27 影
「さあ。呑め呑め!今夜は無礼講だ!」
そんな調子で始まった夕食は既に三時間を経過しており、アシュタリア料理のおでんと呼ばれる煮物料理とお猪口という名の小さい容器に透明な酒をチビチビと呑みながらカインローズがクダを巻いている。
「だから、オラァ言ってやったんだよ!武器屋に模造刀なんぞ置くんじゃねって」
もう四度目となるこの下りにうんざりしていたのは、リーンフェルトだけではないようだ。
アトロはおでんをつつきながら話を聞き流しているし、クライブは一時間前くらいにカインローズに一気に酒を煽るように言われ実行して轟沈。
そして今はテーブルに突っ伏したままピクリとも動かない。
例によって光魔法の浄化作用で酔わないリーンフェルトに、挑むように勝手に呑み比べを始めたカインローズは四時間目間近で後ろにひっくり返った。
「結局このパターンですか……」
ぶっ倒れたカインローズを冷ややかな目で見るリーンフェルトは深い溜息を吐いた。
おでんの大根に黄色い辛みのある薬味を付けて頬張っていたアトロが、咀嚼を終えて顔をリーンフェルトに向ける。
「まあ、そう言わないで上げてくださいよリンさん。聞けば金貨三枚の剣だったみたいですし…余程腹に据え兼ねたのでしょう」
しかしリーンフェルトは顰めっ面のまま答える。
「でもちゃんと使えるのかどうか、確認するべきだったと思うのです」
「旦那のそういうところなんて今更じゃないですか?」
「そう言われてしまったらそうなのですが……」
「そうですね……ま、気持ちだけ受け取って上げてください」
少し不貞腐れたようにそっぽを向いたリーンフェルト、明後日の方向を向いたまま歯切れが悪く口をごにょごにょと動かす。
「そこは…その分かってます。皆さん私に気を遣ってくださったのだと」
「そうですか。気がつきましたか」
「アトロさんは私の事をそのように見ていたのですか?」
心外とばかりに語気が少々強くなる。
が、アトロもそこは冗談として言っているし、リーンフェルトもまた察しが付いている。
故に空気自体は和んでいると言っても差し支えないだろう。
「ははは、冗談ですとも。しかし周りを見る余裕が出て来ましたか。重畳重畳」
「なんですかそれは。アトロさんお爺さんみたいですよ?」
「ははは。リンさんから見たら私など、もうお爺さんと言っても良いくらいではありませんか?」
「アトロさんはまだまだお若いですよ」
リーンフェルトの目から見て、アトロはカインローズと同じくらいに見えるのだ。
「確かカインさんの五つ上でしたよね?」
「そうです。もう四十を越えているのですよ。冒険者をしていたのなら、そろそろ引退している頃だと思いますよ」
「そうですか?アトロさん今でも十分強いじゃないですか」
「そこは年の功と言いますか経験で相手の動きが予測出来るからです。勿論次の行動に誘導を掛けたり色々織り交ぜながらですがね」
酒の力か雰囲気か、普段よりも饒舌なアトロとリーンフェルトは戦闘談義となる。
まだセプテントリオンになる前に、カインローズと稽古をしていたリーンフェルトはその頃からアトロとは話が合う。
特にファッションに関してはお互い革製品が好きであったりして、過去にブーツの話題で盛り上がった事がある。
あれはセプテントリオンになる前、捕虜からカインローズ預かりになった頃だろうか。
カインローズとの稽古に明け暮れていた時にふらりと現れたアトロと、二、三言話したのが切欠だったはずだ。
お互いの革製品を目ざとくチェックしていた二人は、そのまま意気投合して革素材と革工房について語りだし最終的にカインローズが稽古の邪魔とばかりにアトロを追い出すまで続いたのである。
それからリーンフェルトはアトロと話すようになったのだった。
特にカインローズ主催の飲み会は九割がクライブのようになり、この二人が最後まで酔い潰れない事が多くそこから談義が始まったりする。
閉店間際まで話した後はカインローズを引きずって帰るのが、飲み会の一つの形だ。
クライブのような犠牲者は朝まで店の外に転がされたり、教会へ運ばれたりする。
そんな訳で今回の飲み会を生き残った二人の議題は、戦闘についてという事になりそうである。
「私も多少は戦闘中の駆け引きが出来るようになりたいのですが、どうしたら良いですか?」
