3 コロシアムの渦中
ふと、会場に意識を戻すとアウグストが未だ熱弁をもって決勝戦の挨拶をしている。
リーンフェルトはやれやれといった風に首を振るが、対戦相手のゲーニウスは感極まって泣いている。
この二年の生活の中で一番辛かったのは何よりもアウグストの長話である。
彼は普段物静かで学者然としているのだが、一度スイッチが入ると熱弁を振るい時間も忘れて語るのだ。
ヘリオドールの研究然り、魔法の考察も然りである。
そんな訳でもうしばらくアウグストはスイッチが入ったままだろうと判断したリーンフェルトは辺りに視線を走らせる。
早速視界に入ってきたのはカインローズだ。
結局の所カインローズに面白半分で捕虜にされたリーンフェルトは内乱が終わるまで客人の様な扱いだった。
あの時の不安な気持ちと覚悟を返して欲しいとその当時は思ったものである。
とはいえ客分扱いでは少々落ち着かない。
公爵家の出ではあるが元々王国の体制には不満を持っていたリーンフェルトは、反乱軍への参加を申し出たのだが内乱が終わるまでは客分でと
アウグストとの初面会時に言われ、釘を刺されてしまった。
それはリーンフェルトの実家である公爵家への配慮でもあった。
娘が王族に対して反乱をして、あまつさえ負けてしまったならばその責めは確実に公爵へと向かうだろう。
そのあたりをアウグストが考慮して、アル・マナクへの参加を見送ったのだという話をリーンフェルト自身は大分後から聞かされ。
そうしてあっという間に半年が経ち、アル・マナク優勢のまま王国を滅ぼす事に成功する。
はれてアル・マナクへの参加を表明して一般兵士と混じり今日まで過ごしてきた。
兵士としての訓練に加えて、近隣に発生する魔物への対処が主な任務だった。
時々カインローズと実戦形式で修業を付けて貰い、その腕を磨いて来たのだ。
今では十本の内一本くらいはなんとかカインローズから取れる様になって来ていた。
故にカインローズの弟子やら秘蔵っ子だとか可笑しな通り名がアル・マナク内に浸透してしまっている。
気がつけばそろそろアウグストの挨拶が終わりそうである。
リーンフェルトは徐々に決勝戦へ向けて集中を高めていく。
「さて…話が長くなりましたがこれより決勝戦を始めます。どうか選手に拍手を」
そう締めくくられた挨拶に、会場は割れんばかりの拍手と歓声でもって応える。
アウグストは実に30分近く挨拶をしていたのだが、聞き流したリーンフェルトにはそれほど苦ではなかった。
今年の入れ替え戦は、アル・マナクがアルガス王国を滅ぼし共和国にしてから初めてのイベントとなる。
アル・マナクは評議会制にする前にこの地にあった火のヘリオドールを管理下に収め、代わりに国内をオリクトで満たし、王族の直轄地との格差を埋める事にした。
アウグストは貧困層または地方領主などヘリオドールの恩恵を受けられなかった人々から絶大な人気を得ていた。
そんな彼が主催するイベントだ。
会場はアルガス王国時代に造られたコロシアムで収容人数は約8000程の規模があるのだが、場内は許容量を大きさ上回り、立ち見の者も少なくない。
アル・マナク内の席次入れ替え戦は二年に一度と決められており、この順位によって以降ニ年間の給与も定められる。
さらに上位七名はセプテントリオンと呼ばれ部隊の指揮権や様々な特典が得られる様になっているため、参加者は気合が入っていた。
それに今年からはアル・マナクの入隊試験も兼ねており一定の力があると認められた者はスカウトをするのだと人材開発担当が張り切っていた。
「やっと開始かよ…」
げんなりしているゲーニウスに心の中でリーンフェルトは憐れんでいるのだが、その表情には浮かんでこない。
「開始と同時にお前とぶっ飛ばしてさっさと終わらせてやる」
「そうね…捕えきれたらね」
ルールとして殺す事は出来ないが、それでも殺気立っていると形容できる程ゲーニウスはリーンフェルトを睨み付ける。
対してリーンフェルトは堂々と落ち着き払ったものだ。
ゲーニウスとリーンフェルトはレフェリーの下に集まり一応のルールの確認をされ頷き距離を取った。
「さぁ席次入れ替え戦の開始だ!!」
風のオリクトを搭載した棒状の拡声器を通してレフェリーの声が会場全体に響き渡る。
ウワァァァァーーーー
四方からの大歓声にリーンフェルトは一瞬びっくりはしたが相変わらず表情は変わらず対戦相手のゲーニウスを視界に捉えている。
「女相手に本気も可哀想だ。一撃で吹っ飛ばして場外にしてやるよ!!」
ゲーニウスはリーンフェルトへの距離を詰めるべく駆け出すがリーンフェルトは微動だにしない。
