2 回想 -王子殺害未遂事件ー
リーンフェルトは元々この北大陸ケフェイドにあったアルガス王国で仕官候補生をしていた。
彼女自身は南部公爵セラフィス家の令嬢であったのだが、家出同然に飛び出し転がり込むように全寮制の士官学校へ入る。
士官学校で一年も過ぎた頃だろうか、アルガス王国は内乱状態になってしまった。
世に出回り始めたオリクトの存在を危険視したアルガス王は、開発者のアウグストを異端者として討伐を命じたのだ。
彼の王の言葉は大々的に国内に伝えられた。
「神々より与えられた恩恵を汚す行為だ。彼らは神をも恐れぬ不届き者である」と。
一方アウグスト達は戦闘を避け、最北端の街エンデルまで後退して王国軍をやり過ごそうとしたのだが、アルガス王はそれを良しとしなかった。
エンデルの市民を巻き込む事も辞さないと街に、連日雨の様に矢が降り注ぎ、怪我人が多数出た事からアウグストが蜂起を宣言して反撃を開始したのだった。
王国側の戦況が不利になるにつれて、士官学校にいた士官候補生達は徴兵され前線へ赴く事になる。
そんな流れでリーンフェルトもまた前線へ士官候補として向かう事になるのだが、上官が馬鹿の一つ覚えか突撃しか指示を出さない。
奇襲や挟撃、伏兵を置く事も出来ただろうし、弓矢で敵兵に牽制も掛けられたのだろうが…上官は突撃至上主義だった。
上官は王国を守る騎士として、正々堂々と勝利を掴む事に固執したのだ。
そこには反乱軍など所詮烏合の衆だ、などと高を括っていた部分もあるだろう。
騎兵の突撃で敵兵を蹂躙し、この内乱を平定した英雄となる事を夢見ていたのかもしれない。
彼が何を思い考えていたかは知る由もないが、完全に相手の戦力と自分の能力を見誤った指示の下、突撃は繰り返される事になった。
結果多くの仲間や名も知らない兵士が血を流し倒れてゆく。
このままではいけないと思い、リーンフェルトは数度献策をするも全て跳ね除けられてしまっていた。
そんな状況が数日続き、さらに数度の突撃を敢行する事になるのだが、この上官は数度目かの突撃の際、あっさりと敵兵に打ち取られる事になる。
将を失い浮き足立つ兵士達は、時間の経過に比例してその数を目に見えて減らしてゆく。
この期に及んでは…さてどちらが烏合の衆であったかなどは、一目瞭然である。
現地任官で士官候補から下士官扱いになっていたリーンフェルトは、この潰走間近の軍の中で力の限り叫び兵士達を撤退させる為に指揮を執る。
なんとか潰走を踏みとどまった王国軍は、指揮系統の回復を行いつつ王国軍の拠点都市を目指して撤退する。
しかし目前には敵軍の追撃部隊が迫って来てた。
リーンフェルトは自分に従う兵士と共に殿となり、敵の攻勢を防ぎながらの撤退を指揮する。
そして目前の敵を見た時、それが反乱軍で名の知れた青き死神である事を認識した。
青き死神という異名を持つ男の名はカインローズ・ディクロアイトという。
三十代の男性であり、戦場においては身に着けている鎧の色から青き死神という異名で知られた戦士である。
彼の獲物は反りのある片刃の剣だった。
それを肩に担ぎ、自信に満ちた不敵な笑みを浮かべている。
兵を率いる事も、単騎の戦力としてもなかなかの人物であり、追撃戦の苛烈さは言うに及ばず、六千程いた王国軍の実に半数がこのカインローズの部隊によって屍になったのだ。
殿を務めるリーンフェルトではあったが徐々に味方の兵士達が倒されていき、最後に残ったリーンフェルトは名乗りを上げた。
その結果、この戦闘で敵方の指揮を執っていたカインローズとの単騎決戦を挑む事になる。
「私こそは南部公爵家セラフェス家が長女リーンフェルトである! 賊軍の将に一騎打ちを申し込む!」
