38 詩集「水郷」
自身で自由行動を宣言したリナは王都エストリアルを散策すべく、自分の荷物からいくつか書類の束と本を取り出した。
書類についてはアル・マナクから出されている指示と、セプテントリオンの留守番組へのお土産リストだ。
基本的にセプテントリンは戦力である。
組織の力であるため、自身や部隊の強化にこそ目を向けていればいい。
そんな訳で戦闘以外には比較的甘い。
もちろん首席であるアダマンティスなどは組織の諜報部隊を率いていたりして、純粋に組織に貢献している人もいるのだが事入れ替え戦で交代も有り得るラインにいる五席以下に関しては自由にさせている節がある。
それとは逆に隔絶した力を持っている四席から上は盤石である為、地味に組織の仕事を任されていたりする。
もっともカインローズは組織の運営という事務仕事には絶望的に向かない。
そんな訳で、部隊の訓練やセプテントリンの五席以下の戦闘訓練であったりを任されている。
カインローズが任務で不在の場合は三席であるケイがその代役を務めている。
ケイ自身はアダマンティスの息子である為か、それなりに事務仕事もこなして見せる優秀さ。
カインローズにも見習ってほしい物である。無理だろうけど。
二席のアンリは高位の土魔法の使い手である。
それを生かして建物の建築から、破壊工作までこなす多忙な日々を送っている筈だ。
いずれにしても組織の仕事をちゃんとしているのである。
そんな彼らは外に出るメンバーがいる場合、行先にもよるのだが買い物を頼んだりする事がある。
今回リナが引き受けて来たのは首席であるアダマンティスのお使いである。
書類には読みやすい綺麗な文字でいくつか魔術に使う媒体の名前が書かれている。
そのいずれもサエス産の高価な物である。
「これを個人で買うと一体どれくらい働かないといけないんでしょうか……」
オリクトの研究の為とはいえ、実に胃の痛くなる金額が湯水のようになくなるのかと思うとぞっとしない事もない。
「多分これだけで家の三つや四つ普通に建ちますわよね……」
それでいて懐に収まる程度の小さい物がほとんどなのだから、物の価値と言うものは分からないものである。
リナの荷物の内もう一つは本である。
こちらは現在リナが愛読している詩人ルーネの処女作にあたる作品群を纏めた作品集である。
サエスへ行く任務が決まった時にアダマンティスから渡された書物の中の一冊である。
情報を束ねるアダマンティスは任務にあたる者はある程度、任地の情報を頭に入れるように指示している。
それを纏めた物がアル・マナクの指示書であったりに運用されている。
それ以外にも書籍や写真などが情報として与えられる事もあるのだが、リナにはこのルーネの詩集が渡されていた。
アダマンティス曰く、情景を想像しやすい言葉と興味をそそる情報がふんだんに散りばめられているのだとか。
確かに読んでみるとサエスの美しい風景であったり、その土地の営みであったりが脳裏に浮かぶようである。
リナはこれを寝る前に読むようにしている。
「次回作発売されないかしら……」
まさか自分がこれほど詩集なる物に嵌るとは誰が想像出来たであろうか。
正直、貴族相手の要人警護で話し相手になる際に、引き出しが多い方が良いだろうと始めた読書であったが今ではすっかり自分の趣味となっている。
「さて……それでは注文の品を探しに参りますか、っとその前に」
リナは一つ良い事を思いつき、ルーネの詩集を手に持つと留守番となっているリーンフェルトの下へ向かう事にした。
この感動をお嬢様と共に。
分かち合う物は多い方が良い。
それにリーンフェルトも詩集などの趣味があって、話が合うかもしれない。
なにせ公爵家の令嬢であるのだから。
「気に入ってもらえましたら、新しい物を買ってプレゼント致しましょう」
これで教養のないカインローズから引きはがし、次の任務はリーンフェルトと二人で行けるようにと画策する。
リナはリーンフェルトの部屋の扉を軽く二回ノックすると、中からリーンフェルトの声が聞こえてきた。
「どなたですか?」
「リナで御座います。お嬢様少しよろしいでしょうか?」
少し間を置いて扉が開かれるとリーンフェルトが顔を出す。
「どうされたのですか? リナさん」
「ええ、実はこれをお嬢様にお貸ししようと思いまして……」
そう言うと手に持ったルーネの詩集をリーンフェルトに手渡した。
少し戸惑いながらもそれを受け取った彼女は、表紙を見てどういった物であるか把握した様である。
「ルーネ・アイスフォーゲルの詩集……ですか?」
「ええ、ええ! そうで御座いますよ。このリナ、それはもうこの詩集に感動を覚えまして、ぜひお嬢様にもこの感動を味わって頂こうと持参致しました」
「わ、私は詩集とかそういう物はあまり……」
「何をおっしゃいますか! これはとても良い物です。良い物なのです。さぁ私が僭越ながら一説読み聞かせましょう」
「あの……そこまでして頂かなくても、ちゃんと文字は読めますよ」
「いえいえ、お嬢様。この行間に詰まった数えきれない風景を、解説致しますわ」
リーンフェルトは一体何の押し売りだろうかと思う程、猛烈にアタックを掛けてくるリナに完全に引き気味だ。
確かこのルーネという詩人は最近頭角を現してきた新進気鋭の詩人だったはずだ。
しかしリナがここまで嵌ってしまう内容なのだろう。
そういう意味では全く詩集など読んだ事のないリーンフェルトでも興味が湧いてくる。
「分かりました。リナさんがそこまで薦めてくださるのなら少し読んでみますね」
「是非、そうして下さいませ。このサエスが何倍も美しい物に感じられますわよ」
そう言ってリナは満面の笑みを浮かべ、リーンフェルトに一礼をする。
「では私はこれから任務が御座いますので、失礼致しますわね」
そうしてリーンフェルトの下を辞去して、部屋へと戻ってくる。
鞄に空きを作りそれを肩に掛けるとアダマンティスからの注文品を探すべく、リナは街へと繰り出した。
エストリアルの街並みは詩集で語られるように水面が煌めき美しい。
特に街の中心に見える白亜の城は城下街より高い位置に建てられており、そこからヘリオドールからの生み出す水が滝のように流れ落ちている。
「貴婦人の艶髪ですわね」
詩人ルーネがそのように評したサエスの王城は、陽光に照らされ煌めく水の流れ落ちるその様は美しく気品に満ちている。
「リンお嬢様とこの感動を共有出来たら素晴らしいですわね」
詩集で歌われている物をその眼で見る事の出来た幸福感と感動で一瞬任務を忘れかけたリナであったが、ニ、三首を振り意識を戻すと高級な魔法媒介を取り扱う店へと入っていった。