187 ケフェイドへの帰路
ジェイド達が去った城の中は妙な静けさがあった。
寧ろ八色雷公が収まって以降、城で働いしている人数からすれば劇的に増えているというのにだ。
「さて、私達もそろそろケフェイドに帰りましょうかね。ここでやるべき事は終わってますし、実はまた新しい所にお呼ばれしているのでね」
そう言って笑うアウグストについてリーンフェルトとリナは謁見の間へと赴く。
彼はどうやら事前にアポを取っていたらしく、面会はすんなりと行われた。
「此度はご苦労だった」
相変わらずの威厳に満ちた声が玉座から投げ掛けられる。
「こちらこそ大変勉強になりました。今日はお暇を頂きに参りました」
「そうか……そち等も帰るのだな。あい分かった……帰りも西都からかね? もし時間に余裕があるのならばハタタガミ経由でも良いのだぞ?」
「ははは、ご厚意感謝致します。しかし私も次の研究をせねばらならない身……世の全てに恩恵を与えるオリクトの改良に尽力したく」
「あの石のお蔭で多くの者が恩恵を受けられる世になって来ておる。我が国への輸出も忘れるでないぞ」
「それは担当部門に申し伝えておきますのでご安心を」
カハイは一拍置いてから改めて口を開く。
「うむ。大義であった」
「はい。陛下もどうかお元気で。あぁそれと我々の見送りに関しては不要でございますので……」
「なんじゃ水臭い。見送りくらいさせよ」
「いえいえ我々は英雄でもなんでもございませんので。それに恥ずかしいじゃないですか、私本職は学者ですよ? 人とお話しする事は本当は苦手なんですよねぇ、人ごみも遠慮したいですな。ジェイド達の時のように人が集まったら、この年で夢にうなされちゃいますよ」
「そこまでなのかね? リーンフェルトよ」
突然カハイから質問を受けたリーンフェルトはちらちとアウグストを見やると、一生懸命両目をパチパチとしている。
どうもウィンクしたかったらしいそれに内心呆れつつ、リーンフェルトは皇帝からの質問に答える事にした。
「はい、何分普段から研究の為部屋に引きこもっている事が多く、本部に居てもその姿をほとんど見かけない程です。ですのであまり人が多い所に出るのは苦手なのかもしれません」
「ふむ……そうか。国の恩人がそう言うのであれば仕方が無い、我はここで別れを告げよう。名代にナギを立てる故ママラガンの正門まで送らせる、それくらいは容赦せい」
「お心遣い感謝致します」
アウグストはカハイの見送りを断り、名代のナギに関しては仕方なしと言った感じで、流石に断る事は出来なかったようだ。
「では我々は明日にでも引き揚げます。陛下におかれましては益々ご健勝であらせられますようお祈り申し上げます」
そうしてアウグストは丁寧に礼をすると二人の伴を連れだって謁見の間から退場したのだった。
――一方、その頃カインローズは城の別室でアベルローズに捕まっていた。
「何だよ親父……」
「ふむ。またしばらく会えなくなるのでなぁ」
「なんだよ、寂しくでもなったか?」
少しからかうような口調でカインローズがそういえば、アベルローズも負けずに切り返す。
「はっはっは。お前の顔はもう良いから、さっさと孫の顔を見せてくれ」
「それはちょっと……って酷くないか? 親父」
「酷くもなんともない。儂はハクテイの血が途切れるのを心配しておるんじゃ。それにその様子じゃ意中の女子もおらんのか? 枯れておるのぅ……」
「俺は親父とは違うんだよ。あんまりしつこいとチクってやるからな」
「ふん。もうそんなに盛んではないわ。儂の歳を考えろ! 歳を」
「クックック……」
珍しく嫌らしい笑みを浮かべる彼にアベルローズは怪訝そうに見返す。
明らかに何か企んでいる顔である。
父としてはもう少し上手く立ち回って欲しいと思う所なのだが、この大根役者の芝居に乗ってやろうと気持ちを切り替えた。
「何がおかしいのじゃ?」
「キコマ屋の女中にいるんだろ? こっちは調べが着いているんだぜ」
「な、何を……」
「まぁいいさ。俺もそれくらい調べられるようになったという事さ。親父……母さんに愛人の事を言っても良いのか?」
動揺して見せるアベルローズに気分を良くしたカインローズは追撃の手を緩めてしまうのだが、しかし相手は海千山千の国政を司る四祭祀家の当主である。
そこからは寧ろ逆転しあっという間に反撃が開始される。
「ふむ……情報の精査が今一じゃな。儂が流した偽情報に引っかかる様ではまだまだ……だな」
「に、偽情報!?」
「そうじゃ。お前が儂に一杯食わせようとしている事くらいお見通しよ。じゃから罠を仕掛けさせてもらったのじゃが……しかしこうもまんまと引っかかるとは情けない」
カインローズはケフェイドに帰る前に父であるアベルローズに仕返しをしてやろうと考えていた。
祭りの日には酒が呑ませてもらえず、皇帝直下の隠密に追いかけまわされた事や思い出し始めたら限がないくらいアシュタリアに着いてからあれこれと注意された。
