39 謝罪任務
リーンフェルトは早々に本部への報告書を書き終えて、手にはリナから渡された詩集を持っている。
「それでは早速……」
表紙を捲り一行読んだ辺りで本を閉じる。
詩集など全く読んだ事のないリーンフェルトにとってルーネの詩集はレベルが高過ぎたらしい。
「まさか一行目で躓くとは……」
そんな自分に少々情けなさを感じながらも、再挑戦をする。
しかし三行目で本を閉じる。
「何を言っているのか解らない。これ風景描写ですよね……乙女も貴婦人も出て来ていないと思うのですが……」
確かルーネという詩人は風景描写が美しいと誰かが言っていた気がするのだが、どうして彼にはその風景がそのように見えたのだろうか。
剣を振るっての稽古は苦ではないが、ポエムはどうにも脳が拒絶してしまうようだ。
リーンフェルト自身も読書はするし、嫌いではない。
報告書を書くにしても文章と向き合う事に変わりなく、そこに抵抗感はない。
どうもポエムと言う物が自分には合わないのだろうと苦笑する。
「しかし困りました、リナさんになんて言えば良いのか……」
目を輝かせて詩集を置いて行ったリナの顔を思い浮かべると心が痛む。
「……もう少し頑張って読んでみましょう」
リーンフェルトは一つ大きな溜息を吐くとページを捲り始めた。
結局、クライブがリーンフェルトと食事交代で部屋を訪れるまでに何とか流し読み終えた。
リーンフェルトが夕食を終えた頃、情報収集にあたっていたカインローズが帰ってきたと報告を受け、そのまま集合が掛かる。
「明日のミッションに向けて情報を仕入れて来たので共有しようと思うんだが……ってリナの奴がいないな。まあいい」
一つ咳払いをしてカインローズはミーティングを始める。
「コホン。明日訪問するボウルダー氏について聞き込みをしてきたんだが、大河屋の羊羹が好物らしいから手土産に買っていく。以上だ」
はたして羊羹一つでオリクトの損失を許してもらえるのだろうかと思ったリーンフェルトであったが、自信満々に言うカインローズにここは任せる事にした。
翌日はボウルダー氏の昼食の時間を少し割いてもらい、そこにお邪魔する事になったのだ。
アトロとクライブは留守番となり宿に残る事になった。
「つう訳で、俺とリンとでボウルダー氏に頭を下げに行く事になったから、明日の準備をしておいてくれ」
「わかりました、お供いたします。むしろカインさん一人で行こうなんて思わないでください。絶対に失敗しますから」
「いやいや俺だって多少フォーマルな事が出来るって知ってんだろ? お前の実家に行った時だってちゃんとしていたじゃねぇか」
「いえ、あれは私の実家だったからまだ許された事です。絶対に一人で行かないでください。むしろ着いて行きますから喋らなくてもいいです」
「リン、お前もだんだん俺の扱いが酷くなっていくな」
「それならもう少しビシッとした所を見せてください」
「そうですわ。バカインローズなのですから、黙っていたら良いのです」
突然背後からリナの声が聞こえるとカインローズは顔を思いっきり顰めた。
「ああ、なんだよ帰って来ちまったか」
「あら、私がいると何か不都合な事でもございましたか?」
「いやなるような、ないような……」
「ともあれお嬢様のある所に私ありです。故に明日は同行致しますので宜しくお願い致します」
こう言い切られてしまうとカインローズも諦めが早く黙ってしまう。
「ああ、面倒くさいのが増えちまったよ……」
リナに聞こえないようにカインローズは小さくぼやいたのだった。
翌朝はボウルダーへの面会の為、身嗜みを整える所から始まる。
寝坊などを数多くしているカインローズがちゃんと朝から起きてきたことに、逆にリーンフェルトは不安を覚えたくらいだ。
リナはメイドとしての能力は極めて低い為、まだリーンフェルトの方がマシな動きをする。
一応ぼさぼさな髪のままでは恰好がつかないので、カインローズの髪を寝かしつけ綺麗な七三にする。
「なんだよ! この髪型は!」
「服に持ち合わせがないんですから、せめて髪だけでも整えて行かないと」
整髪用の油を赤髪に塗られしかめっ面のカインローズに、リーンフェルトは諭すように話すが、彼は納得出来ないと言った顔のままだ。
「でもよぉ…これ鎧着たら物凄く違和感があるんだが……」
「見た目は大事です! 普段のだらしない恰好で行ったらそれこそセプテントリオンの看板に泥を塗りますよ」
「ああ……」
完全に押し負けたカインローズは、七三にレザーアーマという奇妙な出で立ちになった。
リーンフェルトは制服に身を包み、リナは変わらずメイド服である。
昼も近くなってきた頃、アトロが仕入れて来たお土産を持ってボウルダー商会の本店へと赴く。
しばらく待たされた後、面会の時間という事でボウルダー・クリケットと対面をする。
ボウルダーは時間が惜しいとばかりに、挨拶も抜きに早口で要件を訪ねてくる。
「早速だがアル・マナクからの納品が二回も滞っているじゃないか、どういう事かね?」
「ああ、その事なんだが……」
カインローズが話し出した所でリーンフェルトが被せるように続きを話し始める。
「その事で今回お伺い致しました。まずは物流が滞ってしまった事を謝罪いたします」
そう言うとリーンフェルトは頭を下げ、それに続くようにリナが頭を下げると、慌ててカインローズも頭を下げた。
少し長めに頭を下げ顔を上げると、禿げ上がった額に汗をかきながらイライラした様子でボウルダー口を開く。
