188 親の苦労、子知らず
西都での一泊は当然の様にハクテイ家となった。
カインローズの母であるキトラの歓待で英気を養ったアル・マナクの面々は翌日組織の手配した船が港に着いているという情報を教えられて港へと向かっている。
その船はオリクトを使った定期便とよく似た形状の船であったが、船の船首についている彫刻が、アル・マナク紋章を模した竜となっているので直ぐに分かった。
西都の港にはキトラを含めて数名がその見送りに集まっていた。
桟橋を背に見送る側に向き直ったカインローズは少し気恥ずかしそうな顔をしてキトラを前にする。
「じゃぁ母さん行ってくる」
カインローズがそう別れの言葉を述べるのだが、キトラは大変不満そうな表情で応じる。
「それは違うわ! ママよ、ママ!」
「まだ覚えていたのかよ!」
別れに涙など見せないと決めていたキトラはそうやってその場を茶化して息子の背中を押しだす。
その気持ちを察してか、カインローズはニカッと男臭い笑みを見せてから船に乗ると見送りに来たごく少数の者達に大きく手を振った。
キトラに最後までからかわれたままであったが、そこはやはり母故の寂しさがあるのだろう。
無事に西都から出港する事が出来たカインローズ達はそのまま洋上の人となり、一路ケフェイドはクリノクロアへの航路をとる。
「やっと終わりましたわね」
そう言ってリナはなりきりセットを外して、リーンフェルトに話しかけた。
リーンフェルトもまた黒猫のなりきりセットを外してこう答えた。
「毎日装着していましたから、無くなってしまうと急に寂しく感じる物ですね」
「そうでございますね。確かに頭のあたりに物足りなさを感じますわ、それにしても久々のケフェイドですよお嬢様」
「えぇアシュタリアにはかなり長い時間いましたから、ちょっとケフェイドの料理が恋しい所ですね」
「でしたら美味しいお店を知っているのですが、どうでしょう?」
「そうですね。他の遠征組も帰って来ているようですし、皆で行くというのはいかがですか?」
「そ……そうですわね。それでしたら皆にも周知しておきますわね」
内心二人きりではないのかと落胆しながらもリナは笑顔で答えた。
リーンフェルトにとってもリナの言動が時々おかしい事には気が付いている。
なので、二人の距離は着かず離れずである。
ともあれケフェイドに着いたらリナの仕切りで久しぶりにセプテントリオン会が開かれる事が確定したようだ。
しかしリーンフェルトは知らない。
過去のセプテントリオン達の飲み会が荒れた事については知らされていない。
リナとしてはそれを知っていても敬愛するべきお嬢様であるリーンフェルトからの提案は何が何でも実行に移したい。
主にポイント稼ぎの為に。
なんのポイントかと言えば純粋に好感度とでも言えば聞こえが良いが、それは一方的な見方でしかない。
リーンフェルトから見るとどちらかと言えば減点対象である事にリナは気が付かないのだから、努力の報われない話である。
「アウグストはどうしますの?」
早速この場に居るメンバーを誘うべく行動を開始したリナは、まずアウグストに声を掛けた。
「私かね? 私は遠慮しておくよ。やっと帰れるんだ。構想を練っていた実験も沢山あるしね」
アウグストには参加の意志は無いようだ。
尤もアウグストとしても荒れるであろう飲み会になど顔を出したくないというのが本音なのだろう。
勿論アウグストも過去にセプテントリオンが全員揃った貴重な飲み会の結末についての知っている。
それは語るも無残な結末を迎えるのだが、果たしてリーンフェルトが加わった事で吉と出るか凶と出るかについては興味があった。
「飲み会の報告書……というのは無粋ですね。どんな感じだったかだけあとで教えてください。それで費用の方は私の方で出しますから皆楽しんできてくださいよ」
それだけ言い残すとさっさと自身の船室へと戻って行ってしまった。
「バカインは参加ですわよね?」
「ん……あぁ、俺もパスで」
「何故ですか? お酒大好きのカインさんがアウグストさん全額持ちの飲み会を断るなんて……」
「いや、実はよぉ親父から家庭教師ってのが付けられる事になってだな。今そいつを警戒しているんだ、正直誰が来るか分からなくてそれどころじゃねぇ。シェルム師匠って線も可能性としてはあるだろうし他の奴かもしれねぇ」
カインローズの話を要約するとどうやらこうなるらしい。
先のアシュタリア滞在時の酒に纏わる失敗から、大分アベルローズに絞られたらしい。
それで帰りがけに一矢報いようとしたところ、さらに追い打ちを掛けられて家庭教師まで付けられてしまったのだという。
話を聞きながらリーンフェルトはそのように情報を整理して、また無謀な事をしたものだと大きく溜息を吐いた。
何故やり返そうとしたのか、それ自体がかなりカインローズにとっても無理のある話という事にどうして気が付かなかったのか。
そもそも情報収集や分析を苦手としていて、報告書すら自身で書かない彼に情報戦で勝ち目などまるでないのだ。
せめて反撃の際に一声掛けてくれれば、情報の精査くらいは手伝えただろうにと思いつつ口を開く。