基本的にカインローズの方が悪い為、逆恨みと言えばその通りなのだが、やられてばかりでは癪に障る。
何とかケフェイドに帰還する前にぎゃふんと言わせてやろうと自分の能力をフルに使ってアベルローズの情報を集めていたのだ。
尤も普段と違ってこそこそと動いていた為、余計に目立ちアベルローズに察知されて逆に罠を仕掛けられる事態に陥ってガックリと肩を落とすカインローズである。
結局アベルローズの方が一枚上手であり、その後はマンツーマンで情報収集と分析について叩き込まれていたのである。
それはハクテイの次期当主への指導という側面はあるにせよ、その実はまたしばらく会えなくなる息子との時間を過ごす為であった。
「……も、もう……勘弁してくれ……」
四時間みっちり指導を受けたカインローズは既に頭がパンクしており、父の言っている事が理解出来ない状態になっている。
どうやら脳みその筋肉は長時間の勉強には耐えられなかった様である。
「四時間程度でこれか。修行が足らんのぅ」
「座学なんて俺には向いてねぇんだよ……」
机に突っ伏して頭を抱えているカインローズが言い訳を始めるが、それに言葉被せてアベルローズが愚痴を封殺する。
「そうは言ってもな後五年、いや十年後にはお前にハクテイの家名を譲らねばならん儂の身にもなれよ。そうじゃな……スペシャルな家庭教師を着けてやるからきっちり勉強するのだぞ」
「げえっ!?」
「……何を驚いておる。出来ぬなら勉強せい。阿呆め!」
そう言い渡してアベルローズはどうやらその家庭教師の手配に動くようだ。
「お前の先生は大変優秀な奴だ。きっちり教えを乞うたらいい」
そう言い残して居なくなってしまった。
カインローズは目の前が真っ暗になったような気分になり、もう一度頭を抱えまだ見ぬ家庭教師に恐怖を覚えるのだった。
そうしてアシュタリア最後の晩は静かに過ぎて行き、早朝にはアル・マナクの四人は西都へと旅立つ事となった。
「リンお姉様も行ってしまわれるのですね……」
ママラガンの城門前は早朝という事もあり人手は疎らである。
ジェイド達の時とは違ってとても静かであり、かえって寂しさが増すようだ。
「大丈夫ですよ。またアシュタリアに来ますから、ナギも大きくなったらケフェイドに遊びに来てくださいね」
「はい、お姉様……」
「それではまたねナギ。元気でいるのですよ!」
くりくりと大きな目尻に涙を溜めたナギが小さく手を振る。
それを合図にアル・マナクの四人を乗せた馬車は動き出す。
牛車ではないのは、こちらの方が早く走りケフェイドにたどり着くのが早い為だ。
もう少し観光だとかそういう物にアウグストが目を向けていれば牛車という可能性もあったが、アウグストはさっさと本部へ戻りたいらしい。
「私だけ飛竜でかえりましょうかねぇ……いやそれならカインにおんぶして貰った早いか……」
などとブツブツ言って、思考を繰り返しているようだ。
余程早く本部に戻りたい理由でもあるのだろうかと、リーンフェルトはアウグストに質問をしてみる事にした。
「アウグストさんは、そんなに早く本部に戻りたいのですか? 本当に戻るつもりなら飛竜で戻るという方法もあるのではないでしょうか?」
その問いにアウグストはちらりと問いかけたリーンフェルトを見やると、話し始める。
「今回アシュタリアの台座から見つかった技術を早く試してみたいのだよ。アシュタリアの仮住まいでは実験器具も少ないし論文しか作成出来なかったからね。論理に裏打ちされた実験こそ至高。早く帰りたくはあるのですが、飛竜の乗り心地は最悪なのでね……こうして陸路で帰り旅をしなくてはならんシュルクの身は不便だねぇ全く……」
アウグストはそうぼやいて複数あるメモ帳に、文字を書き込んでゆく。
あれはこれからしたいと思う実験の行程を纏めた物だった。
リーンフェルトも一目見て分かるほどアシュタリアでは使用出来ない大型装置を必要とするようだ。
アシュタリアで宛がわれた客間一室では到底収まらないだろうその巨大な装置はリーンフェルトにとって見慣れない物だったが、本部のどこかに有るのだろうか?
ともあれその装置で攪拌した物に今回手に入れた技術をつぎ込む予定らしい。
ちらりと見ただけで何となく試したい事があるのだな程度には理解できるほど、アウグストの実験欲は高まりを見せている。
「そうだカイン。君、西都でゆっくりして来るならして来ても良いよ。セプテントリオンの皆は勤勉なのはありがたいが休みを取らなさ過ぎるからねぇ」
「いやそれにはおよばねぇよ。ちょっと母さんに挨拶出来ればいい。船はもう手配済みなんだろう? なら間に合う様にするさ」
などとアウグストにカインローズは返事をしていた。
八色雷公の起きない穏やかな旅路はアシュタリアの長閑な風景と相まって良い思い出になりそうだ。
リーンフェルトは早く帰りたがるアウグストの為に各種調整に暫くその時間を割く事になったのは言うまでもない。
予定通り西都に着いた一行はキトラからの誘いを断りきれずに、ここで一泊する事になるのだった。