「はっはっは怖気づいて動けなくなったか?」
剛腕のゲーニウスの名に恥じないクレイモアの一撃をリーンフェルトに向けて放つ。
リーンフェルトは未だレイピアを抜かず不動。
このままでは確実に怪我、最悪死に至るであろう強烈な一撃だ。
もう確実に直撃は免れない。
横薙ぎに振りぬいたクレイモアの軌道はリーンフェルトの腰の高さあたりに吸い込まれていく。
鎧を着けていれば真っ二つは避けられたかもしれないが、リーンフェルトの装備ではどう見ても防ぐ事は不可能。
ゲーニウスは相手死亡による反則負けを覚悟する。
観客にもその後が想像出来てしまいあちらこちらで悲鳴が上がる
他にも女を切り飛ばした後味の悪さなどもあったのだが、目の前の女、リーンフェルトは何事もなかったようにそこに立っていた。
確かに直撃したはずだ。手ごたえもあったのにとゲーニウスはゾッとする。
「どうした? 私は死んだとでも思ったか?」
呆気にとられていたゲーニウスもまた歴戦の戦士である。
直ぐに気を取り戻すと一度距離を取る。
「なんだお前今の……絶対直撃だったじゃねぇか!」
「それは貴方の感覚よ…あんなスピードでは私を捕える事は出来ないわ」
確かに身の丈程もあるクレイモアだ。
その動きは手元で扱うレイピアに比べれば遅いだろう。
しかしゲーニウスの一撃は一般よりも早く、また重い一撃でもある。
リーンフェルトは横薙ぎに振られたクレイモアの刀身に、わざわざつま先で一蹴りして元いた場所に着地した。
つまり、一蹴りしたのがゲーニウスの感じた直撃の感覚であり、リーンフェルトを捕えられなかったのだ。
無傷で立っているリーンフェルトに観客がどよめく。
「そろそろこちらから攻撃しても、よろしくて?」
リーンフェルトはゲーニウスが何か答えるよりも早く間合いを詰める。
先ほどとは一転して防戦に入るゲーニウス。
リーンフェルトが繰り出すレイピアの穂先がまるで生きているかのようにしなり、クレイモアで防御を固めるゲーニウスの頬を掠め鮮血を散らした。
「クッ…早い……! だが!」
ゲーニウスは防御を解くと横薙ぎにクレイモアを振るうが、先程と違うのは刃の向きだ。
クレイモアの広い腹を使っての面攻撃である。
ゲーニウスの腕には相当な負荷が掛かっているのだろう。
鍛え上げられた両腕と額に太い血管が浮かび上がっている。
リーンフェルトはそれを視界に捉えつつ、クレイモアの一撃を悠々とかわして見せる。
「これでも当たらないか!」
ゲーニウスは渾身の力を込めて上段から、自身の最高剣速を越えるべく一気に振り下ろす。
恐らく並みの参加者ならば躱す事も、武器で防ぐ事も不可能だろう。
しかしリーンフェルトはそれすらも悠に躱して、大きく隙を作ったゲーニウスにつめ寄りその首筋に刃先をあてた。
「まっ…参った俺の負けだ……」
両手を上げて戦う意思がない事をレフェリーにアピールする。
それを受けてレフェリーもアナウンスをする。
「勝者リーンフェルト!!」
ゲーニウスの降参で会場は悲鳴にも似た歓声が上がる。
それは純粋に試合の興奮からか、はたまた勝利確実と言われて掛けたお金を失った声か。
イカサマに近い形で賭けたカインローズは当然だとばかりに鼻で笑うと今晩の飲み代の回収の為に、昨日の酒場に顔を出す事を決めていた。
「まっ、勝って当然。この程度じゃやられんだろうよ。お祝いって程の事でもねぇし帰るか」
カインローズが元来た道を戻ろうとして、後ろを振り向くと黒いローブを纏い眼鏡を掛けた男が立っていた。
「おや愛弟子に何も言わないで行くのですか?」
「ん…アンリか」
アンリと呼ばれた男は口元に微笑を浮かべると、すぐに真顔に戻った。
アンリ・フォウアーク。
アル・マナク結成時からアウグストと共に行動をしている魔術師だ。
席次も次席となっておりカインローズよりも二つ上だ。
セプテントリンの内務を主に担当しているが、次席という地位にいるだけあってその実力も確かだ。
二年前の内乱の際にもその力から、戦局を大きく変える作戦にはほぼアンリの名前があった。
そんな彼は長めの髪をオールバックにしており、エリートの様な佇まいではあるのだが、本人はエリートのそれとはだいぶかけ離れた性格をしている。
さてそんなアンリがカインローズに向かって歩み寄る。
「彼女の実力ならば当然の結果ですね、カイン」
「そりぁ俺が直々に稽古つけてたんだぞ?勝って当たり前だろ」
カインローズはさも当然の様に胸を張るのを見て、アンリは苦笑した。
「そうですね。青の死神に稽古をつけて貰えるとか、腕が上がらない訳がありませんからね」
「なんだよ、そういうお前だってあいつに魔法制御教えてただろ?」
