189 真相は闇の中
「そろそろクリノクロアの港が見えてきますよ!」
室内に備え付けられている機器がそんな情報を彼女の耳に伝えた。
その声にリーンフェルトは処理していた書類からふと顔を上げる。
船室には窓が無い為、甲板まで上がれば爽やかな潮風がリーンフェルトを包み込む。
強い日差しに目を細め見つめる先には故郷であるクリノクロアの景観が目に入ってくる。
旅だった時の白さは既に無く、深緑の木々がその葉に光を浴びるべく鬱蒼と茂り、潮風に煽られて揺れている様はこちらに手を振っている様にも見えなくもない。
「やっと帰って来ました……」
「そうですわね、お嬢様」
故郷を前にして思わず声に出てしまう程に気が抜けていたリーンフェルトは、背後から聞こえてきたリナの声に驚きピクリと肩を浮かせた。
一拍置いて気持ちを落ち着けて振り返ると、相変わらずシックなメイド服に身を包んだリナがその黒髪を珍しくポニーテールにしている。
「リ……リナさん、何時の間に?」
「私は先程からずっとおりましたよ。そうですね……お嬢様がこちらに出て来た辺りには背後におりましたわね」
「すみません少し気が抜けていたようです」
「やっと故郷に帰って来れたのですからよろしいのではないですか?」
「ですが何時何が起こるとも知れませんし気を抜くのはここまでとします」
「もう少し気を抜いていても良いですわよ? 私もそのようなつもりで言ったわけではありませんので」
「いえもう大丈夫です」
そんなやり取りをしている内に船は港へと入り、錨が降ろされた。
桟橋にはしばらく会っていなかった顔触れが揃っており、アウグストを始めとしたメンバーを出迎えに来ていた。
出迎えの代表として先頭に立っているのはダークブラウンのローブを纏い、手には質素な杖を持ったオールバックの男が立っている。
その表情は相変わらず険しく、眉間の皺こそ深いがリーンフェルトからしてみると見慣れた物だ。
「やっと帰って来たかアウグスト」
「やぁアンリ、そちらの首尾はどうだね?」
「連絡を受けていた物は既に完成している。直ぐにでも実験を始める事が出来るだろう」
「それは良かった。やはりね下準備の研究も大事だけど、実験は良いですね」
「ではアウグストはこのままそちらに行くかね? 行くのならば手配はするが」
「それじゃ私は実験用の施設へ向かうとしよう」
アンリはそのままアウグストと共に行動するようで、出迎えで整列する職員に馬車の手配を指示している。
「アンリさん!」
「ん、リンか任務ご苦労。どうだったねベスティアの国は」
「とても活気に溢れた国でしたよ。こちらとは文化も違いますし」
「どうやら充実した任務だったようだね。あぁ……カイン幼妻はどうしたんだ?」
リーンフェルトの後方から現れたカインローズはアンリを素知らぬ振りをして通り抜けようとして早速捕まる。
勿論カインローズの巨体がリーンフェルトで隠れる訳も無く、逆に不自然な挙動が余計にアンリの目を引き付けている。
「アンリ、報告書を読んでいるよな? 生憎と俺は独身のままだ」
「勿論報告書は読んでいるが、こんな面白そうな話は直接聞くのが筋だろう」
「ふん、大した面白くもねぇよ。それよりもアウグストがお前を待っているぞ?」
「ふむ、確かに待たせる訳にはいかないな」
ちらりと後方を見てアンリはアウグストが馬車に乗り込んだのを見やってから、リーンフェルト達の方へと向き直り続ける。
「君達には取り敢えず本部待機が指示されている。護衛は……むしろセプテントリオンが三人だ。必要すら感じないな。本部へはアトロの馬車で戻ると良いだろう」
どうやら帰りはアトロが御者を務める馬車が手配されているようだ。
「アンリさん、心遣いに感謝致します」
「いや、構わん。寧ろ長い事アウグストの面倒を掛けたのだ。それくらいの労は厭わないさ」
気心が知れたアトロならばリラックスして本部まで帰る事が出来るだろうと言うアンリの心遣いにリーンフェルトは感謝を述べる。
馬車の待機位置を聞いたカインローズは逃げる様に走り去って行った。
余程アンリにナギとの話を弄られるのは嫌だったらしい。
「全く、お嬢様を置いていくなどバカインローズは……」
リーンフェルトの後ろについているリナは、少々苛立たしげに呟く。
「では私もアウグストの下へ行くとしよう」
「あっ……アンリさんそう言えばなのですが」
「何だね? リンが私を呼び止めるのは珍しい事だが」
「はい、実はセプテントリオンの皆を集めて懇親会を開こうとリナさんと話してまして、アンリさんも良かったら参加してください」
その言葉にアンリもまた過去の記憶が過ったのだろう。
眉間の皺がグッっと深くなり少し悩んだ後、彼は回答を口にする。
「きっと仲裁役が必要になるだろうから、私も参加しよう。何……今回は前回の様に被害は出させるつもりはない」
妙にリベンジに燃えるアンリは、それだけを言い終えると颯爽とアウグストの乗り込んだ馬車へと乗り込む。
その馬車が滑る様に走り出すとあっという間に見えなくなってしまった。
「それでは私達もカインさんと合流しましょう。きっと待っているでしょうから」