「へぇ…あんたいい度胸だな。死神と呼ばれる俺に一騎打ちを挑むのか? 無謀だが…気に入った! その一騎打ちを受けてやろう!」
リーンフェルトは半ば自棄気味に名乗りを上げたのだが、まさか青の死神が応じるとは思ってもみなかったのだ。
もはや自分一人。
あたりは敵兵に囲まれており、逃げ場などない。
仮に…もし仮にカインローズに勝てたとしても、生きては帰れないだろう。
リーンフェルトはこの時死を覚悟した。
諦めと言ってもいいかもしれない、が。
カインローズへの恐怖がすっと消え、死への恐怖も消え妙に落ち着いた感じになる。
頭が急激に冷静さを取り戻し、構えるカインローズを見据える事が出来た。
「おっ…なんだかいい目になったじゃねぇか! よしよし! 一騎打ちはやっぱりそういう感じじゃないとな」
カインローズはどちらかと言えば戦闘狂の気がある。
強い者と戦いたい、挑戦者が現れれば快くその申し出を受ける。
戦闘は楽しい物だ。好敵手は出来るだけ多い方が良い。生きていればまた戦えるのだからとそう思っている。
しかし今は戦争中だ。
殺し合いになるのは仕方のない事だとも理解はしているので、切り捨てる事に躊躇いは無い。
一騎打ちを受けたのは先ほどの名乗りに引っ掛かりを覚えたからだ。
相手の名前は確かどこかで聞いたことがあったはずだ。
まぁ戦えば思い出すだろう、その程度の認識でリーンフェルトの前に立った。
レイピアを構えるリーンフェルトに、カインローズは型も構えもなく自身の片刃の剣を肩に担いだままだった。
リーンフェルトは完全にナメられている思い、奥歯をギリッと鳴らす。
そのまましばらくお互いが微動だにしなかったのだが、リーンフェルトの方が早くその一歩、一撃を繰り出す。
カインローズは先の状態から一瞬で受けの構えを取ると、その一撃を弾き返す。
しなるレイピアの刀身に合わせてリーンフェルトはバックステップをもって距離を取ろうとするが、カインローズはの動きはそれよりも早かった。
ガキンッ!!
振り下ろした片刃の剣がリーンフェルトのレイピアを捕えると同時に甲高い音が響き、その衝撃にリーンフェルト吹き飛ばされ地面に転がった。
彼女のレイピアはその刀身を半分くらいの長さで綺麗に切断されてしまっていた。
こうなってしまってはもはや武器として使う事は出来ないだろう。
立ち上がろうとするリーンフェルトの首元に刃を突き付けられ、体を起こせないまま地面に膝を着きカインローズを睨み付ける。
「さぁ! 殺しなさい!」
決着はリーンフェルトの負けだ。
後はその首元にある刃を突き出すだけで息が出来なくなり死ぬ事になるだろう。
目を閉じ最後の時を待つが、カインローズの刃がリーンフェルトに刺さる事はなかった。
「なかなか勇ましいお嬢様だが…ん? セラフィス公爵家だと…あぁ!?」
カインローズは何か思い出したように納得して頷くと、首元に突き付けられた刃を下した。
「あっはっは。これはとんでもなく有名な奴に会えたな。面白い土産が出来たもんだ。よし捕虜にする!」
そうあたりの兵士に向かって宣言をする。
このまま捕虜として慰み者として生きなければならないのか。
死ぬ事よりもさらに絶望的な事だ。
十七歳と若く胸こそ薄いが、顔立ちは整っており美少女と言われても差し支えない容姿の持ち主であるリーンフェルトは、これから自分の身に起こる事想像して青ざめる。
「リーンフェルトお嬢さん、歩けるんだろ? ならこのまま着いて来てもらおうか」
カインローズは手を差し伸べリーンフェルトを助け起こすと、拘束もしないまま後ろを向きついてこいと言わんばかりに首を振った。
一方リーンフェルトは納得がいかない。
なぜ捕虜として拘束しないのかもあるが、一番はなぜカインローズはその刃を下したのか?
