冷やしているのだろう。
なんとも贅沢な使い方だとカインローズは思った。
おそらくこのサイズのオリクトであれば、しばらく水には困らないとアルガスのシュルクならば思うだろう。
それをただグラスを冷やす為だけに、使用しているのだから相当な物である。
そして冷やされたグラスには温度差で白くなった空気が纏わりついてる。
そんなグラスにウェイターが胡桃の箱から取り出したラム酒の封を切り、濃褐色の液体を注ぎ、付け合せのソーセージの盛り合わせを置いて去って行く。
酒は冷えている方が上手いのかもしれないが、こんな小さなグラスじゃ飲んだ気がしない。
ラム酒のボトルを片手で徐に掴み上げると、綺麗なラッパ飲みスタイルで喉の奥に流し込む。
ちらりと対面に座っている男の表情を見れば、口は開いたままで閉じる気配がない。
一瞬の間を置いてジェイドはカインローズに話しかける。
「……………………おい」
それに口から瓶を剥がして、口元を手の甲で拭うと柄の悪い返事が返えした。
「あン? なんだ?」
ジェイドと目が合うや否や今まで大人しくしていた彼が捲し立てるように喋り出した。
「食前にラム酒!? いやそれはいい、君がラム酒飲みそうな見た目だと店員に判断されたんだろうな! ならそれは別にいい、王都のセンスに文句は付けない! というか最初からヤバい客だと思われて雑な接客をされている気すらするぞ!
それはそれで置いといて何だ君のその飲み方は!! 店員が! グラスを! 用意してくれただろうが!!」
「何だこれ、グラスだったのか? こんなもんじゃ飲んだ気しないだろ」
「何だこれじゃないだろ……! 酒を注がれて何故グラスだと気付かない!? 君の目は節穴か!! 素敵なオブジェじゃないんだぞこれは!」
ジェイドは一気に怒鳴り散らすと目眩でも起こしたのだろう、手を額に押しやるのを見てカインローズは思った事を口にする。
「まあ、そう言うな。美味いもんは何したって美味いもんだ」
あっけらかんとそう言い放ったそれを見てジェイドは何を思ったのだろう。
その表情からは特に読み取る事は出来ないカインローズではあるが、ふとリーンフェルトやリナが見せる表情に近い物をだと感じた。
それはカインローズ自身は気がついていないが、所謂諦めの表情である。
ただ一つ言える事はこういう表情をする奴は大体自分の所業を受け入れてくれる事が多い。
いわば経験則という奴だ。
これは打ち解けて来たかも知れないと機嫌を良くしたカインローズは己のジェイドへの接し方が正しかったとばかりにラム酒の瓶を煽る。
それから十分もしないうちに光魔法を持たないカインローズの体に酔いが回り始め、管を巻く事などジェイドはまだ知らない。