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黎明のヘリオドール  作者: 御堂 蒼士
26/192

26 万癒の湯

カインローズとの稽古で汗をかいたリーンフェルトは、その足で宿の温泉へ向かう事にした。

元々名目は怪我の養生の為なのだ。

ここはしっかり治しておかなければならないだろう。

体は先に動かした通り問題はないようだが、それでも名目を気にする辺りがリーンフェルトたる所以だろう。

怪我人の養生の為に来ておきながら、その怪我人に稽古をつけようとするカインローズもカインローズらしい。

ともあれリーンフェルトは宿の受付に温泉について尋ねる事にした。


「あの、すみません。この宿の温泉に入りたいのですがどうしたらいいのですか?」


宿の受付にいる初老の番頭が、にこやかとは言い難い顔を上げると面倒そうに口を開いた。


「何だ入り方も知らないのか…まったく……まあいい。女湯はそこの廊下を突き当りに右へ行った所だ」


ひょいと指差した先に一本廊下があり、温泉はその奥に行った先にあるらしい。

リーンフェルトは番頭に頭を下げてその廊下に向かおうとする。


「ありがとうございます。では失礼しますね」

「ふん…着替えはちゃんと持ったか?部屋にあっただろうアシュタリアの民族衣装で浴衣ってんだが、そいつを着るのがしきたりってもんだ」

「しきたりですか?」


リーンフェルトが首を傾げるのを見た番頭は、一つ咳払いをして薀蓄を語り始めた。


「そうだ。郷に入っては郷に従えってな。アシュタリアの古い諺だよ」

「なるほど……わかりました。部屋に寄って取ってから、温泉に行きますね」

「ああ、そうしてくれ。うちの店の雰囲気が崩れちまう。この前泊まっていったどっかのお偉いさんなんかは、ずっとふんぞり返ってキラキラと目に痛い服を着ていたよ」


流石老舗の宿である。

貴族などもどうやら訪れるらしい。


「どこかの貴族なのでしょうか?」

「さあな金払いは良かったがね。ささ、話は終いだ。浴衣を持ったらうちの風呂を堪能してくれや」


そういうと初老の番頭は奥へと下がっていった。


「郷に入っては郷に従えですか……」


ここは確かにアシュタリアの文化がとても色濃くあって、サエスである事を忘れてしまいそうになる。

一度部屋に戻って浴衣を手にしたリーンフェルトであったが、綿生地で作られた臙脂色の衣服であり留め具はなく、草色の帯が備え付けられている。

それと一緒に浴衣の着方が冊子としてついており、リーンフェルトは真面目に一読すると大よその着方を理解した。


「なるほど…ガウンのような物という事ですか……」


そう一人納得すると、今度こそ浴衣を持って温泉へと向かう。

先の受付の所にある廊下を通って突き当りを右へ向かえば、温泉への入り口が見えてくる。

その入り口には青の暖簾に男、赤の暖簾に女と書かれており、リーンフェルトは赤い暖簾を潜り中へ入っていく。

暖簾を潜った先はすぐに壁となっており右手に脱衣所へと繋がる道がある。

この壁と道の角度は暖簾越しにでも、外から覗けないように工夫されており女性への配慮を感じる。

脱衣所は特に仕切られる事なく三段の棚に空の籠が設置されており、衣類などを入れておけるようだ。

壁に貼られている脱衣所の諸注意という張り紙をしっかり読み終えたリーンフェルトは作法通り衣類を籠にまとめて脱ぐ。

小さいタオルは浴場へ持って行っても構わないと書いてあったので、その通りにして胸を隠す。

浴場の扉を開けるとムワッと向かって来る湯気の先に湯船が見えた。


「結構大きいのですね……」


思わず口をついて出てしまう。

宿屋にあるシャワールームや、高い宿屋にある個室のお風呂よりもやはり迫力が違う。

キョロキョロと辺りを見回すと、また張り紙や立て看板が見える。


「えっと…かけ湯で体を清めよ…ですか?」


その看板には矢印がついており、小さな手桶が数個設置されそのすぐ隣になみなみとお湯が張られているスペースがある。

どうやらこれがかけ湯らしい。

看板曰く、心臓よりも遠い所からお湯を掛けて行き、体が急激な温度変化に驚かない為と温泉のお湯を汚さない為であると書かれている。


「郷に入ってはですね…これは」


お風呂に入るのに作法がいるという事がなんとも新鮮であると感じたリーンフェルトは、もう一度立て看板にある手順を読み頭に入れる。

手順にあるように心臓より通りところ――足先から先に掛けて、後は手桶にお湯を汲み肩から一気にかけ流すという事を三回繰り返す。


「これで清められたでしょうか……?」


声に出すも答える者は誰もいなかったので、完全な独り言だ。

作法通り出来ているだろうと思い、いよいよ湯船に浸かろうとするのだが、また立て看板である。


「髪は湯船に入れるべからず!」


恐らくカインローズ辺りならば、いちいち注文の多い温泉だとばかりに嫌な顔をしていただろう。

作法であると認識しているリーンフェルトは、行為自体には意味がありそういうマナーなのであると受け入れている。

その為、ナビゲートしてくれる立て看板を熱心に読んでいるようだ。

髪をお湯に浸けてはいけない。

そこで手持ちのタオルで頭の高い位置で髪を結わえる事にした。

首筋が見える程髪を上の方で纏めたのは、多分公爵家の晩餐に出席した時以来だろうか?