「ふむ…戦闘の事は旦那に聞くのが一番だと思うのですが?」
もみあげから繋がる顎の髭を一撫ですると首を傾げて見せる。
確かに戦闘の事ならカインローズに聞くのが一番良いだろう。
しかしリーンフェルトが聞きたい点は、きっとカインローズには答えられないのだ。
「カインさんはどちらかと言えば天才肌なのですよ。感覚で戦っているというかそんな感じなのです」
「確かに。あと、戦闘の勘というのでしょうか?そういうのを強く感じる事が出来るんですよね。旦那と若い頃戦った時に感じましたよ」
昔を懐かしむような声色でリーンフェルトの感覚を肯定する。
リーンフェルトが展開してゆく戦術に、カインローズはなかなか嵌ってくれない。
例えば先の模擬戦などは顕著だろう。
躱すと思っていた火球を斬り伏せたりして、想定外の方向に持って行かれてしまう。
頭で数手先まで考え詰めてゆくスタイルのリーンフェルトの思考だと、戦闘時の勘で戦うカインローズの動きは予測が付き辛く相性が悪い。
「カインさんとの付き合いは長いのですよね?」
「ええ十年くらいになりますよ、私が現役の時からですからね。旦那は各大陸に武者修行に出ていたらしくて、私ともその頃出会いました」
良く考えてみたらカインローズの事をあまり知らないとリーンフェルトはこの時思った。
どうやらカインローズは若い頃武者修行という事で各地を旅していたらしい。
初めて聞く情報に少々好奇心が疼くいたリーンフェルトはアトロにその先を促す。
「どんな感じだったのですか?」
「ははは、そうですね……一言で言うとクソガキでしたね。まあ、私も大分若かったですからね。纏わりついてくる旦那を大分邪険に扱っておりました」
何かを思い出したのだろう口元に笑みを浮かべると、当時のカインローズについて語りだした。
リーンフェルトもカインローズ攻略の糸口かあるかもしれないとその方向で話を進めていく。
「今と大して変わらないと言う事ですか?」
普段のやり取りを見慣れてしまったせいなのか、思わずそう聞き返してしまう。
「今も邪険に扱っているように見えますか?ははは、あれはどちらかと言えばじゃれ合っていると表現した方がいいでしょうね」
「なんだか不思議な関係ですよね、お二人は」
「まあそうでしょうな。旦那がアンリ二席と出会ってアル・マナク所属になった時も驚きましたが、まさか私まで誘われるとは思ってもみませんでしたよ」
「そうなのですか?」
アトロとカインローズの仲の良さを考えれば可笑しな話ではないのだが、未だにアトロは組織に誘われたことを不思議に思っているらしい。
「ええ、本当は純粋な戦闘要員として呼ばれはしたのですが、私はその頃には子供もおりましたし妻から危ない事はしないように釘を刺されておりました」
「それで御者になったのですか?」
「まあそうなりますね。ただ私自身は戦える御者でありたいので、訓練を怠ったりは今の所しておりませんよ」
そう言ってわざわざ力こぶを作って見せるアトロはニヤリと笑う。
「おいお前さんら。そろそろこっちも片付けとかあるんでな。そろそろお開きにしてくれや」
切が良いと判断したのだろう番頭の声が二人に届く。
「アトロさんこの二人どうしますか?」
「どうするも何も部屋に運んでやりましょう」
そう言ってアトロはクライブの腕を肩に掛けると、ひょいと持ち上げた。
残ったのは転がるカインローズである。
前回クリノクリアで飲んだ時は三人で運んだのだが、今回はリーンフェルト一人である。
「どうしましょうか……」
そう呟くリーンフェルトに番頭が近寄ってきた。
「このデカいのが邪魔だな…仕方ない俺が手伝ってやろう。このままだとここの掃除も碌に出来やしない」
ブツブツと文句を言いながらも番頭はカインローズの両足を脇に抱えて、リーンフェルトを見る。
その目はさっさと運べとばかりに訴え、鼻を鳴らす。
番頭と二人掛かりでカインローズを部屋に放り込む。
「ありがとうございました番頭さん。助かりました」
「まあ、サービスの一環だ気にするな」
そういうとスタスタと受付のある方に消えて行ってしまった。
カインローズの部屋からリーンフェルトに割り当てられている部屋までは少し薄暗くなっている。
特に気にする様子もなくリーンフェルトは部屋への廊下を歩いてゆく。
その暗がりの中、小さな影がリーンフェルトを見ているとは気がつかずに。