「うちの損失について、何かあるんでしょうな? 頭を下げたくらいではこの損失は取り戻せないですぞ? そうだそこの女を二人とも置いて行きたまえ、見た目も悪くはないしな。今回の件はそれで手を打とうじゃないか。どうだね?」
カインローズの前に出て話し始めたリーンフェルトとリナに目が行った事により、ボウルダーはそんな要求を突き付けてくる。
「なんかお前勘違いしてんだろ。滞ってる事についちゃ悪いと思ってるよ。だけどな、俺達は別にお前の所だけに卸しているわけじゃねぇ。あまり調子こいた事言ってると永久に取引を止めてやるぞ」
二人を庇うように立ったカインローズは戦場さながらの殺気をまき散らしてボウルダーを睨み付ける。
「ちょっとカインさん!」
「何しているんですの? バカインローズ」
謝罪を念頭に置いていた二人の女性は非難めいた言葉を吐くが、カインローズは止まらない。
「青の死神と呼ばれた俺だ。この距離なら一秒もかからずに、あの世に送ってやんぞ?」
「ひぃぃぃ……わかった、わかったから落ち着いてくれ! 私が悪かった、次はちゃんと納品して下さい。お願いします」
カインローズの殺気の当てられたボウルダーはあっさりと掌を返して頭を下げ始めた。
結局その後は真面な話にならず、委縮してしまったボウルダーに見送られて店を後にする事になった。
「ああ、疲れた。どうだ、お前ら俺のお蔭で今回は解決って事だな」
「そんな訳ないじゃないですか! どうするんですか? 命令違反ですよ?」
謝罪が指令として出ていた以上、今回の件は命令違反だろう。
そう言ってリーンフェルトが眉を顰める。
「いや、だってな? お前体ごと要求されていたぞ?」
「そこは上手く切り抜ける交渉が出来たはずです」
「今回はこれで上手くいったんだから、それでいいだろ。後はそこのメイドがどう報告するかだけだからな」
「私は任務を忠実にこなしますわよ?」
「ああ、好きに報告してくれ」
カインローズはそう言い切ると七三に固まった髪を両手でぐしゃぐしゃにすると、手をヒラヒラを振って歩き始めた。
「後は自由行動にする。好きにしろ」
「ちょっとカインさん! 待ってください!」
リーンフェルトが呼び止めるもカインローズは雑踏の中に消えて行ってしまった。
「リナさん……ありのままに報告しますか?」
「そうですわね。ただ助けられてしまったのも不本意ながら事実でございますので、上手く報告しますわ。そんな心配そうな顔しないで下さいませお嬢様」
「ほんとにカインさんったら……」
「ともあれ解決しましたし、お嬢様詩集読まれましたよね?」
「えっ? ええ……」
「でしたら……このままエストリアル観光に参りましょう!」
そういうと強引に手を取ったリナに引っ張られるように、リーンフェルトは王都観光へ行く事になってしまった。
「ふふふ……お嬢様と貴婦人の艶髪……」
既に楽しそうなリナの誘いを断るのも気が引けてしまったリーンフェルトは精一杯楽しむ事にしたようだ。
リナの案内の下、大通りから観光スポットに向けてリーンフェルトは歩き出した。
――その頃カインローズはエストリアルにある冒険者ギルドへ向けて歩いていた。
途中市場で果物を数点買ってつまみ食いをしながら歩いていると視界の端にリナとリーンフェルトが見えたような気がした。
勿論直接絡みに行くと碌な事にならないのは流石のカインローズも学習済みであるし、そもそも先程別れたばかりである。
「絶対に見つからんからな」
そう呟くと雑踏の気配と自分の気配を同調させていく。
もっともそれは呼吸法とも呼べるもので、実際にはその巨体を頭一つ分人ごみからはみ出しているのだが。
それはさておき、二人が怪し気な店の中に消えて行くのを確認してからカインローズは動き出す。
ギルドの場所は地図を見て確認済みだ。
しかし今カインローズの目の前にある建物は凡そ冒険者ギルドとは思えない立派な作りになっている。
「何だこれ……貴族の屋敷みたいじゃねぇか。本当にギルド……なんだよな?」
誰に聞く訳でもなくカインローズはぼやき、立ち尽くす。
確かに見ている限り冒険者風のパーティーらしき連中の出入りも確認出来ているのだが、他の街にあるギルドは精々小奇麗な木造だ。
それに対してここのギルドはと言うとしっかり漆喰が施された白い壁である。
カインローズにとって白い壁と言えばアル・マナクの本部の壁なのだが、比べてみても遜色がない事からその技術の高さが伺える。
本部のそれはアンリの魔法によって固められた壁であり、強度と言う意味ではちょっとやそっとでは欠けたりする事はない。
故郷のアシュタリアの技術である漆喰だが、エストリアルの街並みを見る限り全般的に使われており、白を基調とした街が王城を中心に広がっている。
上品な雰囲気を得意としないカインローズは、その建物の重厚感から近づき難く、二の足を踏む。
しかし、その二の足のお蔭で珍しい人物を見つける事が出来た。
「おいおい……あいつなんでこんなところにいるんだよ」
その特徴的な髪型の人物はギルドに用事があるのだろうか、入り口を正面に向かって歩いてきた。
一瞬隠れようかとも思ったが、隠れる謂れもない。
ここは堂々としていようなどと考えている間に、その男は気づきもせず通り過ぎていく。
まさか存在に気がつかれないとは思いもしなかったカインローズは、慌ててその男を引き留めるべく声を掛けた。
「こんなところで再会するとはな。お前何してんだ?」
無視されてしまった事はこの際なかったことにして、その男ジェイド・アイスフォーゲルを呼び止めた。