そんな事を考えつつ、今度こそ湯船に浸かる。


「ふあぁ……」


そんな声が漏れ出てしまう。

薬湯という事もあり少々独特の匂いがあるお湯は、そういう成分なのだろうか少しぬめり気のあるお湯である。

温泉に浸かっていると色々な物が溶け出して行く気がする。





――その頃。

アトロとクライブもまた厩舎から宿へと戻ってきていた。

と言うのもアトロはクライブが尤もらしい事を言って厩舎に逃げたという事をリーンフェルトをから聞いていたので、連れ戻して来たのだ。


「な、なんすかアトロさん」

「クライブにしてはなかなか良いセンスのプレゼントでしたね」

「ななな、なんでアトロさんが知ってるんすか!?」

「それはですね。私もさっさとプレゼントを渡して来たからですよ」

「アトロさんは何をプレゼントしたんすか?」


興味深々と言った感じのクライブはアトロにそう尋ねる。


「私ですか?ストールですよ」

「ストールっすか?あれって服じゃないんすか?」

「衣服屋では買いましたね」


それは反則のなのではないかと不満そうな声を出すクライブにアトロは笑いながらそう答える。


「会議の時にアトロさん言ったじゃないっすか。サイズの合わない物をプレゼントしてもダメだって。言ったっすよね?」


アトロがズルをしたのだと思ったクライブの語気は少し強めだ。

しかし、アトロはクライブがどう思ったかを理解した上で、説明に入る。


「言いましたね。でもストールはどちらかと言うとアクセサリーなのですよ。ああいった物はあまりサイズを選ばないでしょう?」

「なるほどそういう事っすか」


アトロの説明に納得したクライブはすぐにいつもの調子に戻ったので、付け加えて話し出す。


「それに貴方達は二人とも真っ先にブーツを思い描いていたようですし、あの場では釘を刺しましたよ」


意図があってそのように言った事をクライブに明かしてニヤリと笑う。


「それにしても俺のプレゼント喜んでもらえたみたいっすから、本当に良かったっすよ」


初めて異性にプレゼントを渡すというミッションをクリアしたクライブは、なんとも達成感に満ちた顔をしている。

それを見てアトロも、クライブを褒める。


「そうですね。リンさんもそのような感じでしたから、良い選択だったのでしょうね」

「それよりも旦那は何をプレゼントしたのか気になんないっすか?」


クライブは自分が成功した事に安心したのか、カインローズのプレゼントを気にする余裕が出てきたようだ。


「あぁカインの旦那ですか、私は付き合いも長いですから何を考えていたかは大体検討が付いていますよ?」

「そうなんっすか?」

「ええ、ここマイムはカインの旦那の故郷に文化が似ていますからね、気が利いた所で簪や櫛、気の利かない所で壺とかでしょうかね」

「壺っすか?」

「ええ、持ち運びを一切考慮しない結果壺ですね。これが一番最悪ですね我々御者にとって」

「割れ物はちょっと困るっすよね……」


そう言って苦笑するクライブにアトロは付け足す。


「旦那の事だから良くて剣でしょうな。先の戦いでリンさんは獲物を失くしてますからね」

「ああ、それは気がつかなかったっす……」

「ふふふ、まあ飾るよりも実践的な物の方が我々も嬉しいじゃないですか」

「それはそっすね。使ってるのを見れるのはいいっすよね!」

「さて…食事の時間までまだありますね。どうですクライブ、温泉にでも入りますか」

「賛成っす!」

「まあクライブも病み上がりですからね、ゆっくり温泉に入りましょう」


こうしてアトロとクライブは温泉へと向かう。

温泉をそこそこに楽しんだ二人は、浴衣に着替え宿から伝えられていた夕食の時間に合うように温泉から上がった。

食事は個室ではなく食堂が宿の中にあり、そちらで用意されているという。

手配したアトロが言うのだ、間違えない。

それを信じてクライブはアトロに連れられ食堂へと向かう。


「あらお二人とも。温泉はいかがでしたか?」


食堂に向かう廊下でリーンフェルトに声を掛けられる。

彼女はこの宿で用意された浴衣を着ており、髪はいつもよりゆるく纏められている。

勿論その金糸を束ねているのは、先程クライブがプレゼントした織物の布である。


「そろそろ夕食の時間でしたよね?カインさんはまだ戻って来ていないのですか?」


そう尋ねられたアトロはリーンフェルトに話を聞き深く頷く。


「生憎と旦那とは一緒におりませんでしたし、話を聞く限り武器屋へ行ったのですよね?ならば帰ってくるでしょう」

「そうですね、なら私達だけで夕食を取ってしまいましょう」


そう結論付けると三人は食堂へと向かっていく。


食堂は受付から延びる廊下の突き当りを左に行った先にある。温泉とは逆の方向だ。

食堂の扉を開けると先程の番頭がおり、相変わらずの無愛想さで話しかけてくる。


「飯だな。席はどこに座ってもいい。それはそうとお前らの連れだったよな?あのでかい奴だ」


そう言って指をさした方に視線を移せば、カインローズの後姿が視界に入ってきた。


「ったくすごい勢いで入って来て呑み出したぞ?何かあったのか?」


至極面相臭そうな顔をしている番頭に無言の圧力を感じる。


「行くしかないみたいですね……」

「ですな……」

「うっす……」


三人はカインローズが陣取っている席に着き声を掛けた。


「お帰りなさいカインさん、帰って来ていたのですね」


そう声を掛けるのだが、既にカインローズは出来上がっている。


「おう!先に飯食ってんぞ、さあ呑め呑め!」


両脇にアトロとクライブを抱え込んだカインローズは酒を煽る。

リーンフェルトは今晩は長くなりそうだと覚悟を決めた。

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