「ははは、気が付いていましたか」
「気がついたじゃねぇよ! 急加速と急停止の身のこなし…あれお前が教えたんだろ? それで追い詰められた時、焦ってちょっと本気出しちまったよ」
「そうですかそうですか、カインが驚いたのなら教えた甲斐があるという物です」
「それで? 次席様自ら何の用です?」
「それはもちろん愛弟子の成長を……」
口元こそ笑っているが目が笑っていない。
つまりアンリは仕事モードだろうとカインローズは判断する。
「何か厄介ごとか?」
「ええまぁ」
完全に口元の笑みすら消えたアンリは、声のトーンが低くなる。
「サエスに渡っているオリクトが何者かに奪われていましてね。流通が止まっているのですよ」
それを聞いてカインローズはサエスという単語の情報を脳の隅っこから引っ張り出す。
「あーサエスサエス…カルトス大陸のサエス王国か?」
「そうですよ。世界の地理くらい頭に入れておいてください」
「へいへい……」
適当な返事をするカインローズにアンリはまた苦笑すると事の経緯を説明し始めた。
「カインの言う通り西大陸カルトスにあるサエス王国の話ですよ。ケフェイドから運ばれているオリクトが市場に届いていないと商人から連絡がありました」
「ほう…盗賊の類かね?」
「いえ…どうやらそうではないみたいなのですよ」
アンリは少し困った表情を作ると、何かあったのだろうと察したカインローズは話の続きを促す。
「…というのは?」
「盗賊であれば奪ったオリクトを売りさばくでしょう。あれがお金になる事は我々も知っている事なのですから」
「確かに…便利な物だし需要もある」
そう盗賊ならば売りさばいて金にする事を考えるだろう。
今や需要に対して供給が追い付いていない程の人気商品だ。
その有用性がケフェイドで証明されて、導入も加速して来ている。
「そうです…ならばなぜ破壊するのでしょうか」
アンリの言葉にカインローズは眉を顰める。
金になる事を度外視して破壊をしている…これに引っ掛かりを覚えたカインローズは真っ先に浮かんだ事を口にする。
「なに…破壊されているだと? アルガス国王派の生き残りの線は?」
アンリは首を左右に振り、ため息を吐く。
「全く…考えたくありませんね。本当に王家派の人間であるならば、とても厄介な事になります」
「まぁ確かに」
わざわざ他の大陸にまで移動しての妨害工作などリスクの塊だ。
相当追いつめられているのだろう…捨て身の嫌がらせとも考えられなくもない。
まず他国でのテロ行為は、もちろんその国の処罰対象になるという事だ。
これで犯罪者として確定する。
しかしオリクトを破壊する事でアル・マナクに仕返しが出来る。
ついでに国家間での問題に発展しかねないのだから、厄介な事になる。
これは大陸を跨いでまた戦争が起こるかもしれないと、カインローズは最悪のシナリオを想定する。
「ここから推測されるのは、少なくともオリクトに対して、引いてはアル・マナクに恨みがあるという線が最も妥当でしょう」
「恨まれる様な事は…まぁしてるわな」
確かに国王は処刑しているし、派閥に所属していた貴族連中は追放の憂き目にあっている。
栄華を誇った自分達を貶めた。
理由としては十分だろう。
「ともかくサエスの商人からは発注して届かなかったオリクトの分と追加発注が来ていますよ」
「つまり護衛任務という事だな」
「ええ、そんな所です」
「アイツも連れていく事になるかね?」
カインローズは一瞬闘技場に目をやり、それからアンリを見据えた。
「そこはアウグスト次第ですね」
「まっ、そうなったらそうなったで俺は命令に従うだけさ」
「では数日中に命令が出ると思いますのでよろしくお願いします」
「そうさな。精々破壊されないように頑張ってみんよ」
カインローズは歩き始めると、アンリが道を開けた。
アンリの横を通り過ぎようとした時だった、アンリは不意にカインローズに声を掛けた。
「それでカイン。これから昨日荒稼ぎしたお金の回収ですか。アル・マナクの上位者であるのにもかかわらずそんなせこい小遣い稼ぎは止めてくださいね?」
「ったく…どんだけ地獄耳なんだよお前。あぁ、ほどほどにするよ」
一瞬ばつの悪い顔をしたカインローズは、後ろ手をヒラヒラさせると闘技場を出て行った。
闘技場は未だ興奮冷めやらぬ観客のざわめきが聞こえる。
この後は確か閉会式だったはずである。
アウグストの挨拶は恐らくあるだろう。
アンリもアウグストの長話を知っている一人として、逃げる事を選択した様である。
「さて…私も逃げましょう」
アンリはそう呟くと地中に水がしみ込むように姿を消した。