彼はとんでもなく有名な奴に会えたと言ったが、リーンフェルトはその言葉で一瞬過去の自分を振り返り、そして思い当たる節を見つけ苦虫を噛み潰したような渋い顔をした。
それはリーンフェルトがまだ公爵領に住んでいた頃に、父親が持ってきたお見合いの席での話だった。
リーンフェルトには三つ離れたシャルロットという妹がいるのだが、残念な事に公爵家に男子に恵まれなかった。
その為、公爵家には後継者問題があり、公爵が取った手段は婿養子を迎えるというものだった。
さて王家に所縁のあるセラフィス公爵家の婿養子ともなれば、格のつり合いが取れた相手でなければ恥ずかしい。
故に公爵は当時十五歳のリーンフェルトと同じ年であった、王族で第十八王子マルチェロ・ブランガスト・アルガスとのお見合いの席を設けた。
当時リーンフェルトは反抗期真っ盛りであり、引っ切り無しにお見合いを持ち込む両親にうんざりしていた。
当てつけの様に男装を始めたのもこの頃だ。
そして、しつこ過ぎる両親がセッティングしたお見合いの席で、リーンフェルトは盛大にキレたのだ。
「第十八王子マルチェロ様はお前とも年も同じだし大変聡明な方であるそうだ。この方に決めないか? リーンよ」
公爵はふんぞり返ってソファーに座っているマルチェロをちらちら見ながらそうリーンフェルトに問いかける。
王族は富と権力の象徴として恰幅のいい…いや、もはやデブレベルの体型をしている。
ケフェイドでまともな食糧が作れるのは王族直轄のヘリオドールの恩恵効果がある範囲だけだった。
例えに出すならば、凍てついた井戸から氷を砕き、自身の魔力で火を起こしやっと飲み水を得るという生活であり、これがどれほどの重労働であるかは想像に難くない。
元々少ない魔力を込めて溶かすものだから、魔力切れを起こして動けなくなってしまう者もいる。
魔力自体は食事や睡眠で回復出来るが、ヘリオドールの恩恵が無い土地では土すら凍てつき作物などはまともに育たない。
故に王族は富と権力の象徴として、そういう体型なのである。
このまるころんとした目つきの悪い男をしつこく薦めてくる両親に我慢の限界が来ていた。
リーンフェルトはスラリと伸びた手足を持つスレンダーな体型をしている。
有体に言えば胸が小さいのだが、三つ離れた妹の方はどう栄養の分配を間違ったかは謎ではあるが、十二歳にしてかなり立派な胸を持っていた。
お見合いの席でマルチェロはリーンフェルトの胸とシャルロットの胸を比べ、指を刺し笑い、ひとしきり笑った後にリーンフェルトよりもシャルロットの方が好みであるから
相手を変えてくれないかと言い始めたのだ。
リーンフェルト自身胸が小さいという事は務めて気にしない様にしていたのだが、面と向かって指を刺され笑われば年頃の乙女である。
傷ついた…というよりもブチギレた。
当時王族には絶対的な支配権があり、何人も逆らえない状態であったにも関わらずリーンフェルトは、ありったけの魔力を込めた炎を怒りに任せてマルチェロに向かって放つという事している。
取り様によっては王族の殺害未遂である。
もし間違って死んでいれば公爵とて、土地を失い婿養子などと言っている場合ではなかったはずだ。
一方マルチェロはと言うと、護衛についていた魔術師が咄嗟に反属性の魔法で防御しようとしたのだが、リーンフェルトの魔力の方が強かったようだ。
直撃こそなかったが全身の所々に軽い火傷を負う事になったのだ。
父親であるセラフェス公爵が一部始終を国王に報告した為王国からのお咎めもなく、また両親からお見合いなどについて深く言われることが無くなったのだが、その空気がリーンフェルトには苦痛だった。
半ば逃げる様に士官学校で入学して、実家を出て寮生活を始めたのだった。
家出をした挙句、敵兵に捕まり捕虜になってしまった。
リーンエルトはそんな自分を情けなく思い恥じたものだが、この時から運命の歯車は確実に回り始めていた。