「……また無謀な事をしましたね。アベル様は国の中枢にいる方ですよ。莫大な情報から取捨選択しながらアシュタリアを支えているのですからいわば庭みたいなものなのですよ。そんな中で戦ったってカインさんに勝ち目なんてありませんよ」
「でもよぉ……やられてばっかりは悔しいじゃねぇか」
「それでもです。やり返すならもう少し時と場所、何より情報を正確に把握していなければ無理がありますよ。報告書すら自分で書かないカインさんですよ? まず書類を読むところからですね」
「むぅ……」
「そんな声を上げないでください。嫌でもやらないと勝てませんよ?」
「それじゃお前が俺に教えてくれ。そうしたら家庭教師を少なくとも追い返せる」
「……そうかもしれませんね」
そう答えてリーンフェルトはカインローズから顔を一瞬逸らす。
何故なら思わず心の内が顔に出てしまいそうになったからである。
カインローズの家庭教師として選ばれたのは、他でもないリーンフェルトであったからだ。
アシュタリアではアベルローズにいろいろ教わる事も多く、初代様の話から地方、国政の運営論などそういう事をアベルローズとリーンフェルトの時間がある時という条件の下教えを乞うていたのである。
「はぁ……リーンフェルト、お主がうちの子ならどれだけ楽で来ただろうなと考えたらなんだか涙が出て来ちまったよ。すまんが一つ頼まれてくれやせんだろうか?」
祭りの後の数日中にリーンフェルトがアベルローズの下を訪れた際にそんな切り出しで始まったのは、彼からのお願いだった。
「どうも儂の事を探っておるらしいのだが、諜報が下手過ぎて話にならん。せめて入ってくる情報と集めた情報の分析くらい出来ればと考えておる。礼はする故、すまんがカインの勉強を見てやっては貰えないだろうか?」
「アベル様からの頼みでは断れませんが……私で宜しいのでしょうか?」
「うむ。お前さんが適任じゃな。あいつの事だからきっと家庭教師を付けると言えば警戒して、追い返そうとするじゃろう。そこで白羽の矢が立つのは間違えなくリーンフェルトじゃろう」
「何故私なのかお聞きしても?」
「そこがあいつの限界だろうからのぅ……アウグスト殿にはそんな時間がなかろうし、リナ殿に教えを乞うという事はしないじゃろう。それに儂の情報に狂いが無ければ愚息の同僚達に人に物を教えられる人物は少ないじゃろうて……つまりお主が適任よな」
流石に長年、国の中枢で仕事しているだけに人を見る目はかなりの物だ。
長期滞在していたアウグストやリナは兎も角、他のセプテントリオンについても狂いが無ければなどという枕詞が付くがこれは彼の謙遜のようなもので、その情報はアシュタリアの隠密達が世界各国に紛れて耳目として仕入れた情報を精査分析し活用しているのだろう。
リーンフェルトが聞く限りではアベルローズの語るセプテントリオンの面々の情報や関係性などは非常に丁寧に処理されている。
「そんなにアル・マナクの情報は筒抜けなのでしょうか……」
「うむ。アシュタリアの隠密達の腕が良いだけぞ。」
そう言って笑うアベルローズに、リーンフェルトは組織側として少し対策を練ってみようと思うのだった。
他国からアル・マナクに対する捜査が入っている事は知っていた。
何故なら今や誰もが欲しがるオリクトの製造方法を知っているのはアウグストのみであり、アル・マナクの専売特許だからである。
オリクトは色々と便利の効くアイテムだ。
当然その製造方法を知る事が出来たら儲ける事が出来る。
少なくとも自国で生産する事が出来たならばと各国の位の高い者や多少金のある豪商などは熱心に探りを入れているようなのだ。
アベルローズの話を聞く限りセプテントリオンの情報もその製造方法を調べる為の基礎情報なのではないだろうか。
なにせオリクトはヘリオドール無き世に於いてはその価値を一層高めており需要は鰻上りであり、供給が追い付いていないともアウグストがたまに漏らすのを聞く事があるくらいだ。
そんな希少性も相まって製造方法さえ分かれば、一財を築くのは容易であると言える。
ならばその製造方法を狙うのはある意味道理とも言えなくもない。
生産工場があるとも、巨大な魔法陣で生成しているとも言われているが、リーンフェルトはオリクトがどういった方法で生成されているのかについては知らない。
ただ警備は主にアダマンティスの諜報部隊が行っており、未だその防御が破られたという話は聞いていないのでその知識が外に漏れてはいないとリーンフェルトは確信している。
現に紛い物が全く出回らないのが不思議なくらいなのだが、それすら作る事の出来ないオリクトはアウグストの作り出した物である。
それだけでどれだけの知識を要するかは想像に難くないし、ヘリオドール研究の造詣に深くなければ例え製造方法を知った所で作り出せるような代物ではないような気がするのだ。
それはアウグストの研究を間近に見る機会がある事と、彼の言動や行動からリーンフェルトが推測した事だが、きっと当たらずとも遠からずのはずだ。
そう考えると案外リーンフェルト個人として出来る事は少ないような気がする。
取り敢えずリーンフェルトはこれから時間がある時はカインローズの勉強を見なければならなくなった事を少しだけ面倒に思いつつも彼に了承を伝えるのだった。