「そうですわね。あの馬鹿、はぁ……もう良いですわ。これ以上は言うだけ無駄と言うものですが」
「でもアンリさんにナギちゃんの事を根掘り葉掘り聞かれるのはカインさんも嫌だったのだと思いますよ?」
「……それもそうですわね」
ナギとも仲の良かったリナであるだけに、カインローズが弄られる事については兎も角としてナギの名が弄られる事については思う所があるらしくあっさりと矛を収めるとアトロが待つ馬車まで向かって歩き出す。
他の出迎え達はアウグストとアンリが去ったあたりで解散になったらしく、今この場にはほとんど残ってはいない。
その辺りもアンリが事前に手配してくれた事なのだろう。
馬車に辿り着いてみれば機嫌の悪いカインローズがムスッとした空気を垂れ流しにしている。
それを見てリーンフェルトは溜息を、リナは小さく舌打ちをする。
「カインさん! アンリさんはそう言う人じゃないですか。いちいち気にしているとずっと言われ続けますよ? 彼は相手のそういう反応を楽しんでいるのですから」
「あぁ、分かっちゃいるんだがなぁ」
そうぼやいてカインローズはそっぽを向いてしまう。
なんとも歳にそぐわない反応にリーンフェルトは苦笑し、機嫌を立て直すべく語りかける。
「アンリさんについては私からも触れない様に言っておきますし、機嫌を直してくださいカインさん」
「うぅむ……まぁお前がそこまで言うんだ。んじゃ任せたぜ」
「はいはい。ではまず本部まで帰りましょう」
「おう、そうしよう」
「カインさんは懇親会には参加されないのでしたよね?」
「あぁ、セプテントリオンの中でも相性ってもんがあるからな。それに一堂に会するってのも結構難しいし前みたいな事があると辺りに迷惑を掛けかねない」
「前みたいな事?」
カインローズの言葉に引っ掛かりを覚えたリーンフェルトは首を傾げる。
それを見たカインローズはリナに非難めいた視線を向けると、話し始めた。
「リナの奴が説明しなかったみたいだな」
「えっ? リナさんですか? あっ、そういえばアウグストさんも微妙な表情をしていましたね……一体何があったのですか?」
その問いにカインローズが口を開くよりも早くリナが割って入ってくる。
「すみませんお嬢様。確かに過去の話でしたので、お話していない事がありますわ」
「ではリナさん一体何があったのか、教えて貰えますか?」
真っ直ぐに視線を向けるリーンフェルトにリナは観念したように目を伏せた。
「はい実は昔セプテントリオン発足時くらいの頃に一度だけ懇親会が開かれた事があったのです」
そう語り始めたリナに視線を向けていたカインローズは静かに目を閉じた。
「それは私が入る前という事ですよね?」
「それは勿論。まだ王国が健在でアウグストからオリクトを取り上げるべく躍起になっていた頃の話ですから」
「それで何があったのですか?」
「……当時七席を務めていた人物が死にました。彼には王国側のスパイ容疑が掛けられていました」
「そんな事があったのですか……それは道理でアウグストさんが微妙な顔をする訳ですね」
「いえ話はここからなのですわ。七席が殺されたのを受けて、まずアダマンティスが警備が甘くなったのは自分のせいだと自責の念に駆られました。犯人を必ず見つけるとして、その場に居たセプテントリオンの面々も容疑が晴れるまで拘束しました。勿論疑われた方はいい気はしませんし、ましてや同僚が殺されたのですから誰もが犯人が憎かったのですわ」
そこに目を閉じていたカインローズが徐に入ってくる。
「まぁそんな訳で余程の事が無い限り全員参加は無い。今回は俺は不参加予定で警備に回ろうと思っていたって訳だ」
「それで結局犯人は見つかったのですか?」
リーンフェルトのその問いにリナは首を左右に振る。
「いいえ見つかっておりませんのよ……お嬢様。ただ結果としてですが王国側からの追手が徐々に少なくなっていったので、彼はやはりスパイだったという事でこの話しは終わっています」
「俺は絶対にあいつはスパイなんかじゃなかったと思ってるがな」
この様子だと当時の七席はカインローズとかなり親交があったのだろう。
カインローズは今も納得が行っていない様子である。
「確かに私も彼がスパイだったとは思っておりませんが、事実追撃が止んだのも事実ですわよ?」
「そりゃたまたまだよ。あいつが俺達を裏切っていたとはとても思えなくてな」
「でも今となっては真実は闇の中ですわ」
当時を知る者達はこの論議にヒートアップしているが、リーンフェルトは一人冷静だ。
「ならば懇親会は止めた方が良さそうですね。アウグストさんにはその旨を伝えておかないといけませんね」
「ですがお嬢様が折角楽しみにされていたのに」
「いえ、皆が嫌な事を思い出すくらいならしない方が良いでしょう。それとは別に個別にお食事に誘おうと思っていますので、その時は時間を作ってくださいね?」
そう言って笑顔を作って、この話に終止符を打つ事となった。
その後は暫し無言となってしまったが、翌日にはまたいつも通りの雰囲気に戻っていた。
リーンフェルトは調べようのない過去に思いを馳せながら、いつかその犯人が見つかる事を祈ったのだった。